swallow-dale logo

[home] | [SWALLOW-DALE]| [my favorite things] | [平田信芳文庫] | [profile] | [mail]


my favorite things

 しばらく「20世紀書店」が続きます。ほかの世紀にもお邪魔します。

 

216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)

1869年の「綾御衣裏寧姫命塚」


【承前】たんたどの坂を登り下って、金剛嶺を登って下り、福昌寺墓地を抜けて、今度は、常安嶺にのぼります。

福昌寺の南西の裏鬼門にあたる常安の山上に、明治以降の島津家の墓所があります。

この場所に最初に葬られたのが、島津斉彬(1809~1858)の娘で、島津家29代当主・島津忠義(1840~1897)の正室、暐子(てるこ、1851~1869)でした。18歳の年、長女・房子の出産のあと、すぐに亡くなっています。
明治2年(1869)のことでした。

このときの葬儀は、それまでの仏式でなく、神式で行われました。
墓はいわゆる「土まんじゅう墓」で、下方上円の塚に、諡(おくりな)をしるした墓標を建てる形になっています。島津暐子の諡は「稚櫻豊暐姫命塚」、美しい名前です。「塚」ということばを使っているのも特徴のひとつです。背面に「明治二年己巳三月廿四日」と亡くなった日の日付が刻まれています。

明治に入って最初の島津家の葬儀が神式で行われたことが、「廃仏毀釈」容認のように受け取られてしまい、島津家の菩提寺であった福昌寺の廃寺につながりました。

鹿児島で廃寺にされたのは福昌寺だけではありません。明治2年、それまで1000以上あった仏教寺院がすべて廃寺となり、それから約10年、鹿児島には仏教寺院がひとつもない状態が続くことになります。

鹿児島県維新史料編さん所『鹿児島県資料 忠義公史料 第六巻』(1979)の 「二一四 島津忠義夫人産後病気ノ為逝去セラル」の項に、次のようにあります。

二一四ノ八
一御先代様御葬祭之儀、是迄仏家作法を以御執行被為在来候得共、此節
御前様御逝去ニ付テハ、方今復古之御盛典ニ被為基、御葬祭向都て神国之礼式を以可被為遂行旨、被
仰達候条、此旨神社奉行江申渡、向々江も可申渡候、
 但御葬具出来ニ付ては、受持之局々より都て神社方江引合、早々無手抜取計候様、被仰付候、
 明治二年巳三月廿五日  知政所

二一四ノ九
一常安峯
右は此節福昌寺境内山中開拓之場所
右之通相唱
豊暐姫命御遺体可被遊 御埋葬旨被仰達候条、向々江可致通達候、
明治二巳三月 知政所

常安峯が「福昌寺境内」だったことが分かりますが、このとき、島津家の対応いかんでは、「廃仏毀釈」が、すべてを廃寺にするような徹底した不寛容さで行われなかったのではないか、という気がしてなりません。
「寛容な不徹底」の道を探れなかったものか。

明治2年6月25日、鹿児島県の知政所は、「中元盂蘭盆会ヲ禁止シ祖先ノ祭祀ハ仲春仲冬両度ニ執行スヘキヲ達す」と通達。

明治2年11月月29日、藩庁は、島津家歴代総社を鶴嶺神社として、旧南泉院跡に創建。

明治2年12月、藩庁は、仏教寺院を廃して、島津家の霊位を神社に祀ることを決めます。

 旧福昌寺 → 長谷(はせの)神社・慈眼公(島津家久)御霊社
 旧浄光明寺 → 龍尾神社 御高祖(島津忠久)御霊社
 旧日進寺 → 竹田神社 梅岳公(島津忠良)御霊社
 旧南林寺 → 松原神社 大中公(島津貴久)御霊社
 旧妙谷寺 → 大平神社 龍伯公(島津義久)御霊社
 旧妙円寺 → 徳重神社 松齢公(島津義弘)御霊社

「旧」ということばから分かるように、鹿児島は、日本のなかで「廃寺」をほんとうに実施してしまった、不寛容が徹底された場所になってしまいます。

 

常安嶺の島津家墓所外観

▲常安嶺の島津家墓所外観
常安嶺の島津家墓所には、島津家29代当主・島津忠義の家族をはじめ、それ以降の世代が葬られています。
15の土まんじゅう墓があります。そのうち、12が島津忠義の家族、2つが島津久光(1817~1887)の子ども、1つが島津斉宣(1774~1841)の娘のものです。
島津家30代当主・島津忠重以降の墓は、土まんじゅう墓ではなく、石造りの墓になっています。

 

島津忠義の墓

▲島津忠義の墓
【正面】
従一位勲一等公爵島津忠義卿墓
【背面】
天保十一年四月二十一日生
明治三十年十二月二十六日薨

 

島津暐子の塚、奥に島津忠義の墓

▲島津暐子の塚、奥に島津忠義の墓

島津暐子の塚

▲島津暐子の塚
島津忠義と島津暐子以外の13の土まんじゅう墓に葬られているのは、次の人たちです。
忠義の子どもたちで、この墓地に葬られているのは、幼くして亡くなった子どもたちです。

愛邦眞稚彦命塚
明治十八年乙酉四月四日
忠義三男・邦丸(母・寿満子)

花蔓豊房姫命塚
明治四年辛未三月十日
忠義長女・房子(1869~1871、母・暐子)

幼稺豊和姫命塚
明治十七年甲申九月十日
忠義九女・和子(母・寿満子)

稚靈忠寶彦命塚
明治十二年己卯八月十七日
忠義長男・忠宝(1879年、3か月で夭折、母・寧子)

綾御衣裏寧姫命塚
明治十二年己卯五月廿四日
忠義継室・寧子(やすこ、1853~1879、島津斉彬五女、近衛忠煕養女)

眞玉德彦命塚
明治十六年癸未九月十七日
忠義次男・徳之助(母・寿満子)

花勝見普稚姫命塚
明治十一年戊寅九月五日
忠義六女・普子(母・寿満子)

緑翠潔棲姫命塚
明治十九年丙戍五月十七日
忠義継室・棲子(すみこ、?~1886、板倉勝達の二女)

島津久之墓
明治五年九月二十四日生
昭和三十五年一月二十六日歿
忠義側室・久(1872~1960、旧姓・菱刈)

奇靈眞勝姫命塚
明治八年乙亥六月十日
勝姫(1812~1875)
島津斉宣(1774~1841)の娘。島津斉興(1791~1859)の養女。
石見浜田藩の嫡子松平康寿(1809~1831)の正室。松平康寿が家督を継ぐ前に早世したため、島津家に戻り、玉里邸(1835年造営)に暮らした。

島津壽滿子之墓
昭和二年二月十七日
忠義側室・寿満子(1850~1927、旧姓・山崎)
忠義四男・忠重(ただしげ、1886~1968、第30代島津家当主)、八女・俔子(ちかこ、1879~1956、久邇宮邦彦王妃、香淳皇后の母)、十女・正子(なおこ、1885~1963、徳川家正室)らの生母。

瑞心俊世姫命塚
明治八年乙亥十月廿七日
久光の娘・於俊(1859~1875、母・久光側室・山崎武良子)

忠心經別彦命之□
從五位源朝臣島津忠經
明治十四年三月十一日逝去
享年三十一
嘉永四年辛亥十一月九日誕生
久光の子 母・久光側室・山崎武良子

 

お犬様の墓

▲お犬様の墓
福昌寺墓地の島津重豪の墓のそばにあるお犬様たちの墓は知っていましたが、このお墓は初めて知りました。

なんだか、今日の散歩では、「龍」たちが、あちこちで姿を見せます。

 

常安嶺から鹿児島市街地を見渡す

▲常安嶺から鹿児島市街地を見渡す

たんたどから、あちらこちら寄り道しながら歩いてきましたが、坂道がある分、結構な運動になります。

思うのは、やはり「廃仏毀釈」という不寛容な施策は、大失敗だったということです。
「稚櫻豊暐姫命」という美しい名前から、徹底的な廃仏毀釈が始まったかと思うと、悲しくなります。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Dagmar Krause『Supply & Demand』

Dagmar Krause『Supply & Demand』(1986年、Hannibal Records)

この場にはふさわしくないのかもしれませんが、ブレヒト/ワイルの『ベルリン・レクイエム(Berliner Requiem)』(1928)の歌が頭の中を流れます。

流れてくるのは、ダクマー・クラウゼの歌声で「Grabrede (Epitaph 1919、墓碑 1919年)」です。
ダグマー・クラウゼの歌で「Ballade vom ertrunkenen Mädchen(溺れ死んだ少女のバラッド)」も聴きたいです。

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

215. 1813年の金剛嶺石碑(2017年11月18日)

1813年の金剛嶺石碑


【承前】 たんたどの坂を下って、金剛嶺へ続く坂を登ります。

写真は、文化10年(1813)に、以前のものが壊れたので、改めて建てられた金剛嶺の石碑です。

福昌寺十二景といわれる名勝があって、そのなかの「深固院」と「金剛嶺」はセットになっています。
深固院は、福昌寺開祖、石屋真梁が引退後、住んだ場所です。『三国名勝図絵』の「福昌寺十二景」の項に、

金剛嶺 當寺の艮嶺を指す、石屋禪師石を聚て金剛經を書し、是を嶺頭に埋めて、鎭護とす、是なり

とあり、石屋禅師が、深固院の上にある金剛嶺に、石を集めて金剛経を書いたものを埋め、福昌寺東北の鬼門の守りとしたと伝えられています。

金剛嶺にある墓石群については、近日中にアップ予定の平田信芳『石碑夜話』を参照していただければ幸いです。

 

『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「深固院」

▲『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「深固院」〈昭和41年刊行の南日本出版文化協会刊行の『三国名勝図絵』から〉
現在の發照寺がある辺りでしょうか。
『三国名勝図絵』によれば、深固院は、福昌寺三塔司の一つとされ、開祖・石屋禅師ゆかりの小院です。島津家9代・忠国(大岳公)の菩提所にもなっていたようです。

他の福昌寺三塔司は、福昌寺16世・喜冠和尚開山の華舜軒と、福昌寺18世・代賢和尚開山の月香院です。

福昌寺の諸院は多数ありますが、そのなかでいちばん格が高かったのが恵燈院で、絵師の木村探元も『三暁庵主談話』で、

一雪舟之畫に四明天童第一坐とは四明天童第一の座席と云ふ事にて候 繪にて第一の座には不被居答出家が能有之第一の座に被居候半御國福昌寺第一の座は惠燈院なり 此通之事にて可有之と被考候由

と書いて、恵燈院が福昌寺「第一の座」としてます。

恵燈院の本尊は、運慶作の十一面観音で、福昌寺の本尊も運慶作の釈迦如来、夾侍の阿難・迦葉・須菩提・八金剛も運慶作ということでしたから、鹿児島でも運慶仏を拝むことができた時期があったわけです。

現在の玉龍中学・高校の南側の高台にある住宅地にあったようです。福昌寺開祖・石屋禅師の開山で、島津家8代の島津久豊(義天公)の菩提所でした。廃仏毀釈のあと、恵燈院にあった島津家の墓所は福昌寺墓地に改葬されたようです。

 

『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「金剛嶺」

▲『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「金剛嶺」
『三国名勝図絵』は、天保14年(1843)にまとめられた地誌で、金剛嶺の頂に建っている石碑は、文化10年(1813)建立と刻まれているので、図に描かれた石碑は、現在建っている石碑と同じものです。

鹿児島の古くからのパワースポットのひとつなのですが、現在のあつかいはぞんざいとしか、言いようがありません。

金剛嶺から鹿児島市街を見渡す

金剛嶺から鹿児島市街を見渡す

▲金剛嶺から鹿児島市街を見渡す。多賀山ごしの桜島。
金剛嶺の周囲は、旧・深固院の墓所で、江戸から明治にかけての墓が残っていますが、發照寺下の崖の崩落以降、定期的に世話をする人がいないのか、荒れ果ててはいませんが、荒れています。

眺めがほんとうにいい、まさに「眺望佳勝」という言葉が似合う、気持ちのよい場所ですが、ここに一日いても、たぶん誰とも会うことはないような、人の気配のうすい場所です。

 

加治木島津家初代の夫婦墓

▲加治木島津家初代の島津忠朗の夫婦墓
島津忠朗(1616~1676)と 夫人(?~1692)の墓。大きさからいうと、福昌寺墓地にある島津家墓地群より、立派かもしれません。
平田信芳「石碑夜話(十一) 金剛嶺の古墓」(1995年)によれば、加治木島津家菩提所「龍仁寺墓地」にも墓がありますが、そちらが「埋め墓」で、鹿児島市街を見渡すこちらは「拝み墓」ということです。

 

金剛嶺からおりて、福昌寺墓地のほうへ向かいます。

福昌寺墓地にある石屋真梁と仲翁和尚の墓

▲福昌寺墓地にある石屋真梁と仲翁和尚の墓
今回は、島津家6代・師久(総州家)・島津6代・氏久(奥州家)から28代島津斉彬までの歴代当主と夫人の墓が集められた島津家の墓所は素通りして、福昌寺の開祖・石屋真梁(1345~1423)の墓と福昌寺三世住持・梅壽仲翁和尚(1379~1445)の墓をお参りしました。

梅壽仲翁和尚は、福昌寺を創建した島津家7代・元久の嫡子で、本来なら島津家8代を継ぐ人でしたが、僧としての一生を選択した人です。

 

玉龍中学・高校の西側にある水源地「玉龍水」

▲玉龍中学・高校の西側にある水源地「玉龍水」
現在の玉龍中学・高校の校庭は、智日池という周囲1キロほどの池でした。現在の地名の「池之上町」は、廃仏毀釈の跡、埋め立てられた池に由来します。

春の桜、初夏の蓮花が名物だったようです。池の中央部には、福昌寺の大門へと続く龍門橋が架かり、その右手には、出島のような形で、弁財天と聖観音の祠があったようです。東京の不忍池の弁財天のような形でしょうか。
現在も水源地として使われているだけに、昔から水が豊かな場所だったようです。

福昌寺は何度か火事にあっているのですが、島津重豪(1745~1833)の時代、明和8年(1771)に、福昌寺が修築されたときのようすを『三国名勝図絵』は、次のように書いています。

大信公の代、明和八年、命して殿堂門廡を改め作り、悉く其舊に復し、或は光華を加へらる、凡そ當地の地たるや、後方は高峻にして、山に倚り、溪を帯ひ、前面は寛豁にして、平地に臨む、其境内廣大、周廻半里餘あり、其分界の定りは、恕翁公の御印文に見えたり、其後の山は、玉龍山と稱して、峯巒蟠屈し、常に雲霧を起し、翠靄を染む、宛も神龍雄蟠の勢ひありて、法窟を擁護せり、山峰の西面には、百仭の瀑布瀉き下りて、宛も百虹の龍背より懸り起るが如し、其下流は清水湛然として、常に塵情を蕩滌す、寺中には水を引き、若干の水車を設て米糧を舂き、民丁の勞役を省く、寺門の前には、周廻十餘町の大池を穿ち、智日池と號し、種るに蓮藕を以てす、夏月蓮花開くれば、紅白相映して、錦繍を織が如く、珠璣を敷が如し、清香異氣馥然として、遠く梵殿を薰し、寺院は香氣の中に朦朧たり、池蓮の清淨を觀ては、妙法蓮華開示悟入の緣を結ばしむ、其池頭には、石橋を架して、大門路の徃來とし、龍門橋といふ、池中多く鯉魚を畜て、橋上より觀るに宜し、堤塘には櫻樹數十百株を種て繚繞し、其花時には、山地と勝を爭んとす、池塘の東には、水田數頃を開きて、夏箕川に臨み、種るに香稻を以てせり、梵臺の崢嶸たるは、高く白雲に突出し、佛殿の宏壯なるは、廣く瑞日に照映す、支院隔房は多少を知らず、遠く林外の布列し、鐘聲經音は晨昏となく、遙に煙中に接續せり、しかのみならず、寺地廣大なれば、其上界下界の景狀一ならず、下界は平地にして、松形欝然たれば、多く幽深なるに、上界は山腹に連り、其僧坊梵閣高敞にして、城市海山の遠きを一眸の下に収め盡せり、其千状萬態、筆下に論じがたし

島津重豪ごのみの、華やかな寺の姿がしのばれます。
かつての栄華は今いずこ、です。

さて、次は、福昌寺の西側にある常安(とこやす)嶺にのぼります。【続く】

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

214. 1667年のタンタドの観音石像(2017年11月18日)

1667年のタンタドの観音石像

近くにある、3つの坂を登ってきました。

平田信芳が、今から二十数年前、平成4年(1992)5月~平成9年(1997)5月にかけて、『みなみの手帖』誌に連載していた「石碑夜話」全15回(第1回~第9回は『石の鹿児島』に収録)をまとめてデジタルデータ化してPDFにしようと準備していて、
「石碑夜話(十一) 金剛嶺の古墓」〈平成7年(1995)9月〉
を読んでいましたら、福昌寺の艮(うしとら)の鬼門にあたる金剛嶺の話で、上町育ちの血が騒ぎ出します。天気もよかったので、旧・福昌寺周辺を散策して郷土史探訪のまねごとをすることにしました。

思い浮かべたルートは、まず福昌寺十二景のいちばん東にある「たんたど」に至る坂をのぼっておりて、続いて「金剛嶺」にのぼっておりて、福昌寺墓地を通って、「常安嶺」にのぼる、というルートです。

玉龍山・福昌寺は、島津家の菩提寺で、「藩国第一の巨刹」と言われていた曹洞宗のお寺です。
島津氏以前に鹿児島を治めていた長谷場氏の屋敷跡に建てられたとされます。
島津家7代・元久(1363~1411)が、石屋真梁(1345~1423)を招いて、応永元年(1394)に創建。福昌寺の三世住持の仲翁和尚(1379~1445)は、元久の嫡男ですが、島津家を継がず、島津家8代は元久の弟・久豊(1375~1425)が継ぎます。
島津家との結びつきの深い寺です。

島津家の菩提寺であったにもかかわらず、明治2年(1868)の廃仏毀釈で廃寺となりました。
残っていれば、鹿児島を代表する名所となっていたでしょうが、今は、その敷地跡に建てられた玉龍中学・玉龍高校の北側にある、福昌寺墓地に面影を残すのみです。 福昌寺墓地には、6代島津師久から28代島津斉彬までの歴代当主と夫人の墓が集められていますが、改葬があったためか、墓自体は18世紀以降につくられたものが多いようです。島津久光とその玉里家を継いだ忠済の墓もあります。
明治以降の、第29代・島津忠義以降の墓所は、福昌寺墓地とは別になっていて、福昌寺の西南側にある常安の高台にあります。

最初の坂は、「たんだど」へ登る坂です。
「たんたど」を漢字で書くと、「反田土」「撻鼕々」「都曇答臘」など難しい表記が使われてきましたが、その語源は、皷のように鳴る水音説、石工の石鎚の音説や、近くの「催馬楽(せばる)」という地名と結びつけて古代の音曲由来説などがあり、定かではありませんが、なんらかの擬音が起源のようです。

上の写真は、「たんたど」の龍窟・蛇穴(じゃのあな)前に残っている観音石像です。
いいお顔をしています。
背後に刻まれた碑文に「寛文七丁未」(1667年)とあります。
鹿児島市で見ることのできる石碑は、18世紀以降のものが多く、この観音像のように17世紀のものは多くは残っていません。

観音像の後ろ側に刻まれた碑文を読んで見ました。

【正面】
□□□□有大龍濟弱石屋禅師[逢]□脉
□□□[移]岫其形[遍][岡]而或十丈□十五丈欤
□正真□
□口
□泉
石□下
豈逗千歳[于]龍師□□□□□□不見[予]彫観音
[正][裡][邈]□其□寛文七丁未[暦]仲春日[在]仙[叟][筑]□於玉龍之室

【右面】
目[記] 長圓
代官 鎌田清右衛門

[ ]内の字は仮の読みです。欠けや 摩耗がすすんで、判読が難しい個所が多いのが残念です。

判読可能な個所に、玉龍山・福昌寺の開祖である「石屋禅師」の名前が刻まれていることに驚きました。

福昌寺の開祖である「石屋禅師」が「龍」を済度したエピソードや、龍窟(蛇穴)の「岫」(いわあな)について、「寛文七丁未」(1667年)に「玉龍之室」で書かれていることが推測されます。

碑文中にある「正真」は、その龍の名前とも言われ、お礼にここに泉を湧かせたという伝説があります。
龍窟(蛇穴)のある場所にあった、正真軒という寺は、「石屋禅師」が開いたとされています。

この観音石像は、江戸時代の初め、鹿児島では島津光久(1616~1695)の代に、正真軒の由来を刻み、龍窟(蛇穴)に置かれていたもののようです。

「撻鼕々(タンタドウ)」は、「福昌寺十二景」に選ばれていることから分かるように、福昌寺と関わりが深く、正真軒には、毎月一日に福昌寺から僧が上ってきて、水神供をしたそうです。
もともと、古くからの、泉がわく「聖なる場所」だったのだと思います。

『三国名勝図絵』には、「撻鼕々(たんたどう)」の「蛇之窟 附 正真軒」のついて、次のように書かれています。

當寺(福昌寺)の北、五町許、撻鼕々にあり、蛇之窟、又龍窟ともいひ、寺説を按ずるに、むかし神龍此洞窟に栖しに、石屋禪師に參して、證果を得、全身蛻脱して、風雲を生し、兩角崖を穿ち去りしといふ、此洞窟高こと二間、深さ七間、横五間餘あり、洞上の山に穴あり、大小六ツ、其中殊に大なるもの徑り三尺五寸にして、半より兩岐となる、虚空を穴中より望みみるべし、穴中明朗にして、日光透り通ぜり、洞中常に水泉湧出して盈滿し、洞外に流る、此洞窟は、即神龍の蹤跡なり、故に龍窟を、俗呼て蛇之穴といふ、又此地を撻鼕々とも號するは、水音常に皷音の如く、鼕々たる故に其名を得たるとぞ、 [撻鼕々の事は、別にも説あり、本府催馬楽城の章に詳なり、今此には寺説に從てこれを記す、] 洞中に聖觀音を安ず、又正眞大明神の石像あり、是神龍を崇めしといふ、洞外に寺あり、正眞軒と名く、石屋禪師を開山とし、禪關和尚を中興とす、[元禄五年、遷化、]本尊聖觀音大士なり、[定朝作、]當寺は儈徒福昌山中の禪院と稱す、[山中禪院の數下條に見江たり、]寺寶に神龍の落したる鱗を藏む、福昌寺第五十五世圓山和尚龍鱗の記一篇あり、其文中に、神龍石屋師に參禪せしに、師正眞大師と名を捧けしかば、神龍本身を顯し去り、又屋後に清泉を湧出して是を謝す、今の正眞軒の名は、此由緒に依れりと云々記せり、古來毎月朔日に、福昌の大衆此洞に至り、水神供を修せしに、今は略して、福昌佛殿に於て誦経すといふ

また、その龍が女性に化身していた、という伝説もあります。

石屋和尚、薩摩國中を履歴したまひけるが、ある所の山洞の下に、暫く錫を住て坐禪工夫ありしに、或時何所もしらず一女人來て曰、吾は是神龍なりとて、禪要を問ふ、師直指人心見性成佛の旨を示す、龍女歡喜して華水を供して、時々來る、里人謂く此草庵へ女人の通ずるは怪し、彼女を捕んとて、數百人彼女の跡を逐て草庵に至り、彼美女を出すべしと呼びけるに、龍女謂く、吾善知識に遇ひ、畜生道を出離して、正覺を取らんとするに、凡夫の爲に妨けらるゝこそ無慚なれとて、忽ち本身をあらはし、大盤石を裂破て、平地に波瀾を翻し、海中に入る、里人驚き恐れて、皆十方に逃散りけり、此岩は龍宮窟とて、今に彼地にあるとかや、此文は蛇穴の事を云に似たり

同時代の島津家の絡み合ったお家事情とからめて、石屋禅師と龍女を主人公にした、歴史ファンタジーができそうな話です。

 

タンダドのバス停

たんたど公園

▲「たんたど」のバス停・たんたど公園
「たんたど」の地名は、バス停と公園に、目に見える形で残っています。

 

『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「撻鼕々」

▲『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「撻鼕々」

龍窟(蛇穴)のある岩山

▲龍窟(蛇穴)のある岩山
たんたど一帯は石切場でもあったので、地形はだいぶ変わっていると思いますが、『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「撻鼕々」の図と似ているような気がします。

 

龍窟(蛇穴)

▲龍窟(蛇穴)
唯一残されている龍窟(蛇穴)。外は擁壁で埋め固められています。

 

土嚢に囲まれた観音石像

▲土嚢に囲まれた観音石像
今回、いちばん衝撃的な光景でした。
奥に、唯一残されている龍窟(蛇穴)があります。
観音像は霊屋造の祠のなかに浮き彫りにされているのですが、零屋の屋根は前に埋もれています。


青木昆陽『昆陽漫録』

▲青木昆陽『昆陽漫録』を収録する日本随筆大成第一期第20巻(1994年、吉川弘文館)
江戸時代の鹿児島の名勝を記録した書では、

白尾国柱編『麑藩名勝考』寛政7年(1795年)
本田親孚ほか編『薩藩名勝志』文化3年(1806年)
橋口兼古・五代秀堯・橋口兼柄ほか編『三国名勝図絵』天保14年(1843年)

の三書が知られていますが、「たんたど」について、『麑藩名勝考』と『三国名勝図絵』が、青木昆陽が「たんたど」について書いたものを紹介しています。その部分を、日本随筆大成第一期第20巻(1994年、吉川弘文館)の収録された青木昆陽『昆陽漫録』から引用します。「日中見星」という項目です。

徐光啓西洋暦曰、夫密室測量。盖因陽精炫燿非人目可当。初虧時率多未見。或用水盤映照。則免于閃爍。又若動揺。故善巧者設為此法。用素板。作圜界。画分秒。以承日光。即虧。復初終分数多寡灼然。不爽所取于密室者。窺光自闇倍蓰。分明即眢井茂林。日中見星之儀。僧寮中或為幽房。通隙以受塔影。亦是理也ト。我国ニテモ眢井ノ中ヨリ、日中星ヲ見ルト云ヒ伝ヘ、薩州鹿子島ノ城ヨリ半里ホドアルタンタトウト云フトコロ、三町余山ヘ上レバ、平カニシテ岩屋アリ。蛇ノ穴ト云フ。穴ノ口広サ四間ホド、奥ヘ五間バカリ、往キテ岩屋ヨリ上ノ山ヘ、マワリ二托ホド、長サ二丈余ノ穴アリテ、其ノ穴ヨリ日中ニ星ヲ見ルト云フハ、徐光啓ノ説信ズベクシテ、豊ノ卦ノ日中見斗モ、仮説ノ言ニアラザルニヤ。〔割注〕或ノ云ク、韃鼕々[タンタタウ]ト書ス。

「星見の井戸」などと同じ原理で、昼間にも星を見ることができたのだと思われます。
その具体例として、鹿児島の「タンタドウ」が江戸の青木昆陽(1698~1769)にも知られて、中国の徐光啓(1562~1633)の文章と結びつけられていたわけです。

白尾国柱編『麑藩名勝考』では、「今按、昆陽漫録ハ青木敦書著す所也、此人嘗て商賣を爲して本藩に寓居す、後巡検使を奉して再ひ藩に至る、蛇穴を看しハ初度佯來し時なるへし」として、青木昆陽が鹿児島に滞在したときの実際の見聞だとしています。
青木昆陽はさつまいもを日本全国に普及した人物ということで知られていますが、鹿児島に滞在したという伝記的事実は確認されているのでしょうか? ただ『昆陽漫録』には、薩摩や琉球の記述もいくつか見られるので、少なくとも薩摩についての情報源を持っていたことは確かだと思われます。

龍窟(蛇穴)の構造

▲龍窟(蛇穴)の構造
平田信芳が主宰していた地名研究会『地名研究会報 第4号』(1984年6月3日)で、「蛇穴(じゃのあな)」について言及・検討されています。
片岡吾庵堂さんが子どもだった大正の末に、昼でも星が見えると、たんたどまで父親に連れていかれた体験を語っていて、「龍窟(蛇穴)」の構造も図示していました。


たんたど龍窟(蛇穴)の上の方からの眺め

▲たんたど龍窟(蛇穴)の上の方からの眺め
たんたど一帯は石山で、そこで切り取られる溶結凝灰岩は、たんたど石と呼ばれ、鹿児島城下では、城の石垣、民家の石塀、神仏の祠、石像など、幅広く使われていました。

 

正真軒の墓石

▲正真軒の墓石
「安永六年(1777)」「享和三(1803)」「元治元(1864)」と刻まれた墓石が放置されていました。正真軒にあった墓石と思われます。


首を落とされた石仏

▲首を落とされた石仏
まさに廃仏毀釈が今も形として残っています。

 

名越左源太屋敷跡へのぼる坂

名越左源太屋敷跡

▲名越左源太屋敷跡へのぼる坂
たんたどの龍窟(蛇穴)から少し登ると、名越左源太の屋敷跡があります。
お由羅騒動で奄美大島に遠島になり、そのときの体験をもとでにして『南島雑話』が生まれたのですから、人生に何が幸いするか分かりません。

 

白尾国柱旧居跡

▲白尾国柱旧居
たんたどから福昌寺の方へ下ると、かつて「たんたどう番所」があった辺りに、『麑藩名勝考』を編んだ白尾国柱(1762~1821)の旧居跡があります。
白尾国柱は、『成形図説』の編纂や『倭文麻環(しずのおだまき)』の著作で知られる、国学者です。槍術にすぐれた人物としても知られています。

白尾国柱が編んだ『麑藩名勝考』の大きな特色は、鹿児島に1000を超えてあったと言われる仏教寺院の記述が少ないことです。白尾国柱旧居の近所にある福昌寺の記述もほとんどありません。国学者であった白尾国柱にとって仏教寺院は「名勝」ではなかったようです。

 

白尾国柱の墓

▲福昌寺墓地の白尾国柱の墓
『鹿児島県史料 麑藩名勝考』(1982年)の「白尾国柱略伝」には「南林寺墓地に葬られた」とありますが、 現在、白尾国柱の墓は、福昌寺墓地にありました。改葬されたのでしょうか。
国学者としては「~命」のおくりなのほうがふさわしいと思うのですが、墓には法号で「千秋亭皷泉瑞楓大居士」とあります。

続いて、金剛嶺へと向かいます。【続く】

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

213. 1981年のScritti Politti「The "Sweetest Girl"」(2017年11月6日)

1981 C81


情報遮断気味の生活をしていて、たまに、思い出したように、いくつかの気になる名前をネットで検索すると、思いがけないことになっていて驚くことがあります。

今日、幾組かのミュージシャンの名前を検索してみたら、スクリッティ・ポリッティ(Scritti Politti)が、まさに昨日・一昨日、11月4日・5日に、ビルボード東京でライブをしていたことを知って呆然とし、そして、アンソニー・ムーア(Anthony Moore)が関東・関西の小さなスペースをライブ行脚していることに気づいて、わが「情弱」ぶりを嘆きました。
どちらも、かなり入れ込んできたミュージシャンですので、前もって知ることができていたら、と思うばかり。
というより、知らなければ、心穏やかにいられたものを、とさえ思ってしまいます。

スクリッティ・ポリッティのライブ1曲目は、「The "Sweetest Girl"」だったそうです。
嗚呼。

というわけで、rough trade からのシングル盤に先立って、1981年1月、「The "Sweetest Girl"」が初めて披露された、カセットコンピ『NME/ROUGH TRADE C81』です。
イギリスの音楽雑誌 NME 誌が出した、廉価版カセットコンピの第一弾です。

その Side One 1曲目が、Scritti Politti の「The "Sweetest Girl"」でした。

「ザ・スウィーテスト・ガール」という曲の印象というと、世界で最高の女の子を前に立ちすくんでいる男の子というイメージでしょうか。
「スウィート」すぎるのですが、ロバート・ワイアットの物憂いキーボードがしみいります。

この『NME/ROUGH TRADE C81』のカセットは、当時入手したものでなく、最近になって中古で入手したものです。
聴いてみて驚いたのは、「The "Sweetest Girl"」が、私が聴きなじんできたレコード盤とは違うミックスだったということです。

このカセットコンピについて、サイモン・レイノルズ著、野中モモ/新井崇嗣・訳『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984 Rip It Up and Start Again』 (2010年、シンコーミュージック・エンタテイメント) に次のような記述があります。

 1981年春、「ザ・スウィーテスト・ガール」は『C81』の1曲目として初めてお披露目された。『C81』はラフ・トレードがレーベル創立の、広義ではインディーズ革命の5周年を記念して、『NME』と協力して編集したコンピレーション・カセットである。1.5ポンドという破格の安価で販売されたこのカセットには、ペル・ウブ、キャバレー・ヴォルテール、サブウェイ・セクト、ザ・レンコーツといった有力ポストパンク勢の曲が収録され、実に3万人の読者がこれを注文した(※1)。
 しかし『C81』は多くに意味において、ポストパンクの終焉を告げるものとなった。

※1 『C81』=クーポンを2枚集め、代金と共に郵送するという注文形式だった。

インディーズとポストパンクの歴史という意味では、きちんと項目を立てるべき位置にある、歴史的なカセットコンピだったようです。

このカセットコンピを実際に聴いてみて初めて分かったのですが、『C81』に収録されている曲は、レコードとは違う別ヴァージョンを多く、「異版」の宝庫ということでした。
例えば、アズテック・カメラ(Aztec Camera)は「We Could Send Letters」が収録されていますが、これも初めて聴くバージョン。これもポストカードレーベルでのレコードデビューに先立つ形で、この『C81』がアズテック・カメラの公式音源でのデビューということだったようです。

『C81』に収録されたヴァージョンのほうになじんだ人も多かったのでしょう。カセットで聴いていた者には、レコードで聴いていた者とは、ちょっと違った音楽体験があったのだなと気づきました。
似ているようで微妙に違う異なる世界の過去に戻るような、面白いリスニング体験でした。


NME/ROUGH TRADE C81 OWNER’S MANUAL

▲「NME/ROUGH TRADE C81 OWNER’S MANUAL」
NME誌を切り抜いて作る、カセットケースサイズの32ページの小冊子。

『NME/ROUGH TRADE C81』の選曲は次のようなものでした。

Side One
01 Scritti Politti - The "Sweetest Girl"
02 The Beat - Twist And Crawl Dub
03 Pere Ubu - Misery Goats
04 Wah! Heat - 7,000 Names Of Wah
05 Orange Juice - Blue Boy
06 Cabaret Voltaire - Raising The Count
07 D.A.F. - Kebab Traume (Live)
08 Furious Pig - Bare Pork
09 Specials - Raquel
10 Buzzcocks - I Look Alone
11 Essential Logic - Fanfare In The Garden
12 Robert Wyatt - Born Again Cretin

Side Two
01 The Raincoats - Shouting Out Loud
02 Josef K - Endless Soul
03 Blue Orchids - Low Profile
04 Virgin Prunes - Red Nettle
05 Aztec Camera - We Could Send Letters
06 Red Krayola - Milkmaid
07 Linx - Don't Get In My Way
08 The Massed Carnaby St. John Cooper Clarkes - The Day My Pad Went Mad
09 James Blood Ulmer - Jazz Is The Teacher, Funk Is The Preacher
10 Ian Dury - Close To Home
11 Gist - Greener Grass
12 Subway Sect - Parallel Lines
13 John Cooper Clarke - 81 Minutes

 

「NME/ROUGH TRADE C81 OWNER’S MANUAL」のScritti Politti

▲ 「NME/ROUGH TRADE C81 OWNER’S MANUAL」のScritti Polittiのページ。
冊子の内容は、カセットの曲順どおりにはなっていないので、「OWNER’S MANUAL」を編集する段階では、カセットの曲順は決まっていなかったのでしょう。

 

Scritti Politti 「The Sweetest Girl」表

Scritti Politti 「The Sweetest Girl」裏

▲Scritti Politti 「The Sweetest Girl」(1981年、rough trade)12インチシングルの米盤
昔は異版をそろえるということはしなかったので、このアメリカ盤12インチシングルとLPの『Songs to remember』英盤に収録された「The "Sweetest Girl"」の音が、わたしにとっての「The "Sweetest Girl"」の音でした。

ジャケ違いもいろいろあって、英シングル盤のジャケには、男の子だけでなく、女の子の写真もあります。ジャケットとしては、そちらのほうがいいですし、入手も難しくないのですが、なぜか手に入れるをためらい続けるレコードでもあります。

 

サイモン・レイノルズ著、野中モモ/新井崇嗣・訳『ポストパンク・ジェネレーション』

▲サイモン・レイノルズ著、野中モモ/新井崇嗣・訳『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984 Rip It Up and Start Again』 (2010年、シンコーミュージック・エンタテイメント)
版を重ねていてほしい本です。

Simon Reynolds『Rip It Up and Start Again: Post-punk 1987-1984』

▲Simon Reynolds『Rip It Up and Start Again: Post-punk 1987-1984』(2005年、faber and faber)
サイモン・レイノルズは1963年生まれですので、1978~1984年は、彼にとって15歳から21歳までの時期にあたります。
その人が40歳を過ぎて書いたテキストです。
1978~1984年の英国音楽を、遠く日本で、断片的に聴いていたものにとっては、分からなかった線がつながって、断片が形になっていくので、それだけでも面白いのですが、その当時を全く知らない者はどう読むのでしょうか。インディーズで物づくりをしていくことの実践例として読む方法もあるのかもしれません。

 

Simon Reynolds編集のコンピCD『Rip It Up and Start Again』

▲Simon Reynolds編集のコンピCD『Rip It Up and Start Again』(2006年、V2)
ここでは、「The "Sweetest Girl"」でなく、Scritti Politti 2枚目のレコード『4 A Sides』(1979年、Rough Trade / St. Pancras Records) から「PAs」が選曲されていました。
本とCDのデザインを文字を主体にそろえていて、こういう作りは好きです。

表紙にカセットテープとヘッドフォンが図案化されているのが象徴的です。
ソニーのウォークマンが発売されたのが1979年ですし、カセットテープは時代の推進者の1人で、新しい何かを作り出せるのではないかと信じられていた時代だったのかもしれません。

日本語版も、ZINEの世界に詳しい野中モモの翻訳だけに、ZINE的なDIY感を前面にだしたカヴァーにすればよかったのに、と思ってしまいます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

訃報を目にしました。
マッチング・モール、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース、ナショナル・ヘルス、イン・カフーツのギタリスト、フィル・ミラー(Phil Miller)が亡くなっていました。
ずっと、そのギターの響きを聴いてきました。これからも。

 1949年1月22日 - 2017年10月18日

the Relatives & Phil Miller『Virtually』

the Relatives & Phil Miller のアルバム『Virtually』(2013年、relative records)から
Richard Sinclair のヴォーカル曲「On my mind」を。
フィル・ミラーとリチャード・シンクレアの共演は、この曲が最後だったのでしょうか。

YouTubeでも、追悼として relative records から、この曲がアップされていました。


 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

212. 1903年の川上瀧彌・森廣『はな』(2017年10月29日)

1903年の川上瀧彌・森廣『はな』


鹿児島市立美術館で開催されている『藤島武二展』を見に行きました。
この川上瀧彌・森廣『はな』も、藤島武二の木版が4枚収録されているということで、展示されていました。

川上瀧彌・森廣『はな』は、明治35年(1902)1月に、自然科学出版の老舗・裳華房から初版が出て、版元の広告によれば「大好評にて第一版第二版悉く盡せり目下増補第三版着手中」とあって、評判もよかったようです。写真は、その増補訂正第三版(1903年)の表紙です。
はなしょうぶの図案は、藤島武二によるもの。

図版に、藤島武二の木版のほか、飯田雄太郎・川上瀧彌・牧野富太郎・和田英作の石版が使われています。
札幌農学校出身の若い農学士、川上瀧彌・森廣の共著で、 詩や俳句や和歌や花言葉がふんだんに引用された、文学志向の強い植物読み物になっています。
1910年に改訂五版がでて、それが最後の版のようですから、時期的にも「ベルエポック」な本です。

関わった人物を調べてみると、予想以上の人間交差点になっていて、すごいなと思った本です。

初版「緒言」の感謝の部分を引用します。

本書を著すに當り、本庄義雄。飛鳥輝子の二君は、筆記の勞を分たれ、飯田雄太郎(轉寫石版)。藤島武二(意匠木版)の二君は、特に其健腕を揮ふて、挿む所の彩色畫數葉を寫生せられ、牧野富太郎君は野菊の寫生石版圖を寄せられ、白井俊一君は專ら校正のことに當らる。志賀重昻君。有島武郎君。半澤洵君。高杉夫人。美野田夫人。長谷川とく子。其他學友諸君は親切なる力を盡され。而して本書印行に就ては裳華房主人の留意頗る多かりき。これ著者等の深く感謝する所なり。

句読点の使い方が、現在のものと違うのも興味深いのですが、札幌農学校コネクションが見えてきました。
登場した人物を何人かあげてみます。

川上瀧彌(1871~1915):札幌農学校18期。「マリモ」の命名者。台湾博物館の初代館長。

森廣(1876~1915):札幌農学校19期。有島武郎の小説『或る女』の登場人物「木村貞一」のモデル。北海道大学のポプラ並木をつくった人物。
 札幌農学校2代校長・森源三(1836~1910)の長男。森源三の次男・森茂樹は、長岡の河井継之助の家を再興するときに河井家の養子に。

有島武郎(1878~1923):札幌農学校19期。「或る女のグリンプス」1911年1月~1913年3月連載。『或る女』(1919年)。

半澤洵(1879~1972):札幌農学校19期。「納豆」博士。

志賀重昂(1863~1927):札幌農学校4期。『日本風景論』(1894年)

飯田雄太郎(1867~1909):浅井忠(1856~1907)のもとで学んだらしい。札幌農学校画学講師。「クラーク博士」肖像の作者。『はな』に多色石版5枚。

藤島武二(1867~1943):『はな』に意匠木版4枚。『明星』表紙や与謝野晶子『みだれ髪』と同じ1901年作。

牧野富太郎(1862~1957):『はな』に単色石版1枚。

川上瀧彌(1871~1915):『はな』に多色石版2枚。

まず、偶然とはいえ、著者が2人とも、大正4年(1915年)に亡くなっていることに驚きました。
森が大正4年(1915年)2月18日に札幌で38歳で、川上は、大正4年8月21日に台湾台北で44歳で、亡くなっています。

マリモと台湾にも吃驚しましたが、最初は、森廣と有島武郎とが結びついていなかったので、2人の関係にいちばん吃驚しました。

100年前の本の中にある名前でも、男性の名前は調べると、何かと手がかりがあるのですが、『はな』の序文には、「飛鳥輝子」「高杉夫人。美野田夫人。長谷川とく子。」という女性たちの名前もあります。この女性たちがどういう人たちかを調べるのは難しいです。
過去のテキストは、男たちの「経歴」の厚い岩盤で埋め尽くされているようなところがあります。


次に、増補改訂三版の「緒言」から引用します。1903年に川上瀧彌の任地である熊本農業学校で書かれています。森廣はアメリカへ遊学中。

著者素より文字に嫻はす、字句往々にして法を誤るもの多し。曙山前田氏の厚意を以て訂正するところ尠からす。又在佛蘭和田英作氏より贈られたる林檎の花の圖(水彩畫)は、氏が特に其健筆を揮はれたるものにして、爲めに一段の光彩を添えたり、是れ著者の併せて深く感謝する所なりとす。

和田英作(1874~1959):『はな』に水彩をもとにした多色石版1枚。
前田曙山(1872~1941):小説家。園芸関係書も多数。

三版の「緒言」からすると、和田英作のリンゴは、三版から掲載ということのようです。

 

さらに、三版の「緒言」には、次のような文言もありました。

本書の增訂俳歌の撰擇に就て尠からざる助力を與へたる、家妻千歳は、改版の本書を見るに及ばずして病沒せるを以て、即ち其遺稿「みちしばの露」より、千秋文學士の撰拔せられたる一首を花菖蒲の章に加へ、以て亡妻の紀念となせり。

初版と三版の間に、川上瀧彌は奥さんの千歳を亡くしています。

そして、はなしょうぶの項目に挿入された川上千歳の歌は、次のもの。

 しめやかにふり出したる五月雨にながめを添えし花あやめ哉  千歳

はなしょうぶの項目には、藤島武二の木版が添えられています。

藤島武二_はなしょうぶ

▲藤島武二の木版 はなしょうぶ
1901年のTF。

藤島武二の図版は「意匠木版」と書かれていて、植物学的な図版ではありません。
また、「梅」の図版では、銀泥が使われていて、より装飾性を高めています。

なんだか、『はな』という本の底流に流れているのは、『みだれ髪』以上に情熱的な世界のような気がしてきました。

【10月31日追記】
明治43年(1910)11月3日発行の増訂改版五版も見てみました。
タイトルが『はな』から『花』になっています。
冒頭に、それまでの「緒言」が掲載されていて、書いた場所が、札幌から台湾台北へ南下しています。
 「五版緒言」明治四十三年三月 臺灣臺北博物館に於て 川上瀧彌
 「參版緒言」明治三十六年五月 熊本農業學校に於て 川上瀧彌
 「初版緒言」明治三十四年六月 札幌農學校に於て 川上瀧彌。森 廣

「増補改訂第五版」に収録された「參版緒言」では、奥さんの死に言及した箇所は省かれていました。
本文中の「しめやかに~ 千歳」の和歌は残されています。

「増補改訂第五版」では、図版にも変更があって、藤島武二の木版が4枚から3枚に、飯田雄太郎の石版が5枚から1枚に、川上瀧彌の石版が2枚から1枚に減っていますが、新たに佐藤醇吉の石版1枚、須賀蓬城の石版1枚、中山龜次郎(素堂)の石版が1枚、追加されています。須賀と中山の図版は台湾の佛桑花(ハイビスカス)と台湾の蘭の絵で、今までなかった南方の花が加わっています。

藤島武二 梅

藤島武二 梅の銀泥

▲藤島武二の木版 梅

【10月31日追記】
「増補改訂第五版」では、この木版が省かれています。1901年から1910年の10年の変化を感じます。
「花」を主題にした科学啓蒙書のなかでは、花より女性が中心の図版はふさわしくない、とされたのでしょうか。
ただ図版が省かれたということだけでなく、時代の潮目が変わったことの痕跡なのかもしれません。

藤島武二の木版 櫻

▲藤島武二の木版 櫻

藤島武二の木版 菊。萩。なでしこ

▲藤島武二の木版 菊。萩。なでしこ

 

和田英作の石版 りんご(苹果)

▲和田英作の石版 りんご(苹果)
この石版の仕上がりは、和田英作の思い通りだったとは思えない出来です。

 

飯田雄太郎の石版 花はしどい。鈴蘭

▲飯田雄太郎の石版 花はしどい。鈴蘭

川上瀧彌の石版 こまくさ。千島ひなげし。

▲川上瀧彌の石版 こまくさ。千島ひなげし。
札幌農学校出身者の本らしく、北方の花の図版が目立ちます。

 

牧野富太郎の石版 のじぎく

▲牧野富太郎の石版 のじぎく
藤島武二の装飾的な図版に対して、牧野富太郎は、正統な植物学の図版を提示しています。

 

川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版の扉

▲川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版の扉

川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版の奥付

▲川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版の奥付
検印は個人名でなく、「札幌學藝會蔵版」とあります。

川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版巻末の広告

▲川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版巻末の広告
図版について次のように説明しています。

 天然色アートタイプ三色刷二枚
 天然色石版摺四枚
 木版模様意匠畫四枚
 アートタイプ壹枚
 石版摺花式圖一枚
 圖畫廿三個
 (最上色クロース製洋装菊判美本全一冊)

しかし、この『はな』の企画に、藤島武二を引き入れたのは誰だったのでしょう?  同い年の飯田雄太郎だったのでしょうか?


池之上町_藤島武二宅跡

池之上町の藤島武二宅跡の前を通ったら、藤島武二展のポスターが飾られていました。

今回の藤島武二展で、ひそかに期待していたのは、父・平田信芳が今後の課題としていた、藤嶋新二と藤島武二の関係の有無です。

 平田信芳「西郷書・藤嶋新二追悼碑」『敬天愛人』第九号(1991年、西郷南洲顕彰会)
 平田信芳「藤嶋新二とその仲間たち」『石の鹿児島』(1995年、南日本新聞開発センター)

などで、2人とも池之上町にゆかりがあるので、何らかの関係があるのではないかと推測していましたが、決め手はありませんでした。

今回の展覧会カタログを読むと、藤島武二の母方の蓑田家についてはいろいろ知ることができましたが、残念ながら「藤嶋新二」については、言及がなく、関係の有無は分からないままです。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

禅と骨

中村高廣監督作品『禅と骨』のサウンドトラックです。

 岸野雄一×岡村みどり×タブレット純「赤い靴」

題材が太平洋をはさむだけに、亡き蓮実重臣が元気だったら、 岸野雄一×岡村みどり×蓮実重臣「赤い靴」が聴けたのではないか、とも思いました。

そういえば、「赤い靴」は、北海道移住に際して、幼い女の子が北海道の環境に耐えられないだろうから、「異人さん」のもとに預けられた話がもとだという説もありました。

『はな』と「赤い靴」、「北海道」つながりでした。

【10月31日追記】
映画『禅と骨』が鹿児島でも公開されたので、見に行ってきました。
『禅と骨』というタイトルなのですが、それ以上に「血族」「肉親」ということばが表す「血と肉」をもった人間が画面から迫ってきます。
ヘンリー・ミトワという人物を通して、ドキュメンタリーとドラマ、日本とアメリカ、横浜と京都、男性と女性、そして、骨と骨、いろんなものが混じり合った、ヒリヒリして飄々とした映画でした。
疎ましく愛おしい、生きている人間がいることを感じさせる映画でした。

座禅のときの警策と娘さんの手、どちらも痛かった。

2時間の尺の中で、語れなかったこと、語りえなかったことも多かったのだと思います。
それは「察する」以外、すべがない世界なのかもしれません。

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

211. 1982年のThe Ravishing Beauties「Futility」(2017年10月17日)

1982年Mighty Reel


写真は、イギリスの音楽誌『NME』が、通販のみで頒布していた廉価カセット・コンピの第4弾『Mighty Reel』(1982年、NME004)です。
その Side Two4曲目に収録されていたのが、The Ravishing Beauties 唯一の公式音源「Futility」です。

Virginia Astley、Kate St John、Nicky Holland の3人グループ The Ravishing Beauties は、1980年代はじめの文化系青少年ならば好きにならずにいられないアイドル性もあったと思うのですが、レコードアルバムやシングルを残さなかったグループです。
このカセット・コンピ『Mighty Reel』に収録された「Futility」だけが唯一公式にリリースされた音源です。

その後、3人は、それぞれ魅力的なソロアルバムを出していますし、なかでも Kate St John のソロアルバムは90年代の「Light Music」の極みだと思っています。それだけの才能が集まったのだから、せめて1枚でもグループとしてアルバムを残していたら、80年代初頭の珠玉のアルバムとして輝きつづけて、信奉者をうっとりさせてくれたのではないかと、今でも残念に思います。

The Ravishing Beauties の音源では、ほかに、1982年4月14日のBBCラジオで放送された John Peel セッションの音源もあって、動画サイトなどで聞くことができますが、音質はかなり残念な状態。いい音でリリースしてくれないものか。

ところで、The Ravishing Beauties の収録されたテープ『Mighty Reel』を久しぶりに掘り返したのは、思いがけないところで、Virginia Astley の名前を見かけたからです。

 

STANLEY SPENCER POEMS: An Anthology

▲『STANLEY SPENCER POEMS: An Anthology』edited by Jane Draycott, Carolyn Leder, Peter Robinson(2017年、Two Rivers Press)

新刊案内で、この『STANLEY SPENCER POEMS: An Anthology』を見かけて、イギリスの画家スタンレー・スペンサー(Stanley Spencer、1891~1959)の詩の本「?!?」と思いながら注文したのですが、スペンサーが生まれ育ち暮らしていたテムズ河畔のCookham(クッカム)の町で企画された詩のコンペの応募作を集めた選詩集でした。スペンサーの膨大な遺稿から詩を集めたものかという予想ははずれました。

スタンレー・スペンサーは、日常の中の聖なるもの、聖なるもののなかの日常を描き続けてきた「画人」で、20世紀の「現代美術」の潮流からは離れたインディーズな存在です。
そんな画家とその作品を、題材にした「詩」を約100編を集めたアンソロジーでした。
パッとしないものになる可能性も大きい趣向ではありますが、スタンレー・スペンサーの絵の世界と21世紀の詩人たちの現在が交差して、思った以上におもしろいアンソロジーになっています。

このアンソロジーのなかに、Virginia Astleyの詩が3編、「Swan-Upper」「The Last Willow Pot Omper Maker」「Moulsford to Cleeve」 の3作品が選ばれていました。

「思いがけないところでお会いしました」でした。
近況を知ることができてうれしかったです。

「Swan-Upper」は、スペンサーの作品「クッカムの白鳥調べ(Swan Upping at Cockham)」(1915-19)、「The Last Willow Pot Omper Maker」はリンゴが登場するので、「林檎をつむもの(Apple Gatherers)」(1912-13)でしょうか、「Moulsford to Cleeve」 は乳牛が登場するので、 「農場の戸(The Farm Gate)」(1950)であったり、テムズ河畔の風景画を踏まえているようです。

『STANLEY SPENCER POEMS: An Anthology』の巻末には、詩人達のかんたんなプロフィールが載っていて、Virginia Astleyは、テムズ河畔の生活についての本や詩集を準備中のようです。そして、小さな詩集『The Curative Harp』(2015年、The Munster Literature Centre)をすでに出していたことに気づきました。

 

Virginia Astley『The Curative Harp』

▲Virginia Astley『The Curative Harp』(2015年、The Munster Literature Centre)
アイルランドのコークの文化機関 The Munster Literature Centre というところが、32ページステープル綴じのチャップブック(chapbook)と称する詩集のオンデマンド出版をやっていて、そのなかの1冊でした。
これがヴァージニア・アストレイの「本」としての第一詩集のようです。
ヴァージニア・アストレイが2003年に『from gardens where we feel secure』(オリジナル盤は1983年)のCDを再発したとき、アルバムジャケットに使われたものと同様の花の写真(ブルーベルの群生?)が表紙に使われていました。

書名になっている「ハープのなぐさめ(The Curative Harp)」という詩は、ある春の夜のできごとでしょうか。
人里離れた家の階段に飾り物として置かれて、だれも弾くことのない43弦のハープが、 ひとりぼっちの夜にくちずさんだシューベルトの「春に(Im Frühling)」の歌声に共振した、という場面を描写した詩です。「琴瑟相和す」とは違うのですが、思いがけないハープの震えが、春の夜の孤独に慰めを与える、そんな詩です。

『The Curative Harp』のプロフィール欄には、
「Both music and the river run throughout her work.」(音楽と川はともに彼女のしごとのなかに流れて続けている)
とあって、かっこいい紹介になっています。「音楽とテムズ川」だと、なんだかさまになります。

振り返って、わが身に流れる川は何だろうと考えると、いちばん長くそばにあった川は、鹿児島の上町を流れる稲荷川でしょうか。生まれたところは川内川のほとりでしたので、川は常にともにあったのですが、わが身を流れる「音楽と稲荷川」「音楽と川内川」と決めぜりふにするには、使いにくいようです。


『Mighty Reel』の手引の表紙と裏表紙

▲1982年『Mighty Reel』の手引(OWNER'S MANUAL)の表紙と裏表紙

『NME』誌が出していたカセットの編集盤シリーズは、廉価でしたが、通販だけという頒布法もあって、当時は手にすることはなかったのですが、ネット通販の時代になって、中古盤が入手しやすくなって、試しに購入してみると、いろいろと発見や聴きどころの多いコンピシリーズです。

まず「NME独占(NMExclusive)」という形で、このカセットシリーズ だけでしか聴くことができないものが多いということ。
アルバムやシングル盤のヴァージョンとは違うものが多いことにも驚きました。
異版の宝庫です。例えば、ロバート・ワイアットの「'Round Midnight」も、レコードより少し長めの音源だったり、エルビス・コステロの「Town Cryer」は、テンポの速い別ヴァージョンだったり。
このシリーズは81年にはじまり、90年代まで続きますが、廉価版ということもあって、かなりの量が出回っていたようです。人によっては、アルバムやシングル盤のヴァージョンではなく、このカセットのヴァージョンで歌を記憶している人も多いのではないかと感じました。

このシリーズは、当時のNME誌のタブロイド版サイズの紙面を切り抜いてつくると、カセットのケースにテープと一緒に収められる「OWNER'S MANUAL(所有者の手引)」という、32ページの手作りブックレットと対になっています。
このブックレットを手作りするDIYな感じは、カセットテープの時代の文化という気がします。
中古盤で入手する場合、前所有者が「OWNER'S MANUAL」を添えているものを入手できると、うれしいです。

量が出回っていただけにプレミアはついていませんから、今でも手ごろな値段で入手できますが、廉価版ということもあったのでしょうか、あまり質のよいカセットテープが使われていないようで、経年に耐えない、状態の悪い「はずれ」テープも結構あります。
しかしながら、「ダブ(dub)」を通過した時代の録音ものだけに、カセットとはいえ、音はいいので、ポストパンクの時代の音楽が好きな人間にはたまらない、よく出来たコンピになっています。

 

『Mighty Reel』の手引中のThe Ravishing Beauties

▲1982年『Mighty Reel』の手引中の The Ravishing Beauties 紹介ページ

The Ravishing Beauties の唯一の公式音源「Futility」は、第一次世界大戦で亡くなったウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen、1893~1918)の詩に、ヴァージニア・アストレイが曲をつけたものです。
「Futility」は、「むだ、無益、むなしいこと」といった意味。戦場での死が主題です。
『Mighty Reel』の手引でも、14行の詩がすべて掲載されていますが、改めて書き起こして、試訳もつけてみます。

   Futility

 Move him into the sun -
 Gently its touch awoke him once,
 At home, whispering of fields unsown.
 Always it woke him, even in France,
 Until this morning and this snow.
 If anything might rouse him now
 The kind old sun will know.

 Think how it wakes the seeds -
 Woke, once, the clays of a cold star.
 Are limbs so dear-achieved, are sides
 Full-nerved, - still warm, - too hard to stir -
 Was it for this the clay grew tall?
 - O what made fatuous sunbeams toil
 To break earth's sleep at all?

  【試訳】どうしようもないこと

 あいつを日の当たるところへ移そう。
 日の光はやさしく、いつもあいつを目覚めさせた、
 ふるさとでは、種をまいていない土地のことをささやきながら。
 いつも日の光があいつを起こした、このフランスの地でも、
 この朝がきて、この雪が降るときまで。
 今あいつを起こしてやれるものがあるとすれば
 やさしい、昔なじみのお日さまだけだろう。

 考えてみれば、お日さまが種を芽生えさせ
 冷え切った星の土を目覚めさせていたんだ。
 四肢はすっくと伸び わき腹は
 みごとに張って――まだぬくもりがあり――硬くなってまったく動かない
 そのからだがのびやかに育ったのは、このためだったのか。
 ――いったい何が、まのぬけた日の光にむだに
 大地の眠りを破れさせようとするのか。

 

The Ravishing Beauties の曲「Futility」では、オーウェンの詩に省略と反復が加えられ、次のように歌われています。

 Move him into the sun
 Move him into the sun -
 Gently its touch awoke him once,
 Always it woke him, even in France,

 Move him into the sun -
 Move him into the sun -
 Gently its touch awoke him once,
 whispering of fields unsown.

 - O what made fatuous sunbeams toil
 To break earth's sleep at all?
 Are limbs so dear-achieved, are sides
 still warm, too hard to stir

 Move him into the sun
 Move him into the sun -
 Move him into the sun -
 Gently its touch awoke him once,
 whispering of fields unsown.

 - O what made fatuous sunbeams toil
 To break earth's sleep at all?
 Are limbs so dear-achieved, are sides
 still warm, too hard to stir -

 - O what made fatuous sunbeams toil
 To break earth's sleep at all?
 Are limbs so dear-achieved, are sides
 still warm, too hard to stir -

 - O what made fatuous sunbeams toil
 To break earth's sleep at all?
 Are limbs so dear-achieved, are sides
 still warm, too hard to stir -

 Move him into the sun -
 Move him into the sun -
 Move him into the sun -
 Move him into the sun - 
(refrain...fade out)

 

オーウェンの詩にあった「At home,」「Think how it wakes the seeds, -」「Woke, once, the clays of a cold star.」「Full-nerved,」「Was it for this the clay grew tall?」という詩句を省略して、「Move him into the sun -」などの詩句を繰り返し、幼い子の歌う童謡のようにしています。それがヴァージニア・アストレイのか細い声で歌われると、戦場での突然の死が、夢のなかのできごとのように思われます。
それでも、失った痛みは消えません。


 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

210. 1925年の西谷操「狼は吠える」(2017年10月8日)

1925年の西谷操「狼は吠える」

209. 1992年の『ホテル・ロートレアモン』(2017年9月15日)

1992年の『ホテル・ロートレアモン』

208. 1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』(2017年8月29日)

1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』

207. 2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』 ILLUSTRATED by PETER BLEGVAD(2017年8月17日)

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』

206. 1931年の佐藤春夫『魔女』(2017年7月25日)

1931年の佐藤春夫『魔女』

205. 1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ(2017年6月27日)

1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ

204. 1985~1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1』(2017年5月28日)

Rē Records Quarterly Vol. 1 No.1 back

203. 1932年の池田圭『詩集技巧』(2017年4月27日)

1932年の池田圭『詩集技巧』表紙

202. 2011年の『Emblem of My Work』展カタログ(2017年4月3日)

2011年の『Emblem of My Work』展カタログ

201. 1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』(2017年3月17日)

1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』背

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

200. 千駄木の秋朱之介寓居から小日向の堀口大學の家まで(2017年3月16日)

小日向の鷺坂

199. 2009年の『黒いページ』展カタログ(2017年2月14日)

2009年の『黒いページ』展カタログ

198. 1934年の『西山文雄遺稿集』(2017年1月31日)

1934年の『西山文雄遺稿集』

197. 1967年の『笑いごとじゃない』(2017年1月14日)

1972年の『笑いごとじゃない』

196. 2017年1月1日の桜島

2017年1月1日の桜島01

195. 1978年のキャシー・アッカーの声(2016年12月31日)

2016年Peter Gordon & David van Tieghem「Winter Summer」裏ジャケット

194. 1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)

1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』

193. 1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』(2016年12月15日)

1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』

192. 1995年の峯村幸造『孤拙優游』(2016年11月30日)

1995年の峯村幸造『孤拙優游』

191. 1980年の今井田勲『雑誌雑書館』(2016年10月27日)

1980年の今井田勲『雑誌雑書館』箱表紙

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

190. 1971年の『海』の表紙(2016年10月24日)

1971年の『海』01

189. 1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』(2016年10月17日)

1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』

188. 1936年の『木香通信』6月号(2016年9月26日)

1936年の『木香通信』六月号

187. 1936年のモラエス『おヨネと小春』(2016年9月4日)

1936年のモラエス『おヨネと小春』箱と表紙

186. 1927年の『藝術市場』―避暑地ロマンス号(2016年8月19日)

1927年の『藝術市場』

185. 1968年の天沢退二郎『紙の鏡』(2016年8月5日)

1968年の天沢退二郎『紙の鏡』

184. 1970年の天沢退二郎『血と野菜 1965~1969』(2016年8月4日)

1970年の天沢退二郎『血と野菜』

183. 1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』(2016年7月29日)

1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』

182. 1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』(2016年7月21日)

1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』

181. 1953年の片山廣子『燈火節』(2016年5月18日)

1953年の片山廣子『燈火節』

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

180. 1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻(2016年5月17日)

1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻

179. 1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻(2016年5月16日)

1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻

178. 1904年の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』(2016年5月10日)

1904Queen Maeve

177. 1942年の野村傳四『大隅肝屬郡方言集』(2016年4月28日)

野村傳四『大隅肝屬郡方言集』表紙

176. 1926年ダックワース版のハドソン『緑の館』(2016年4月22日)

1926GreenMansions01

175. 1948年のバーナード・ダーウィン『のんきな物思い』(2016年3月17日)

1948Every Idle Dream

174. 1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』(2016年2月23日)

1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』

173. 1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』(2016年2月18日)

1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』

172. 1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』(2016年1月24日)

1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』表紙

171. 桜島雪景色(2016年1月24日)

2016年1月24日桜島雪景色

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

170. 1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』(2016年1月18日)

1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』表紙

169. 1966年の天沢退二郎『時間錯誤』(2016年1月17日)

1966年の天沢退二郎『時間錯誤』表紙

168. 1925年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏のおはなし』(2016年1月12日)

1925 The Rale Of Mr Tootleoo 表紙

167. 2016年1月1日の桜島

2016年1月1日桜島

166. 1964年のミス・リード編『カントリー・バンチ』(2015年12月31日)

1964 Miss Read Country Bunch

165. 1924年のジェフリー・ケインズ『サー・トマス・ブラウン書誌』(2015年12月12日)

A BIBLIOGRAPHY OF SIR THOMAS BROWNE

164. 1975年のAllen Toussaint 『Southern Nights』(2015年11月16日)

1975 Allen Toussaint Southern Nights

163. 1968年の松下竜一『豆腐屋の四季』(2015年11月11日)

1968松下竜一『豆腐屋の四季』

162. 1963年の天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』(2015年11月10日)

天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』

161. 1984年の品川力『本豪落第横丁』(2015年10月1日)

1984年の品川力『本豪落第横丁』

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

160. 2015年のユニティー・スペンサー『アーチストになれて運がよかった』(2015年9月30日)

Unity Spencer『Lucky to be an Artist』

159. 1961年の天沢退二郎詩集『朝の河』(2015年8月30日)

1961年天沢退二郎詩集『朝の河』表紙

158. 1972年の『天澤退二郎詩集』(2015年8月29日)

1972天澤退二郎詩集外箱

157. 初夏の七郎すもも(2015年7月24日)

七郎すもも01

156. 1979年のPeter Gabriel「Here Comes The Flood」(2015年7月23日)

1979 Peter Gabriel Here Comes the Flood

155. 1940年の松崎明治『ANGLING IN JAPAN (日本ノ釣)』(2015年6月18日)

1940 ANGLING IN JAPAN Cover

154. 2000年のクリンペライ『不思議の国のアリス』ジャケット(2015年4月25日)

2000 Klimperei Alice au Pays des Merveilles

153. 2012年のデヴィッド・アレン『サウンドバイツ 4 ザ レヴェレイション 2012』(2015年3月18日)

soundbites 4 tha reVelation 2012_cover

152. 2012年のダンカン・ヘイニング『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』(2015年3月16日)

Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers

151. 1976年のキリル・ボンフィリオリ『Something Nasty In The Woodshed』(2015年1月29日)

1976Bonfiglioli_Something Nasty

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

150. 1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号(2015年1月18日)

1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号

149. 1995年ごろの片岡吾庵堂さん作「翔び鶴」(2015年1月10日)

片岡吾庵堂さんの翔び鶴

148. 1937年のダグラス・コッカレル『製本』(2015年1月5日)

1937Douglas Cockerell_Bookbinding01

147. 2015年1月1日の桜島

2015年1月1日桜島01

146. 1984年のジョージ・オーウェル『1984年』ファクシミリ版(2014年12月30日)

1984Orwell_dustwrapper

145. 1974年の天澤退二郎詩集『譚海』(2014年12月29日)

1974天澤退二郎詩集『譚海』

144. 2001年の岩田宏『渡り歩き』(2014年12月26日)

2001年岩田宏『渡り歩き』

143. 1980年の岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』(2014年12月1日)

岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』

142. 1985年のエドワード・リア回顧展カタログ(2014年10月7日)

1985Edward Lear01

141. 1977年の辻邦生『夏の海の色』(2014年8月29日)

辻邦生『夏の海の色』

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

140. 1974年のロバート・ワイアット『ロック・ボトム』(2014年7月26日)

1974Wyatt_Rock Bottom01

139. 1998年の『河原温 全体と部分 1964-1995』展カタログ(2014年7月16日)

1998河原温_表紙

138. 1913年の半仙子『日當山侏儒戯言』(2014年6月30日)

1913半仙子『日当山侏儒戯言』表紙

137. 1917年の加藤雄吉『尾花集』(2014年6月27日)

1917加藤雄吉_尾花集_表紙

136. 1929年の島津久基『羅生門の鬼』(2014年6月12日)

1929島津久基_羅生門の鬼_箱

135. 1943年の『FLEURON』誌刊行20周年記念に催された食事会のメニュー(2014年4月25日)

1943年『Fleuron』誌20周年昼食会メニュー01

134. 1995年の平田信芳『石の鹿児島』(2014年2月27日)

平田信芳_石の鹿児島

133. 1983年のリチャード・カーライン回顧展カタログ(2014年2月8日)

1983Richard Carline_catalogue

132. 1971年のリチャード・カーライン『ポストのなかの絵』第2版(2014年1月26日)

1971Carline_Post

131. 1994年のウィリー・アイゼンハート『ドナルド・エヴァンスの世界』(2014年1月7日)

1994DonaldEvans_cover

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

130. 1978年の雅陶堂ギャラリー「JOSEPH CORNELL展」カタログ(2014年1月5日)

1978Cornell_雅陶堂_cover

129. 2014年1月1日の日の出(2014年1月1日)

2014年1月1日桜島の日の出01

128. 2010年の『クラシック・アルバム・カヴァー』(2013年12月11日)

2010Classic Album Cover_Royal Mail

127. 1934年の『藝術家たちによる説教集』(2013年12月1日)

1934Sermons by Artists_表紙

126. 1926年の南九州山岳會編『楠郷山誌』(2013年11月27日)

1926楠郷山誌_箱表紙

125. 1924年の第七高等学校造士館旅行部『南溟』創刊号(2013年11月26日)

1924南溟_表紙

124. 1974年の講談社文庫版『復興期の精神』(2013年11月17日)

1974年_花田清輝_復興期の精神

123. 1924年の箱入りの志賀直哉『眞鶴』と木村荘八『猫』(2013年11月9日)

1924志賀直哉_真鶴_木村荘八_猫_箱と表紙

122. 1912年ごろのスレイド美術学校のピクニック集合写真(2013年10月17日)

1912 Slade picnic

121. 1929年のアーサー・ウェイリー訳『虫愛づる姫君』(2013年10月8日)

1929Wale_The Lady Who Loved Insects_cover

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

120. 2004年の『妄想フルクサス』(2013年9月30日)

2004Mousou Fluxus_cover01

119. 1937年のアーサー・ウェイリー訳『歌の本』(2013年9月22日)

1937_54_Waley Book of Songs

118. 1984年のガイ・ダヴェンポート『「りんごとなし」とその他の短編』(2013年9月12日)

1984Davenport_Apples & Pears

117. 1953年のゴードン・ボトムレイ『詩と劇』(2013年9月10日)

1953GordonBottomley

116. 1905年のゴードン・ボトムレイ『夏至の前夜』(2013年9月9日)

1905MidsummerEve_cover

115. 1985年の『さようなら、ギャングたち』(2013年7月31日)

1985So Long Gangsters

114. 1972年の島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(2013年7月14日)

1972東北と奄美の昔ばなし詩稿社

113. 1976年の『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』(2013年7月4日)

1976Joseph Cornell Portfolio01

112. 1958年のエリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス』(2013年6月26日)

1958Farjeon_Thomas_Oxford

111. 1887年のローレンス・オリファント『ファッショナブルな哲学』(2013年6月15日)

1887Oliphant_Fashionable Philosophy_cover

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

110. 1938年の『聖者の物語』(2013年6月12日)

1938Marty_Histoire Sainte_cover

109. 1975年のハットフィールド・アンド・ザ・ノース『ザ・ロッターズ・クラブ』(2013年6月4日)

1975Hatfield and the North_The Rotters' Club

108. 1982年のアン・テイラー『ローレンス・オリファント 1829-1888』(2013年5月26日)

1982Anne Taylor_Laurence Oliphant

107. 1971年のドナルド・バーセルミ『ちょっとへんてこな消防車』(2013年5月16日)

1971Barthelme_fire engine

106. 1991年のウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(2013年5月10日)

1991THE DIFFERENCE ENGINE

105. 1992年の『五代友厚・寺島宗則・森有礼』(2013年5月8日)

1992reimeikan_mori arinori

104. 1957年の木山捷平『耳學問』(2013年4月28日)

1957Kiyama Shouhei Mimigakumon

103. 1924年のエドワード・ゴードン・クレイグ『木版画と覚書』(2013年4月23日)

1924 Gordon Craig Woodcuts cover 01

102. 1957年のエドワード・ゴードン・クレイグ『わが生涯の物語へのインデックス』(2013年4月17日)

1957Index_Gordon Craig

101. 1900年ごろのホフマン『英語版もじゃもじゃペーター』(2013年4月8日)

1900Struwwelpeter_cover

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

100. 1959年の『グウェン・ラヴェラの木版画』(2013年3月26日)

1959Raverat_wrapper

99. 1977年の『レイノルズ・ストーン木版画集』(2013年3月24日)

1977ReynoldsStone_titlepage

98. 1981年の『九百人のお祖母さん』(2013年3月23日)

1981_900grandmothers

97. 1938年の『風車小屋だより』(2013年3月19日)

1938Daudet_Moulin_cover

96. 1935年の『薩藩の文化』(2013年3月13日)

1935Satsuma_bunka_cover

95. 1981年の『土曜日の本・傑作選』(2013年3月12日)

1981SaturdayBook_wrapper

94. 1975年の『土曜日の本』(2013年3月11日)

1975SaturdayBook_wrapper

93. 1973年の『土曜日の本』(2013年3月10日)

1973SaturdayBook_wrapper

92. 1972年の『土曜日の本』(2013年3月9日)

1972SaturdayBook_box_wrapper

91. 1971年の『土曜日の本』(2013年3月8日)

1971SaturdayBook_wrapper

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

90. 1970年の『土曜日の本』(2013年3月7日)

1970SaturdayBook_wrapper

89. 1969年の『土曜日の本』(2013年3月6日)

1969SaturdayBook_box_wrapper

88. 1968年の『土曜日の本』(2013年3月5日)

1968SaturdayBook_box_wrapper

87. 1967年の『土曜日の本』(2013年3月4日)

1967SaturdayBook_wrapper

86. 1966年の『土曜日の本』(2013年3月3日)

1966SaturdayBook_box_wrapper

85. 1965年の『土曜日の本』(2013年3月2日)

1965SaturdayBook_wrapper

84. 1988年のケヴィン・エアーズのライブ(2013年3月1日)

1978KevinAyers_RainbowTakeaway

83. 1964年の『土曜日の本』(2013年2月28日)

1964SaturdayBook_wrapper

82. 1963年の『土曜日の本』(2013年2月27日)

1963SaturdayBook_wrapper

81. 1962年の『土曜日の本』(2013年2月26日)

1962SaturdayBook_wrapper

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

80. 1961年の『土曜日の本』(2013年2月25日)

1961SaturdayBook_box_wrapper

79. 1960年の『土曜日の本』(2013年2月24日)

1960SaturdayBook_wrapper

78. 1959年の『土曜日の本』(2013年2月23日)

1959SaturdayBook_box_wrapper

77. 1958年の『土曜日の本』(2013年2月22日)

1958SaturdayBook_box_wrapper

76. 1957年の『土曜日の本』(2013年2月21日)

1957SaturdayBook_box_wrapper

75. 1956年の『土曜日の本』(2013年2月20日)

1956SaturdayBook_box_wrapper

74. 1955年のオリーヴ・クックとエドウィン・スミス『コレクターズ・アイテム』(2013年2月19日)

1955CollectorsItems_wrapper

73. 1955年の『土曜日の本』(2013年2月18日)

1955SaturdayBook_box_wrapper

72. 1954年の『土曜日の本』(2013年2月17日)

1954SaturdayBook_box_wrapper

71. 1953年の『土曜日の本』(2013年2月16日)

1953SaturdayBook_wrapper

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

70. 1952年の『土曜日の本』(2013年2月15日)

1952SaturdayBook_wrapper

69. 1951年の『土曜日の本』(2013年2月14日)

1951SaturdayBook_wrapper

68. 1951年の『現代の本と作家』(2013年2月13日)

1951ModernBooksWriters_cover

67. 1950年の『土曜日の本』(2013年2月12日)

1950SaturdayBook_wrapper

66. 1949年の『土曜日の本』(2013年2月11日)

1949SaturdayBook_wrapper

65. 1948年の『土曜日の本』(2013年2月10日)

1948SaturdayBook_wrapper

64. 1947年の『土曜日の本』(2013年2月9日)

1947SaturdayBook_wrapper

63. 1946年の『土曜日の本』(2013年2月8日)

1946SaturdayBook_wrapper

62. 1945年の『土曜日の本』(2013年2月7日)

1945SaturdayBook_wrapper

61. 1944年の『土曜日の本』(2013年2月6日)

1944SaturdayBook_cover

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

60. 1943年の『土曜日の本』(2013年2月5日)

1943SaturdayBook_wrapper

59. 1942年の『土曜日の本』(2013年2月4日)

1942SaturdayBook_cover

58. 1936年の『パロディ・パーティー』(2013年2月3日)

1936ParodyParty_cover

57. 1941年の『土曜日の本』(2013年2月2日)

1941SaturdayBook_rapper

56. 1953年ごろの『スティーヴンス=ネルソン社の紙見本帖』(2013年1月31日)

1953Specimens_cover

55. 1945年の岸田日出刀『建築學者 伊東忠太』(2013年1月29日)

1945Kishida_Ito Chuta

54. 1912年のチャールズ・T・ジャコビの『本と印刷についての覚書』(2013年1月27日)

1912CTJacobi_Books and Printing

53. 1903年の岡倉覚三『東洋の理想』(2013年1月26日)

1903Okakura_The Ideals Of The East

52. 1895年のウィリアム・モリス『世界のかなたの森』(2013年1月25日)

1895Morris_WoodBeyondTheWorld_title

51. 1969年ごろの『モノタイプ社印刷活字見本帖』(2013年1月23日)

1969MonotypeSpecimen

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

50. 1958年の小沼丹『黒いハンカチ』(2013年1月22日)

1958OnumaTan_BlackHandkerchief

49. 1902年のゴードン・ボトムレイ『夜さけぶもの 一幕劇』(2013年1月21日)

1902Bottomley_Crier_cover

48. 1955年の『詩人と画家 ゴードン・ボトムレイとポール・ナッシュの往復書簡』(2013年1月20日)

1955Bottomley_Nash_Correspondence

47. 1945年のトム・ジェントルマン『ブラエ農場』(2013年1月19日)

1945BraeFarm_cover01

46. 1957年の岩波書店版『漱石全集 書簡集一~五』(2013年1月18日)

1957Souseki_letters

45. 1980年のノエル・キャリントン『キャリントン 絵・素描・装飾』(2013年1月17日)

1980Noel Carrington

44. 1970年の『キャリントン 手紙と日記抜粋』(2013年1月16日)

1970Carrington

43. 1892年のマードック,バートン,小川『アヤメさん』(2013年1月15日)

1892Ayame-san01

42. 1910年のポンティング『この世の楽園・日本』(2013年1月14日)

1910Ponting_ LOTUS-LAND JAPAN

41. 1987年のデヴィッド・マッキッタリック『カーウェン・パターン紙の新見本帖』(2013年1月13日)

1987_A New Specimen Book of Curwen Pattern Papers

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

40. 1969年の『岩下壮一 一巻選集』(2013年1月12日)

1969IwashitaSoichi

39. 1860年のモクソン版『アルフレッド・テニスン詩集』(2013年1月11日)

1860Moxon_Tennyson

38. 1980年のヤング・マーブル・ジャイアンツ『言葉と絵』(2013年1月10日)

1980YMG

37. 1927年の『七高さん』(2013年1月9日)

1927_7kousan

36. 1936年のグウェン・ラヴェラ『逃亡』(2013年1月8日)

1936Runaway_Raverat

35. 1899年のメアリ・フェノロサ『巣立ち』(2013年1月7日)

1899OutOfTheNest

34. 1906年のメアリ・フェノロサ『龍の画家』(2013年1月6日)

1906DragonPainter

33. 1961年のジュニア鹿児島編『ニコニコ郷土史』(2013年1月5日)

1961niconico_history

32. 1940年のジョン・ファーリー『刻まれたイメージ』(2013年1月4日)

1940JohnFarleigh

31. 1939年と1946年の『トワエモワ』(2013年1月3日)

1939ToiEtMoi

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

30. 1963年の『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』(2013年1月2日)

1963SylviaBeach

29. 謹賀新年(2013年1月1日)

2013HappyNewYear

28. 1984年のカトラー文・ベンジ絵『ニワトリになったハーバートくん』(2012年12月31日)

1984Cutler_Benge

27. 1970年のアーサー・ウェイリー『Madly Singing in the Mountains』(2012年12月30日)

1970ArthurWaley

26. 1925年のウェイリー訳『源氏物語』(2012年12月29日)

1925Genji_Waley

25. 1931年のウィリアム・ローゼンスタイン『人と思い出』(2012年12月28日)

1931WillRothenstein

24. 1949年の梅花艸堂主人『夢』(2012年12月27日)

1949Baikasodo_yume

23. 1947年の加藤一雄『無名の南畫家』(2012年12月26日)

kato_mumeinonangaka1947

22. 1963年の岩本堅一『素白随筆』(2012年12月25日)

sohakuzuihitsu1963

21. 1978年のブライアン・イーノ&ピーター・シュミット『オブリーク・ストラテジーズ』(2012年11月2日)

Oblique Strategies1978

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

20. 1982年のロバート・ワイアット『シップビルディング』(2012年10月30日)

Wyatt_Shipbuilding1982

19. 2000年のピーター・ブレグヴァド『リヴァイアサンの書』(2012年10月29日)

Blegvad_leviathan2000

18. 1910年のジェームズ・マードック『日本史・第一巻』(2012年10月27日)

Murdoch_Japan1910

17. 1903年のジェームズ・マードック『日本史』(2012年10月26日)

Murdoch_Japan1903

16. 1861年のエドモンド・エヴァンス『THE ART ALBUM』(2012年10月24日)

Evans1861_Art Album

15. 1898年のカーライル『衣装哲学』(2012年10月23日)

Sartor Resartus

14. 1861年のジョン・ジャクソン『木版論』(2012年10月22日)

Jackson_Chatto_Wood Engraving

13. 1937年のフランシス・ブレット・ヤング『ある村の肖像』(2012年10月21日)

Young_Hassall_Portrait of a Village

12. 1974年の坂上弘『枇杷の季節』(2012年10月20日)

坂上弘_枇杷の季節

11. 1952年のグウェン・ラヴェラ『Period Piece』(2012年10月19日)

Raverat_Period Piece

10. 1919年の『ルパート・ブルック詩集』(2012年10月16日)

Rupert Brooke Raverat

09. 1942年の松崎明治『釣技百科』(2012年10月14日)

matuzaki_tyougyo1942

08. 1966年のキース・ロバーツ『パヴァーヌ』(2012年10月11日)

impulse1966

07. 1983年の島尾ミホ『海嘯』(2012年10月11日)

simaohiho_kaishou

06. 1933年の内田百間『百鬼園随筆』 (2012年10月11日)

hyakkienzuihitu

05. 1964年のケヴィン・エアーズ最初の詩集(2012年10月10日)

1964Ayers_Bookle

04. 1936年の「国際シュルレアリスト広報」第4号(2012年10月9日)

1936SurrearistBulletin

03. 1921年のクロード・ローヴァット・フレイザー(2012年10月8日)

The Luck of the Bean-Rows

02. 1899年と1904年の『黄金時代』(2012年9月26日)

1904年の『黄金時代』表紙

01. 1945年の『青い鳥』(2012年9月22日)

青い鳥01