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 しばらく「20世紀書店」が続きます。ほかの世紀にもお邪魔します。

 

234. 1956年の山中卓郎『坂の上』(2018年5月11日)

1956年の山中卓郎『坂の上』表紙

表紙の絵をみて、「あれ?」と思い、見てみたら、柳亮(1903~1978)の『巴里すうぶにいる』(1936年、昭森社)と同様、海老原喜之助(1904~1970)が装幀した本でした。

いわゆるジャケ買いです。
残念ながら裸本で、カバーがどんなものだったかは分かりません。

表紙の寝そべる犬は、例えば貧困という文脈では、まず描かれることのない姿勢の図像です。ゆとりのある暮らしと結びついた姿勢の図像です。

山中卓郎という詩人の名前は初めて知りました。

宮崎の文芸誌『龍舌蘭』が昭和13年(1938)4月に創刊されたとき、谷村博武、高橋勇、黑木清次らとともに、創刊メンバーだった人です。

詩集『坂の上』は、山中卓郎の最初で最後の詩集です。1956年4月、詩集の制作準備も終わったところで、脳出血で倒れ、急逝。43歳でした。

そのため、詩集『坂の上』は、山中卓郎が亡くなった後、仲間たちによって編集・出版され、仲間たちが追悼の文章を寄せています。
発行者は「竜舌蘭社内 故山中卓郎詩集刊行ならびに詩碑建設委員会」となっています。
入手した本には、「五六年八月十四日」の日付が書き込まれた新聞(たぶん日向日日新聞)の切りぬきも貼り込まれていました。落合政行の《山中卓郎詩集『坂の上』に思う》という、「卓ちゃん」と呼んでいた仲間を悼む文章でした、

 「序」  中村地平
 「解説」 上原和
 「跋」  黑木清次
 「構成」 谷村博武

中村地平(1908~1963)の序文「山中卓郎君の死その他」に次のようにあります。

生前、卓郎君は処女詩集をまとめることに熱中していた。宮崎に縁故のふかい海老原喜之助さんに、表紙の絵をかいてもらう約束ができたことを、ひどくよろこんでもいた。死後、奥さんの忍さんにきくところによると、たおれたちようどその日、卓郎君は詩集の整理がようやくおわり、ほつとするのと同時に、ひどい疲れをだしていたという。

 

装幀 海老原喜之助

▲装幀 海老原喜之助
海老原喜之助の『坂の上』表紙絵は、「坂の上」の「ふと足をとめて 花屋の窓を覗くだろう」という詩句や、「捺し花」という詩と、イメージを共有しているのかもしれません。

 捺し花    山中卓郎

ふるさとの
暑い陽ざしのなかを
向日葵と黍のゆれてゐる路で別れたひと
人目を避け
パラソルのかげで心をこめて贈つてくれた

美しい夕焼が別府湾を染めて走る
ながい日豊線の車中の隅で
いくたびか 私は
その包を 開けてみたり しまつたりした

くり返し 波のやうに
泡だちながら 日は追憶(おもひ)はすぎて行った

 

山中卓郎 詩集『坂の上』扉

▲山中卓郎 詩集『坂の上』扉
戦争の前、山中卓郎は、宮崎から東京に出て、中村地平の紹介で、詩人の津村信夫(1909~1944、映画評論家津村秀夫の弟)に師事。軍隊経験を経て、戦後、宮崎に戻って日向日日新聞社に入り、『卓』の署名で映画批評を書いていたそうです。

山中卓郎の詩に使われる言葉をピックアップしてみます。

「水平飛行、照準、吸盤、着陸、ゴムの車輪、ラムプ、飛行機、落差、距離、ファインダー、電柱、フロア、舞台、踊り場(ホール)、ハイヒール、脂肪、体温、ハイヒール、映画館、休憩時間、夜明けの汽車、蒸気、自動車(くるま)、廣場、曲線、直線、軌道(レール)、交叉点、車庫、緑色の電車、写眞、視野、事務所、雜踏、燐光(ひかり)、フイルム、振子、船艙(ハッチ)、船橋(ブリッヂ)、月齢、風力、海図台、舵輪(ホイール)、外套、ノース七〇度ウエスト、二点鐘、焼土、瓦礫、歯刷子、兵隊、焦土、軍衣、大八車、容器、水道の蛇口、停留所、公用、戰友、葉書、昭和二〇年八月、車道、技師、堤防、機関車、スレート、焼跡、円匙、体温、パラソル、アパート、間借り、外食券、食堂、花屋、靴屋、南方高地、カンテラ、鑛山、胡桃色のコート、オパール、スクリュウ、鋼鉄の羽根、重油、僚船、駆逐艦」

映画・自動車・飛行機・汽車・船などにかかわる20世紀的な用語を詩語として使っています。そうした言葉を通して、地方都市生活者の抒情と憂鬱を詩にしようとしていたように思われます。おしゃれというか、洒脱な人だったのでしょうか。
海老原喜之助の表紙絵のような詩が理想だったのかもしれません。

山中卓郎の詩に使われた固有名詞を抜き出してみると、「能登丸、三田車庫、森永の二階、八重山群島、プリンス・イゴール、銀座裏の事務所、豊後水道、水ノ子島燈台、大江山、白鶴、富久娘、桜正宗、阪神國道、生田川、東神戸、三ノ宮駅前、筑豊炭田、阪神沿線、リルケの小説、別府湾、日豊線、根子・久住、肥後の馬見原 」と、宮崎にかかわるものより、東京や神戸にかかわる固有名詞が多く、宮崎という地域性に根ざしたというより、「都市生活者」の詩という印象です。
固有名詞だけ見ると、谷崎潤一郎などと同時代人だったのだなと思います。

 

山中卓郎 詩集『坂の上』奥付

▲山中卓郎 詩集『坂の上』奥付
『坂の上』には、1956年の「水平飛行」から、1938年の「相聞」にさかのぼる形で、35篇の詩が収録されています。

その冒頭を飾り、遺作となった「水平飛行」です。

 水平飛行    山中卓郎

ぼくは借りもの。
そこぬけひろい花道うぃ
ぶらさがつて通るだけ。

鏡が怖いんだ。
跳び越すたびに
太陽の破片がぼくを狙う。
ちらばつて
たえず照準をあわせている。

ぼくは酩酊する。
時間の吸盤からすべり落ちる。
肘の下で
氣やすく女を想うな。
つまらぬお喋りをするな。
さつきから
ぼくの軀はきしみどおし。

持主のいない空の上。
雲がひろがる。
借りものの目がかすむ。
贋せものの耳が鳴る。
やがて
ゆれる干潟も近づいてくる。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

PHEWの1992年のアルバム『our likeness』

イギリスの音楽誌『WIRE』誌2018年5月号の「Invisible Jukebox(目かくしジュークボックス)」のゲストはPHEWで、1960年代的なもの、フラワームーヴメントやらヒッピーやらアングラやら大嫌いだと断言してインタビュアーをたじろがせる、パンクな姿勢を貫いていました。

このインタビューの最後で、PHEWの1992年のアルバム『アワ・ライクネス(our likeness』の話になり、無性に聴きたくなりました。

 Chrislo Haas: keyboards, piano, altosax
 Jaki Liebezeit: drums, percussion, piano
 Alex Hacke: guitar, piano
 Thomas Stern: bass guitar
 Phew: Vocal

というメンバーで、ドイツのコニー・プランク(Conny Plank、1940~1987)のスタジオで録音されたアルバム。
コニー・プランクのスタジオはもう存在しませんし、ヤキ・リーベツァイト(Jaki Liebezeit、1938~2017) もクリスロ・ハース(Chrislo Haas、1956~2004)も亡くなりました。

この音空間は、20世紀の遺産です。

PHEWの演奏を生で見たのは一度だけです。
2000年5月のSLAPP HAPPY 日本公演のサポートで、「Phew+山本精一」という名前で登場。
そこで聴いた「ひとのにせもの」 は、それまで聴いたなかで、もっとも凶暴でパンクな音楽でした。しびれました。

 

 ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦

233. 1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』(2018年5月9日)

1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』

秋朱之介(西谷操、1903~1997)は、昭和10年(1935)、「新宿」(淀橋区角筈1ノ1 エルテルアパート)から「銀座」(京橋区銀座2-4)に転居します。そこに森谷均(1897~1969)が訪ねてきて、森谷は近くに部屋を借りて、昭森社が立ち上げることになります。昭森社の住所が「京橋区銀座2-4」だった1年間に作られた本には、秋朱之介がかかわっていると思われ、やはり手にとってみたくなります。

残念ながら、鹿児島の図書館にはその時期の本は架蔵されておらず、「日本の古本屋」サイトなどで、手ごろなお値段の昭森社の本を少しずつ入手しています。手ごろなお値段だけあって、「函コワレ・テープ補修有・日焼・汚れ有・蔵印・整理シール有・のど痛み」といった状態のものですが、実物の持つ力はあります。

写真は、柳亮(やなぎりょう、1903~1978)の『巴里すうぶにいる』(1936年7月、昭森社) 。
装幀は海老原喜之助(1904~1970)です。

同じ鹿児島出身の秋朱之介(西谷操)と海老原喜之助については、「西谷は詩を書かないで、フランスから帰国したばかりの海老原喜之助などと親しくしていた」と、江間章子(1913~2005)が回想していますので、謎ばかりの初期昭森社の制作現場ですが、この『巴里すうぶにいる』の制作にも秋朱之介が関わっている可能性がありそうです。
秋朱之介は、1936年に刊行された昭森社のPR誌『木香通信』4月号で、「閨秀新人春の詩集」という小特集を組んでいて、江間章子ら6人の女性詩人の詩を掲載していますので、時期的にも、このころと思われます。

柳亮については、黄金分割の人だよなあというぐらいの印象しかなかったのですが、この、30歳代男の、20歳代に過ごしたパリ時代の回想は、今でも楽しく読める本で、ちょっと意外でした。

少し古い例えになりますが、NHK-FMで深夜にやっていたクロスオーバーイレブンという番組で、津嘉山正種がこの文章を朗読しても、そのまま成り立つような文章です。そういうものが好きか嫌いかという問題もありますが、結構しゃれています。

柳亮はあとがきのノートで《「物語」のバックになつてゐる年代は、一九一三年から一九三一年までの間である、現在では、多少事情の異つてゐる事柄もあるかも知れないと思つてゐる。「物語」の凡てが「實説」であるとは私は言はない、私はただ實説らしく書いたに過ぎない。》と断っていますが、虚実入りまじって、1920年代モンパルナッスの有名藝術家も多数登場し、話題も1920年代のパリの芸術家達から美食・賭博までと幅広く、とても軽やかで楽しい本でした。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)表紙

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)表紙
装幀は、海老原喜之助。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)見返し

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)の見返しの絵は、海老原喜之助。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)口絵の一つは、藤田嗣治

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)口絵の一つは、藤田嗣治(1886~1968)による柳亮のポルトレヱ。
「1936」とありますから、この本のために新たに描いた肖像と思われます。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)口絵の一つは、有島生馬

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)口絵の一つは、有島生馬(1882~1974)による「ルユクサンブール」風景。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)装幀 海老原喜之助

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)
装幀 海老原喜之助
イニシアルカット カメラ 蘆原友信
挿絵は、林武、三雲祥之助、中西利雄、峰岸義一、田中行一、高畠達四郎、清水多嘉示、向井潤吉、松田康一、岡田謙三、島崎鶏二、中村研一、山本豊一、佐藤敬の絵が使われています。
パリ在住経験のある画家の見本市です。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)のイニシアルカット

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)のイニシアルカット
各テキスト冒頭に、蘆原友信の写真がイニシアルカットとして使われています。蘆原友信は藤田嗣司の甥。

本文用紙には、東郷青児『手袋』『カルバドスの唇』、ロバアト・バアトン『憂欝症の解剖』などと同様、「MOSES SUPERFINE」の文字がすき込まれている用紙が使われています。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)奥付

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)奥付

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年、昭森社)の近刊広告

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年、昭森社)の近刊広告
昭森社のPR誌『木香通信』4月号・6月号に掲載された『巴里すうぶにいる』の広告。
「定價3圓」で予告されていましたが、実際は「定價二圓五十錢」でした。

 

柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)広告

▲柳亮『巴里すうぶにいる』(1936年7月18日発行、昭森社)広告
昭森社のPR誌『木香通信』8月号に掲載された『巴里すうぶにいる』の広告。この号では、4月号・6月号に多く見られたような秋朱之介の記名入りの広告がなくなるのですが、この酔いしれたような広告コピーは、秋朱之介が書いたもののように思われます。

4月号・6月号の近刊予告と、8月号の刊行後の広告を比較すると、挿絵の提供者に違いがあります。
『木香通信』4月号・6月号広告にあるが、本には掲載されていない画家は、兒嶋善三郎、佐分眞、長谷川春子。
刊行された『巴里すうぶにいる』に掲載されたが、『木香通信』4月号・6月号広告にはない画家は、林武、中西利雄、峰岸義一、田中行一、高畠達四郎、松田康一、佐藤敬。

「原稿が来ない」とか「別の人に依頼しよう」とか、制作の現場は、かなりバタバタしていたのかもしれません。

木香通信6月号の編集後記で秋朱之介は、「次號は巴里すうぶにいる特輯。日本にゐて巴里を散歩しやうといつたすばらしい豪華版。」と予告していましたが、三浦逸雄が編集の主導権を握った、木香通信8月号では、巴里すうぶにいるの特集が組まれることはありませんでした。

 

ここで、昭和11年(1936)の昭森社の本を何冊か並べてみます。状態の良い本を並べたいところですが、状態のよくないものばかりで、すいません。

まずは、昭森社が最初に出した本、小出楢重(1887~1931)の『大切な雰圍氣』。これは1936年3月10日発行の第4版です。『大切な雰圍氣』は、版ごとに装幀が違います。

 

小出楢重『大切な雰圍氣』(1936年3月10日4版発行、昭森社)の箱と表紙

▲小出楢重『大切な雰圍氣』(1936年3月10日4版発行、昭森社)の箱と表紙
昭森社の最初の本です。森谷均は、この小出楢重の遺稿を出版するために大阪から上京しました。
これは、第4版です。
装幀者の名前は記載されていませんが、秋朱之介が、大内白月『支那随筆魚目集』(1934年8月、三笠書房)や、山口青邨『花のある風景』(1934年10月、龍星閣)を装幀するときに使った臘(蠟牋か?)花模様唐紙を使われているので、『大切な雰圍氣』第4版の装幀は、秋朱之介の仕事と思われます。

 

大内白月『支那随筆 魚目集』

▲大内白月『支那随筆 魚目集』(1934年8月、三笠書房)の臘(蠟牋か?)花模様唐紙を使った表紙。秋朱之介装幀。

 

山口青邨『花のある風景』(1934年)の臘(蠟牋か?)花模様唐紙を使った表紙

▲ 山口青邨『花のある風景』(1934年)の臘(蠟牋か?)花模様唐紙を使った表紙。秋朱之介装幀。

 

小出楢重『大切な雰圍氣』(1936年3月10日4版発行、昭森社)奥付

▲小出楢重『大切な雰圍氣』(1936年3月10日4版発行、昭森社)奥付
手もとにある本には、検印紙に検印が押されていませんでした。初版から4版までの発行日付を書いておきます。

昭和11年1月6日 初版発行
昭和11年2月6日 再版発行
昭和11年2月28日 3版発行
昭和11年3月10日 4版発行

再版と3版の間の1936年2月26日に、二二六事件が起こったために、昭森社の業務は、だいぶ滞ったようです。
秋朱之介は、そのころのことを、『太陽』330号(1989年2月、平凡社)のインタビューで、次のように回想しています。

 その頃は、全部、私の思いどおりのことをやっていたんですよ、好き放題ね、勝手なものを作っておれたんです(笑)。そのかわり、金はかけましたよ。
 いつも銀座で飲んで歩いた、毎晩ね(笑)。ちょうど僕は銀座に住んでたから、いやでも呼ばれちゃうんだ。岡崎って、堀口さんの専属の店があって、堀口さんが来ると、女給さんが家まで呼びにくるんですよ。文士ってみんな遊ぶ人ばっかりだからね。
 城左門と石川淳と私の三人でよく通ったのがスリーシスターズ。二・二六事件の時、雪の降る中、朝早くね、城君が僕のところに知らせに飛び込んできた。あれも家に帰ってないのだ、どこかで遊んでいて軍隊を目撃したんだな(笑)。

 

「をかざき」の広告

▲『木香通信』4月号に「御酒所 をかざき」の広告がありました。「京橋区銀座二ノ四」時代の秋朱之介や最初の昭森社事務所と同じ住所です。大の永井荷風マニアの女将、岡崎えんがいとなむ小料理屋で、秋朱之介はじめ昭森社にかかわる人や堀口大學らもひいきにしていた店でした。
岡崎えんについては、吉屋信子の「岡崎えん女の一生」という作品があります。

『本の手帖 別冊森谷均追悼文集』(1970年、昭森社)に収録された「創業三〇周年インタビュー」(昭和39年12月14日号、日本読書新聞)に次のような森谷均の証言がありました。

当時は銀座二丁目に本拠をかまえていた。石川淳のいきつけで猛烈な荷風ファンのおかみのいる呑み屋の紹介で借りたのだが、借りてみて驚いた。なんとそこは、清水港の次郎長の乾分小政の家だった。

 

小出楢重『大切な雰圍氣』(1936年3月10日4版発行、昭森社)にはさまれていた昭森社のちらし

▲小出楢重『大切な雰圍氣』(1936年3月10日四版発行、昭森社)に、はさまれていた昭森社のちらし
『木香通信』三月号の創刊予告がありますが、二二六事件のために、創刊号の刊行は四月になりました。

三月新刊に佐藤春夫(1892~1964)の『華麗島遊記』がありますが、これは梅原龍三郎(1888~1986)の装幀で、『霧社』とタイトルを変えて、1936年7月15日に発行。
秋朱之介の自信作でしたが、売上げの想定を低く見積もって500部しか作らなかったため、印税を期待していた佐藤春夫とけんかになったそうです。


ロバアト・バアトン 明石讓壽訳『憂欝症の解剖』第一巻 病状編(1936年4月30日発行、昭森社)表紙

▲ロバアト・バアトン 明石讓壽訳『憂欝症の解剖』第一巻 病状篇(1936年4月30日発行、昭森社)表紙
箱なしの裸本で、表紙の革も破けて、外側の状態はかなり悪いですが、読むぶんには、今も丈夫な本です。
第二巻「治療篇」、第三巻「戀愛篇宗教篇」と続く全三巻の予定でしたが、この第一巻だけしか刊行されませんでした。

『木香通信』4月号の編集後記で秋朱之介が「私が社の刊行プラン中、最も力を入れてゐるものは、ロバート・バートンが「憂欝症の解剖」である。本書をどこよりも先に出版し得るといふことは出版社の名譽である。約七八年前私はこの特装原書を珍重してゐた。私は本書の装幀にもまた全力を注いでゐる。 」と書いていますので、秋朱之介の企画・装幀と思われます。

 

ロバアト・バアトン 明石讓壽訳『憂欝症の解剖』第一巻 病状編(1936年4月30日発行、昭森社)扉

▲ロバアト・バアトン 明石讓壽訳『憂欝症の解剖』第一巻 病状篇(1936年4月30日発行、昭森社)扉

 

▲ロバアト・バアトン 明石讓壽訳『憂欝症の解剖』第一巻 病状篇(1936年4月30日発行、昭森社)奥付

 

高畑棟材『山麓通信』(1936年6月19日発行、昭森社)箱と表紙

▲高畑棟材『山麓通信』(1936年6月19日発行、昭森社)箱と表紙
本文中に「秋朱之介装」との記載がある本です。

1936年6月付の「序に代へて」の謝辞のなかにも、秋朱之介の名前もあります。

折に觸れ、興に乘じて書き貯めておいた聞書や隨想や紀行の一部が、このやうに一つの書物に纏められるやうになつたのは、全く昭森社森谷均氏の好意に他ならない。また、本書の出版にいろいろ骨折つて下さつた秋朱之介・三浦逸雄の兩氏、常に助言を惜しまれなかつた明石讓壽・荒井道太郎の兩兄、動植物其他に關する照會に對していつも懇切な回答を寄せられた高力幸太郎兄、貴重な寫眞を快く貸與された御器谷勝二氏、東章氏、岩瀨主一氏、加藤元一氏等に茲で改めて感謝の意を表する。

このときには、昭森社の編集部が、秋朱之介・三浦逸雄の二人になっていたようです。

 

高畑棟材『山麓通信』(1936年6月19日発行、昭森社)奥付

▲高畑棟材『山麓通信』(1936年6月19日発行、昭森社)奥付

 

昭森社は、昭和11年(1936)8月、秋朱之介の住んでいた「京橋区銀座二ノ四」を離れ、「京橋区木挽町三ノ二」に事務所を移転します。どういう経緯で移転になったかわかりませんが、この移転で昭森社と秋朱之介の関係が薄くなったのは確かです。

 

「京橋区木挽町三ノ二」時代の昭森社の本も1冊紹介します。

『巴里すうぶにいる』の柳亮が翻訳した、マリヤ・カステルスカ『ポドラシイの傳説』(Marya Kasterska『Legendes et Contes de Podlachie』原著刊行は1928年)です。
発行日は、昭和11年10月5日。

手もとにある本は、「日本の古本屋」サイトで購入。「初版、裸本、蔵印・整理シール、のど少痛み、本文は並」という状態のもの。届いた本を見ると、「浅野文庫」とあります。 もしかして、旧広島藩主浅野家の文庫にあったもので、原爆の被災を免れたものでしょうか。

マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)表紙

▲マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの傳説』(1936年10月5日発行、昭森社)表紙

マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの傳説』表紙画三岸節子

表紙画は三岸節子(1905~1999)。

ポドラシイ(ポドラシェ)は、ポーランド北東部にあり、リトアニアと隣接する地域。その地域の物語詩と昔話を集めた本です。昏い宿命に支配されたような、「痛快」とは無縁の世界観の物語詩と昔話が続きます。
柳亮がなぜこの本を訳そうとしたのかは、定かではありません。
諦めた者のユーモアが感じられる本です。

 

マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)扉

▲マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)扉

 

マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)口絵01

マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)口絵02

マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)口絵03

▲ マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)口絵
「挿繪 波蘭古版畫」とありますが、口絵などに使われているのは、同時代のポーランドの版画家、 ヴワディスワフ・スコチラス(Władysław Skoczylas、1883~1934) の作品です。
スコチラスの名前を出せない理由があったのでしょうか。

 

マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)奥付

▲マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)奥付

「京橋区木挽町三ノ二」の時期は長く続かず、森谷均は、昭和11年(1936)12月、「小石川区大塚坂下町一〇二」の自宅に事務所を構えます。銀座からいったん撤退です。

 

1936年10月の昭森社刊行書目01

1936年10月の昭森社刊行書目02

1936年10月の昭森社刊行書目03

▲マリヤ・カステルスカ 柳亮訳『ポドラシイの伝説』(1936年10月5日発行、昭森社)巻末の昭森社刊行書目
昭和11年のすべての昭森社の書目が掲載されているわけではなく、ロバアト・バアトン 明石讓壽訳『憂欝症の解剖』などは掲載されていません。

しかし、荘原照子の『マルスの薔薇』や、近刊とある『左川ちか詩集』を、新刊で手にしたら、どんな感じだったのかと想像します。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』

1980年のアクサク・マブール(Aksak Maboul)の『un peu de l'âme des bandits』のA面1曲目、カトリーヌ・ジョニオー(Catherine Jauniaux)のけたたましい声が響きわたる「A MODERN LESSON」で目覚めたい朝もあります。
写真は、2017年のアナログ再発盤です。

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』は、1980年の顔のようなアルバムの1枚と思っていますが、ジャケットに勃起した男性器が描かれているために、人に薦めにくいという難点があります。
描いたのは、オランダのPat Andreaという画家で、今も変わらず、ずっと、エロチックな異形の夢を描き続けている画家です。

 

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、Crammed Discs)裏ジャケ

▲Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、2017年、Crammed Discs)裏ジャケット
Aksak Maboulの中心人物 Marc Hollander(マーク・オランデル)は、 このアルバムをリリースするために「Crammed Discs」というレーベルを
1980年に立ち上げます。このレーベルは、毎年、10作品ぐらいをリリースし続けていて、今も続いています。
アルゼンチンのファナ・モリーナ(Juana Molina)とか、 周縁の優れものを見いだす、ベルギーのレーベルという印象。
1980年に出たアルバムが、 2017年に、同じレーベルから再発される、 というのも、意外と珍しいことなのかもしれません。

 

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、Crammed Discs)ラベル Side A

▲Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、2017年、Crammed Discs)再発盤ラベル Side A

 

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、Crammed Discs)ラベル Side B

▲Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、2017年、Crammed Discs)再発盤ラベル Side B

 

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、Crammed Discs)ブックレット

▲Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、2017年、Crammed Discs)ブックレット
2017年の再発盤には、25㎝×25㎝、24ページの充実した回顧ブックレットがついて、それだけでも買いです。

 

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、Crammed Discs)ボーナスCD

▲Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』(1980年、2017年、Crammed Discs)ボーナスCD
2017年の再発盤には、80分近い音源を収録したボーナスCDもついています。
Aksak Maboulのデビューは1977年で、 ボーナスCD『Before and after bandits』には、1977年~1980年のデモ・ライヴ音源と2015年の再編ライブを収録。1980年のAksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』のパンクでプログレでタンゴで民族音楽で、とにかくごった煮な闇鍋になっていく前の世界です。聴き応えありますが、カトリーヌ・ジョニオー(Catherine Jauniaux)は登場しません。
この再発盤は、40周年の記念ということのようです。
さらに、この2017年のアナログ再発盤には、本盤とボーナス盤のデジタル音源ダウンロード権もついています。価格も通常のアナログ盤のお値段で、ほんとうにかゆいところまで手が届く再発盤でした。

 

Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』の2008年の日本再発盤

▲Aksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』の2008年の日本での再発盤CD
邦題は「無頼の徒」でした。

 

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232. 1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯(2018年4月30日)

1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯

石邨幹子(いしむらみきこ、西尾幹子、1900~1986)の翻訳や作品で、雑誌などに掲載されたものを、ウェブなどで少し調べてみました。

小山書店から出ていた詩誌『POETLORE(ポエトロア)』でも、石邨幹子訳のフランス女性詩人の詩が掲載されていて、特に1956年8月発行の第8輯では、7人の詩人を取り上げていました。


大雑把なまとめです。

『心の花』竹柏会

第33巻8号、昭和4年(1929)8月
西尾幹子「八月集(一)」

第34巻5号、昭和5年(1930)5月
西尾幹子「五月集(その三)」

第43巻10号、昭和14年(1939)10月
石邨幹子「五軒町の叔母さま」

第43巻11号、昭和14年(1939)11月
石邨幹子「秋晴の日に」

第45巻6号、昭和16年(1941)6月
石邨幹子「ゆめの中の」

 

ポオル・ジェラルデイ著, 西尾幹子訳『お前と私』
三笠書房、昭和9年(1934)

ポオル・ジェラルデイ著, 西尾幹子訳『お前と私』

 

マリイ・ロオランサン著 石邨幹子訳『夜たちの手帳』
山本書店、昭和15年(1940)

 

『鶯』2巻6号
那木の葉会、昭和16年(1941)6月
石邨幹子「異敎の女神」(詩)

 

石邨幹子訳『つみくさ: 現代フランス閨秀詩選』
桜井書店、昭和18年(1943)5月20日

 

石邨幹子『不滅の蝶: ギリシャ神話より』
ノア書林、昭和23年(1948)9月30日

 

ジャン・ド・ブリューノフ著 いしむらみきこ訳『象ちゃんババアルのおはなし』
世界文学社、昭和24年(1949)7月5日
昭和24年度の毎日出版文化賞の候補になっていました。

 

『Books』(51)
Booksの会、小山久二郎編 昭和29年(1954)7月
ノアイユ伯爵夫人、石邨幹子訳「金星」

 

『内在』
内在の会(茨城県水戸市)
編集兼発行人 森田勝壽

『内在1』
昭和30年(1955)5月1日
ノアイユ伯爵夫人、石邨幹子訳「燃える死」
石邨幹子「ノアイユ夫人について」

1955内在1

『内在2』
昭和30年(1955)8月
ノアイユ伯爵夫人、石邨幹子訳「湛は影と月とを有す」

『内在3』
昭和30年(1955)12月
石邨幹子「限りなき夢」
ノアイユ伯爵夫人、石邨幹子訳「胡椒の木のある小さな庭園よ」

1955内在3

この号に収録された石邨幹子の短いエッセイ「限りなき夢」で、石邨幹子の戦中戦後の様子をうかがい知ることができます。「蟻の塔」というのは、『内在』誌のエッセイ・コーナーのタイトルのようです。
 「限りなき夢」を引用します。

☆蟻の塔☆ 限りなき夢   石邨幹子

 ノアイユ伯爵夫人の最初の詩集、「限りなき心」を、昭森社から出版することになった。十年近くしまい込まれてゐたこの仕事も、今年中には世の中に出る、三岸節子さんが美しい着物を着せて下さる筈。
 ノアイユ伯爵夫人の作品にはじめて手を触れたのは昭和十五年の秋、フランス女流詩選「つみくさ」の材料を集めかけた時である。けんらんと烈しさとから、わたくしはこの詩人には近づき難かった。しかしこの世紀の女流詩人の中から抜かしてはならない人なので読みはじめたのが、一つの機縁といへよう。そしてアントロジイと詩集から十六篇を選び出した頃は、すっかりこの詩人にとりつかれてゐた。
 戦後の混乱の時代、わたくしはただむしょうにノアイユ伯爵夫人の作品を訳してゐた。一家四人がちりぢりになって、わたくしは一人、北関東のやせた松ばかり生えてゐる平ったい土地に、あてもなく、せきたてられる気持で一行一行を訳してゐた。何を考へるでもない、今日も終ったといふだけの一時期、わたくしの仕事の出来る時といふのはそんな時かも知れない。細君業一途に徹し切れない中途半端か? それとも気障な言ひ方をすれば詩にとりつかれた業か? 夢は仕事の計画を次から次へと立てさせる。そして食ひしんぼうのわたくしは食事の買物とやりくりに加減乗除だけは達者になり、雑用で駈け廻り、頑張りのきかない軀はどうしようもない。そしてノアイユ伯爵夫人の詩集を全部訳したいといふことが、現在のわたくしの願ひである。これも見果てぬ夢の一つかも知れないけれど。

安西均(1919~1994)が書いた編集後記には、次のようにあります。

〇……この秋は仲間の四つの詩集がたまたま出そろうはずだった。牧章造の「磔」森田勝寿の「帰去来」石邨幹子の訳詩集(ノワイユの)「限りなき心」と、僕の「花の店」である。そしたら、この雑誌で内輪の祝いに出版記念号を編むとしよう――それが僕の予定だった。森田君のは、先述の事情(お子さんの事故)で遅れ、石邨夫人のも、間に合わなかった。

『磔』『帰去来』『花の店』の3冊の詩集は刊行されていますので、昭森社が石邨幹子訳のノアイユ夫人『限りなき心』を出さなかったのは、ほんとうに残念です。
もしかしたら、ゲラ刷りまで行っていた可能性もあります。それが残っていたりはしないのでしょうか。

『内在4』
昭和31年(1956)新緑の号
ノアイユ伯爵夫人、石邨幹子訳「あなたの不在は至るところに……」

1956『内在4』

石邨幹子の不在を感じるために、「あなたの不在は至るところに……」の訳詩を引用してみます。( )はルビです。

  あなたの不在は至るところに……

          ノアイユ伯爵夫人
          石邨幹子訳

あなたの不在は至るところに暗い証拠となる

群衆のやうに拡く、また群衆のやうに
あなたの聖(きよ)い存在の錯雑した思ひ出を
呼吸しながら、私が進み、さまよふ道一ぱいになって……

永久に逃げ去った心、あなたのいらっしゃったどこにも
あなたは私の為に立っていらっしゃる、やさしい悲しい影よ

そしてあなたの役立たぬあわれみは
私のなげきを支える驚きそのものを見る。
――私はいつも慎重で、不安でゐて
そして決して迎へることなしにゐることが出来ようか、
   夕のしづかな時に、
徐(おもむろ)に私たちをねらふ幸福のないこの平和を
魂が、終(つい)に、希望(のぞみ)そのものから解放される時……

『内在5』
昭和31年(1956)10月
ノアイユ伯爵夫人、石邨幹子訳「夏の朝」

1956『内在5』

 

『POETLORE 詩誌ポエトロア(季刊)』
監修 西條八十
編集兼発行人 三井ふたばこ
編集所 ポエトロア社
発行所 小山書店

『ポエトロア 第6輯』
特輯 現代イタリアの詩 世界女流詩人抄
昭和30年(1955)6月30日発行

マルスリイヌ・デボルド・ヴァルモオル、石邨幹子訳「わたしの部屋」
マルスリイヌ・デボルド・ヴァルモオル、石邨幹子訳「まじめな女」

POETLORE 詩誌ポエトロア(季刊)第6輯

POETLORE 詩誌ポエトロア(季刊)第6輯本文見開き

▲『POETLORE(ポエトロア)』第6輯の本文見開き。
『POETLORE(ポエトロア)』では、草間彌生、鳥羽いくよ、鮎沢レマン、藤野一友、真鍋博、小玉光雄らが挿絵カットを描いています。

『ポエトロア 第8輯』
特輯 現代フランス詩集・詩劇をめぐって
昭和31年(1956)8月10日発行

アンナ・ド・ノアイユ「朝」「叡智」石邨幹子訳
ジェラアル・ドウヴィル「海の月」石邨幹子訳
リュシイ・ドラリュウ・マルドリュス「幼い日は牧場に沿い……」石邨幹子訳
マリイ・ロオランサン「花」石邨幹子訳
マリイ・ノエル「夏の歌」石邨幹子訳
アリエット・オドラ「セヴィイヤ」石邨幹子訳
エヴリイヌ・フロオレ「稲を荒す蘆」石邨幹子訳
石邨幹子「女流詩人に就て」

1956年に創刊された詩誌『ユリイカ』誌のちらし

▲『ポエトロア 第8輯』 には、1956年に創刊された詩誌『ユリイカ』誌のちらしもはさまれていました。

 

『幼稚園くらぶ』大日本雄弁会講談社
第12巻7号、1956年6月
ジャン・ド・ブリュノフ、石邨幹子訳「ちいさいぞう ばーばるのはなし」

第12巻8号、1956年7月
ジャン・ド・ブリュノフ、石邨幹子訳「ちいさいぞう ばーばるのはなし」

 

マリイ・ロオランサン、石邨幹子訳『夜たちの手帖』
アポロン社、1960年12月25日

 

角川書店『世界の詩集12 世界女流名詩集』
昭和43年(1968)1月10日

ヴァルモール、石邨幹子訳「まじめな女」
ヴァルモール、石邨幹子訳「わたしの部屋」

この2つの詩は、『POETLORE 詩誌ポエトロア』第6輯に掲載された訳詩を、ほぼそのまま使っています。
歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、漢字の使い方をいくつか改めています。

 

石邨幹子『残影』
1987年9月

 

『Choix de poésies de Satô Haruo : etoile (récit)』
1987年
石邨幹子による、佐藤春夫の作品のフランス語訳。

 

石邨幹子訳編『サアディの薔薇: マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオルの詩と生涯』
「サアディの薔薇」の会、1988年4月20日

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Heiner Goebbels & Alfred Harthのブレヒト曲集『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』

読む本と聴く音楽が、全くシンクロしていませんが、
Heiner Goebbels & Alfred Harth mit Dagmar Krause & Ernst Stötzner のブレヒト曲集『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』(Tonstudio Zuckerfabrik、1981年)
からB面2曲目、ダグマー・クラウゼ(Dagmar Krause)が歌う「Der Pflaumenbaum」(スモモの木)を。

中庭のスモモの木。柵で囲われて大きくなれない。 日もあたらず実もつけない。 でも、葉を見れば、まぎれもないスモモの木。

1981年、手に入れるのが難しかったアルバム。
強いジャケットです。Robert Cavegnという人の絵。
LPのジャケットに、絵ではありますが、男性器が普通に描かれていて、1980年のAksak Maboulの『un peu de l'âme des bandits』もそうでしたし、流行みたいなものだったのかもしれません。

 

Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』裏ジャケット

▲Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』裏ジャケット

 

Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』Seite 1 ラベル

▲Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』Seite 1 ラベル

Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』Seite 2 ラベル

▲Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』Seite 2 ラベル

 

Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』の16ページのブレヒト詩ブックレット

▲Heiner Goebbels & Alfred Harth『Bertolt Brecht: Zeit Wird Knapp』の16ページのブレヒト詩ブックレット

無理やりこじつければ、ベルトルト・ブレヒト(Bertolt Brecht、1898~1956)と、1900年生まれの石邨幹子とほぼ同世代でした。

 

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231. 1960年のマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(2018年4月5日)

1960年のマリー・ローランサン『夜たちの手帖』

第194回で「1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)」という、秋朱之介(西谷操、1903~1997)が装幀した本を紹介しましたが、その本の翻訳者、西尾幹子のその後について、神戸の戸田勝久さんから、姓が「西尾」から「石邨(いしむら)」に変わって、「石邨幹子」として翻訳を続けていたことを教えていただきました。

視界がパッと開きました。

写真はアポロン社から1960年に出版されたマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』の箱とカバー付きの本。
翻訳者は、石邨幹子です。

西尾幹子訳『お前と私』(三笠書房)を装幀した秋朱之介はロオランサン崇拝者でしたが、その西尾幹子(石邨幹子)がロオランサンを翻訳していたことに心底、驚きました。

 

マリー・ローランサン『夜たちの手帖』(アポロン社)

▲マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(アポロン社)箱・本体表紙・カヴァー


マリー・ローランサン『夜たちの手帖』(アポロン社)扉

▲マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(アポロン社)扉

 

マリー・ローランサン『夜たちの手帖』(アポロン社)奥付

▲マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(アポロン社)奥付
すてきな訳詩集ですが、普通本100部・著者本15部しか刊行されていないため、入手するのが難しい部類の本なのが残念です。
【2018年4月8日追記】ほかに、訳者署名入りの特装本30部があるようです。

 

1936年の昭森社版『マリイ・ロオランサン詩畫集』と1960年のアポロン社『夜たちの手帖』

1936年の昭森社版『マリイ・ロオランサン詩畫集』と1960年のアポロン社『夜たちの手帖』背

▲1936年の昭森社版『マリイ・ロオランサン詩畫集』と1960年のアポロン社『夜たちの手帖』を並べてみました。
2冊の本は、「★」印で共通しています。

堀口大學訳「鎮静劑」と石邨幹子訳「鎮痛剤」を並べて引用してみます。

  鎮静劑   堀口大學訳(1936年)

退屈な女より
もつと哀れなのは
さびしい女です。

さびしい女より
もつと哀れなのは
不幸な女です。

不幸な女より
もつと哀れなのは
病氣の女です。

病氣の女より
もつと哀れなのは
棄てられた女です。

棄てられた女より
もつと哀れなのは
よるべない女です。

よるべない女より
もつと哀れなのは
追はれた女です

追はれた女より
もつと哀れなのは
死んだ女です。

死んだ女より
もつと哀れなのは
忘れられた女です。
       バルセロナ

 

  鎮痛剤  石邨幹子訳(1960年)

わびしいといふより悲しい
 悲しいといふより
   ふしあはせ
ふしあはせといふより
 苦しい
苦しいといふより
 見すてられて
見すてられたといふより
 ひとりぼつち
ひとりぼつちといふより
 追放されて
追放されたといふより
 死んでゐる
死んでゐるよりも
 忘れられた女(もの)。
        バルスロオヌ

堀口大學訳に高田渡や加川良が曲をつけたものがあります。「女」ということばの繰り返しが音楽を合わせるのに向いているのかもしれません。
石邨幹子訳では「女」に「もの」とルビをつけて1度しか使われません。これは朗読のようなかたちで、語られたほうが迫ってきそうです。

 

石邨幹子訳編『サアディの薔薇 マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオルの詩と生涯』(1988年、[サアディの薔薇]の会)表紙

▲石邨幹子訳編『サアディの薔薇 マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオルの詩と生涯』(1988年4月20日発行、[サアディの薔薇]の会)表紙
装幀は、政田岑生です。
フランスの女性詩人マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオル(Marceline Desbordes-Valmore、1786~1859)の詩の翻訳と評伝を組み合わせた書物です。時間の積み重ねと「彫琢」ということばを思わせる文章です。


石邨幹子訳編『サアディの薔薇 マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオルの詩と生涯』巻末にある、石邨幹子の略歴を引用します。

石邨幹子(いしむら・みきこ)
1900年8月16日生
東京女子高等師範学校付属高等女学校卒
日本女子大英文科中退
関西日仏学院に学ぶ
1927年 パリ アリアンス・フランセエズ近代フランス語科高等部卒
1986年12月16日逝去

訳詩集等
ポオル・ジェラルディ『お前と私』三笠書房 1934年
『つみくさ―現代フランス閨秀詩選―』桜井書房
〔店〕 1943年
ジャン・ド・ブリューノフ『象ちゃんババアルのおはなし』世界文学社 1949年
マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』アポロン社 1960年
『世界女流名詩集』(世界の詩集12、角川書店 1968年)にヴァルモールの訳詩2篇所収

遺著
『Choix de poésies de Satô Haruo, Etoile (récit)』1987年
『残影』1987年

1934年に西尾幹子の名前で出した『お前と私』以降も、魅力的な本を出されていたことを、今ごろになって知ることができました。
象のババアルやロオランサンを翻訳していたということだけでも、今までアンテナにひっかからなかったことが不思議です。
とりあえず手に入れられそうな石邨幹子の本を集めて、読み始めているところです。

石邨幹子訳編『サアディの薔薇 マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオルの詩と生涯』の「あとがき」で、編者の永島靖子が次のように書いています。

 夫人は、その後〔1943年『つみくさ』以後〕も、営々として、ヴァルモールをはじめ、ノワイユ夫人、マリー・ローランサン等の翻訳を続けてこられました。それは詩人達を紹介するためというよりも、むしろ夫人自身のためのものであったように今振返ってみて思われます。日仏学院の教室へ若者達に混って通われた時、あるいは日仏会館の図書室へ連日のように足を運ばれた時の、やわらかい微笑と和服のお姿が今も目に焼きついておりますが、抱えておられる風呂敷包みの中には、いつも、夫人の師、佐藤春夫の作品の仏訳原稿と共に、上記詩人達の訳詩稿が秘められておりました。
 半世紀を超える歳月、夫人がそのように愛しつつ筆を加えてこられた原稿の一つが、この『サアディの薔薇』です。本書は、わが国でこれまで断片的にしか紹介されてこなかったヴァルモールの詩と生涯の全容を明らかにする恐らく初めての書と言えるでしょう。

佐藤春夫の仏訳原稿とフランスの女性詩人の邦訳原稿を風呂敷包みに持ち歩く、やわらかく微笑む和服姿の女性。
こういう方だったのですね。

 

石邨幹子が1943年に出したフランス女性詩人の選集『つみくさ』も素晴らしい本でした。

石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)外箱 石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)外箱 石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)外箱

▲石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)外箱

 

石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)表紙

▲石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)表紙

 

石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)の装幀は三岸節子

▲石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)の装幀は三岸節子

 

石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)奥付

▲石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)奥付

石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)では、堀口大學が「序文」を書いていて、石邨幹子を次のように紹介しています。

 石邨幹子夫人は、さきに巴里留學を終へて歸朝するや、ポオル・ジェラルディ著の愛情詩集『お前と私』を全譯して世に問はれた。その頃僕はまだ夫人と面識もなかつたし、またこの譯詩集を手にする機會も持たずにしまつたが、この詩集の飜譯を志したこの婦人の企畫のよさにはほとほと感心したものだつた。理由は僕自身あの詩集を部分的に譯して見た經驗上、これが女性に極めて向く仕事だと知つてゐたからである。これを手がける氣持になつた女性は、少くとも詩が何であるか、また自分の才藻が何であるかよく知つてゐるにちがひないと思つたのである。
 (中略)
 このことあつて後、石邨夫人が、すでに十餘年の久しきに渡り、佐藤春夫の門に出入して、日本語と文學の勉強にいそしんでゐられる(これは春夫の言葉だが)奇特な婦人だと聞いて、僕はその時さきの『お前と私』を思ひ出し、その企畫のよさを賞めたと記憶する。春夫はそれを數年後の今日まで忘れずにゐたものか、今度石邨夫人が新著『現代フランス閨秀詩選』を上梓されるに當り、僕の序を求めるやうにと夫人にお薦めしたらしい。去る春の日、夫人は來て僕にその稿を示された。
 夫人はこの新集に、ノワイユ夫人以下、アリエット・オドラに至る八人の現代フランス閨秀詩人の代表作三十篇を集めておられる。ここで僕はもう一度石邨夫人の企畫のよさを讃めなければならない。女の心のてりかげりを知り、女の言葉のとけほぐれを解するのは、何と言つても女の細やかなサンシビリテなのである。石邨夫人はそれをよく知つてゐられる。
 然しまた、譯詩をするには何といつても先づ語學と文章が大切だ。この裏づけなしには、企畫のよさも何にもならない。
 石邨夫人のフランス語は、その巴里留學中、他のことには一切わき目もふらず專心勉學、僅二年の短時日の間に、かなり程度の高いアリアンス・フランセエズ語學校の近代フランス語科の卒業資格を得られたといふだけあつて、正確且つ達者なものである。日本語の方も、いづれ近いうちに、春夫が卒業證書を出すであらうと思はれるほど、これも仲々よくこなれてゐる。
 かくしてこれは、つつましい一日本婦人の手になつた、フランス女詩人たちの色あざやかに﨟たき詩の花籠なのである!

西尾幹子そして石邨幹子は、まちがいなく、堀口大學と佐藤春夫の系統に連なる人でした。「詩の花籠」をもつ人でした。

 

石邨幹子が『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』でとりあげた8人の詩人は次のような人たちです。

アリエット・オドラ(Alliette Audra、1897~1962) 詩2篇
マリイ・ロオランサン(Marie Laurencin、1883~1956) 詩1篇
マリイ・ノエル(Marie Noël、1883~1967) 詩1篇
リュシイ・ドラリュウ・マルドリュス(Lucie Dalarue-Mardrus、1874~1945) 詩5篇
エレエヌ・ピカアル(Hélène Picard、1873~1945) 詩1篇
セシル・ペラン(Cécile Périn、1877~1959) 詩3篇
ド・ノアイユ夫人(Comtesse de Noailles、1876~1933) 詩16篇
ジュラアル・ドウヴィル(Gérard d'Houville、1875~1963) 詩2篇

 

石邨幹子の名前を覚えて、とりあえず、

石邨幹子譯『つみくさ 現代フランス閨秀詩選』(1943年、櫻井書店)
マリイ・ロオランサン 石邨幹子訳『夜たちの手帖』(1960年、アポロン社)
石邨幹子訳編『サアディの薔薇 マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオルの詩と生涯』(1988年、[サアディの薔薇]の会)

の3冊を入手しました。遺稿集の『残影』は読んでみたいです。

ほかに石邨幹子が同人だった詩誌『内在』の4号も入手してみました。

石邨幹子が同人だった詩誌『内在』4号表紙
▲詩誌『内在』4号(1956年、内在の会)表紙
『内在』は、茨城県水戸市の森田勝寿が発行していた詩誌で、伊藤桂一と安西均が交代で編集しています。国会図書館で検索してみると、1955年から1956年にかけて、少なくとも5号までは発行されているようです。
石邨幹子は、その同人で、1号から5号に次のような訳詩と詩を掲載しています。

『内在』(1) 1955年5月
ノアイユ伯爵夫人 石邨幹子訳「燃える死」
『内在』(2) 1955年8月
ノアイユ伯爵夫人 石邨幹子訳「湛は影と月とを有す」
『内在』(3) 1955年12月
石邨幹子「限りなき夢」
ノアイユ伯爵夫人 石邨幹子訳「胡椒の木のある小さな庭園よ」
『内在』(4) 1956年 新緑の号
ノアイユ伯爵夫人 石邨幹子訳「あなたの不在は至るところに… 」
『内在』(5) 1956年10月
ノアイユ伯爵夫人 石邨幹子訳「夏の朝」

ノアイユ伯爵夫人というと、プルーストの『失われた時を求めて』に登場するゲルマント公爵夫人のモデルだった人ということぐらいしか知らなかったのですが、石邨幹子は、1943年の『つみくさ』のときから、ノアイユ伯爵夫人の翻訳に力をいれていたようです。

そして、『内在』4号には、次のような近刊広告もありました。

『内在』4号近刊広告

『つみくさ』と同じく三岸節子の装幀。
この本があるのなら、ぜひ読んでみたいと探してみたのですが、どうやら昭森社から『限りなき心』は刊行されなかったようです。
これは残念。
広告を出したからには、訳稿も出来上がっていたと思いますし、上梓されていれば、この訳詩集に深い深い愛情をそそぐ読者が必ず生まれたはずの本です。
この本を出さないなんて、昭森社は罪なことをしたものです。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Laura Nyro 『The First Songs』

ローラ・ニーロ(Laura Nyro、1947~1997)の1967年デビュー作『More Than A New Discovery』(Verve Folkways)を、1973年にCBSが再発したとき、LPジャケットやタイトルも変えて『The First Songs』としてリリースしました。
そのときジャケットにルドゥーテの薔薇の絵が使われたのですが、ローラ・ニーロの希望で、初回盤には、薔薇の香りがつけられました。
薔薇の香りのついた初回盤を手にしたことはないのですが、そういうレコードもあるのだな、香りはどのくらい残るのだろうと思ったものです。
このレコードから、B面最後の曲「And When I Die」を。
死への絶望ではなく、わたしが死んでもわたしのことを受け継ぐ子どもがいるという、未来への希望の歌です。

写真は1993年に出た日本盤CDです。

秋朱之介がつくった「マリーロランサン」という香水は、薔薇をベースにした香水のような気がしてきました。

 

【2018年4月7日追記】
そもそも、なぜ、このところ、マリー・ローランサン(Marie Laurencin、1883~1956)のことばかりになったのだろうと考えて、秋朱之介の詩句が思い浮かびました。
3月6日から5月6日まで、鹿児島県薩摩川内市の川内まごころ文学館で、「川内の生んだもう一人の出版人」として秋朱之介関連の新収蔵資料の展示が行われていますが、そのちらしでも使われていた、秋朱之介の詩句

 残雪の桃花はローランサンの色がよい

が頭に残っていたからかもしれません。
これは、秋朱之介の晩年、1990年ごろの詩句で、娘さんのもとに僅かに残されていた詩稿にあった詩句です。その詩稿は、川内まごころ文学館に寄贈されています。

1990年ごろ秋朱之介の詩稿

▲秋朱之介の詩稿から。1990年頃の作品(川内まごころ文学館蔵)

秋朱之介とマリー・ローランサンとの長い長いかかわりを考えれば、この詩句の「ローランサン」という言葉には、私たちが思う以上の来し方があったのだと思います。

秋朱之介は、生前、自分の詩集を出すことはありませんが、「詩人」だったのだと思います。

 

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230. 1983年の高野文子『おともだち』(2018年4月4日)

高野文子『おともだち』表紙とアンドレ・マルティ挿画の『青い鳥』

229. 1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』(2018年4月4日)

1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』

228. 1936年の東郷青児『手袋』(2018年3月27日)

1936年の東郷青児『手袋』

227. 1990年の江間章子『タンポポの呪咀』(2018年3月16日)

1990年の江間章子『タンポポの呪詛』

川内まごころ文学館「川内の生んだもう一人の出版人」秋朱之介関連新収蔵資料展示

226. 1934年の山口青邨『花のある隨筆』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『花のある隨筆』

225. 1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』(2018年2月12日)

1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』

224. 1934年の山口青邨『雜草園』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『雜草園』

223. 1933年の富安風生『草の花』(2018年2月12日)

1933年の富安風生『草の花』

222. 1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』(2018年1月28日)

1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』表紙

221. 2017年のピーター・ブレグヴァド『GO FIGURE』(2018年1月20日)

2017年のピーター・ブレグヴァド『Go Figure』

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220. 1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』(2018年1月20日)

1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』

219. 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)

ピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』

218. 鶴丸城跡堀のカワセミ(2018年1月1日)

鶴丸城跡堀のカワセミ01

217. 1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし(2017年12月30日)

1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし

216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)

1869年の「綾御衣裏寧姫命塚」

215. 1813年の金剛嶺石碑(2017年11月18日)

1813年の金剛嶺石碑

214. 1667年のタンタドの観音石像(2017年11月18日)

1667年のタンタドの観音石像

213. 1981年のScritti Politti「The "Sweetest Girl"」(2017年11月6日)

1981 C81

212. 1903年の川上瀧彌・森廣『はな』(2017年10月29日)

1903年の川上瀧彌・森廣『はな』

211. 1982年のThe Ravishing Beauties「Futility」(2017年10月17日)

1982年Mighty Reel

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210. 1925年の西谷操「狼は吠える」(2017年10月8日)

1925年の西谷操「狼は吠える」

209. 1992年の『ホテル・ロートレアモン』(2017年9月15日)

1992年の『ホテル・ロートレアモン』

208. 1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』(2017年8月29日)

1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』

207. 2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』 ILLUSTRATED by PETER BLEGVAD(2017年8月17日)

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』

206. 1931年の佐藤春夫『魔女』(2017年7月25日)

1931年の佐藤春夫『魔女』

205. 1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ(2017年6月27日)

1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ

204. 1985~1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1』(2017年5月28日)

Rē Records Quarterly Vol. 1 No.1 back

203. 1932年の池田圭『詩集技巧』(2017年4月27日)

1932年の池田圭『詩集技巧』表紙

202. 2011年の『Emblem of My Work』展カタログ(2017年4月3日)

2011年の『Emblem of My Work』展カタログ

201. 1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』(2017年3月17日)

1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』背

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200. 千駄木の秋朱之介寓居から小日向の堀口大學の家まで(2017年3月16日)

小日向の鷺坂

199. 2009年の『黒いページ』展カタログ(2017年2月14日)

2009年の『黒いページ』展カタログ

198. 1934年の『西山文雄遺稿集』(2017年1月31日)

1934年の『西山文雄遺稿集』

197. 1967年の『笑いごとじゃない』(2017年1月14日)

1972年の『笑いごとじゃない』

196. 2017年1月1日の桜島

2017年1月1日の桜島01

195. 1978年のキャシー・アッカーの声(2016年12月31日)

2016年Peter Gordon & David van Tieghem「Winter Summer」裏ジャケット

194. 1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)

1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』

193. 1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』(2016年12月15日)

1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』

192. 1995年の峯村幸造『孤拙優游』(2016年11月30日)

1995年の峯村幸造『孤拙優游』

191. 1980年の今井田勲『雑誌雑書館』(2016年10月27日)

1980年の今井田勲『雑誌雑書館』箱表紙

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190. 1971年の『海』の表紙(2016年10月24日)

1971年の『海』01

189. 1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』(2016年10月17日)

1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』

188. 1936年の『木香通信』6月号(2016年9月26日)

1936年の『木香通信』六月号

187. 1936年のモラエス『おヨネと小春』(2016年9月4日)

1936年のモラエス『おヨネと小春』箱と表紙

186. 1927年の『藝術市場』―避暑地ロマンス号(2016年8月19日)

1927年の『藝術市場』

185. 1968年の天沢退二郎『紙の鏡』(2016年8月5日)

1968年の天沢退二郎『紙の鏡』

184. 1970年の天沢退二郎『血と野菜 1965~1969』(2016年8月4日)

1970年の天沢退二郎『血と野菜』

183. 1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』(2016年7月29日)

1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』

182. 1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』(2016年7月21日)

1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』

181. 1953年の片山廣子『燈火節』(2016年5月18日)

1953年の片山廣子『燈火節』

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180. 1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻(2016年5月17日)

1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻

179. 1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻(2016年5月16日)

1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻

178. 1904年の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』(2016年5月10日)

1904Queen Maeve

177. 1942年の野村傳四『大隅肝屬郡方言集』(2016年4月28日)

野村傳四『大隅肝屬郡方言集』表紙

176. 1926年ダックワース版のハドソン『緑の館』(2016年4月22日)

1926GreenMansions01

175. 1948年のバーナード・ダーウィン『のんきな物思い』(2016年3月17日)

1948Every Idle Dream

174. 1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』(2016年2月23日)

1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』

173. 1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』(2016年2月18日)

1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』

172. 1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』(2016年1月24日)

1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』表紙

171. 桜島雪景色(2016年1月24日)

2016年1月24日桜島雪景色

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170. 1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』(2016年1月18日)

1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』表紙

169. 1966年の天沢退二郎『時間錯誤』(2016年1月17日)

1966年の天沢退二郎『時間錯誤』表紙

168. 1925年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏のおはなし』(2016年1月12日)

1925 The Rale Of Mr Tootleoo 表紙

167. 2016年1月1日の桜島

2016年1月1日桜島

166. 1964年のミス・リード編『カントリー・バンチ』(2015年12月31日)

1964 Miss Read Country Bunch

165. 1924年のジェフリー・ケインズ『サー・トマス・ブラウン書誌』(2015年12月12日)

A BIBLIOGRAPHY OF SIR THOMAS BROWNE

164. 1975年のAllen Toussaint 『Southern Nights』(2015年11月16日)

1975 Allen Toussaint Southern Nights

163. 1968年の松下竜一『豆腐屋の四季』(2015年11月11日)

1968松下竜一『豆腐屋の四季』

162. 1963年の天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』(2015年11月10日)

天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』

161. 1984年の品川力『本豪落第横丁』(2015年10月1日)

1984年の品川力『本豪落第横丁』

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160. 2015年のユニティー・スペンサー『アーチストになれて運がよかった』(2015年9月30日)

Unity Spencer『Lucky to be an Artist』

159. 1961年の天沢退二郎詩集『朝の河』(2015年8月30日)

1961年天沢退二郎詩集『朝の河』表紙

158. 1972年の『天澤退二郎詩集』(2015年8月29日)

1972天澤退二郎詩集外箱

157. 初夏の七郎すもも(2015年7月24日)

七郎すもも01

156. 1979年のPeter Gabriel「Here Comes The Flood」(2015年7月23日)

1979 Peter Gabriel Here Comes the Flood

155. 1940年の松崎明治『ANGLING IN JAPAN (日本ノ釣)』(2015年6月18日)

1940 ANGLING IN JAPAN Cover

154. 2000年のクリンペライ『不思議の国のアリス』ジャケット(2015年4月25日)

2000 Klimperei Alice au Pays des Merveilles

153. 2012年のデヴィッド・アレン『サウンドバイツ 4 ザ レヴェレイション 2012』(2015年3月18日)

soundbites 4 tha reVelation 2012_cover

152. 2012年のダンカン・ヘイニング『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』(2015年3月16日)

Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers

151. 1976年のキリル・ボンフィリオリ『Something Nasty In The Woodshed』(2015年1月29日)

1976Bonfiglioli_Something Nasty

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150. 1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号(2015年1月18日)

1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号

149. 1995年ごろの片岡吾庵堂さん作「翔び鶴」(2015年1月10日)

片岡吾庵堂さんの翔び鶴

148. 1937年のダグラス・コッカレル『製本』(2015年1月5日)

1937Douglas Cockerell_Bookbinding01

147. 2015年1月1日の桜島

2015年1月1日桜島01

146. 1984年のジョージ・オーウェル『1984年』ファクシミリ版(2014年12月30日)

1984Orwell_dustwrapper

145. 1974年の天澤退二郎詩集『譚海』(2014年12月29日)

1974天澤退二郎詩集『譚海』

144. 2001年の岩田宏『渡り歩き』(2014年12月26日)

2001年岩田宏『渡り歩き』

143. 1980年の岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』(2014年12月1日)

岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』

142. 1985年のエドワード・リア回顧展カタログ(2014年10月7日)

1985Edward Lear01

141. 1977年の辻邦生『夏の海の色』(2014年8月29日)

辻邦生『夏の海の色』

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140. 1974年のロバート・ワイアット『ロック・ボトム』(2014年7月26日)

1974Wyatt_Rock Bottom01

139. 1998年の『河原温 全体と部分 1964-1995』展カタログ(2014年7月16日)

1998河原温_表紙

138. 1913年の半仙子『日當山侏儒戯言』(2014年6月30日)

1913半仙子『日当山侏儒戯言』表紙

137. 1917年の加藤雄吉『尾花集』(2014年6月27日)

1917加藤雄吉_尾花集_表紙

136. 1929年の島津久基『羅生門の鬼』(2014年6月12日)

1929島津久基_羅生門の鬼_箱

135. 1943年の『FLEURON』誌刊行20周年記念に催された食事会のメニュー(2014年4月25日)

1943年『Fleuron』誌20周年昼食会メニュー01

134. 1995年の平田信芳『石の鹿児島』(2014年2月27日)

平田信芳_石の鹿児島

133. 1983年のリチャード・カーライン回顧展カタログ(2014年2月8日)

1983Richard Carline_catalogue

132. 1971年のリチャード・カーライン『ポストのなかの絵』第2版(2014年1月26日)

1971Carline_Post

131. 1994年のウィリー・アイゼンハート『ドナルド・エヴァンスの世界』(2014年1月7日)

1994DonaldEvans_cover

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130. 1978年の雅陶堂ギャラリー「JOSEPH CORNELL展」カタログ(2014年1月5日)

1978Cornell_雅陶堂_cover

129. 2014年1月1日の日の出(2014年1月1日)

2014年1月1日桜島の日の出01

128. 2010年の『クラシック・アルバム・カヴァー』(2013年12月11日)

2010Classic Album Cover_Royal Mail

127. 1934年の『藝術家たちによる説教集』(2013年12月1日)

1934Sermons by Artists_表紙

126. 1926年の南九州山岳會編『楠郷山誌』(2013年11月27日)

1926楠郷山誌_箱表紙

125. 1924年の第七高等学校造士館旅行部『南溟』創刊号(2013年11月26日)

1924南溟_表紙

124. 1974年の講談社文庫版『復興期の精神』(2013年11月17日)

1974年_花田清輝_復興期の精神

123. 1924年の箱入りの志賀直哉『眞鶴』と木村荘八『猫』(2013年11月9日)

1924志賀直哉_真鶴_木村荘八_猫_箱と表紙

122. 1912年ごろのスレイド美術学校のピクニック集合写真(2013年10月17日)

1912 Slade picnic

121. 1929年のアーサー・ウェイリー訳『虫愛づる姫君』(2013年10月8日)

1929Wale_The Lady Who Loved Insects_cover

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120. 2004年の『妄想フルクサス』(2013年9月30日)

2004Mousou Fluxus_cover01

119. 1937年のアーサー・ウェイリー訳『歌の本』(2013年9月22日)

1937_54_Waley Book of Songs

118. 1984年のガイ・ダヴェンポート『「りんごとなし」とその他の短編』(2013年9月12日)

1984Davenport_Apples & Pears

117. 1953年のゴードン・ボトムレイ『詩と劇』(2013年9月10日)

1953GordonBottomley

116. 1905年のゴードン・ボトムレイ『夏至の前夜』(2013年9月9日)

1905MidsummerEve_cover

115. 1985年の『さようなら、ギャングたち』(2013年7月31日)

1985So Long Gangsters

114. 1972年の島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(2013年7月14日)

1972東北と奄美の昔ばなし詩稿社

113. 1976年の『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』(2013年7月4日)

1976Joseph Cornell Portfolio01

112. 1958年のエリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス』(2013年6月26日)

1958Farjeon_Thomas_Oxford

111. 1887年のローレンス・オリファント『ファッショナブルな哲学』(2013年6月15日)

1887Oliphant_Fashionable Philosophy_cover

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110. 1938年の『聖者の物語』(2013年6月12日)

1938Marty_Histoire Sainte_cover

109. 1975年のハットフィールド・アンド・ザ・ノース『ザ・ロッターズ・クラブ』(2013年6月4日)

1975Hatfield and the North_The Rotters' Club

108. 1982年のアン・テイラー『ローレンス・オリファント 1829-1888』(2013年5月26日)

1982Anne Taylor_Laurence Oliphant

107. 1971年のドナルド・バーセルミ『ちょっとへんてこな消防車』(2013年5月16日)

1971Barthelme_fire engine

106. 1991年のウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(2013年5月10日)

1991THE DIFFERENCE ENGINE

105. 1992年の『五代友厚・寺島宗則・森有礼』(2013年5月8日)

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104. 1957年の木山捷平『耳學問』(2013年4月28日)

1957Kiyama Shouhei Mimigakumon

103. 1924年のエドワード・ゴードン・クレイグ『木版画と覚書』(2013年4月23日)

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102. 1957年のエドワード・ゴードン・クレイグ『わが生涯の物語へのインデックス』(2013年4月17日)

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101. 1900年ごろのホフマン『英語版もじゃもじゃペーター』(2013年4月8日)

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100. 1959年の『グウェン・ラヴェラの木版画』(2013年3月26日)

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99. 1977年の『レイノルズ・ストーン木版画集』(2013年3月24日)

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98. 1981年の『九百人のお祖母さん』(2013年3月23日)

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97. 1938年の『風車小屋だより』(2013年3月19日)

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96. 1935年の『薩藩の文化』(2013年3月13日)

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95. 1981年の『土曜日の本・傑作選』(2013年3月12日)

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94. 1975年の『土曜日の本』(2013年3月11日)

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93. 1973年の『土曜日の本』(2013年3月10日)

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92. 1972年の『土曜日の本』(2013年3月9日)

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91. 1971年の『土曜日の本』(2013年3月8日)

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90. 1970年の『土曜日の本』(2013年3月7日)

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89. 1969年の『土曜日の本』(2013年3月6日)

1969SaturdayBook_box_wrapper

88. 1968年の『土曜日の本』(2013年3月5日)

1968SaturdayBook_box_wrapper

87. 1967年の『土曜日の本』(2013年3月4日)

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86. 1966年の『土曜日の本』(2013年3月3日)

1966SaturdayBook_box_wrapper

85. 1965年の『土曜日の本』(2013年3月2日)

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84. 1988年のケヴィン・エアーズのライブ(2013年3月1日)

1978KevinAyers_RainbowTakeaway

83. 1964年の『土曜日の本』(2013年2月28日)

1964SaturdayBook_wrapper

82. 1963年の『土曜日の本』(2013年2月27日)

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81. 1962年の『土曜日の本』(2013年2月26日)

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80. 1961年の『土曜日の本』(2013年2月25日)

1961SaturdayBook_box_wrapper

79. 1960年の『土曜日の本』(2013年2月24日)

1960SaturdayBook_wrapper

78. 1959年の『土曜日の本』(2013年2月23日)

1959SaturdayBook_box_wrapper

77. 1958年の『土曜日の本』(2013年2月22日)

1958SaturdayBook_box_wrapper

76. 1957年の『土曜日の本』(2013年2月21日)

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75. 1956年の『土曜日の本』(2013年2月20日)

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74. 1955年のオリーヴ・クックとエドウィン・スミス『コレクターズ・アイテム』(2013年2月19日)

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73. 1955年の『土曜日の本』(2013年2月18日)

1955SaturdayBook_box_wrapper

72. 1954年の『土曜日の本』(2013年2月17日)

1954SaturdayBook_box_wrapper

71. 1953年の『土曜日の本』(2013年2月16日)

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70. 1952年の『土曜日の本』(2013年2月15日)

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69. 1951年の『土曜日の本』(2013年2月14日)

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68. 1951年の『現代の本と作家』(2013年2月13日)

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67. 1950年の『土曜日の本』(2013年2月12日)

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66. 1949年の『土曜日の本』(2013年2月11日)

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65. 1948年の『土曜日の本』(2013年2月10日)

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64. 1947年の『土曜日の本』(2013年2月9日)

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63. 1946年の『土曜日の本』(2013年2月8日)

1946SaturdayBook_wrapper

62. 1945年の『土曜日の本』(2013年2月7日)

1945SaturdayBook_wrapper

61. 1944年の『土曜日の本』(2013年2月6日)

1944SaturdayBook_cover

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60. 1943年の『土曜日の本』(2013年2月5日)

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59. 1942年の『土曜日の本』(2013年2月4日)

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58. 1936年の『パロディ・パーティー』(2013年2月3日)

1936ParodyParty_cover

57. 1941年の『土曜日の本』(2013年2月2日)

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56. 1953年ごろの『スティーヴンス=ネルソン社の紙見本帖』(2013年1月31日)

1953Specimens_cover

55. 1945年の岸田日出刀『建築學者 伊東忠太』(2013年1月29日)

1945Kishida_Ito Chuta

54. 1912年のチャールズ・T・ジャコビの『本と印刷についての覚書』(2013年1月27日)

1912CTJacobi_Books and Printing

53. 1903年の岡倉覚三『東洋の理想』(2013年1月26日)

1903Okakura_The Ideals Of The East

52. 1895年のウィリアム・モリス『世界のかなたの森』(2013年1月25日)

1895Morris_WoodBeyondTheWorld_title

51. 1969年ごろの『モノタイプ社印刷活字見本帖』(2013年1月23日)

1969MonotypeSpecimen

 

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50. 1958年の小沼丹『黒いハンカチ』(2013年1月22日)

1958OnumaTan_BlackHandkerchief

49. 1902年のゴードン・ボトムレイ『夜さけぶもの 一幕劇』(2013年1月21日)

1902Bottomley_Crier_cover

48. 1955年の『詩人と画家 ゴードン・ボトムレイとポール・ナッシュの往復書簡』(2013年1月20日)

1955Bottomley_Nash_Correspondence

47. 1945年のトム・ジェントルマン『ブラエ農場』(2013年1月19日)

1945BraeFarm_cover01

46. 1957年の岩波書店版『漱石全集 書簡集一~五』(2013年1月18日)

1957Souseki_letters

45. 1980年のノエル・キャリントン『キャリントン 絵・素描・装飾』(2013年1月17日)

1980Noel Carrington

44. 1970年の『キャリントン 手紙と日記抜粋』(2013年1月16日)

1970Carrington

43. 1892年のマードック,バートン,小川『アヤメさん』(2013年1月15日)

1892Ayame-san01

42. 1910年のポンティング『この世の楽園・日本』(2013年1月14日)

1910Ponting_ LOTUS-LAND JAPAN

41. 1987年のデヴィッド・マッキッタリック『カーウェン・パターン紙の新見本帖』(2013年1月13日)

1987_A New Specimen Book of Curwen Pattern Papers

 

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40. 1969年の『岩下壮一 一巻選集』(2013年1月12日)

1969IwashitaSoichi

39. 1860年のモクソン版『アルフレッド・テニスン詩集』(2013年1月11日)

1860Moxon_Tennyson

38. 1980年のヤング・マーブル・ジャイアンツ『言葉と絵』(2013年1月10日)

1980YMG

37. 1927年の『七高さん』(2013年1月9日)

1927_7kousan

36. 1936年のグウェン・ラヴェラ『逃亡』(2013年1月8日)

1936Runaway_Raverat

35. 1899年のメアリ・フェノロサ『巣立ち』(2013年1月7日)

1899OutOfTheNest

34. 1906年のメアリ・フェノロサ『龍の画家』(2013年1月6日)

1906DragonPainter

33. 1961年のジュニア鹿児島編『ニコニコ郷土史』(2013年1月5日)

1961niconico_history

32. 1940年のジョン・ファーリー『刻まれたイメージ』(2013年1月4日)

1940JohnFarleigh

31. 1939年と1946年の『トワエモワ』(2013年1月3日)

1939ToiEtMoi

 

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30. 1963年の『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』(2013年1月2日)

1963SylviaBeach

29. 謹賀新年(2013年1月1日)

2013HappyNewYear

28. 1984年のカトラー文・ベンジ絵『ニワトリになったハーバートくん』(2012年12月31日)

1984Cutler_Benge

27. 1970年のアーサー・ウェイリー『Madly Singing in the Mountains』(2012年12月30日)

1970ArthurWaley

26. 1925年のウェイリー訳『源氏物語』(2012年12月29日)

1925Genji_Waley

25. 1931年のウィリアム・ローゼンスタイン『人と思い出』(2012年12月28日)

1931WillRothenstein

24. 1949年の梅花艸堂主人『夢』(2012年12月27日)

1949Baikasodo_yume

23. 1947年の加藤一雄『無名の南畫家』(2012年12月26日)

kato_mumeinonangaka1947

22. 1963年の岩本堅一『素白随筆』(2012年12月25日)

sohakuzuihitsu1963

21. 1978年のブライアン・イーノ&ピーター・シュミット『オブリーク・ストラテジーズ』(2012年11月2日)

Oblique Strategies1978

 

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20. 1982年のロバート・ワイアット『シップビルディング』(2012年10月30日)

Wyatt_Shipbuilding1982

19. 2000年のピーター・ブレグヴァド『リヴァイアサンの書』(2012年10月29日)

Blegvad_leviathan2000

18. 1910年のジェームズ・マードック『日本史・第一巻』(2012年10月27日)

Murdoch_Japan1910

17. 1903年のジェームズ・マードック『日本史』(2012年10月26日)

Murdoch_Japan1903

16. 1861年のエドモンド・エヴァンス『THE ART ALBUM』(2012年10月24日)

Evans1861_Art Album

15. 1898年のカーライル『衣装哲学』(2012年10月23日)

Sartor Resartus

14. 1861年のジョン・ジャクソン『木版論』(2012年10月22日)

Jackson_Chatto_Wood Engraving

13. 1937年のフランシス・ブレット・ヤング『ある村の肖像』(2012年10月21日)

Young_Hassall_Portrait of a Village

12. 1974年の坂上弘『枇杷の季節』(2012年10月20日)

坂上弘_枇杷の季節

11. 1952年のグウェン・ラヴェラ『Period Piece』(2012年10月19日)

Raverat_Period Piece

10. 1919年の『ルパート・ブルック詩集』(2012年10月16日)

Rupert Brooke Raverat

09. 1942年の松崎明治『釣技百科』(2012年10月14日)

matuzaki_tyougyo1942

08. 1966年のキース・ロバーツ『パヴァーヌ』(2012年10月11日)

impulse1966

07. 1983年の島尾ミホ『海嘯』(2012年10月11日)

simaohiho_kaishou

06. 1933年の内田百間『百鬼園随筆』 (2012年10月11日)

hyakkienzuihitu

05. 1964年のケヴィン・エアーズ最初の詩集(2012年10月10日)

1964Ayers_Bookle

04. 1936年の「国際シュルレアリスト広報」第4号(2012年10月9日)

1936SurrearistBulletin

03. 1921年のクロード・ローヴァット・フレイザー(2012年10月8日)

The Luck of the Bean-Rows

02. 1899年と1904年の『黄金時代』(2012年9月26日)

1904年の『黄金時代』表紙

01. 1945年の『青い鳥』(2012年9月22日)

青い鳥01