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my favorite things 201-210

my favorite things 201(2016年3月17日)から210(2017年10月8日)までの分です。 【最新ページへ戻る】

 

210. 1925年の西谷操「狼は吠える」(2017年10月8日)

1925年の西谷操「狼は吠える」


鹿児島の川内出身の出版人・装幀家、秋朱之介(西谷操、1903~1997)の経歴には、裏方だった人だけに、謎の部分が多いのですが、あるご縁がきっかけとなって、その青年期を垣間見ることができるテキスト群を見つけることができました。

昨年暮れにまとめた私家版『秋朱之介切貼帖』に掲載した、公刊された秋朱之介の文章や詩は、もっとも古いもので、昭和2年(1927)の文章や昭和3年(1928)の詩でした。

ですが、それ以前の、大正期に書かれた文章が掲載されたパンフレットを見つけることができたのです。

関東大震災の起きた大正12年(1923)9月、秋朱之介(西谷操)は東京新橋の逓信省貯金局に勤めていました。
今までは、そこから本づくりの世界へ移ったのだと思っていましたが、20歳代前半の時期に、熱烈な演劇青年だった時期があったのです。

秋朱之介は、関東大震災後、ドイツから帰国した土方与志(1898~1959)が、小山内薫(1881~1928)らと設立した、日本初の「新劇」の常設劇場、築地小劇場の信奉者でした。

築地小劇場は、大正13年(1924)6月から昭和5年(1930)2月にかけて、機関誌『築地小劇場』というパンフレットを発行しています。その投稿欄「觀客席より」に、「西谷操」あるいは「西谷みさを」の名前で、劇の感想を何本も投稿していたのです。そして、劇評ばかりでなく、「狼は吠える」という詩も投稿していました。

秋朱之介(西谷操)の投稿が『築地小劇場』誌に掲載されていたのは大正14年(1925)と大正15年(1926)のことで、22歳・23歳のころです。今までわたしが把握していた昭和2年(1927)の文章や昭和3年(1928)の詩の前のものでした。

秋朱之介(西谷操)は、演劇という入り口から、「藝術」の世界へ導かれたと思われます。
これは、とても大きな「発見」でした。

『築地小劇場』第2巻第8号

▲『築地小劇場』第2巻第8号 大正14年(1925)8月1日発行
写真は、龍溪書舎の復刻版(1980)のもの。

 「第三十一回公演を見て感じた事ども」西谷操

▲『築地小劇場』第2巻第8号掲載「第三十一回公演を見て感じた事ども」西谷操
一幕もの三本の観劇感想。

○アウグスト・シュトランム『牧場の花嫁』出演:伏見直江・千田是也
○ストリングベルグ『母の愛』出演:花柳はるみ・若宮美子・山本安英
○マゾオ『休みの日』出演:小堀・丸山定夫・汐見洋・東山千栄子・東屋三郎
 演出:小山内薫
 装置:吉田謙吉・溝口三郎
 効果:和田精

舞台の音響効果などを担当していた和田精(1893~1970)は、イラストレーターの和田誠のお父さんです。

『築地小劇場』第2巻第8号奥付

▲『築地小劇場』第2巻第8号奥付
發行兼編輯者の伊藤圀夫は、演出家・俳優の千田是也(1904~1994)の本名です。

『築地小劇場』第2巻第9号

▲『築地小劇場』第2巻第9号 大正14年(1925)9月1日発行

『築地小劇場』第2巻第9号の裏表紙

▲『築地小劇場』第2巻第9号の裏表紙
杉浦非水(1876~1965)の「今日は帝劇 明日は三越」を援用した広告。
この図案は、杉浦非水が主宰した創作図案研究団体「七人社」のメンバーのひとり、須山浩(「須山ひろし」と表記されることもあり)によるもの。

明治44年(1911)にできた帝劇(帝国劇場)は「今日は帝劇 明日は三越」の宣伝文句で知られ、時代を牽引する劇場でしたが、関東大震災で焼失します。大正13年(1924)に再開しますが、震災前とは雰囲気も変わったようで、震災後を象徴する劇場は築地小劇場で、西谷操(秋朱之介)もその新しさにひかれた青年の一人だったのでしょう。

 『築地小劇場』第2巻第9号掲載「雨の降る夜の感激」西谷操

▲『築地小劇場』第2巻第9号掲載「雨の降る夜の感激」西谷操(1925年8月14日)

日本初のラヂオドラマ『炭鉱の中』の感想。
1925年は日本でラジオ放送が始まった年でもありました。
実際に街頭でラジオ放送を聴いた者による感想、という点でも珍しいテキストだと思います。

○リチャード・ヒューズ作・小山内薫訳『炭鉱の中』
 出演:山本安英・小野宮吉・東屋三郎
 演出:小山内薫
 効果:和田精

 『築地小劇場』第2巻第9号掲載「狼は吠える」西谷操

▲『築地小劇場』第2巻第9号掲載「狼は吠える」西谷操(1925年8月16日)

日比谷での野外劇『狼』の感想詩。

○ロマン・ロオラン『狼』出演:丸山定夫、青山杉作、東屋三郎、汐見洋、小野宮吉、千田是也ほか
 演出:土方与志
 装置:吉田謙吉
 効果:和田精

詩による感想というのは、投稿欄「觀客席より」のなかでは珍しい形ですが、例がないわけではありません。
1793年のマインツ攻囲戦を題材とした革命劇『狼』(1898)は、ロマン・ロラン初期の作品で、高橋邦太郎の翻訳で、築地小劇場が開館した大正13年6月第2回公演として上演されています。大正13年8月発行の『築地小劇場』第三號には、その公演を見て書かれた秋田雨雀(1883~1962)の「人間と狼」という詩が掲載されており、西谷操の「狼は吠える」という詩は、それを踏まえたものだと思われます。

何はともあれ、公刊された詩としては、最も古いものと思われる西谷操(秋朱之介)の「狼は吠える」を全編引用してみます。

 

    狼は吠える   西谷操

     ○
  秋が來た。
  野は枯れた。
  葡萄は熟した。
  おゝ、狼達よ。
  何の為めに
  お前達は戰ふのだ。
  人間の、正義の、魂が、ギロチンにかけられる。
  うす弱い秋の日の下に、
  歡喜の聲は 叫ぶ 叫ぶ。
  おゝ 狼達よ。
  お前達は何を求めやうともがいてゐるのだ。
  祖國と、正義と、祖國と、正義と、
  その間に
  人間の正義の魂は、あゝ、
  ギロチンの下に滅んでゆく。
  秋の日
  秋雨の中
  魂の白い行列がゆく。
     ○
  あゝ 友愛
  押つぶされた
  押つぶされた
  生活の中から俺は叫ぶ
  人間を愛する
  ボルシェヴィイストは人間を愛する。
  全人類、全世界。
  Vive le soviet.
     ○
  雨の降る中で、
  小山内先生と千早さんが 觀客を案内して居られる
  日比谷公園の青葉の下での感激。
  それを私は忘れる事が出來ない。
  なみだぐましい程。
  私の胸にせまつて來るものがある。
  先づ第一に 演出者土方先生に、感謝の意を表しやう。
  土方先生の演出。
  それだけで私は築地の芝居を見ずには居られないのだ。
  新らしい頭。新らしい演出。
  ケネル。(丸山定夫氏)重みのある聲。
  重みのある體。
  これは俳優となるに最も重大な資本だ。
  あなたは今度の演技であなたの最もの長所を遺憾なく良く表現された。
  ヹラア(東屋三郎氏)すばらしい成功、
  すつかりあなたの技藝、あなたの藝術に敬服して了ひました、
   しかしいつも感ずること乍、
  あなたの聲の何とうつろなるよ。
  ジヤンマアブル少尉(伏見直江さん)上出來。
  小つちやいあなたの聲と 姿が。
  どんなに觀客の血を沸き立たせた事か。
  間諜ライン地方の百姓。(友田恭助氏)近頃にない上出來。
  これでは言葉が不充分だ。
  私の血は湧き立つた、革命と 百姓と、間諜。
  狼の中でもこの百姓は重大な役だと思ひます。
  それがあなたに依つて最もよりよく仕生かされた事を何よりも嬉しく思ひます。
   僭越だなあ、とは思ひ乍、
  だまつては居られない。
  一人でこの感激を抱いてゐることは出來ない。
  私の感激は言葉では言ひ表せない。
  斯うして文字に現はす時。
  その文字は私の感激ではなくなつてゐる。
  感激は言葉でも文字でも表現することの出來ない、
  胸の中ににえくりかへつてゐる火だ。
  この火が外部へもえ出る時 彼の獨逸の若い詩人達の叫びとなるのだ。
  この火が全身にみなぎる時
  革命家となれるのだ。
   叫び。叫び。叫びこそ。すべてのものを包む、大きな宇宙だ。
    ○
  築地。
  お前は産む。
  遠からず。
  叫びの子を。
  觀客席の中からも
  舞臺の中からも、
  お前は産む。
  新時代を。新時代の子を。

  あゝ、星雲が
  星雲が
  雨空の中で
  もがきもだえてゐる。

  あゝ、
  子供が。
  子供が。
  灰色の家の中で。
  母胎の中で
  もがきもだえてゐる。

  築地がはらんだ。
  チヤペツクが微笑む。
  ピランデルロが頰笑む。
          一九二五・八・一六

この日比谷での野外公演について、土方与志の妻で、築地小劇場の衣裳部でもあった土方梅子(1902~1973)が、『土方梅子自伝』(早川書房、1976)で次のように書き残しています。

 その年(1925年)は、前々年に緊急勅令の形で出されていた治安維持の為にする罰則が、法律として制定、四月に公布され、長い間にわたって言論、表現、政治の自由を奪いとってしまった「治安維持法」の第一歩が踏み出されたのでした。
 表現の自由の上にしか成立しない演劇にとって、これは大変厄介な法律でした。従来にもまして、芝居の上演許可をもらうためには、いきどおりを胸におしこめながら警視庁公安課検閲係と何度も交渉しなければなりませんでした。
 『ヒンケマン』『決定』と上演禁止のつづいたあとで、八月の二日間、日比谷公園の野外音楽堂で催したロマン・ロオラン『狼』には、上演禁止を憤った人たちが大勢つめかけて、何と八千人の観客の声援につつまれました。次の日は生憎の天候で、開幕近くにとうとう雨が降り出しましたが、退場する人は少なく、四千人の人が、拍手で迎えてくれたのです。強く降りつづく雨の中で熱演する俳優と、それを熱烈に支持する観客。雨や風の音に負けまいと、いっそう声を張りあげて絶叫する舞台の人と、びしょぬれになっても動かない観客の心がぴったり一つに結ばれ、興奮のるつぼの中で『狼』はもえあがりました。

このびしょぬれの観客のなかに、秋朱之介(西谷操)もいたわけです。
そして、すぐさま「狼は吠える」という詩を書かずにはいられなかったのでしょう。

大正14年6月、トルレル作『ヒンケマン』(土方与志演出)、大正14年7月、ハアゼンクレエフエル『決定』(小山内薫演出)と、築地小劇場は立て続けに上演禁止をくらっています。その流れでの『狼』上演でした。
1925年は、治安維持法制定の年でもありました。

土方梅子の父の三島弥太郎(1867~1919)は、徳冨蘆花(1868~1927)の小説『不如帰』で川島武夫のモデルになった人物。土方梅子は、薩摩閥で「鬼県令」として知られた三島通庸(1835~1888)の孫にあたります。

『築地小劇場』第2巻第10号

▲『築地小劇場』第2巻第10号 大正14年(1925)10月1日発行

 『築地小劇場』第2巻第10号掲載「淋しい秋の日の感想」西谷操

▲『築地小劇場』第2巻第10号掲載「淋しい秋の日の感想」西谷操(9月17日夜)
築地小劇場についての感想。
大正13年(1924)、築地小劇場が建設されているころ、西谷操(秋朱之介)は帝劇の研究所に通っていたことに言及。

『築地小劇場』第2巻第11号

▲『築地小劇場』第2巻第11号 大正14年(1925)11月1日発行

 『築地小劇場』第2巻第11号掲載「(パンフレットを通して観客に叫び度い)戯曲を書け」西谷操

▲『築地小劇場』第2巻第11号掲載「(パンフレットを通して観客に叫び度い)戯曲を書け」西谷操(10月11日)
新しい戯曲家が生まれることを期待する檄文。

築地小劇場のシンボル・葡萄

▲築地小劇場のシンボル・葡萄
築地小劇場のシンボルとなった葡萄の図案は、土方久功(1900~1977)によるもの。

『築地小劇場』第2巻第12号

▲『築地小劇場』第2巻第12号 大正14年(1925)12月1日発行

 『築地小劇場』第2巻第12号掲載「戦ひのあと」西谷操

▲『築地小劇場』第2巻第12号掲載「戰ひのあと」西谷操(1925年11月)
築地小劇場の1925年(第19回公演から第39回公演)の振り返り。

『築地小劇場』第3巻第11号

▲『築地小劇場』第3巻第11号 大正15年(1926)12月5日発行

 『築地小劇場』第3巻第11号「雑感一束」西谷みさを

▲『築地小劇場』第3巻第11号「雜感一束」西谷みさを
第53回公演『大盬平八郎』の感想。

○中村吉蔵作『大盬平八郎』出演:薄田研二、滝沢修、丸山定夫、汐見洋、小杉義男、友田恭助、東山千栄子、山本安英、高橋豊子ほか
 演出:小山内薫
 装置:木村荘八
 効果:和田精

ほかのペンネームを使っている可能性もあるので、これがすべてではないかもしれませんが、『築地小劇場』という場所で、若き西谷操(秋朱之介)の未知のテキストにまとまって出会うことができて、わくわくしています。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Peter Gordonの作品をリリースしているfoomレーベルがまた貴重な音源を発掘してくれました。

Peter Gordon Love of Life Orchestra 『CONDO』

▲Peter Gordon Love of Life Orchestra の45回転12インチ盤『Condo』(foom、2017)
ピーター・ゴードンの顔はアルバムジャケットに大写ししたくなるタイプの顔なのでしょうか。
何枚も仮面サイズの12インチジャケットがあるような気がします。

1982年のLove of Life Orchetra『casino』に収録されていた「Condo」とその同時期の未発表曲を収録しています。
基本的にPeter GordonとDavid Van Tieghemの2人で音を探る段階での録音のようです。「Condo」をはじめ心を落ち着かせるタイプの曲が主ですが、「Candy Store」という曲は、ベースに Bill Laswell、ギターにFred Maherをむかえたフルバンド編成で、なぜか日本のKilling Timeを思い出してしまいました。
この曲に小川美潮のヴォーカルがかぶされば、Killing Timeといっても、信じてしまいそうです。

考えれば、Killing Timeのグループ名の由来になったのは、Fred Frith、Bill Laswell、Fred Maherの3人が組んでいたmassacreというグループの『Killing Time』(1981)というアルバムだったのでしょうから、 時空がねじれたわけでもなく、最初からつながっていたのでしょう。

 

『CONDO』side one

▲『Condo』Side One

『CONDO』Side Two

▲『Condo』Side Two

2017年にLove of Life Orchetraの未発表音源を聴いて、massacre『Killing Time』に、小川美潮がヴォーカルを入れても成り立ちそうだと思う、秋の日です。

 

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209. 1992年の『ホテル・ロートレアモン』(2017年9月15日)

1992年の『ホテル・ロートレアモン』


以前、ジョセフ・コーネル(JOSEPH CORNELL,1903~1972)の作品をカヴァーに使った本をいくつか紹介しましたが(第111回)、その中でも紹介したアメリカの詩人ジョン・アッシュベリー(John Ashbery)が、9月3日に亡くなったそうです。90歳。

 1927年7月28日 - 2017年9月3日

改めて、コーネルのコラージュ作品が使われた『ホテル・ロートレアモン(HOTEL LAUTRÉAMONT)』(ALFRED A. KNOPF,1992)の書影を。

そういえば、「Hotel」ということばは、コーネルが箱の作品群のタイトルに含ませたことばでもありました。

 

ジョン・アッシュベリー作品の邦訳は、1993年に出た思潮社のアメリカ現代詩共同訳詩シリーズ(4)の『ジョン・アッシュベリー詩集』(大岡信・飯野友幸訳)ぐらいしか思い浮かびませんが、美術批評などの散文作品も邦訳されていてもいいのに、と思います。

大岡信・飯野友幸訳『ジョン・アッシュベリー詩集』

▲大岡信・飯野友幸訳『ジョン・アッシュベリー詩集』(思潮社、1993)

 

ジョン・アッシュベリーの詩が、効果的に使われていた小説がありました。

ジョナサン・キャロル 浅羽莢子訳『月の骨』

▲ジョナサン・キャロル 浅羽莢子訳『月の骨』(創元推理文庫、1989)のカヴァー。イラストは東恩納裕一。現行版は別のものになっているようです。

『月の骨』(Bones of the Moon)冒頭のエピグラフに、アッシュベリーの詩「北農場から」が引用されています。
1984年に発表された詩集『 A WAVE(波)』に収録された作品です。14行詩なので、形式的には「ソネット」ということになります。その冒頭の6行が『月の骨』のエピグラフとして使われています。

  どこかで、誰かがおまえを目ざしてひたすら旅している、
  信じ難い速さで、昼も夜も休まず、
  吹雪と砂漠の熱気を衝き、急流を横切り、狭い峠を越えて。
  だがはたして、おまえの見出される場所を知り、
  おまえを見てそれとわかり、
  おまえのために持ってきた物を渡してくれるだろうか?

これは、浅羽莢子の訳です。
ジョナサン・キャロル『月の骨』を読み終えた後、改めて、この詩句を読むと、小説以上にその小説の世界を結晶化していて、この詩句を引用したことがこの小説の取り柄ではないかと思ったほどです。うまい引用の仕方だなと感心しました。

大岡信・飯野友幸訳『ジョン・アッシュベリー詩集』では、「北の農場で」というタイトルです。同じ部分を引用してみます。

  どこかで誰かが君をめざして、たけり狂って進んでくる、
  信じられないほどの速度で、昼も夜もなく進んでくる、
  吹雪も炎熱の砂漠もものかは、早瀬を渡り、隘路を通って。
  けれども、彼に君の居場所がわかるだろうか、
  会っても君だとわかるだろうか、
  持ってきたものを渡せるだろうか。

オリジナルの「At North Farm」の同じ部分も引用してみます。

  Somewhere someone is traveling furiously toward you,
  At incredible speed, traveling day and night,
  Through blizzards and desert heat, across torrents, through narrow passes.
  But will he know where to find you,
  Recognize you when he sees you,
  Give you the thing he has for you?

こうして並べてみると、浅羽莢子訳では「he(彼)」を訳さないことで、『月の骨』の小説世界に合うように、不気味に抽象性を高めていることに気づきました。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

スピカの夜『Tokyo Days, Tokyo Nights』

この9月9日を最後に、島ゆいかと飯田來麗のデュオ、スピカの夜が、活動をいったん休止しました。
その唯一のCD『Tokyo Days, Tokyo Nights』(アミューズ、2017)から、「マイティボンジャック」を。
アルバムの作曲・作詞・編曲・プロデュースはヒゲドライバーがやっていてす。
ヒゲドライバーの世界に、スピカの夜の二人が迷い込んだアルバムと言った方が適切なのかもしれません。

昔のゲーム音楽で使われいた8ビット音源の音楽のような、「チップチューン」とよばれるタイプのサウンドにのせて、若々しい勢いと、そこはかとないさびしさと諦念とが同居していて、愛おしい音楽になっています。

『Tokyo Days, Tokyo Nights』は7曲収録で、約30分。
アルバムと呼ぶより、ミニアルバムというのがいいのかしらん。
かつて、Deaf School やSailorといったバンドのLPが、A面・B面合わせてちょうど30分で、当時も短いなとは思いましたが、アルバムとしての充足度は高くて、60分カセットテープのA面・B面にダビングしたものをよく聴いていました。
その感覚からすると、『Tokyo Days, Tokyo Nights』も、「アルバム」といったほうが適切な気もします。

でも、12曲ぐらい収録した、スピカの夜のフルアルバムを聴きたかったな。

アッシュベリーの世界からは遠いようにも思われますが、直に働きかけ自ら動こうとするのでなく、直に関わらず、どこか脇に立って見つめているような立ち姿に、連想を誘うような、どこか通ずるものがあったのかもしれません。

 

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208. 1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』(2017年8月29日)

1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』


いままで、秋朱之介(1903~1997)が装釘したものと気づかなかった本です。
秋朱之介と堀内敬三(1897~1983)の結びつきは、ちょっと想定外でした。 志茂太郎(1900~1980)のアオイ書房の本です。

秋朱之介『書物游記』(書肆ひやね、1988)巻末の荻生孝編「書目一覧」は秋朱之介が関わった本を知る上で、とても重宝する一覧で、わたしもお世話になっていますが、秋朱之介の仕事をすべて網羅しているものではなく、重要な仕事と思われるものが掲載されていなかったりします。
この堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』も掲載されていない秋朱之介装釘本のひとつです。

堀内敬三というと、浅田飴の三男坊、松竹大船の音楽部長、日大教授、NHKラジオ「音楽の泉」の司会など、いろいろな顔がありますが、音楽之友社の創業者でもあり、日本の洋楽移入のキーパーソンです。

齋藤昌三流の「ゲテ装」といってもいいのか、古い反古紙を貼り合わせた表紙で、1冊ごとに趣が違う装釘になっています。

 

堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』「装釘 秋朱之介」

▲堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』では、「装釘 秋朱之介」と堂々と1ページとっています。

 

堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』表紙

▲堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』表紙

 

 堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』凾背  堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』挟み込まれていた題簽

▲堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』凾の背と、挟み込まれていた題簽

 

堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』扉

▲堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』扉

 

堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』目次

▲堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』目次
「序」は野村光一(1895~1988)
「跋」は徳川夢声(1894~1871)の「敬三デッサン」

 

堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』見開き

▲堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』見開き
挿画も堀内敬三。

 

堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』奥付

▲堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』奥付

 

『アオイ書房消息』(昭和十年一月)01

『アオイ書房消息』(昭和十年一月)02

▲『アオイ書房消息』(昭和十年一月)が挟み込まれていました。
堀内敬三随筆珠玉集『ヂンタ以来(このかた)』の広告や、大田黒元雄(1893~1979)の推薦文、恩地孝四郎詩文集の広告や、恩地孝四郎(1891~1955)の「詩文集が出るについて」という文章が掲載されています。

署名原稿以外はアオイ書房の房主・志茂太郎が書いたものと推察されます。
『ヂンタ以来(このかた)』について、「秋朱之介會心の名装。」と書いたり、「著者の風格になぞらへて本文は薄玉上質に新鋳細肉五號活字と云ふカツキリしたエンヂニヤー好み、装釘は其れと對角的な異色ある總和紙装――兩者の對比に一つの効果を狙つた苦吟の作。新菊判凾入。著者自筆の挿画多數。限定壹千部各冊番號入り特製本、發賣元への直接注文に限り著者署名本の御希望に應ず。」と書いたりしていて、秋朱之介の書誌的にも貴重な情報が含まれています。
『ヂンタ以来(このかた)』は「定價 貳圓 送費十五銭。」だったようです。

アオイ書房について、
アオイ書房は、房主年來の書痴高じての餘業也。されば書を作りて米塩のたづきとせんとには非ず、収支もとより顧念のほかにして、ひたすらに良き書を作りて先づ自ら樂しみ、吾が樂しみを天下同好の士に頒たんとのみ。
と書いています。心意気や良し、です。

志茂太郎については、片塩二朗『活字に憑かれた男たち』(朗文堂、1999)に、「変体活字廃棄運動と志茂太郎」という一章があります。

アオイ書房は、恩地孝四郎編輯の書物研究誌『書窓』の版元で、『書窓』は1930年から1944年まで刊行されましたので、1930年前後に「良き書」をつくろうと立ち上げられた小出版社の中では、息の長い版元でした。

秋朱之介も、昭和十年の『書窓』第二巻第一号に堀口大學『季節と詩心』の書評を寄稿していました。『書物游記』に収録されています。
志茂太郎・恩地孝四郎らと秋朱之介は、ほかに接点があったりしたのでしょうか?

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

1983年『From Gardens Where We Feel Secure』

「ヂンタ」ということで、篠田昌已の『東京チンドンVol.1』(1992年)から選ぼうとも思いましたが、最近、思いがけないところで、ヴァージニア・アストレイ(Virginia Astley)の名前を見て、懐かしかったので、
1983年の『From Gardens Where We Feel Secure』を聴き返しました。変わらず気持ちの良い音楽です。

「From Gardens Where We Feel Secure(心から落ち着ける庭から)」という句は、英国の詩人オーデン(W. H. Auden, 1907~1973)が1930年代に書いた詩「A Summer Night(夏の夜)」の一節だと思います。
美しいのですが、1930年代社会の恐ろしい面から目を背けて、自分だけの美しい庭に引きこもってしまうような心をも象徴する詩句でもあります。

写真は、2003年の再発盤CD。新しいジャケット写真は、ヴァージニア・アストレイの撮影です。
春先のブルーベルの群生でしょうか。

 

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207. 2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』 ILLUSTRATED by PETER BLEGVAD(2017年8月17日)

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』

2月のスラップハッピー日本公演の物販で見落としたのか、販売されていなかったのか、そのときには入手することができなかったのですが、昨年暮れから今年3月のスラップハッピーのライヴ活動再開のために準備されていた小冊子をようやく手にすることができました。
文庫本サイズ、90ページほどのかわいらしい本ですが、この手のものがいちばんうれしいです。

バーコードのない本で、400部の少部数の刊行。制作は、コリン・サケット(Colin Sackett)です。

スラップハッピーの歌詞から25の詩句を選んで、それをもとにピーター・ブレグヴァドが誇大解釈的なイラストを描いたもの(1972年に描いたもの1点、2012年に描いたものが20点、2016年に描いたもの4点)と、 スラップ・ハッピーのアルバム『SORT OF』(1972年)と『ACNALBASAC NOOM』(1973年制作・1980年リリース。1974年の『Slapp Happy』収録の「Haiku」も含む)の全詩で構成されています。

 

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』サイズ

▲ポストカードより少し大きい、15×10.5(cm)のサイズ

 

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』の扉

▲『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』の扉
版元は、「An AMATEUR Production」となっています。
ピーター・ブレグヴァドは1970年代から「アマチュア(AMATEUR)」名義でも、作品を発表し続けています。その活動は断片的に知るのみで、その全貌は明らかではありません。それらの作品群がまとめられることがあったら、迷うことなく食いつくのですが。

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』では、本文は手書きのように見えますが、ブレグヴァドの手書き文字を元にして、デジタルフォントを作成し、その書体で組んでいます。書体名も「amateur」となっています。ブレグヴァドならではの書体名です。

約物を含めて、100前後で書体セットが組めるところが、アルファベット圏の人はうらやましい限り。
日本語だと、一つの書体セットをつくるためには、何万もの文字をデザインしないといけませんが、まず、仮名だけでも手書き化する方法もあるのかもしれません。

画文一致スタイルの作品の場合、手書きの文字の存在は重要で、本文も絵もすべて手がきの、たとえば、ピーター・ブレグヴァドやロズ・チャスト(Roz Chast)の作品がなかなか翻訳されないのも、手書き文字の問題があるからなのかもしれません。
彼女/彼の手書き文字を活字化すると、「作品」が違うものになるという印象は否めません。
そういう点で、福音館書店の「タンタンの冒険旅行シリーズ」での大川おさ武・峰村勝子のような書き文字制作陣を準備しないかぎり、ピーター・ブレグヴァドやロズ・チャスト作品の翻訳は難しいのかなと思います。

 

slapp happy ポスター

▲Slapp Happyの3人のサイン入りポスター
しかし、好きなミュージシャンのライヴ会場での物販は、楽しいものです。

 

Slapp Happy トートバッグ01

Slapp Happy トートバッグ02

▲Slapp Happy トートバッグ

 

Slapp Happy 缶バッジ

▲Slapp Happy 缶バッジ

まごうことなき物欲の徒ですが、Tシャツは買うのを、ひかえました。「物欲」は恥ずかしい、という気持ちも残っているようです。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

2016年11月のスラップハッピー活動再開は、新譜のリリースをともなったものではなく、ライヴで演奏された曲もおなじみの曲ばかりでしたが、これは一種のお祭りですから、お祭りに合わせて、スラップ・ハッピーのアルバム『SORT OF』(1972年)と『ACNALBASAC NOOM』(1973年制作・1980年リリース)のアナログ盤も再発されました。
ドイツのTapete RecordsとSlowboy Recordsから2種類のアナログ盤が出ていて、盤自体のプレスは同じですが、パッケージを変えています。Tapete Records盤は500枚、Slowboy Records盤は75枚プレスされたようです。

『ACNALBASAC NOOM』

『ACNALBASAC NOOM』は、ほんと、長いつきあいのアルバムです。
1973年、ドイツのFAUSTの面々をバックに録音制作されたものの、その音源はお蔵入りになって、1974年に再録音したものがVirginレーベルから『SLAPP HAPPY』としてリリースされたのですが、その1973年録音を1980年にRecommended Recordsがリリースしたものが 『ACNALBASAC NOOM』、A面1曲目の「Casablanca Moon」を逆から読んだ言葉遊びのタイトルです。

今度のSlowboy Recordsのアナログ盤再発では、型抜きジャケットになっていたり、メンバーのサイン、ブレグヴァドの刷り物などが付いていて、パッケージもの好きには、うれしい仕上がりになっています。

 

Slowboy Records版『ACNALBASAC NOOM』01

Slowboy Records版『ACNALBASAC NOOM』02

▲Slowboy Records版『ACNALBASAC NOOM』型抜きジャケット

Slowboy Records版『ACNALBASAC NOOM』のサイン01

Slowboy Records版『ACNALBASAC NOOM』のサイン02

▲Slowboy Records版『ACNALBASAC NOOM』のサイン
アンソニー・ムーア、ダグマー・クラウゼ、ピータ・ブレグヴァドのサインと、ドイツ・イギリス公演でリズム隊だったFAUSTのメンバー、Jean-Hervé Peron と「Zappi」こと Werner Diermaierのサイン。

ブレグヴァドのイラスト17

▲ブレグヴァドのイラスト。Slowboy Recordsのアナログ再発盤には、2枚ずつ、ブレグヴァドのサイン入りイラストがついていました。
イラストは『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』に収録された25作品から選ばれていました。
詩の手書き文字は、新たに書き起こしたもので、『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』のデジタル手書きフォントとは違えています。

ブレグヴァドは 『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』のはしがきで、エズラ・パウンドの用語「phanopoiea」――「a casting of images upon the visual imagination(視覚的想像からイメージを形づくること― 読者の心に目に見えるようにすること)」――や、修辞学用語の「ekphrasis」――美術作品に描かれた事物を微に入り細にわたって活写すること――を使って、詩のことばをイラストにすることを説明しようとしています。
そして、作者の図像化が唯一の描写でなく、読者の数だけ、描写があるのだと、視覚的な想像力に基づいて言葉や音楽からイメージされたものを具体的に描写する試みを推奨しています。

一方で、生真面目に描写することで、生まれてしまう齟齬・笑い・怖さをねらっているようでもあります。
その技法が見返りの多いものなのか、ただの徒労に終わるものなのか、意見の分かれるところですが、ブレグヴァド流の「A=B」にしようとして「A≒B」「A≠B」になってしまう世界に入るための準備運動のようなイラストです。

 

Slowboy Records版『Sort Of』01

Slowboy Records版『Sort Of』02

▲Slowboy Records版『Sort Of』のジャケットも、ジャケットの素材や箔に工夫をこらしています。これも楽しい再発盤でした。

一方、Tapete Recordsの再発アナログ盤は、サインやアートプリントなどはついていませんが、CDが付録になっていました。
Tapete Records直販だと、最初の100枚にアルバムジャケットの20センチ角のプリント(100/100方式のナンバリング入り)がおまけでついていました。

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206. 1931年の佐藤春夫『魔女』(2017年7月25日)

1931年の佐藤春夫『魔女』

本屋さんの棚の前をぶらぶら見ていたら、川村伸秀『斎藤昌三 書痴の肖像』(2017年6月、晶文社)という新刊書がありました。読みたい類の本です。値段をみると、税込みで5940円です。ちょっと考えます。
索引があって、そこに秋朱之介や西谷操の名前があったら、買うのもやむを得ないかなと思って見てみると、残念ながら、秋朱之介や西谷操の名前はありません。今回は保留です。
索引から、佐藤春夫について書かれたページをのぞいてみると、斎藤昌三と佐藤春夫の、永井荷風の本をめぐる諍いについて、書かれています。面白そうです。しかし、今回は保留と、棚から離れました。 こういう本をぽんぽんと躊躇せずに買えるようになりたいものです。

横浜の五十沢二郎のやぽんな書房に居候していた秋朱之介が、居候のまま、個人出版所「以士帖印社(エステルいんしゃ)」を立ち上げ、昭和6年(1931)に上梓した佐藤春夫『詩集 魔女』には、斎藤昌三をはじめ、川上澄生、神代種亮といった人たちが関わっています。

川村伸秀『斎藤昌三 書痴の肖像』にそのことが言及されていないかと期待したのですが、そこには踏み込んでいないようです。もちろん、まだ立ち読み程度なので、ちゃんと読んだら、斎藤昌三と以士帖印社との関わりが書かれているのかもしれません。

写真の佐藤春夫『詩集 魔女』の外箱は、これとは別に、川上澄生が装幀したものがあります。箱付きなら、そちらのほうが、断然いいです。

佐藤春夫著『詩集 魔女』表紙紅玉

▲以士帖印社の讀書家版『詩集 魔女』は、表紙に紅いガラス玉が埋め込まれているのが特徴なのですが、手元にあるのは、ガラス玉がとれていたので安かった本です。
試しに5ミリ径のガーネットをはめ込んでみたら、うまく収まったので、仮に入れています。
そのときに、気づいたのですが、ガラス玉をはめ込む穴の部分に金箔の跡がありました。秋朱之介は、紅いガラス玉で、文字通り「金赤」の効果をねらっていたのかもしれません。

昭和7年(1932)9月10日發行の庄司淺水編輯兼發行の書物誌『書物趣味』(ブックドム社)に 、秋朱之介の「特殊出版に關するノート」という寄稿があります。
私の過去の作品として葬つて了ひ度い二つの作品」として池田圭著『詩集 技巧』と佐藤春夫著『詩集 魔女』をあげて、語っています。

佐藤春夫著『詩集 魔女』について、次のように書いています。

一、詩集魔女 佐藤春夫著
讀書家版、本文用紙りうさん紙、
この紙を使つたのは失敗だった。紙がすき通つて見える、インクがかわかない、いやな匂がする、之で一つの參考になつた事は全然水分を吸引しないこの紙に天に銀をつけることに成功したことだつた。普通のやり方ではこの紙には天に銀がつかない。それから表紙に赤い石を入れたこと、この石がまたあらびやのりや、にかはではつかない。之は三菱ののりで菱光グリユーといふのを使った。
局紙版は脊に蛇皮を使った。之は金屬表紙(表紙を銅、しんちゆう、といつた金屬の板に模様を加工する)にする筈だつたが都合で中止した。

また、 「それから前に本に石をつける事について書いたが、どんないいのりを使用するにしても直接皮又は布装の本にのりで石をつけてはならないと思つてゐる。石はやはり熟練した寶石屋に金屬の臺で石をつゝませるやうにして作らすべきだ」とも書いていて、紅ガラス玉のはめ込みには苦労したようです。1000部の讀書家版に、一つ一つはめ込むのも、たぶん秋が一人でやったのではないかと思います。

本文用紙に使われた硫酸紙は、今で言うクッキングシートやトレーシングペーパーのような紙です。インクがのりにくい紙です。秋も硫酸紙を使ったことは失敗と感じていたようです。ただ、ほかにない本をつくろうという意気込みは強く感じられます。

 

佐藤春夫著『詩集 魔女』扉

▲佐藤春夫著『詩集 魔女』扉
挿画は川上澄生。

 

佐藤春夫著『詩集 魔女』見開き

▲佐藤春夫著『詩集 魔女』の見開き
川上澄生の挿画。

 

佐藤春夫著『詩集 魔女』から

▲佐藤春夫著『詩集 魔女』から
秋朱之介の文章では、「こぞの雪いまいづこ」がよく使われます。
秋にとって、もっとも「詩」を喚起することばだったのかもしれません。


佐藤春夫著『詩集 魔女』装幀挿画

▲装幀 秌朱之介(『詩集 魔女』では「秌朱之介」と「秋朱之介」の表記が共存しています)
 挿畫 川上澄生
『詩集 魔女』の後、秋朱之介は、川上澄生と本を作っていません。
創作上か金銭上か分かりませんが、何かしらの行き違いがあったのかもしれせません。

 

佐藤春夫著『詩集 魔女』讀書家版初版限定壹千部嚴守證

▲佐藤春夫著『詩集 魔女』讀書家版初版限定壹千部嚴守證
佐藤春夫・齋藤昌三・秋朱之介・神代種亮の名前が並んでいます。
挿画は川上澄生です。

 

讀書家版初版限定壹千部嚴守證奥付

▲佐藤春夫著『詩集 魔女』奥付
戦前の地図で、横浜に「本牧宮原八九九」が存在することは確認できましたが、それが現在の本牧宮原のどこにあたるかは分かりません。

【2017年11月8日追記】
昭和8年(1933)の斎藤昌三「書物装幀縦横談」〈『改造』昭和8年5月号、斎藤昌三『閑板 書国巡礼記』(書物展望社 昭和8年12月29日発行)、斎藤昌三『閑板 書国巡礼記』(平凡社東洋文庫639、1998)〉に、 次のような記述がありました。

  目先きの異った材料を活用したもので、今思い出せるものでは、白秋氏の『わすれな草』(大正四年)である。初版は総ナメシ皮装幀で外凾にも意匠を凝らした美本であったが、豪華版はそれに宝石を嵌込んで、一冊八十円とか広告したことを記憶している。当時は白秋熱の盛んな時代で、どうかと案じられたこの宝石本も二冊かの申込みが婦人のファンから出たと聞いたが、不幸にして実物を見る機会がなかった。これを模倣したものでもなかろうが、昨年佐藤春夫氏の詩集『魔女』を秋朱之介が装釘して四十七部限定で出したことがあった。新四六判で、初版の失敗を埋合せた作だが、背を南洋の蛇皮で包み、反面にグロテスクな龍人を描き、龍の眼に宝石を嵌入したもので、これは昭和七年の装釘界に異色のある物だ。

斎藤昌三のなかでは、この昭和6年(1931)の讀書家版は、失敗した初版という評価のようです。

 

『改造』1931年7月号表紙

▲『改造』1931年7月号表紙
佐藤春夫『詩集 魔女』は以士帖印社から刊行される前、改造社の総合誌『改造』1931年7月号に掲載されています。

 

『改造』1931年7月号目次

▲『改造』1931年7月号目次

 

『改造』1931年7月号奥付

▲『改造』1931年7月号奥付
編輯發行兼印刷人は山本三生。改造社の経営者、山本実彦の弟です。
どういう経緯で「詩集 魔女」が『改造』誌に一挙掲載になったのか、その経緯は分かりませんが、山本兄弟も秋朱之助も、鹿児島の川内出身ですので、縁を感じます。

 

『詩集 魔女』の出版の経緯については、佐藤春夫の書簡という貴重な資料が残されています。
『底本 佐藤春夫全集』第36巻(2001年6月、臨川書店)に、昭和6年の『魔女』出版に関わる、佐藤春夫の秋朱之介宛て書簡が収録されています。
 昭和6年2月11日 秋朱之介宛
 ■昭和6年2月26日 秋朱之介宛
 昭和6年3月1日 秋朱之介宛
 昭和6年3月5日 秋朱之介宛
 昭和6年4月13日 秋朱之介宛
 昭和6年4月17日 秋朱之介宛
 昭和6年9月30日 秋朱之介宛
 昭和6年10月27日 秋朱之介宛
横浜の佐藤春夫研究家・牛山百合子が所蔵していたもので、これに対応する秋朱之介の書簡が存在するのであれば、読んでみたいものです。

今まで、秋朱之介の書簡を読んだことはないのですが、秋朱之介は、すばらしい手紙の書き手だったのではないかという、そして、秋朱之介の出版の仕事は、その「手紙」の力が大きな推進力のひとつだったのではないかという、確信のようなものがあります。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ものんくる『世界はここにしかないって上手に言って』

ものんくる『世界はここにしかないって上手に言って』(Taboo、2017年)から

「ここにしかないって言って」

を。今年の夏はこのアルバムで決まりでしょう。
ヒットするものとは無縁のたちですが、ものんくるのようなグループには、 この夏あちこちで聴いたとか、2017年の夏は、この曲で思い出されるという、そういった「はやり歌」になってほしいと願わずにいられません。

 

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205. 1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ(2017年6月27日)

1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ

使っていたパソコンがビープ音を鳴らして起動しなかったり、作業中に突然ブルースクリーンになったりして、挙動不審になっていたので、パソコンを入れ替えてWindows10へ切り替えました。
使っている機材やソフトはXPや7のものですが、Windows10の環境でも問題なく動いていて、前のパソコンでできていたことは全部できているので、とりあえずひと安心です。

 ***

ミュージシャンのクリス・カトラー(Chris Cutler)が編集していた音楽誌『Rē Records Quarterly』の予約購読者には、 毎号「おまけ」があったようです。
中古で『Vol. 1 No. 1』の予約購読者版を入手することができました。上の図版がその「おまけ」です。

『Vol. 1 No. 1』の「おまけ」は、John Greaves, Peter Blegvad, Lisa Hermanのアルバム『KEW. RHONE.』(1977年、Virgin)のA面6曲目に収録されていた「Catalogue of Fifteen Objects & Their Titles」〔「15のオブジェの目録と、そのタイトル」〕の図解です。絵やテキストは、ピーター・ブレグヴァドの手になるものです。

「Catalogue of Fifteen Objects & Their Titles」、作詞はピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)、作曲はジョン・グリーブス(John Greaves)です。

この図版は、2014年に刊行された『KEW. RHONE.』(Uniformbooks)本にも収録されていますが、2014年版では、テキストが手書き文字でなく活字化されているので、この1985年「おまけ」版のほうが好ましいです。

 

図版があると、視覚的想像力は限定されてしまいますが、この「おまけ」の図版で、ブレグヴァド本人の考え方を知ることはできます。
「15のオブジェの目録」の詩は、この図版オブジェを観察して文章化した「15のオブジェの目録」で始まります。

「Catalogue of Fifteen Objects & Their Titles」(「15のオブジェの目録と、そのタイトル」)の詩は、レイモン・ルーセル流というかルイス・キャロル流というか、言葉遊び要素も自在に含んで、訳を試みるにも繊細で大胆な言語感覚が必要と思われますが、これがちゃんと曲になっているところが楽しいです。
以下の〔 〕内の試訳は、あくまで参考までにということで、不手際はご容赦ください。

Catalogue of Fifteen Objects〔15のオブジェの目録〕

1. Cylinder of dust〔ちりあくたのシリンダー〕
2. Salt cross with a crust of iodine〔ヨードチンキのかさぶたのまじった塩の十字〕
3. Plank of pine〔松の板〕
4. Loaf of rust〔錆の塊〕
5. Hollow cone of tobacco which contains a tin coin〔ブリキの貨幣を含むタバコの円錐〕
6. Pillar of yeast in linoleum jacket〔リノニウムで包んだイーストの柱〕
7. Circular puddle of yogurt and neon〔丸い水たまり状のヨーグルトとネオン〕
8. Arrow of ice wrapped in surgical gauze〔外科用ガーゼで包んだ氷の矢〕
9. Coin stacks, several columns - voltaic piles of gold plated bamboo〔積み上げた貨幣、いくつかの列 - 金メッキされた竹のボルタ電堆〕
10. Water in a bakelite box, and a box full of oil〔ベークライト樹脂の箱に入った水と、油でいっぱいの箱〕
11. A yolk of leather in a tobacco egg〔タバコでつくった卵のなかの皮革の卵黄〕
12. Citronella spilled in a spiral upon a blanket of fat〔脂肪の毛布に上に螺旋状にまかれたシトロネラ草〕
13. Mixture of paregoric and dew in a creosote cone〔タールのコーンのなかの鎮痛剤と露の混合〕
14. A disc of wicker beside a pill of zinc〔亜鉛の丸薬のかたわらに小枝で編んだ円盤〕
15. Figure made of two copper pyramids glued base to base with sap〔底部同士を接着した2つの銅製のピラミッドでできた形〕

... and Their Titles〔そしてそのタイトル〕

1. “Silo” 〔サイロ〕
2. “Referee”〔審判〕
3. “Threshold” (meant to be flat on the floor, part of a door none can see)〔閾(床の上に平らであるように意図され、ドアの一部は誰も見ることができない)〕
4. “Altar from a Metal Cathedral”〔メタル大聖堂の祭壇〕
5. “Dunce's Trumpet” (for V.)”〔のろまのトランペット(Vに)〕
6. “Dry Cell”〔乾電池〕
7. “Lunatic Mirror”〔月酔いした鏡〕
8. “Signal From a Memory”〔記憶からの合図〕
9. “Ladder of Kings”〔王たちのはしご〕
10. “Ransom to Secure the Release of a Mother and Child”〔母と子の解放の担保となる身代金〕
11. “October Seventh”〔10月7日〕
12. “My Uncle's Monocle”〔ぼくのおじさんのモノクル〕
13. “Fuel for a Tiny Machine”〔ちっちゃい機械のための燃料〕
14. “Two Equivalent Forms”〔2つの同等の泡のようなフォルム〕
15. Quote from Swedenborg to the effect that angels fucking shed light〔まぐわう天使たちは光を放つといった内容のスヴェーデンボルグの言葉〕

ピーター・ブレグヴァドの図解は、「タイトル」とは何か、「もの」とは何か、思考の旅へいざなう道案内になるのかもしれません。
ときには、ラブソングではない、こういう「ポップ・ソング」も聴きたくなります。

ピーター・ブレグヴァドは、『KEW. RHONE.』本で、この詩に関連して、「もの」と向き合うときの3つの方法について書いていました。

1. Consideration - the object Observed (Nomen)
〔考察 - 観察された「もの」(ノーメン=名前・呼称〕

2. Association - a magnet for Memory (things it resembles, or ‘rhymes' with) (Omen)
〔結合 - 記憶のための磁石(似ているもの、または「韻を踏む」もの)(オーメン=前兆・予言) 〕

3. Fascination - the object Imagined (Numen)
〔魅力 - 想像された「もの」(ヌーメン=精霊・守護神)〕

ちょっと神秘主義的な発想をしていますが、ピーター・ブレグヴァドには、この考えをさらに敷衍した「Imagined, Observed, Remembered」(想像されたもの、観察されたもの、思い出されたもの)というイラスト作品群があります。ひとつの「もの」を「想像されたもの」、「観察されたもの」、「思い出されたもの」の3通りで表現して、その不一致から生まれる笑いやアイデアを味わう、ちょっとした「頭の体操」みたいなシリーズになっています。
2008年に『IMAGINE, OBSERVE, REMEMBER』(Warwick University)というタイトルで、80ページほどの小冊子も出しています。

その『Imagined, Observed, Remembered』ですが、Uniformbooksが今年の暮れに出すと刊行予告をしていました。
これまでの集大成になるのか、新たな版が楽しみです。

 

1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのクリス・カトラーからのあいさつ

▲1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのクリス・カトラーからのあいさつ。前の所有者のお名前はモザイク化しました。
「the Historical Volume I No.I」と意気込んでいます。

『Rē Records Quarterly』の予約購読者向け「おまけ」の全貌が知りたいものです。ブレグヴァドの刷り物のようなものが続いていたのであれば、見ておきたいものです。全部そろえている方、どなたか公開してくださらないものでしょうか。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ニュースで、蓮実重臣さんが亡くなったことを知りました。1967-2017。

棚から、CDを引っ張り出して聴いています。

蓮実重臣『ささめきおと』(ブラインドドッグ、2009年)

▲まずは、蓮実重臣名義の作品『ささめきおと』(フライングドッグ、2009年)。テレビ東京系アニメーション『ささめきこと』のサントラです。
恥ずかしながらアニメは未見なのですが、このアルバムは、ほんとうにすてきで、思い出したように聴いていました。こういう音楽をもっともっと世に送り出していくのだと思っていました。

 

1995年PACIFIC 231『HAVE A NICE TRIP!』

▲さかのぼって、1995年のPACIFIC 231のシングル盤『HAVE A NICE TRIP!』(Transonic Records)
Pacific 231 の1996年のシングル『Tropical Songs』(Zero Gravity)は持っていないのですが、1997年のアルバム『Tropical Songs Gold』(Transonic Records)は、探せば出てくるはず。どこに迷い込んだのでしょぅ。

 

Pacific231 1997年のアルバム『Tropical Songs Gold』

▲Pacific231のアルバム『Tropical Songs Gold』(Transonic Records、1997年)
やっと出てきました。きちんと整理していないので、捜し物が年々むずかしくなってきています。
アルバム1曲目の「TRAVELING 231」を久しぶりに聴きました。緩やかにはじまり、少し不穏な気配もある、旅する音楽。
旅する音楽といえば、Slapp HappyやPeter Blegvadが歌う「Let's Travel Light」という歌があります。
身軽で穏やかな旅路であることを祈らずにはいられません。
見送るわたしたちは「よい旅を」とつぶやくばかりです。
[2017年7月9日追記]

 

Pacific 231 の『Miyashiro』

▲ Pacific 231 の『MIYASHIRO』(Daisyworld Discs、1998年)
ここでは、Glenn Miyashiro(1899-1967)を演じていますが、ことしはGlenn Miyashiro没後50年の年でもありました。

 

Pacific 231 『アカルイミライ(Bright Future)』

▲Pacific 231 『アカルイミライ(Bright Future)』サントラ盤(Uplink Records、2003年)

 

『Penguin Cafe Orchestra - Tribute』

▲『Penguin Cafe Orchestra - Tribute』(Commons、2007年)から
蓮実重臣「Penguin Cafe Single」

 

『細野晴臣ストレンジ・ソング・ブック』

▲細野晴臣へのトリビュートアルバム『細野晴臣ストレンジ・ソング・ブック』(Commmons、2008年)のDisk2から
坂本美雨+蓮実重臣「銀色のハーモニカ」

 

岡村みどり『ブルースでなく』

▲岡村みどり『ブルースでなく』(OUT ONE DISC、2010年)から
岡村みどり+蓮実重臣「ハスミントルゲ」。
この二人の組み合わせだと、映画『私は猫ストーカー』(2009年)の主題歌「猫ストーカーのうた」もありました。CDやレコードはなくて、配信だけのようです。

 

『21世紀の京浜兄弟者 - History of K-HIN Bros. Co. 1982~1994』

▲あるいは、このまま京浜兄弟社のボックス『21世紀の京浜兄弟者 - History of K-HIN Bros. Co. 1982-1994』(SUPER FUJI DISCS、2015年)になだれこんで、帰れなくなるか。

 

タンタンの冒険旅行17『オトカル王の杖』

▲福音館書店版、エルジェ作・川口恵子訳、タンタンの冒険旅行17『オトカル王の杖』(1999年)の付録『TiNTiN TiMES(タンタン タイムズ)』第14号で取り上げられていて、晴れがましい感じだったのもよかったです。
その記事「タンタンのかげの仕掛け人ヴァン=メルクベーク氏って何者だ?」で、母方の祖父ジャック・ヴァン=メルクベーク(Jacques van Melkebeke)を語る蓮実重臣から、蓮實重彦『反日本語論』のなかで1940年初版の『タンタン』を読んでもらっていた少年が思い出されました。

 

蓮實重彦『反日本語論』

▲蓮實重彦『反日本語論』(筑摩書房、1977年)の少年は、旅立ちました。

その音楽が記憶され、人の心に寄り添い続けることを祈ります。

 

改めて、蓮実重臣『ささめきおと』から、「一日が終わりました」を。

 

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204. 1985~1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1』(2017年5月28日)

Rē Records Quarterly Vol. 1 No.1 back

ミュージシャンのクリス・カトラー(Chris Cutler - ドラムス奏者としては、その演奏を見た人が、いったい幾つ手があるんだ、まるでタコのようだ、とつぶやいてしまうような技巧の持ち主です。確かタコ状のクリス・カトラーを描いたイラストを見た記憶があります。)が主宰する音楽レーベル Rē Records(「会社」組織ではありません。正確には、自分関連の作品をリリースする Rē レーベルと自分以外の作品をリリースするRecommendedレーベルがあって、のちに2つを合体してReRレーベルになるので、ややこしいです。総称して「レコメン系」と呼ばれたりします)が出していた「Record Magazine」です。雑誌のほうの版元名は「November Books」となっています。

写真は『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』の裏ジャケです。「Quarterly」というと、年4回の季刊ですが、「Rē Records Quarterly Vol. 1」は1985年5月の第1号から1986年5月の4号まで、4号刊行されました。
その後も不定期刊行になりますが、1997年まで続きました。
Rē Records および Recommended Recordsは、現在は「ReR Megacorp」の名前で活動を続けています。

雑誌付きLPレコードというか、LPレコード付き雑誌で、LP1枚とA4サイズの雑誌(40~60ページぐらいで、誌名を変えた最後2冊は100ページを超えます)で、アルバムジャケットをシルクスクリーンで印刷していたのが特徴でした。通常の印刷とは発色や質感が違うので目立ちました。「シルクスクリーン印刷の性格上2000部ぐらいが限度だったと思います。
予約を集めてつくるというかたちは、秋朱之介の本づくりとも近いのかもしれません。

ミュージシャン直販のような形を目指していて、「Vol.1 No.1(第1巻第1号)」は2000部制作され、うち100部がプロモーション配布用、500部が通販の予約購読者向け、1400部が通常の販売ということだったようです。
予約購読者には、チラシや小冊子、カセットのおまけがついていたようです。おまけの全体像を知りたいところです。

全体に「アマチュア」が作った雑誌という印象があって、シルクスクリーンも学生がつくった学園祭の刷り物のようなDIYな感じが強くあります。そこが雑誌の基本姿勢だったのだと思います。

最初の1号と2号は当時購入していましたが、ほとんどを中古盤で入手。ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)がよく寄稿していて、それを読みたいというのが、改めて集めはじめた理由でした。

 

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』ジャケット表

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』(雑誌の表紙に1985年5月1日の日付)表ジャケット
表ジャケットのアートワークは「X(our nativity)」。誰でしょう。
シルクスクリーン印刷は、1号から4号まで表裏ともに、Third Step Printworks。
レコメンデッド・レーベルのご近所にあった印刷工房で、輸送費はかからなかったようです。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』ジャケット裏

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』裏ジャケット
裏ジャケットのアートワークは、1号から4号まで、Graham Keatley。初期のレコメン系の印刷物でよく見た名前です。
「This is the Historical Volume I No. I」と書き込まれています。意気込みを感じます。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』LPレコード・レーベルA面

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』LPレコード・レーベルB面

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』LPレコード・レーベル面
レーベル面のアートワークは、1号から4号までクリス・カトラー。
レコードのカッティングやプレス作業は、「Statune(またはStatetune)」というところで、やっています。レコメン系のレコード以外では見かけないプレス工場です。クリス・カトラーの希望は「Nimbus」でプレスすることだったようですが、予算の都合で、 「Statune(Statetune)」が選ばれたようです。とはいえ、LPを聴くかぎり、いいプレス工場だと思います。

次号の『Vol.1 No.2』に、『Re Records Quarterly Vol.1 No.1』の制作費明細が掲載されていました。

(1) レコード: 2000枚を制作。「カッティング、プロセシング、プレス、ラベル」作業をSTATETUNEに依頼。£1428。1枚当たり71.5p。
NIMBUSからの見積もりは£1835で、この『Rē Records Quarterly』プロジェクトでは予算オーバーと判断したようです。
さらに、A面をCBSでリカットしたので、£69追加で。
1枚当たり74pに。

(2) カバー:  『Re Records Quarter』のアルバムジャケットの特徴のひとつがシルクスクリーン印刷。
紙代・インク代もろもろで£1040。
1枚当たり52p。
ここはゆずれなかったようです。

(3) 雑誌:  (1)レコード代・(2)カバー代と合わせて、£4334。
雑誌1冊当たり83p。
制作実費が1セットあたり£2.165。

(4) 稿料・スタジオ代などの支払いが、£1410で、1セット当たり70.5p。
制作実費と合わせて、1セットあたり£2.82。

(5) 100セットはメディアなどに試聴用として配布するので、実際に販売するのは1900セット。
これで、1セットあたりの単価£2.95。
制作部門は、配給部門に£3.25で卸す。

こういうふうに、隠さないのも、レコメン系の「姿勢」でした。
1セットの販売価格はいちおう£6.5。
1985年は、£1=300円ぐらいでした。

 

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』雑誌表紙

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』雑誌表紙
1号から4号まで、雑誌の表紙イラストは、Jane Colling。
雑誌1号の印刷は、Image Print Resources。これもレーベルのご近所にあった印刷工房のようです。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』雑誌目次

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』雑誌目次
Peter Blegvadは、1977年のJohn Greavesとの共作『Kew.Rhone.』(Virgin)についてのテキストを寄稿。
予約購読者へのおまけも『Kew.Rhone.』がらみの刷り物「Catalogue of Fifteen Objects & Their Titles」でした。
そのテキストと絵自体は、2014年にUniformbooksから出た『Kew. Rhone.』本に収録されたので、手軽に見ることができるようになりました。

 

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』ジャケット表

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』(雑誌の表紙に1985年9月1日の日付)表ジャケット
日本のレコードのように帯がついていたと思います。
アートワークは「X (43)」。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』LPレコード・レーベルA面

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』LPレコード・レーベルB面

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』LPレコード・レーベル面

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』雑誌表紙

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』雑誌表紙
『Vol.1 No.2』ですが、表紙には『Vol.2 No.2』と書かれています。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』雑誌目次

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 2』雑誌目次
Peter Blegvadは「On Numinous Objects and Their Manufacture」というイラスト入りテキストを寄稿。

 

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』ジャケット表

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』(雑誌の表紙に1986年1月1日の日付)表ジャケット
日本のレコードのように「obi」付きです。
アートワークはX (43)。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』ジャケット裏

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』裏ジャケット

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』LPレコード・レーベルA面

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』LPレコード・レーベルB面

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』LPレコード・レーベル面

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』雑誌表紙

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』雑誌表紙

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』雑誌目次

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』雑誌目次
Peter Blegvadは、「Shakespeare Traces」というテキスト・イラストを寄稿。
ブレグヴァドのソロアルバム『Naked Shakespeare』(1983年、Virgin)のタイトル曲のために作られたスライド映像のような図像群。

 

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』ジャケット表

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』(雑誌の表紙に1986年5月1日の日付)表ジャケット
アートワークが、「EMT」に変わりました。「E. M. Thomas」の略のようです。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』ジャケット裏

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』裏ジャケット

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』LPレコード・レーベルA面

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』LPレコード・レーベルB面

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』LPレコード・レーベル面

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』雑誌表紙

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』雑誌表紙
雑誌の印刷は、BrixtonのFly Press。

『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』雑誌目次

▲『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 4』雑誌目次
Peter Blegvadは、「Impressions of Africa」と「Arachnida」というイラストを寄稿。
また、この号にはグリル・マーカス(Greil Marcus)も寄稿しているのですが、そのイラストは、幸村真佐男が1968年に制作した初期コンピューターグラフィック作品「Running Cola is Africa !」をもとにしたもので、たぶんブレグヴァドの手になるもののような気がします。

『Vol. 1 No. 4』はちょっとした日本特集で、LPの目玉は、After Dinnerの1986年2月2日大阪でのライブ音源。
雑誌でもその録音を担当した Yashushi Utsunomiya(宇都宮泰)の寄稿「After Dinner's Concert Sound System」があり、Charlie Charlesによる「はにわちゃん」の仙波清彦インタビューも掲載されています(写真で浴衣姿の小川美潮が写っています)。
通訳は、Shigemasa Fujimoto(藤本成昌)。XTCやロバート・ワイアット本の翻訳や『WONDERLAD - XTC DISCOGRAPHY』『XTC Chronology 1966 - 1999』でおなじみの方です。

そういえば、 『Vol. 1 No. 1』のニュース欄で、日本から届いたものとして、「A-MUSIK」や「LACRYMOSA」の名前が挙げられ、日本への関心も最初から高かったようです。『Vol. 1 No. 1』では、届いたものの英語で読めるのが「HAPPY END」という文字だけで、女性4人組、Fred Frithプロデュース(実際はMix)のLPも紹介されていました。これは難問の音楽クイズになりそうです。

答えは、水玉消防団の1985年作品『満天に赤い花びら』で間違いないと思います。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

テニスコーツ(tenniscoats)の『Music Exists』

宇都宮泰の最近の仕事の一つ、テニスコーツ(tenniscoats)の『Music Exists』disk1(2015年)~disk4(2016年)連作から
『disk4』収録の「月の音」を。

ブレグヴァドのような言葉遊びということなら「にたものどうし」もいいかもしれません。

disk1(2015年)disk2(2015年)disk3(2016年)では
RC mastered by y.utsunomia
        studio hamano (M.U.E.Lab.)

disk4(2016年)では、
recorded, RC mastered by y.utsunomia

とクレジットされていました。「utsunomiya」でなく「utsunomia」で表記されているのですね。
「RC」はリコンストラクション(再構築)の意味だそうです。

宇都宮泰のかかわった音は、 ぼんやり風にあたるように聴いてもいいのですが、音ってなんだろう、録音でいい音をとるってどういうことだろうと、思考を誘うところもあります。

いい音です。

 

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203. 1932年の池田圭『詩集技巧』(2017年4月27日)

1932年の池田圭『詩集技巧』表紙

手元にある池田圭『詩集技巧』は、えび茶色の外箱もなく、中扉がひとつ無くなっている落丁本で、状態もよくありませんが、なかなか見かけない本ですので、写真をあげておきます。 上製(愛藏家版)と並製(讀書家版)の二種ありますが、こちらは並製のほうです。

秋朱之介(1903~1997)が、横浜の五十澤二郎のやぽんな書房に居候していた頃に始めた以士帖印社(エステルいんしゃ)で出した出版物のうち、昭和6年(1931)春の秌朱之介編輯月刊襍志『以士帖』(このときは「秋」ではなく「秌」の字を使っていました)と昭和6年10月刊行の佐藤春夫の詩集『魔女』 讀書家版(昭和7年5月に愛藏家版を刊行)に続いて刊行した自費出版の詩集です。

このあと、以士帖印社は自然消滅して、 昭和8年(1933)には書林オートンヌを立ち上げ〔オートンヌ(automne)は、フランス語で「秋」という意味で、まさに秋流の洒落です〕、日夏耿之介訳の『大鴉』を準備しますが、この企画は流れてしまいました。
その後、昭和8年夏、三笠書房の創設と共に、『書物』誌編集をまかされることになります。

著者の池田圭は、オーディオ研究家にして、第一書房本の収集家だった池田圭(1912~2001)と同一人物だと思われます。オーディオ研究家の池田圭が『詩集技巧』について言及したものをまだ見たことがありませんので、同姓同名の別人の可能性も否定もできませんが。

『詩集技巧』巻末の書目に「池田圭著 第二詩集書名未定」とありますが、その後、秋朱之介の手で池田圭の第二詩集が刊行された形跡はありません。また、秋朱之介が三笠書房在籍時に主宰した、日本限定版倶楽部の名簿に載っていそうな人物でもありますが、池田圭の名前は見当たりません。


池田圭の『音の夕映』(1979年、ステレオサウンド) に収録された「音の夕映」冒頭に、

 僕は幼にしてレコード音楽に戯れ、七十歳に垂んとすると雖も猶倦ない。稍々長じて暫くは絵を眺め、或いは詩文を読んで陶然としていた一時期もあった。歓を求めて銀座街に通うことを日課としたのは二十代を少し過ぎた頃からであった。人々はこの様な僕を放蕩無為の徒として嘲笑した。その中にあって僕を人並に扱って呉れたのは淪落の女達であり、由それが上面だけであろうと利に聡い商人達であった。

とあります。
『詩集技巧』は、「詩文を読んで陶然としていた一時期」につくられ、「淪落の女達」との交情を主題にした12編の小詩で構成された詩集ともいえそうです。

庄司淺水編集の『書物趣味』(昭和7年9月10日発行、ブックドム社)で、秋朱之介は「特殊出版に關するノート」という文章を寄稿し、本づくりの理想や自らの以士帖印社の本について語っています。
そのなかで、池田圭の『詩集 技巧』について、次のように述べています。

 去年の暮から今年の春にかけて私は二冊の本を出版した。一は佐藤春夫氏の『魔女』であり、一は池田圭氏の『技巧』といふ詩集である。この二冊の本は一寸も私を喜ばせてくれなかつた。私は大變、憂鬱になつて了った。どうしてでせう。作品、(私の仕事)が私に辯解させやうとしてるからである。たとへば、金がなかつたの、材料が買へなかつたの、時日がなかつたの、製本や印刷屋が下手だつたの、著者が私の仕事に口出ししたの、と、こんなことは云ふ方でも、聞かされる方でも大變不快な事です。それに不快な氣持では私には仕事は出來ない。私のいふ仕事とは、藝術家が藝術品を創作するといふことである。私にとつて出版は藝術である。

 詩集技巧 池田 圭著
 之は自費出版の本で上製並製二種、並製の特殊な點、この本では本文を鳥の子紙、扉を玉牋紙表紙を墨流しにして背を青い皮にした。
 そして題の一、を桃色 二、を紫 三、を青色(作品によつて色を定めた)とし本文を黑にした。綴糸は三味線の糸で花切は紫羽二重に元結を芯にしてつくつた。筥は海老茶の艶紙をはった菓子筥、この本では扉の色刷と扉の前に雲龍紙を使つた事及天金、製本等が失敗だつた。香水はローヤルシクラメシをかけた。上製は表紙を總皮にしてあり合せの金版をおした。こんなことをするのはよくないことである。あまり高價で思つたやうな純白の皮が買へず、また金版が作れなかつた。そのため小羊の皮を裏返しにして使つた。本文は宣化貢紙といふ紙を使った。本文は古代鳥の子、本の大きさは正四角より心持天地に長く、大版、厚さ約三分、並製。

自分に厳しい求道者的発言とも言えるのですが、「この二冊の本は一寸も私を喜ばせてくれなかつた。私は大變、憂鬱になつて了った。」 とか「この本では扉の色刷と扉の前に雲龍紙を使つた事及天金、製本等が失敗だつた。」 と本の作り手に書かれてしまうと、自費出版の依頼者・池田圭としては、この人物とどう付き合おうか考えてしまうことになりそうです。そうしたことも、『詩集技巧』出版後、秋朱之介と池田圭の関係が続かなかったことの理由のようです。

詩集『魔女』の制作に始まった秋朱之介と佐藤春夫の関係は、その後も続きますが、昭和11年の『霧社』(昭森社)刊行後、ケンカ別れみたいな形になったようです。
昭和23年(1948)、堀口大學にあてた書簡で佐藤春夫は「書物を造る事にかけては狂的な朱秌之介人物」という表現を使っています。本づくりにのめり込む人物の典型として秋朱之介の存在は佐藤春夫の心に残り続けたようです。名前を書き間違えているところは、ご愛敬ですが。

 

池田圭『詩集技巧』の扉

▲池田圭『詩集技巧』の扉

 

池田圭『詩集技巧』の奥付

▲池田圭『詩集技巧』の奥付
昭和6年に「秌」だったものが昭和7年には「秋」になり、横浜で立ち上げた以士帖印社は、東京京橋に移っています。
製本者の中村重義は、秋朱之介の出版にとっては欠かせない存在になる人です。

 

『詩集技巧』に先だって、以士帖印社から昭和6年春に刊行された、秌朱之介編輯月刊襍志『以士帖』は、菊4切(318×469ミリ)の1枚紙を2つ折りした8ページの小冊子で、今後の刊行予定として、次のようなものが掲げられていました。(daily sumusの林哲夫さんのご厚意で見ることができました。)

『月刊襍志以士帖 第一期十二冊』
川上澄生『伊曾保繪物語』
第1回8枚、第2回7枚、第3回12枚、第4回不明と、分売を告知しています。
國田彌之輔、南江二郎、俵靑茅。宮尾しげを、高田隆之助、深澤索一、堀口大學、庄司淺水、米川寛、川西英、柴秀夫といった人たちに送付されています。そのうち堀口大學、庄司淺水らの感想を掲載しています。これらのほか、昭和6年の佐藤春夫の秋朱之介宛て書簡によって、佐藤春夫もこの作品を入手していることが分かっています。
川上澄生全集第1巻『ゑげれすいろは詩画集』(1982年、中公文庫)の 「川上澄生版画集『伊曾保絵物語』(天)以士帖印社」につけたコメントに 、「本書は以士帖印社から刊行の予定であったが、刊者が著者の意に逢わず公刊に至らなかった。また(天)とあるが、続編は作られなかった。 」とあり、「刊者」とあるだけで、秋の名前がないことで、秋朱之介と川上澄生の関係が続かなかったことが想像されます。
深澤索一作 木版手摺色摺 本金使用『猫と鶏頭』
佐藤春夫『詩集 魔女』
予告どおり、昭和6年10月に讀書家版、昭和7年5月に愛藏家版が、以士帖印社から刊行されました。
『マリイ・ロオランサン詩畫帖』
秋朱之介はこの企画を大事にして、5年後の昭和11年6月、昭森社から刊行。
川上澄生作 木版手摺色摺三枚一組『的』
ジョセフ女史著 南江二郎譯 佐藤春夫序『人形芝居の本』

昭和6年(1931)春の秌朱之介編輯月刊襍志『以士帖』には、池田圭の名前はありませんので、池田圭と秋朱之介の出会いは、『以士帖』発行後のことと推測されます。

 

池田圭『詩集技巧』の見開き

▲池田圭『詩集技巧』の見開き
扉の青インクの「海」の文字とノンブルだけの最小構成は、テキストの内容より印象に残ってしまいます。

 

池田圭『詩集技巧』巻末の以士帖印社の書目

▲池田圭『詩集技巧』巻末の以士帖印社の書目
佐藤春夫の詩集『魔女』のほかは、以士帖印社から刊行されることはありませんでした。
もちろん池田圭の第二詩集も刊行されませんでした。
昭和11年のマリイ・ロオランサン詩集刊行までには、紆余曲折があります。

 

池田圭『音の夕映』表紙

▲池田圭『音の夕映』(1979年、ステレオサウンド)表紙。写真は鹿児島県立図書館蔵のもの。

 

池田圭『音の夕映』奥付

▲池田圭『音の夕映』奥付
池田圭には『盤塵集 ―音の姿を求めて』(1981年、ラジオ技術社)というタイトルの著作もあります。
この『盤塵集』というタイトルは、 佐藤春夫の支那歴朝名媛詩抄『車塵集』のもじりです。
秋朱之介も「座右の宝」の1冊として『車塵集』をあげていましたので、本の趣味という点では池田圭と秋朱之介には共通するものがあったようです。

 

『音の夕映』掲載の池田圭の再生装置写真

▲『音の夕映』掲載の池田圭の再生装置写真
平岡正明(1941~2009)は『スラップスティック快人伝』(1976年、白川書院)で次のように書いています。

オーディオの権威者のなかでも池田圭氏は別格だと思っている。その理由は、品位である。品位、すなわち有効性の上にあるもの(本多秋伍)。この卓抜な定義が池田圭氏のシステムにあてはまる。

この部屋の書棚には、第一書房の特装本が並んでいたそうです。

 

林達夫・福田清人・布川角左衛門編著『第一書房 長谷川巳之吉』

▲林達夫・福田清人・布川角左衛門編著『第一書房 長谷川巳之吉』(1984年、日本エディタースクール)
池田圭は「私と第一書房本」という回想を寄稿。カラー口絵の第一書房本の書影は、池田圭所蔵のもの。
この 『第一書房 長谷川巳之吉』の「回想」には、

  入江相政(1905~1985)
  福田清人(1904~1995)
  三浦逸雄(1899~1991?)
  春山行夫(1902~1994)
  亀倉雄策(1915~1997)
  野田宇太郎(1909~1984)
  草野貞之(1900~1986)
  内村直也(1909~1989)
  池田圭(1912~2001)
  高橋健二(1902~1998)
  城夏子(1902~1995)
  飯沢匡(1909~1994)
  谷川徹三(1895~1989)
  林達夫(1896~1984)

といった人たちが寄稿しています。この場に秋朱之介が並んでいてもおかしくありません。
秋朱之介に回想を依頼したら、面白い原稿がもらえたような気がします。

その人物像を考えるとき、その人物がどういうグループの中にいるかということから想像する方法があります。

例えば、 まだ月刊誌だった『太陽』(平凡社)に、高梨豊撮影の人物写真をメインに1988年7月から1989年6月まで12回連載された「ダンディズム頌」は次のような人選でした。

  古沢岩美(1912~2000)画家
  福田勝治(1899~1991)写真家
  永田耕衣(1900~1997)俳人
  黒田長久(1916~2009)鳥類学者
  土浦亀城(1897~1996)建築家
  マキノ雅裕(1908~1993)映画監督
  秋朱之介(1903~1997)出版人
  平林作蔵 船大工
  榊莫山(1926~2010)書家
  中川幸夫(1918~2012)華道家
  埴谷雄高(1909~1997)作家

こうした並びに秋朱之介がいるということで、秋朱之介という存在の位置どりを少し理解できるような気がします。

 

平岡正明 『スラップスティック快人伝』

▲ 平岡正明 『スラップスティック快人伝』(1976年5月15日第一刷、白川書院)
平岡正明(1941~2009)は、池田圭をオーディオの師と仰いでいます。『スラップスティック快人伝』で池田圭の略歴を次のように紹介しています。

オーディオの神髄 池田圭とWEホーン
池田圭 蓄音機研究家。明治四十五年、島根県隠岐島の産。三歳時、祖父より買ってもらった蓄音機“ユーホン号”に愛情をもっていらい、蓄音機の研究と収集一筋、日本におけるオーディオの草分け、最高権威者になる。学生時代、ノートがそのスケッチで一杯になった銘器、WE555Wドライバーと15Aホーン一揃を三十数年の恋実って入手、古今の名器にかこまれた目黒のリスニングルーム兼保存庫にこもっての優雅な毎日。

平岡正明 『スラップスティック快人伝』で紹介されているのは、次のような人物たちです。

  油井正一(1918~1998)
  大森忠(1943~ )
  佐々木守(1936~2006)
  ソンコ・マージュ(荒川義男、1935~ )
  奥成達(1942~2015)
  大山倍達(1923~1994)
  布川徹郎(1942~2012)
  上杉清文(1946~ )
  酋長 本名森幸男(1936~ )
  瓜生良介(1935~2012)
  赤塚不二夫(1935~2008)
  池田圭(1912~2001)
  羽生道雄(1933~ )
  神彰(1922~1998)

 

平岡正明編『ヨコハマB級譚 タウン誌『ハマ野毛』アンソロジー』

▲平岡正明編『ヨコハマB級譚 タウン誌『ハマ野毛』アンソロジー』(1995年、ビレッジセンター)
『ハマ野毛』は、1992年3月から1994年3月までの2年間、6号続いた横浜野毛のタウン誌で、平岡正明、福田文昭、田中優子、中野義仁、森直実、黄成武、荻野アンナ、藤代邦男、大谷一郎、大内順、中泉吉雄、笑順、伊達政保、四方田犬彦、大月隆寛、石川英輔、永登元次郎、中村文也、陳立人、アズマダイスケ、種村季弘、中谷豊、田村行雄、橋本隆雄、福田豊、大久保文香、鈴木智恵子、平木茂、雪竹太郎、落合清彦、ルベ・エマニュエル、加藤桂、大久保凡、水野雅広、佐々木幹郞、橋本勝三郎、梁石日、三波春夫、宮田仁、高橋長英、田井昌伸、中島郁、見角貞利、井上洋介、織裳浩一、藤沢智晴、中谷浩、渡辺光治と、多彩な執筆者に支えられていました。そのアンソロジーです。

編集長の平岡正明が書いた「まえがき」に次のような一節があります。

編集員渡辺光次、事務員大久保文香、俺(平岡正明)の三人のチームは、「オール横浜リズム・セクション」だった。 (略)
渡辺光次はハマを代表したタウン誌『浜ッ子』編集長だった男。大久保文香は雑誌編集ははじめてだったが、昭和初年の円本ブームにさからって美麗本を作りつづけた装釘師秋朱之介の娘だ。この二人と組んで俺はアート・ブレイキー型の編集者になると決めた。

平岡正明は、池田圭と秋朱之介をつなぐことができた存在だったのかも知れません。
平岡正明が「昭和初年の円本ブームにさからって美麗本を作りつづけた装釘師秋朱之介」について書いていたら、痛快だったと思います。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 Fairground Attraction『The first of a million kisses』

ジャズの低音が地階の店からもれ聴こえる情景が思い浮かびました。
Fairground Attractionの1988年作品『The first of a million kisses』の再発盤が Cherry Red Records から出ていたので、その中から「Moon on the Rain」を。

  jazz in a basement bar
  moon's on the rain
  drunk too much
  spent too much
  penniless again
  o sweetheart
  where are you tonight

   地階の飲み屋からジャズの音がもれ、
   月が雨にきらめいている
   いっぱい飲んで、いっぱい払って、またお財布はからっぽ
   ねえ、愛し君、今夜はどこをほっついてるの

 

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202. 2011年の『Emblem of My Work』展カタログ(2017年4月3日)

 2011年の『Emblem of My Work』展カタログ

ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』第1巻(1759年)刊行250周年で、登場人物ヨリックの死を悼む黒いページ(73ページ)にあわせて、73組の作家・アーチストにそれぞれの「黒いページ」の制作を依頼した Laurence Sterne Trust の企画展、2009年の「黒いページ」展に続いて、『トリストラム・シャンディ』第3巻(1761年)169ページのマーブルペーパーに発想を得て、152×98ミリのカードに、枠は119×68ミリという条件で、169組のアーチストにそれぞれの「自作の象徴(Emblem of My Work)」の制作を依頼する企画が立てられました。「自作の象徴(Emblem of My Work)」という言葉は、そのマーブルページを説明したスターンの言葉からとられています。
企画どおり集まった169点の作品と、さらにもう1点加えて、計170点の作品は、2011年に Shandy Hall で展示されました。
写真は、その作家たちの「自作の象徴(Emblem of My Work)」を集めて箱に収めたカタログです。カタログ制作に時間がかかったのか、刊記は2013年になっています。
日本からの参加は今回も刀根康尚ひとりでした。

すべての作品は「Emblem of My Work」のwebページで見ることができます。このwebページ上では「The Black Page」のwebページ同様、作者の名前を伏せていて、謎解きの要素もあります。

カタログを制作したのは、Uniformbooksを主宰するコリン・サケット(Colin Sackett)です。ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)の本も2冊制作している人です。

『Tne Black Page』展と『Emblem of My Work』展のカタログ

▲『The Black Page』展と『Emblem of My Work』展のカタログ

『Emblem of My Work』展カタログ

▲『Emblem of My Work』展カタログ

『Emblem of My Work』展のカード01

『Emblem of My Work』展のカード02

▲『Emblem of My Work』展のカード169枚+1枚を並べてみました。169=13×13なので、ちょっと禍々しさも含む数字ですが、1枚足して170で禍々しさを回避したのでしょうか。

マーブルページ直前のスターンのテキストも引用します。第3巻36章から。

――はじめからはっきり言っちゃいましょう、今すぐそんな本などはお捨てになるほうがよろしい――と申すのは、つけ焼刃の読書ぐらいでは、というのは申すまでもなくつけ焼刃の知識ではという意味ですが、この次に出て来る墨流し模様のページの教える教訓など、とてもあなたにわかるものじゃありませんからね(このページこそ、私のこの著作のゴチャゴチャした象徴なんですがね!)。それはちょうど、世間の人たちがあれだけの賢こさを持ち寄っても、いつかの真黒なページの暗黒のヴェールの下に今なお謎のごとく隠されたままになっている、無数の思想やら行為やら真理やらを、ついに解明できなかったのと同じことなんですよ。(朱牟田夏雄訳、岩波文庫、1969年)
――I tell you beforehand, you had better throw down the book at once; for without much reading, by which your reverence knows, I mean much knowledge, you will no more be able to penetrate the moral of the next marbled page (motley emblem of my work!) than the world with all its sagacity has been able to unravel the many opinions, transactions, and truths which still lie mystically hid under the dark veil of the black one.

『トリストラム・シャンディ』初版の169ページも、手づくりの墨流しなので、本ごとに違うイメージになっています。
2011年の「自作の象徴(Emblem of My Work)」では、当たり前の話ですが、さらに多様です。
もっとも、白紙で返答されたものが3組あり、1人だけならちょっと気が利いた話になるのですが、3人だと恥ずかしさが先に立ちます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

4月1日に、鹿児島市のGood Neighborsで行われたコトリンゴの「すずさんとハナウタライブ@鹿児島」を聴きにいきました。

 すずさんとハナウタライブ@鹿児島01

 すずさんとハナウタライブ@鹿児島02

鹿児島市では、2009年、2011年、2014年に続いて、4回目のソロライブでしょうか(2014年は中島ノブユキさんと2人でしたが)、毎回聴きに行く忠実なファンです。
最初のシングル「こんにちは またあした」が2006年11月リリースでしたから、もう10年です。コトリンゴの居場所が、10年間、音楽業界のなかにあったことだけでも、なんだか素晴らしいじゃないですか。

今回は映画『この世界の片隅に』のサントラ曲を中心に、ソロアルバムの曲「こんにちは またあした」 「to Stanford」 「おいでよ」 「白い鳥」
「誰か私を」などや、他のサントラ曲 「こどものせかい」 「幸腹グラフィティのテーマ」を織り交ぜて、2時間の濃密なセットでした。

MCで、映画の主人公すずさんのように広島言葉になるときがあって、物語と「共感」していらっしゃるのだなと感じました。

コトリンゴが地上に舞い降りた天使のひとりであることは間違いなく、 何をやっても許されていい領域にある存在で、天使らしく人知を超えた乱暴狼藉を働いても誰も文句は言えないのですし、ピアノ弾き語りスタイルは幸福な時間であることは間違いないのですが、九州でもバンド編成でのライブを期待したいところです。

ライブではありがちなことですが、今回は、PAが何か微かなノイズを拾っていて、特に繊細な音の部分で気になって、そのノイズが暴発しないか、余計な想像力が働いたのも確かです。人によっては歌とピアノに集中できなかったかもしれません。

 

コトリンゴのアルバムジャケットの傾向で、「ヘアスタイルの冒険期」と「手作り手芸期」の2期に分けていますが、繰り返しよく聴いたのは「ヘアスタイルの冒険期」の2008年のセカンドアルバム『Sweet nest』かもしれません。そのアルバムのことを考えたら「me.ga.ne.」という曲が頭に流れてきました。
「まちがったとわかっても まあいいやそんなもんなんだ」という声の抑揚が好きです。


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201. 1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』(2017年3月17日)

      1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』背

古本屋さんで、上のような書物の箱の背文字を見たとします。
なにかぴんと来ますか?

あれ、これは、資生堂の書体? と反応するのが、いちおう正解です。

つまり、資生堂書体をつくった小村雪岱(1887~1940)が装幀した本ということになります。
昭和3年、1928年の本。版元は実業之日本社。佐佐木信綱(1872~1963)・佐佐木雪子(1874~1948)夫妻が、佐佐木信綱が主宰した竹柏会の短歌誌『心の華』にそれぞれ連載していた随筆をまとめた本ということのようです。佐佐木信綱は「竹柏漫筆」、佐佐木雪子は「西片町より」のタイトルで、二部構成になっています。

序文を新村出(1876~1967)と松村みね子(片山廣子、1878~1957)が書いているのも目を引きます。

小村雪岱といえば、秋朱之介編集の『書物』誌(三笠書房)でも、表紙に小村雪岱の版画が使われていました。

佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』の外箱

▲佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』の外箱

佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』の表紙

▲佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』の表紙

装幀・・・小村雪岱

▲「装幀・・・小村雪岱」に1ページ使っています。

『竹柏漫筆』奥付と「心の華叢書既刊要目(竹柏會發行)」

▲佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』奥付と「心の華叢書既刊要目(竹柏會發行)」
「心の華叢書既刊要目(竹柏會發行)」の筆頭に、秋朱之介が大好きだった本、白蓮の『踏繪』があります。

 

佐佐木信綱の竹柏会に、秋朱之介が編集・装幀した『お前と私』(1934年、三笠書房)の訳者・西尾幹子が参加していた形跡があります。
佐佐木雪子の身辺雑記「西片町より」に、西尾幹子の名前が登場しないかと、淡い期待を抱いて、通読してみました。残念ながら西尾幹子の名前は登場せず、続編の『筆のまにまに』(人文書院、1935年)にも登場しませんでした。 西尾幹子へつながる手がかりは、なかなか見つかりません。
当時の上流家庭というのでしょうか、その人脈が垣間見える本ではあります。

『筆のまにまに』に佐佐木雪子の「海濱ホテルと三渓園」という随筆がありました。
三渓園は、昭和初期にも「お國の土産話の一つ」になるような場所だったようで、二月に三渓園に行ったばかりだったので、ちょっと笑ってしまいました。

 日の照つてゐる芝生の前あたりに、米山さんと、乾博士と夫と三人で、何か話をしてをられる。自分は、阪本夫人と一緒に、庭に下りる。そこにおいでの若いお二人は、高木さんさんと、荒川さんの御子息で、米山さんが伴なつて、今日此の海濱ホテルにお出になつたのであると、夫はいふ。窓の近くのお二人に、自分は始めて御挨拶をする。阪本さんは、大和にをつて、山ばかり見てゐるものには、海がほんたうに珍らしいのでといはれるまゝに、松原の向うの見晴臺まで行つてみる。あやにくに、大島は見るよしもなかつたが、日が一ぱいに照つて、寄せかへる浪もまことにおだやかに、吹く風もあまり寒くなかつた。若い中村さんは、稻村が崎から逗子あたりまでを指して、いろいろ説明をなさる。赤い洋装のよくお似合ひになる斷髪の中村若夫人は、つゝましやかに始終微笑して居られる。阪本さんは東京に六時に約束をしたが、それまでは時間があると言はれるので、お國の土産話の一つにもと、三渓園に行く。阪本さんお二人と夫と治綱は、桃山から聴秋閣へとゆく。自分は、夫人とお話をしながら待つてゐた。支那風の卓の置いてある廣間に十年ぶりのお話は盡きなかつた。良三郎さんのお祝の後、今日はじめて思ひもよらず、今こうしてお話をしてゐる自分が、夢のやうな氣がする。自分は去年の祝に、御主人がかいて下さつた藤の花の軸物のお禮をとおもつてゐたに、今日は重荷が下りたやうな氣がする。阪本さんお二人が上京せられて此の機會をつくつて下さつたことを、しみじみ嬉しく思つたのであつた。歸りの電車で、大和の塔のお話やら、タゴールの居た山の上の眺めやらのお話をくり返してゐる間に、ネオンサインの赤い燈がまぶしいやうに輝いてきた。

鎌倉の海濱ホテルというのは、今は跡形もないようです。
「鎌倉の海濱ホテル → 三渓園 → 東京」というのは、1日の日程としてはあり、なのかと思いましたが、横浜の人に聞くと、鎌倉は鉄道が早くから整備されていたので、鎌倉から三渓園へは、横須賀線で今の横浜、桜木町に出て、そこから三渓園へは車か市電を使って移動したのではないかという話でした。当時は本牧を市電が走っていたようです。それから、また桜木町へ戻って東京へと。
やはり、だいぶせわしない行程だったように思えますが、随筆に登場する人物たちにとっては、よい一日だったようです。

 

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さくら学院『約束』「ユビキリ」

アルバムのジャケットが江ノ島・七里ヶ浜周辺で撮影されたようなので、鎌倉つながりというか、もう3月の卒業の時期ということで、さくら学院の今年度のアルバム『約束』から、中三卒業曲「ユビキリ」を。
今年度の卒業生、中学三年の倉島颯良と黒澤美澪奈の卒業曲は、昭和歌謡とJazzを組み合わせた、さくら学院には珍しい曲調のカッコいい曲という前触れでしたが、卒業ライブだけで歌われるさくら学院の中三曲は、毎年毎年おっさんの胸にもしみます。