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my favorite things 21 - 30

 my favorite things 21(2012年11月2日)から30(2013年1月2日)までの分です。 【最新ページへ戻る】

30. 1963年の『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』(2013年1月2日)

SyliviaBeach1887-1962

1963年にMercure de Franceが出したシルヴィア・ビーチ(Sylvia Beach,1887-1962)の追悼文集。アメリカのニュージャージー出身のシルヴィア・ビーチは14歳の時,長老派の牧師だった父親のパリ派遣で,一緒にパリに移り住みます。パリの書店主アドリエンヌ・モニエ(Adrienne Monnier)の協力を得て,アメリカの書籍を扱う店を始めようと考え,1919年11月19日,シェイクスピア・アンド・カンパニイ(SHAKESPEARE AND COMPANY)書店を開店。1921年夏,パリのオデオン通り12番地に引っ越し,生涯をそこで暮らします。第二次世界大戦中,ドイツ軍のパリ占領のあと,1941年に閉店してしまいますが,20世紀の伝説的な書店のひとつです。
小さな本屋だったのですが,第一次大戦後のアメリカの好景気でパリのアメリカ人が増加したことや,何よりもシルビア・ビーチの人柄もあって(詩人のマリアンヌ・ムアは「unfailing delicacy」と表現しています),ロスト・ジェネレーションの作家,パリ滞在中のヘミングウェイやフィッツジェラルドのたまり場となり,また,英米文化に関心を持つフランス人の訪れる書店となりました。シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店でもっとも有名なできごとは,出版元が見つからなかった,ジェイムズ・ジョイス(James Joyce,1882-1941)の『ユリシーズ(Ulysses)』初版(1922年2月2日)を出版したことでしょう。彼女のように献身的に作家とその家族を支えようとする存在がなければ,ジョイス一家はパリで暮らしていくことはできなかったのではないかと思います。

追悼文集『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』は,「HOMMAGES」と「PETIT MEMORIAL DE SHAKESPEARE AND COMPANY」の二部構成で,「HOMMAGES」ではT.S.エリオット,マリアンヌ・ムア,イヴ・ボンヌフォワら英米仏の作家らがビーチの思い出をつづり,「PETIT MEMORIAL DE SHAKESPEARE AND COMPANY」は,ジョイス,ガートルード・スタイン,ヴァレリー・ラルボー,アーネスト・ヘミングウェイらの手紙などのテキストで構成された,シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店の小史になっています。
その写真の中に,かつてジョイスが居候し,ユリシーズの舞台となったダブリンのMartello Tower(現在はThe James Joyce Tower and Museum)を,1962年6月16日(Bloomsday)に訪問しているものが掲載されていて,人生の最後の年に,ジョイスの故国アイルランドを訪ねていたことが分かります。シルヴィア・ビーチは1962年10月5日,パリのオデオン通り12番地で亡くなりました。
追悼文集につきものの感想で,なぜあの人がいないとか,なぜこの人がいるというのもありますが,こんな文集を編んでもらえる書店主は,やはり幸福な存在です。

Beach_PaulValery01

▲『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』に収録された手紙の複製。ヘッド部分に「LA MAISON DES AMIS DES LIVRES(書物の友の家)」とあるアンドレア・モニエの書店の便箋を使って,シルビア・ビーチあてにポール・ヴァレリー(Paul Valéry)が英語で書いた手紙の一部。

ShakespeareAndCampany01

○シルヴィア・ビーチ著,中山末喜訳『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』(河出書房新社,1982年再版)
○アドリエンヌ・モニエ著,岩崎力訳『オデオン通り』(河出書房新社,1992年再版)
○ジェレミー・マーサー著,市川恵理訳『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(河出書房新社,2010年)

第二次世界大戦後,パリに現れたアメリカ人ジョージ・ホイットマン(George Whitman,1913~2011)が,英米書籍を扱う本屋を開店し,シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店の名前を譲り受け,場所は違いますが,現在も続いています。ジョージ・ホイットマンは,2011年12月14日に亡くなったそうです。98歳。現在は,ジョージの娘さんのシルヴィア・ビーチ・ホイットマンが経営しています。ジョージ・ホイットマンは店に,
「見知らぬ人に冷たくすることがないように,変装した天使かもしれないのだから(Be not inhospitable to strangers, lest they be angels in disguise.)」
ということばを掲げていました。確かに,見知らぬ旅人は,「変装した天使」で,訪れた街に「恵み」をもたらす存在です。旅人をどうもてなし,旅人が残したものをどう生かすかで,街の素顔も変わるのだと思います。

シルヴィア・ビーチは,みなから温かく記憶された書店主でしたが,夏葉社という出版社が,東京の古本店主,関口良雄関連の本を復刊したのも,やはり愛された本屋ならではでしょうか。

sekiguchi_yosio

この2冊もそうですが,山高登の名前がある本は,うれしい存在です。

 

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29. 謹賀新年(2013年1月1日)

20130101sakurajima

今朝の桜島。曇り空でしたが,雲間から初日。

昨日の大晦日,夜9時ごろ,地響きがしました。桜島が爆発したかと思ったら,だれだか大きな花火を連続して打ち上げていました。鹿児島で花火というと,廃藩置県(明治4年)に腹を立てた島津久光が、花火を打ち上げ続けた話が有名ですが,島津久光は「玩古道人」と名乗っていました。
その「玩古道人」に名前の似た「玩古老人」を名乗る人物が,昭和23年の『古美術』12月号(宝雲舎)に『新篇骨董いろは』というのを投稿しています。お正月ということで,そのいろはを引用。

○新篇骨董いろは 玩古老人投 尺寸庵画〈『古美術』昭和23年12月号,第200号(宝雲舎)〉

《新篇骨董いろはが出来た。ナカナカ面白い句もあるが,なかにはモウ一工夫してほしい句もあつて充分とは思はない。讀者の方でなんぞうまい句をお持ちの方があつたら教えていただきたい。持ちよつていただいて気輕で樂しい骨董いろはが生れ,何かの折に人の口にのぼることがあれば,うれしい次第である。》

【い】伊萬里の好きな觀光客
【ろ】ロクロは仁清,ヘラ目は新兵衛
【は】箱を買わずに中味買へ
【に】贋を承知は道具屋根性
【ほ】ホツとニユーとを景色に見立て
【へ】ベベラは伊羅保,五岳は樂
【と】床に墨蹟,炉に芦屋
【ち】ちりも積つたガラクタ道具
【り】利殖も兼ねた道具持
【ぬ】抜けタンパンのあぶらげ手
【る】類が友よぶ交換會
【を】尾戸と繪御本,似たもの同志
【わ】わからぬものに名品なし
【か】買つてわかつた肝どころ
【よ】慾が手傳う贋物つかみ
【た】旅の半日道具屋めぐり
【れ】蓮華刷毛目はウツツ川
【そ】ソバも粉引も朝鮮茶碗
【つ】使える使えぬ押問答
【ね】値がなくてあり,値があつてなし
【な】奈良にはホトケ,名古屋は茶
【ら】樂は共箱,箱書たより
【む】虫喰いも作られる,窯入りもある
【う】生ぶ荷にほれろ
【ゐ】井戸はビワ色,イカラギ次第
【の】ノンコの幕釉,一入の緋釉
【お】お預け徳利でグイ呑に注ぐ
【く】くに焼ならでは夜も明けぬ
【や】やめられぬもの,掘出しの味
【ま】待つたなしの眞劍勝負
【け】ケラ判は利休居士
【ふ】不昧もつくつた出雲焼
【こ】粉引は黒土,白化粧
【え】繪よりも無地のお茶人さん
【て】手取りの重い僞造品
【あ】赤繪のなかでも萬暦赤繪
【さ】酒と手あかで時代づけ
【き】龜甲ベラの御所丸茶碗
【ゆ】油斷のならぬ二重箱
【め】名品といわれる程のヒンがあり
【み】耳で買わずに眼で撰べ
【し】志野と唐津が人氣もの
【ゑ】繪唐津,繪御本,繪高麗
【ひ】引く手あまたの色繪物
【も】文様も肝心,形も肝心
【せ】青磁のわからぬ田舍者
【す】杉箱も注意が肝心
【ん】雲庵片手に天下の形勢

 

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28. 1984年のカトラー文・ベンジ絵『ニワトリになったハーバートくん』(2012年12月31日)

1984Herbert_Chicken01

お話を書いたアイヴォア・カトラー(Ivor Cutler,1923~2006)は,イギリスの,おかしな詩やおかしな話をしてくれるおじさん。The Beatlesの『Magical Mystery Tour』(1967)に登場する禿頭のおじさん――リンゴのおばさんと恋に落ちる,自分のことを運転手と思っているツアー参加者ブラッドヴェッセルさん(Mr. Bloodvessel)を演じた人としても有名です。
絵を描いているアルフレーダ・ベンジ(Alfreda Benge)は,ミュージシャンのロバート・ワイアット(Robert Wyatt)の奥さん。ワイアットのレコードジャケットに親しんでいる人にとってはおなじみの,明るく平面的な,すぐにあのタッチとわかる絵で,ハーバートくんの絵本も描かれています。
お話は,小学生のハーバートくんが朝起きるとニワトリや象に変身していて,その一日のできごとのお話です。1984年にアルフレーダ・ベンジの絵で,
 『ニワトリになったハーバートくん(Herbert the Chicken)』(Walker Books,1984)
 『象になったハーバートくん(Herbert the Elephant)』(Walker Books,1984)
の2冊が出されています。表紙で,変身したハーバートくんと一緒にいるのはガールフレンドのアニー。
1988年には『Herbert: Five Stories』(Walker Books,1988)が出ていますが,絵はPatrick Bensonに替わっています。ニワトリと象のお話に続いて,「Herbert the Kangaroo」「Herbert the Questionmark」「Herbert the Herbert」の3つのお話が追加されています。

1984Cutler_Benge

1984年版の『ニワトリになったハーバートくん』に登場するハーバートくんのお母さんには,ベンジの面影があります。小学校の担任Mr.Balloonは禿頭で眼鏡ですので,カトラーの面影もあるのかもしれません。生活感といったらなんですが,私的な親密さを感じさせるものが,ベンジの絵にはあります。画面に猫が当たり前のようにいたりするのもベンジの特徴のひとつでしょうか。

1984Chicken_Elephant

『ニワトリになったハーバートくん』と『象になったハーバートくん』のタイトルページに同じ絵を使い,タイトル文字や献辞以外はほとんど変わらないというのも,手抜きというより,日常を感じさせて,洒落ています。ハーバートくんは毎朝,いろいろなものに変身するのだろうな,と想像させて,おかしい。

アルフレーダ・ベンジ(Alfreda Benge)の名前は,ロバート・ワイアットのアルバム『ロック・ボトム(ROCK BOTTOM)』(Virgin,1974)のB面冒頭の「Alifb/Alife」で記憶に焼き付きました。「Alife」はアルフレーダの愛称。「Alifb/Alife」は,相聞歌のようなつくりで,ワイアットの「Alife my larder」とからかうような歌いかけに(言わずもがなですが,「Alife my lover」の洒落でしょう),ベンジは最後に「I'm not your larder, I'm Alife your guarder.」と答えています。この人の面倒はわたしが一生みるという宣言です。「Alife」という愛称は「A Life」と読み解くこともできるのかもしれません。
1973年6月1日,Lady Juneの誕生日パーティで,酔ったワイアットは5階の部屋から転落し,下半身不随となり,ドラム奏者としてのキャリアが終わます。1973年の6月は,ある時代の終わりでした。この事故の後に,ワイアットとベンジは結婚しています。『ロック・ボトム』は,事故の後,車椅子のシンガーとして制作された最初のアルバムで,「Alifb/Alife」は婚姻の歌でもあります。

好きなレコードアルバムは何かと聞かれたら,1枚きりは言い切れない情けない性格ですが,『ロック・ボトム』は必ず含めます。なんというか,背骨にしみ入っているアルバムです。

ワイアットのレコードジャケットのほとんどはアルフレーダ・ベンジが手がけていますが,ほかのアーチストに提供したレコードジャケットの絵では,Gorky's Zygotic Mynciのものなどもありますが,アネット・ピーコック(Annette Peacock)の『I Have No Feelings』(Ironic records,1986)のジャケットが好きです。

1986Annette Peacock

Annette Peacockは,どのアルバムもいいな。

 

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27. 1970年のアーサー・ウェイリー『Madly Singing in the Mountains』(2012年12月30日)

1970Waley_Madly Singing

アーサー・ウェイリー(Arthur Waley,1889年8月19日~1966年6月27日)の1巻本選集というと,
『Madly Singing in the Mountains:An Appreciation and Anthology of ARTHUR WALEY』EDITED BY IVAN MORRIS(GEORGE ALLEN & UNWIN,1970)
でしょうか。タイトルの「Madly Singing in the Mountains」は,白居易『山中独吟』中の詩句「狂吟驚林壑(狂吟して林壑を驚かす)」のウェイリー訳。
中国と日本の翻訳を専門にしながら,アジア地域を一度も訪れなかったというのは,現在の感覚からすると不思議なのですが,行かなかったからこそ,読む者にとって美的体験となりうる「翻訳」が可能だったという気もします。
表紙のリコーダーを吹くウェイリーも印象的ですが,スキー場での写真が何枚かあって,スキー休暇を欠かさなかったというのも,イギリス人としては珍しいかもしれません。収録されている写真には,ドラ・キャリントン(Dora Carrington)の隣に座っているものもあって,この二人だとどんな会話になったのだろうかと想像が膨らみます。1966年6月27日の日付のある,亡くなった直後の写真も収録されていて,1966年2月の交通事故からの闘病生活でしたが,自分の部屋で穏やかに亡くなったのだなと思わせる写真です。

ありそうでないものが,ウェイリーの小品集の日本語版で,これはさすがにあってもいいのじゃないでしょうか。
雑文集といったら悪いですが,短い作品を集めた
『THE REAL TRIPITAKA AND OTHER PIECES』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1952)
『THE SECRET HISTORY OF THE MONGOLS AND OTHER PIECES』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1963)
なども,「1冊の本」「1巻本選集」として十分魅力的です。
本としての印象は,ボルヘスの作品に近いところがあります。ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges,1899年8月24日~1986年6月14日)は10歳年下。ボルヘスは,「アーサー・ウェイリー」としての生涯も実は夢見ていたのではないかと思うことともあります。ともに8月に生まれ,6月に亡くなっていますが,とはいえ,ボルヘスと共通性があるというのは,先行者ウェイリーにとって誉め言葉にはなりません。ウェイリーは,なんというか,ボルヘスより言語的運動神経がよい存在だったような気がするのです。

1952_Waley_Tripitaka

『THE REAL TRIPITAKA AND OTHER PIECES』(1952)の,Tripitakaとは何だと思いますが,Tripitakaはパーリ語で経蔵・律蔵・論蔵の三蔵,あるいは大蔵を表していて,仏典の3つの体系,経蔵(sutra)・律蔵(vinaya)・論蔵(abhidharma)の三蔵に通じている僧の尊称が「三蔵法師」となります。ここでは玄奘三蔵のこと。その小伝をタイトルにしています。ウェイリーは『西遊記』を『MONKEY』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1942)というタイトルで翻訳しているので「REAL」な三蔵法師のことも書いたわけです。
『THE REAL TRIPITAKA』に収録されている日本ものは,『堤中納言物語』から「虫愛づる姫君」の翻訳と,芥川龍之介「誘惑―或シナリオ」の翻訳で,拾遺とはいえ,面白い取り合わせになっています。

1952Allen_Unwin

ところで,1952年には,聖ジョージと竜モチーフであることは変わりませんが,もうウォルター・クレイン作のロゴは使われていません。

1963_Waley_MONGOLS

『THE SECRET HISTORY OF THE MONGOLS』(1963)の目次には「モンゴル秘史」のほか,「アイヌ歌謡」「タオイストとしてのブレイク」「中央アジアの中国詩人」「中国の亡霊」「司馬江漢」「中国のシンデレラ」といったタイトルが並び,ここでないどこかに遊ぶような感覚は,現在でも十分魅力的です。
その中には『梁塵秘抄』の抄訳もあって,ここで,大河ドラマ『平清盛』の主題になっていた「遊びをせんとや」のウェイリー訳を。

For sport and play
I think that we are born;
For jesting and laughter
I doubt not we are born.
For when I hear
The voice of children at their play,
My limbs, even my
Stiff limbs, are stirred.

 

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26. 1925年のウェイリー訳『源氏物語』(2012年12月29日)

Waley_Genji1925-33

両大戦間のイギリスのおもしろいところは,アーサー・ウェイリー(Arthur Waley,1889~1966)のような存在が,鳴り物入りでなく,普通に目立たない格好で現れるところです。
LADY MURASAKI作,ARTHUR WALEY翻訳の6冊は,以下の順に出版されました。
○『THE TALE OF GENJI』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1925)
○『THE SACRED TREE』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1926)
○『A WREATH OF CLOUD』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1927)
○『BLUE TROUSERS』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1928)
○『THE LADY OF THE BOAT』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1932)
○『THE BRIDGE OF DREAMS』(GEORGE ALLEN & UNWIN,1933)
手元にあるのは,すべてカヴァー(ダストラッパー)なしの裸本。1925年の『THE TALE OF GENJI』は初版第2刷ですが,他は初版。
ウェイリー訳では,6巻それぞれが友人に献呈されていて,第4巻にあたる『BLUE TROUSERS』は,詩人のR.C.Trevelyan(1872~1951)に献呈されています。歴史家G. M. Trevelyan(1876~1962)のお兄さん。最終巻の『THE BRIDGE OF DREAMS』は,大学図書館の「WITHDRAWN」本を古本屋で購入したのですが,その見返しに,R.C.Trevelyanの名前が鉛筆書きで書かれていました。もしかしたらR.C.Trevelyanが所有していたものだったのかもしれません。

Francis A Johnsの書誌によれば,初版の印刷部数は,
○『THE TALE OF GENJI』(1925)
 英国版(GEORGE ALLEN & UNWIN)1508部,米国版(Houghton Mifflin)1050部。
○『THE SACRED TREE』(1926)
 英国版(GEORGE ALLEN & UNWIN)1424部,米国版(Houghton Mifflin)5100部。
○『A WREATH OF CLOUD』(1927)
 英国版(GEORGE ALLEN & UNWIN)1478部,米国版(Houghton Mifflin)2522部。
○『BLUE TROUSERS』(1928)
 英国版(GEORGE ALLEN & UNWIN)1630部,米国版(Houghton Mifflin)2080部。
○『THE LADY OF THE BOAT』(1932)
 英国版(GEORGE ALLEN & UNWIN)1460部,米国版(Houghton Mifflin)1040部。
○『THE BRIDGE OF DREAMS』(1933)
 英国版(GEORGE ALLEN & UNWIN)1650部,米国版(Houghton Mifflin)1350部。

ちなみに『THE PILLOW-BOOK OF SEI SHONAGON』(1928)は,英国版(GEORGE ALLEN & UNWIN)1500部,米国版(Houghton Mifflin)1040部。

初版部数としては,多いのか,少ないのか。

Genji1935_Pillow1928

1935年には,1135ページの『THE TALE OF GENJI』1巻本も出ています。
『枕草子』の抄訳『THE PILLOW-BOOK OF SEI SHONAGON』もすてきな本です。実は,ウェイリーは源氏物語より枕草子が好みだったといいますが,分からなくもありません。

出版社の George Allenは,1871年に,ジョン・ラスキン(John Ruskin,1819~1900)の助手だったジョージ・アレン(George Allen,1832-1907)が,ラスキンの本を出版するために立ち上げた出版社。1903~1912年に刊行したラスキン全集も完結して,店じまいも検討されていたところへ,1914年にスタンレー・アンウィン(Stanley Unwin,1884~1968)が経営参加して,George Allen and Unwinとなり,20世紀のイギリスを代表する出版社のひとつになりました。いちばん有名な本はJ. R. R. Tolkienの『ホビットの冒険』と『指輪物語』でしょうか。
アーサー・ウェイリーの著作・翻訳は,ほとんどGeorge Allen and Unwinから出版されています。スタンレー・アンウィンは,著作家としてのアーサー・ウェイリーの一生を支えて,アーサー・ウェイリーという稀有の存在からもたらされる蜜を書物の形に残してくれたわけです。

Allen_Unwin1925

▲ウェイリー版源氏6冊には,1890年代に使われ始めた,George Allen時代の「聖ジョージと竜」をモチーフにしたラファエル前派的なロゴが使われているため,本自体に19世紀の名残が感じられます。ロゴの周囲の左右の文字は,Unwinの名前を加えて変更されていますが,「RUSKIN HOUSE」は継承されています。

Crane_sign01

これを描いたのは第16回でも紹介したウォルター・クレイン(Walter Crane,1845~1915)。この小さなロゴにも,つぶれ気味ですが,右下隅に自分の名前crane(鶴)をモチーフにしたサインが刻まれています(第16回の北風の太陽の図版では左下隅にクレーンのサインがあります)。会社のロゴマークに画家のサイン入りというのは案外珍しいような気もします。

Allen1895

▲1895年のGeorge Allen版『HUON OF BORDEAUX』から,George Allenのロゴマーク。

 

ところで,毎週楽しみにしていた大河ドラマ『平清盛』が,諸行無常の終わりを迎えてしまいました。
『平清盛』のなかで,平時子役の深田恭子がくりかえし読み上げていた,「すずめの子を犬君(いぬき)が逃がしつる」の場面,光源氏と紫の上との出会いの場面をウェイリー訳で。

Two very well-conditioned maids waited upon her. Several little girls came running in and out of the room at play. Among them was one who seemed to be about ten years old. She came running into the room dressed in a rather worn white frock lined with stuff of a deep saffron colour. Never had he seen a child like this. What an astonishing creature she would grow into! Her hair, thick and wavy, stood out fan-wise about her head. She was very flushed and her lips were trembling. 'What is it? Have you quarrelled with one of the other little girls?' The nun raised her head as she spoke and Genji fancied that there was some resemblance between her and the child. No doubt she was its mother. 'Inu has let out my sparrow ― the little one that I kept in the clothes-basket,' she said, looking very unhappy. 'What a tiresome boy that Inu is!' said one of the two maids. 'He deserves a good scolding for playing such a stupid trick. Where can it have got to? And this after we had taken so much trouble to tame it nicely! I only hope the crown have not found it,' and so saying she left the room.

 

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25. 1931年のウィリアム・ローゼンスタイン『人と思い出』(2012年12月28日)

Men And Memories1931-1939

梅花艸堂主人こと須磨弥吉郎はイギリス滞在時代,「詩人で劇作家のジョン・ドゥリンクウォーター」と親しくしていたようです。ジョン・ドリンクウォーター(John Drinkwater,1882~1937)は,日本ではあまり聞かれない名前ですが,『エイブラハム・リンカーン』(Abraham Lincoln,1918) など当たりをとった芝居の台本を書いている作家です。

そのジョン・ドリンクウォーターのオークリッジ(Oakridge)にある家の隣には,画家のウィリアム・ローゼンスタイン(William Rothenstein,1872~1945)が住んでいました。『人と思い出(MEN AND MEMORIES)』は,ウィリアム・ローゼンスタインの3巻からなる回想録です。

ウィリアム・ローゼンスタインは,友人のオーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley, 1872~1898)と並んで19世紀末のアンファン・テリブルと言われた画家ですが,ラファエル前派でも印象派でも象徴派でもなく,前衛の未来派でもありません。20世紀に入ると,落ち着くところに落ち着いて,ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学長になっています。20歳代から肖像画を得意として,数多くの有名人をドローイングして,石版やコロタイプで出版しています。

1931年から1939年にかけて出版された『MEN AND MEMORIES』は,世紀末から第二次世界大戦前までのイギリスのアート・シーンの現場にいた人ならではの回想録です。学長職を15年勤めあげただけあって,人付き合いはよくて,有名無名を問わず登場人物は大変多い。多すぎるくらいです。ただビアズレーが長生きしたら,あのウィル・ローゼンスタインがこんなまっとうな回想録を書くなんて,と驚き,あきれるような気もします。

第1巻は『MEN AND MEMORIES RECOLLECTIONS OF WILLIAM ROTHEINSTEIN 1892-1900 ★』(FABER & FABER,1931年)
第2巻は『MEN AND MEMORIES RECOLLECTIONS OF WILLIAM ROTHEINSTEIN 1900-1922 ★★』(FABER & FABER,1932年)
第3巻は『SINCE FIFTY Men and Memories,RECOLLECTIONS OF WILLIAM ROTHEINSTEIN 1922-1938 ★★★』(FABER AND FABER,1939年)

手元にあるのはカヴァー(ダストラッパー)なしの裸本ですが,この本の持つたたずまいが好きです。特に第1巻は,内容もいいのですが,古び方といい,紙質や「完璧でないこと」も含めて,回想録の書物の形として,ひとつの理想型のような気がします。
第1巻と第2巻の印刷は,
 CAMBRIDGE: PRINTED BY W. LEWIS, M.A., AT THE UNIVERSITY PRESS
W. LEWISは,グウェン・ラヴァラ(Gwen Raverat)の本も多く印刷していますが,印刷者名にW. LEWISの名前がある本を手にとると,素直にうれしい,そうした存在です。豪華とは無縁ですが,不器用な器用さというか,スタンダードとして,そこにある感じがいいのです。

第3巻の印刷は,違っていて,
 PRINTED IN GREAT BRITAIN BY
 MACLEHOSE AND COMPANY LIMITED
 THE UNIVERSITY PRESS GLASGOW
で,印刷物として問題はなく,フォーマットも前の巻と似ているのですが,第1巻のようには,ときめきません。不思議なものです。

ウィリアム・ローゼンスタインの描くものは「戯画」ではなく「似顔絵」とくくってもいいようなものですが,モデル(sitter)と数時間から数日をともに過ごし,模索する複数の線からモデルの性格を,写真とはまた違った形で浮き出させています。全体に微かな憂鬱・倦怠の気配があります。モデル当人たちがその肖像から受ける印象は,それぞれの自己像と違っていたようで,共通してどこか居心地が悪いものがあって,その一方で,モデルの周囲の人からは,モデルの特徴をとらえていると評判はいいというものだったようです。
息子のジョン・ローゼンスタイン(1901~1992,John Rothenstein)も,後にテート・ギャラリーの館長になって,スタンレー・スペンサーとヘンリー・ムーアを一押しのアーチストとして世間に広める役割をはたすのですが,息子のほうも3巻本の回想録を書いています。

Gissing_Rothenstein

1898年に出版されたWill Rothensteinの『ENGLISH PORTRAITS A SERIES OF LITHOGRAPHED DRAWINGS』(版元はGRANT RICHARDS,石版印刷はT.WAY)から「George Gissing」の肖像と,その肖像を表紙に使った岩波文庫のギッシング作・平井正穂訳『ヘンリ・ライクロフトの私記』を並べてみました。当たり前の話ですが,縮小すると細部がとんでしまいます。

しかし,話は飛びますが,『ヘンリ・ライクロフトの私記』を見ると,クセノポンの『アナバシス』を,むしょうに読み返したくなります。

 

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24. 1949年の梅花艸堂主人『夢』(2012年12月27日)

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寶雲舎(宝雲舎)ものが続きますが,これは,どちらかというと手に余る本です。
梅花艸堂主人というのは,須磨弥吉郎(1892~1970)のペンネーム。
須磨は,戦前・戦中に,南京総領事や駐スペイン特命全権公使をつとめた外交官で,戦前の情報機構である内閣情報部を設立した人物です。戦後,戦犯の容疑で巣鴨プリズンに拘留され,1948年不起訴処分で釈放されますが,公職追放。1953年の衆議院選挙で当選。1965年まで自由民主党の議員でした。

この『夢』という本は,巣鴨プリズンから釈放後,公職追放で,いわば浪人だった時期に,梅花艸堂主人というペンネームで,『古美術』『茶わん』『みづゑ』『美術手帖』『三彩』『美術と工藝』という美術誌に1949年1月まで寄稿したエッセイ群をまとめたもの。
巣鴨プリズンからの釈放後に始まる精力的な美術エッセイ執筆は,寶雲舎の『古美術』1948年6月号に収録された「夢」にはじまります。その末尾を,
「血の通ふ人間にスリルを與へる美術には魂が迸り出るのだ。人生は美術,美術は人生なのだ。それが夢でもある。そのならば一生夢を見ていたい。」
と結んでいるのですが,戦前・戦中に日本の諜報機関の中心だった人物が書いた美術エッセイを読むというのは,どうにもこうにも予断まじりになってしまい,「語り」も「騙り」ではないかと,なんとも居心地が悪い体験なのです。「美術」というのは,個人の美的感性を超えて,戦争や政治がまとわりつくジャンルでもあり,その資料としてなら,この『夢』という本にも生きていく場所があるのかもしれません。
須磨は美術収集家として有名な存在で,その中国美術コレクションの一部は京都国立博物館に,スペイン美術コレクションの一部は長崎県美術館に収蔵されています。一外交官が収集した美術品コレクションとしては膨大で,謎の多いコレクションです。
『夢』の表紙は,梅花艸堂主人が,1948年10月22日,蓼科の山荘からのスケッチした風景。表紙やタイトルページに須磨の名前はなく,須磨の名前を前面に出すのはまだはばかられていたのかもしれませんが,奥付には,須磨弥吉郎の名が著者としてあり,検印も「須磨」です。

梅花艸堂主人『夢』(寶雲舎,昭和24年5月1日発行)の目次は,次のようなものです。
  夢
  人生と美術
  古美術私考(美術試論の一)
  美術愛好の心(美術試論の二)
  人生美術論(美術試論の三)
  蒐集三十年(美術試論の四)
  中國現代畫壇展望
  白隠和尚再鑑
  イベリアの旅
  西班牙繪畫の今昔
  民族の畫家ソラナ
  イスパノ・モリスカ陶瓷
  ピカソと還元革命

1949年の『茶わん』誌(寶雲舎)では,常連寄稿者となっています。
○高橋誠一郎,吉川英治らともに『茶わん』誌の社賓に。〈『茶わん』1949年2月号(寶雲舎)〉
○梅花艸堂主人「法隆寺火災と古美術保存」〈『茶わん』1949年3月号(寶雲舎)〉
○梅花艸堂主人「美術はスリルである」〈『茶わん』1949年4月号(寶雲舎)〉
○梅花艸堂主人「西洋の皿(一)チエスター・ウースター・ダービー・白亜館の皿」(3月29日稿)〈『茶わん』1949年6月号(寶雲舎)〉
○座談会「東西美術を語る」大宮伍三郎・加藤唐九郞・加藤土師萠・高橋誠一郎・谷川徹三・梅花艸堂主人・深川榮左衛門・堀口捨己〈『茶わん』1949年6月号(寶雲舎)〉
○梅花艸堂主人「西洋の皿(二)デルフトもの概観」(5月1日稿)〈『茶わん』1949年7月号(寶雲舎)〉
○梅花艸堂主人「西洋の皿(三)ブルー・プレーツ――西洋染付もの」(5月31日稿)〈『茶わん』1949年8月号(寶雲舎)〉
○梅花艸堂主人「泥鏝の衣鉢 小川天香」〈『茶わん』1949年8月号(寶雲舎)〉
○梅花艸堂主人「古都新夢」(5月2日稿)〈『茶わん』1949年10月号(寶雲舎)〉

諜報機関の長で,美術コレクターという,日本では特異なキャラクターであるため,ミステリー畑の人も放っておきません。現在は時代小説の人気作家になっている佐伯泰英のスペインもの『眠る絵』(1991)や西木正明『梟の朝―山本五十六と欧州諜報網作戦』(1995)で,須磨本人や須磨をモデルとしたキャラクターが登場しています。

1960_Antonio Lopez Garcia

余談になりますが,佐伯泰英のスペインものの一冊『ゲルニカに死す』の表紙には,スペインの画家アントニオ・ロペス・ガルシア(Antonio Lopez Garcia)の油彩作品「Carmencita de Comunión(カルメンチータの聖体拝領)」(1960)が使われています。アントニオ・ロペス・ガルシアの絵が本の表紙に使われているのは珍しい。

スペインの映画監督ビクトル・エリセ作品『エル・スール(El Sur)』(1983)でも,初聖体拝領の式に主人公の少女エストレーリャが身につけていた白い衣装も記憶に残ります。ビクトル・エリセも,このアントニオ・ロペス・ガルシアの絵が好きだったのだと思います。アントニオ・ロペス・ガルシアの作品制作のようすを撮った『マルメロの陽光』(1992)が,ビクトル・エリセの長編映画では最新作ということになっているのですが,ほんとうに次回作はいつになるのでしょうか。

 

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23. 1947年の加藤一雄『無名の南畫家』(2012年12月26日)

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地霊(ゲニウス・ロキ)と結びついたとまではいいませんが,土地と結びついたテキストを生み出す地域といえば,日本では京都は別格の存在でしょう。
20世紀の京都も膨大なテキスト群を生み出していますが,個人的には,そんなに縁はありません。読めばうらやましくなるだけということもあるかもしれません。そんななか,薩摩藩士・吉井友実(1828~1891)の孫,吉井勇(1886~1960)の描く遊蕩三昧のあとの朝のような,例えば,「蝦蟆鐵拐」「長谷詣」などが印象深い。とはいえ,生涯微醺というか酔っていた吉井勇のように酒に強いほうではないので,わたしのなかの20世紀の京都は,加藤一雄(1905~1980)の文章ということになります。
というわけで,昭和22年(1947)に日本美術出版社から刊行された『無名の南畫家』です。『無名の南畫家』のなかにあるような京都は,もうそのテキストのなかにしか存在しないのかもしれませんが,この人肌を感じさせる文章は,京都という土地柄ゆえに生まれたのか,加藤一雄個人の資質ゆえに生まれたのか,まだ決めかねています。
シンプルな装幀は高橋錦吉(1911~1980)。版元の日本美術出版社は現在の美術出版社。発行人の大下正男は,『みづゑ』を創刊した大下藤次郎の長男。

戦中戦後の『茶わん』『古美術』『古美術研究』誌の束の中に,加藤一雄の名前を見つけたときはうれしかったです。

1947年の日本美術出版社版『無名の南畫家』には,「無名の南畫家」のほかに,「大雅・乾隆・民窯」という短編も収録されているのですが,その雑誌初出が,昭和19年『古美術研究』12月号収録の「大雅・乾隆民窯」でした。

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▲昭和19年『古美術研究』12月号収録の「大雅・乾隆民窯」

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▲1947年の日本美術出版社版『無名の南畫家』目次

昭和19年『古美術研究』収録の「大雅・乾隆民窯」と1947年の単行本『無名の南画家』収録の「大雅・乾隆・民窯」とでは,本文にもかなり異同があって,こういうのは,やはり楽しい。1947年版のタイトルに「乾隆・民窯」と「・」が入っているのは間違いでしょう。

「大雅・乾隆民窯」の最後にチビどもが声を張り上げてうたった歌も,昭和19年版は

  「七ツボタンノ櫻ニイカリ…」

だったものが,1947年版は,

  「朝早う起きて,東山見れば,
  猿のケツ眞赤け,牛の尻糞だらけ」

と変わっています。昭和19年と昭和22年の間に,確かに戦争が終わったのです。

ほかにも,加藤一雄は,『古美術』昭和21年4・5月号に「錢舜擧」という小説的テキストを寄稿していて,これも得をしたような気分にさせてくれます。

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22. 1963年の岩本堅一『素白随筆』(2012年12月25日)

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1巻本の選集というフォーマットが好きです。
好きというのなら,全集であるとか,オリジナル版を集めるとかのほうがいいいじゃないかという声も当然とは思うのですが,1対1の対応というか,1冊の本という姿がよいのです。確かに,夏目漱石や宮沢賢治や太宰治といった存在に真正面から,網羅的に付き合うのが正しい態度という気もします。そうした大物には,周りに取り巻きというか「族(tribe)」がいるので孤独感も少ないだろうし,深さを究めることもできそうですが,付き合うとしても10年に1人ぐらいが限度のような気がします。
一方,1巻本選集は,どちらかというと適度な付き合いで,はじめからどこかさばさばしたところがあって,気楽につきあえます。「ぬるい」フォーマットで,それが心地よい。もっとも,1冊の本といっても,インターネットも1つのディスプレイで見る1冊の本という見方もできますから,そうなると大げさなことになりますが,『華氏451度』の書物人間みたく,「1人の人間」=「1冊の本」というのも潔くていい。ミクロコスモス(小宇宙)としての人間の姿が1冊の本という形になって表されているというところも単純で分かりやすいというわけです。ただ,「1人の人間」=「1冊の本」となると,身体的になって,その死も含むことになって,お葬式の本みたいと,それを嫌がる人もあるかもしれません。
何はともあれ,まず思い浮かぶ1巻本選集ということで,岩本堅一(1883~1961)の『素白随筆』(春秋社,昭和38年)です。亡くなって2年後に出た随筆集。『山居俗情』と『素白集』を合わせ「東海道品川宿」も全編収録しています。「日本文学の写実精神」はおさめていなませんが,随筆集としてはきれいにまとまっています。足りないぐらいが,ちょうどいい感じなのです。文学全集にありがちな2段組でなく,1段組というのもポイントが高いところです。

街にとって,その表情を豊かにする,魔法使いのようなテキストの書き手が存在していて,彼・彼女らは,彼・彼女らが歩み,書き記すことで街のすがたや人の気持ちを結晶化することができます。岩本素白こと岩本堅一もそうした存在の一人だったと思います。嫌なところもちゃんと見ているのですが,なんというか品が良いのです。
素白は,自分が暮らした東京品川宿についての随筆もいいですが,例えば通りすがりの利根川沿いの街や京都の町でも,ひっそりと途方に暮れるような旅のたたずまいが心地よい。街の魅力は,素白のような書き手たちを生みだし,また,招き寄せるかに,かかっているような気もします。街にも魂の核のようなものがあって,その繊細な細胞を見つけ出し育てるのが,そうした言葉を紡ぎ出すものたちのような気がしてなりません。

素白のほかにも,そうした言葉の紡ぎ手のモデル的存在が何人かいるのですが,そうした書き手を養成する方法があるのならば,すぐさま適用して,例えば「木村荘八」養成ギブスであるとか,「あなたも加藤一雄になれる」特訓法でもあれば,すぐさま使いたいところなのですが,なかなかそうもいきません。何かうまい方法がないものでしょうか。逆に,そうした存在がその街に既に存在しているのに,見出していないということもあるかもしれません。

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岩本堅一(素白)の人気は根強いようで,21世紀になっても,みすず書房や三省堂から入手しやすい形で出版されています。
・『素白先生の散歩』(みすず書房,2001年,編・池内紀)
・『東海道品川宿―岩本素白随筆集』(ウェッジ文庫,2007年,解説・来嶋靖生)
・『素白随筆集―山居俗情・素白集』(平凡社ライブラリー,2008年,解説・鶴ヶ谷真一)
・『素白随筆遺珠・学芸文集』(平凡社ライブラリー,2009年,解説・池内紀)

 

単純にうれしいことのひとつに,古い雑誌にお気に入りの名前を見つける,ということがあります。
古本屋で昭和18年から25年にかけての古美術誌の不ぞろいの束を入手したのですが,その中に岩本堅一の随筆が掲載されている号があって,こういうのは素直にうれしい。

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▲昭和22年『古美術』1・2月号(寶雲舎)に掲載された岩本堅一「こわれ物」

この『古美術』という雑誌を出していた寶雲舎(宝雲舎)は,小野賢一郎(1888~1943)が始めた出版社です。小野賢一郎は,多彩な顔を持った人物で,東京日日新聞社(後の毎日新聞)の記者・社会部長や日本放送協会の文芸部長をつとめています。昭和6年(1931)寶雲舎をおこし,古美術誌『茶わん』(戦争中は『古美術』『古美術研究』と改名)を刊行し,昭和初期の陶芸ブームの火付け役となっています。俳人でもあり,俳号は蕪子(ぶし)。美食家で谷崎潤一郎の美食仲間でもあります。昭和初期のディレッタントの典型かもしれません。毀誉褒貶のある人物で,無季俳句、新興俳句の『京大俳句』が特高に摘発されたとき,その黒幕になった人物とされています。戦況が悪化する前の昭和18年2月に56歳で亡くなっています。
小野賢一郎は,新聞記者の遠藤多枝と結婚していて,その連れ子の遠藤敏夫(1913~1944)は『茶わん』の創刊時から編集にかかわっています。遠藤敏夫は,蘭郁二郎というペンネームのほうが有名で,戦前のSF作家,推理小説作家として知られています。『探偵文学』『シュピオ』の編集者でもあります。小野賢一郎の没後,遠藤敏夫が寶雲舎の跡を継ぎましたが,昭和19年に台湾滞在中,航空機事故で亡くなってしまいます。31歳でした。

調べると,寶雲舎の『茶わん』という雑誌は,書畫骨董雜誌社の『書畫骨董雜誌』の後継誌で,1931年から1950年ごろまで刊行されています。
・『茶わん』昭和6年4月号から17年3月号まで
・『古美術』昭和17年4月号から19年6月号まで
・『古美術研究』昭和19年7月から20年12月号まで
・『古美術』21年1月号から23年12月号まで
・『茶わん』24年1月号から昭和25年11月号まで
全部で217号刊行されています。寄稿者も,ちょっと見ただけでも,小山富士夫,今東光,脇本樂之軒,堀口捨己,青柳瑞穂,吉川英治,梅花艸堂主人(須磨彌吉郎),菅原通濟,加藤唐九郞,北大路魯山人,古田紹欽,野間清六,加藤土師萠,高橋誠一郎,谷川徹三,津田青楓,尾崎洵盛,小絲源太郎,満岡忠成,河井寛次郎,三宅正太郎,徳川義恭,日夏耿之介,土方定一,草野心平,難波田龍起,内田巌,中井正一,三岸節子,桑田忠親,恩地孝四郎,水原秋櫻子,石田幹之助,家永三郎,森銑三,…となかなか豪勢です。しかし,『茶わん』という誌名の『古美術』への改名ですが,戦時中は『茶わん』という響きさえ,はばかられるようなものだったのでしょうか。

昭和19年の遠藤敏夫の急逝後,小池又一郎が編輯兼発行人となり,昭和23年には小野正人が編輯兼発行人となっています。小野正人は,小野賢一郎と遠藤多枝の子で,遠藤敏夫の父親違いの弟にあたります。そして,昭和25年ごろ,寶雲舎の名前が消えます。

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▲戦中戦後の寶雲舎刊『古美術』『古美術研究』『茶わん』の表紙。

寶雲舎がなぜ昭和25年ごろ姿を消したのか定かではありませんが,昭和25年に,古美術出版社という出版社が立ち上げられ,編集者・満岡忠成で,小池又一郎,小池五郎の協力を得て,『古美術』昭和25年7月号(第1号)が創刊されています。その寄稿陣も『茶わん』と重なっており,このことも宝雲舎終焉と何か関連がありそうです。ただ,この『古美術』誌も,昭和26年1月号(第6号)を最後に終わっています。

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▲古美術出版社の『古美術』の表紙。題字は小林古径。

寶雲舎は,『茶わん』誌のほかにも,美術誌の『SKETCH(スケッチ)』誌,美學會の『美學』誌も刊行していて,小野賢一郎と遠藤敏夫が戦後まで生きていれば,日本の美術出版の分野で大きな存在となっていたような気もします。


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21. 1978年のブライアン・イーノ&ピーター・シュミット『オブリーク・ストラテジーズ』(2012年11月2日)

Oblique Strategies1978

『オブリーク・ストラテジーズ(Oblique Strategies)』のobliqueは「(1)斜めの、斜角の。(2)それた、曲がった。(3)間接の、遠回しの」といった意味です。直訳すると『斜めの戦略』でしょうか。「百あまりの有益なるディレンマ(Over One Hundred Worthwhile Dilemmas)」と、ちょっと香具師口上風の副題もついています。
『オブリーク・ストラテジーズ』は、ミュージシャン・プロデューサーのブライアン・イーノ(Brian Eno)と画家のピーター・シュミット(Peter Schmidt、1931~1980)がつくった、百あまりのカードに指示的な短いことばが書かれている、使い方は使い手に任されたカードです。初版は1975年に出ています。手元にあるのは、少し修正の入った1978年の第2版です。上の写真はその外箱です。初版のカードの数は113枚。第2版は少し増えて128枚になっています。
創作や日常生活の行き詰まりを解きほぐす指針のようなことば、あるいは、指針ならざる指針、短く、あいまいで、断定的なことばが書かれている、解釈のための余白がとても広いカードです。
使い方としては、例えば、音楽や絵画に取り組んでいて、アイデアの方向性がはっきりしなくなったときに、偶然1枚ひいたカードの指示を自分なりに解釈して、その方向で進むと、別の角度からの道筋をつけられるとか、あるいは、一日のはじめに1枚引いて、その日の心得とするとか、そうした使い方をします。その通り実践しても構わないし、心に留めておくだけでもよい、使い方は人それぞれのカードです。効くかどうかも、人それぞれですが、凝り固まった頭をときほぐす効用はあるようです。
イーノは、レコード・アルバム『Before and After Science』(Polydor、1977年)のライナーノーツで、このアルバムを制作するにあたって『オブリーク・ストラテジーズ』が広く使われたと書いています。偶然に導かれた方向性だったからこそ、『before and after science』のような美しいアルバムが誕生したともいえるわけです。

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ここでえいやっと1枚引いてみると、
「自分の誤りを隠された意図として尊重せよ(Honour thy error as a hidden intention)」と出ました。
誤りだらけの人生ですが、どうやらそこに人生の何たるかがあるのでしょうか。

ピーター・ブレグヴァド&アンディ・パートリッジ(Peter Blegvad & Andy Partridge)の10月に出たばかりのCD『GONWARDS』(APE HOUSE)には通常盤と二枚組のボックス盤があって、二枚組のボックス盤のほうには、Loteriaというメキシコのカードゲームがおまけとしてついています。ビンゴに似たゲームです。

Blegvad_Loteria01

Blegvad_Gonwards_Loteria02

52のオブジェを描いたカードと二人の肖像カード2枚の計54枚と、それを並べる10種類の組み合わせ表がついています。カードのオブジェは、ピーター・ブレグヴァドが描いていて、アルバム『GONWARDS』歌われた詩の語句が使われています。パタフィジシャンらしい仕上がりのカードゲームになっています。