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SWALLOW-DALE

 

不定期刊小冊子『SWALLOW-DALE』をPDFで公開していく予定です。おもに鹿児島についてのテキストになります。

 

01 『SWALLOW-DALE 01』(2012年9月)[pdf:2.9MB]

 とはいえ、初回は鹿児島の話ではありません。詩人木下杢太郎が1920年代のキューバである人物とすれ違ったお話です。テキストは縦書きです。
[2012/9/26「補遺」に図版を追加。]

 

02 『SWALLOW-DALE 02』(2012年10月)[pdf:6.1MB]

 どっぷり鹿児島の話です。東郷さんに庭を奪われた漱石さんの話です。多賀山の石碑「林岳記」の作者は何者かという謎を解く鍵となる新事実の発見もあります。テキストは縦書きです。
[2012/10/9 本文論旨に変更はありませんが、本文構成を変更。]
[2012/10/10 ダブったページを削除。]
[2012/10/16 「補遺3」として、島津貴澄(元直)と向井友章の詩で多賀山にかかわるものを選んで掲載。]
[2012/10/19 [補遺2]に田ノ浦の田山花袋の記述を追加。]
[2016/1/25 [補遺2]に加藤雄吉のこと、[補遺3]に市川鶴鳴のことを追記。]

 

03 『SWALLOW-DALE 03』(2016年2月)[pdf:2.9MB]

 『SWALLOW-DALE 03』として『平田信芳選集Ⅰ 鹿児島を知るために―古代編―』を公開しました。

 

04 『SWALLOW-DALE 04』(2016年12月)

 秋朱之介『書物游記』(1988年、書肆ひやね)の補遺になるようなかたちで、参考資料として、『書物游記』に収録されていない秋朱之介(西谷操)の詩や文章などを集めた『秋朱之介切貼帖』をつくってみました。秋朱之介(西谷操)の書誌を中心とした編年体の切貼帖です。
 私家版7部を作成しました。web非公開です。
 『秋朱之介切貼帖』は、2016年11月までの資料集めの経過報告ですので、その後に分かったことや新資料も含めた改訂版も準備中です。

『秋朱之介切貼帖』

秋朱之介(西谷操)については、本サイトの「 my favorite things」の次の回でも言及しています。

第415回 1936年の『木香通信』「閨秀新人 春の詩集」(2024年2月26日)
第413回 1934年の秋朱之介編輯『書物』九月號(2024年2月24日)
第396回 堀口大學が秋朱之介に贈った花瓶(2023年5月14日)
第380回 1928~1929年の『變態黄表紙』(2022年8月31日)
第379回 1926年の『變態・資料』に挟まれたメモ(2022年8月25日)
第331回 1992年の『ハマ野毛』(2020年12月27日)
第326回 1958年の『佐藤春夫詩集』と『堀口大學詩集』(2020年11月18日)
第322回 1931年の『談奇黨(党)』第3号とその異版(2020年10月11日)
第318回 1937年のモーゼス・スーパー・ファイン(2020年8月21日)
第314回 1934年のアンドレ・ジイド著 淀野隆三訳『モンテエニユ論』(2020年6月21日)
第313回 1933年の秋朱之介装釘・梶井基次郎『檸檬』(2020年6月10日)
第311回 1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版(2020年5月31日)
第307回 1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図(2020年4月30日)

第292回 1994の江間章子『ハナコ』(2019年11月30日)
第283回 2018年の龍星閣『澤田伊四郎 造本一路』と2019年の龍星閣『澤田伊四郎 造本一路 図録編』(2019年9月26日)
第268回 1936年の井上和雄『寶舩考(宝船考)』(2019年3月19日)
第256回 1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告(2019年2月7日)
第255回 1934年の有海久門詩集『人生を行く』(2019年2月6日)
第251回 1942年の昭南書房版・石川淳『山櫻』(2018年12月16日)
第245回 1931年~1932年の『古東多万(ことたま)』目次(2018年9月29日)
第244回 1931年『古東多万(ことたま)』第一號(2018年9月20日)
第240回 1935年の『The Dolphin』誌第2号(2018年7月23日)
第238回 1934年の木下杢太郎『雪櫚集』(2018年7月12日)
第237回 1992年の岡澤貞行『日々是趣味のひと』(2018年6月22日)
第233回 1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』(2018年5月9日)
第231回 1960年のマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(2018年4月5日)
第229回 1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』(2018年4月4日)
第228回 1936年の東郷青児『手袋』(2018年3月27日)
第227回 1990年の江間章子『タンポポの呪咀』(2018年3月16日)
第226回 1934年の山口青邨『花のある隨筆』(2018年2月12日)
第225回 1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』(2018年2月12日)
第224回 1934年の山口青邨『雜草園』(2018年2月12日)
第223回 1933年の富安風生『草の花』(2018年2月12日)
第222回 1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』(2018年1月28日)
第217回 1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし(2017年12月30日)
第210回 1925年の西谷操「狼は吠える」(2017年10月8日)
第208回 1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』(2017年8月29日)
第206回 1931年の佐藤春夫『魔女』(2017年7月25日)
第203回 1932年の池田圭『詩集技巧』(2017年4月27日)
第200回 千駄木の秋朱之介寓居から小日向の堀口大學の家まで(2017年3月16日)
第198回 1934年の『西山文雄遺稿集』(2017年1月31日)
第194回 1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)
第193回 1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』(2016年12月15日)
第192回 1995年の峯村幸造『孤拙優游』(2016年11月30日)
第189回 1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』(2016年10月17日)
第188回 1936年の『木香通信』6月号(2016年9月26日)
第187回 1936年のモラエス『おヨネと小春』(2016年9月4日)
第6回 1933年の内田百間『百鬼園随筆』 (2012年10月11日)

 

05 『SWALLOW-DALE 05』(2017年12月)[pdf:44MB]

 『SWALLOW-DALE 05』として『平田信芳選集II 石碑夜話』を公開しました。
[2017/12/24 12月23日に再校正して目についた誤字・脱字を修正しました。]

 

06 『SWALLOW-DALE 06』(2018年3月)

2018小桜定徳旧蔵の高橋輝雄木版詩集

 2018年のはじめ、鹿児島の古書店で入手した、滋賀県の詩人・版画家の高橋輝雄(1913~2002)の木版詩集についてのレポート『小桜定徳旧蔵の高橋輝雄木版詩集』です。それらの詩集は、高橋輝雄の友人だった鹿児島市の小桜定徳氏(1923~1989)旧蔵のものでした。
 高橋輝雄は、一連の木版詩集のなかで、太平洋戦争中に南洋で戦死した友人、清水卓の残した詩を刻み続け、1981年には、『清水卓詩抄』も手作りしています。そのあとがきに次のようにあります。

☆卓氏(タクシと呼んでいた)の略歴を書こうと思ったが、考えてみると、殆んど何も知らないことに気がついた。生年月日も知らないし、生地も四国か九州かくわしいことを知らない。彼が戦死するまでの青春の数年間あれほどしげしげと往来したにもかかわらず、履歴書などは話のタネになったことが無い。戦争なども、同人誌も作れないのだからひどいもんだというだけであった。彼にとっては感覚だけがすべてだった。おどろくほど鋭い感覚で、ゴミ箱やガラクタの中から宝物を発掘した。このすぐれた鉱山師が手品のようにとり出す宝物を仲間たちは珍重した。

 清水卓については、生没年も出身地も分かっておりません。しかし、小桜定徳が書き残したエッセイなどから、宮崎に疎開した妹・清水ゆきがいて、清水ゆきは詩人として、太平洋戦争中には京都の文芸誌『岸壁』に、昭和20年代に宮崎の文芸誌『龍舌蘭』で、詩を発表していたことが分かりました。
  残念ながら、今のところ、1955年以降の消息は分かっていません。兄の友人が『清水卓詩抄』を刻んだことは知らないと思います。

 web非公開です。

  概略は「第236回 1981年の『清水卓詩抄』(2018年6月21日)」でも書いています。

 

07 『SWALLOW-DALE』別冊「くまさんのはなよめ」(2019年1月)[pdf:31.2MB]

2003くまさんのはなよめ表紙01

      2003くまさんのはなよめ表紙02

              2003くまさんのはなよめ背

     2003くまさんのはなよめ扉

2003くまさんのはなよめ見開き

 十数年前、「おじバカ」が昂じた時期があり、めいっこにおもしろがってもらおうと、家族を題材にした手作りの絵本をつくったことがありました。
 写真のような紙の絵本も何冊か手作りしたのですが、「おじバカ」もここに極まった「問題作」と、周囲の苦笑と失笑を買ってしまい、ながらく封印しておりました。

 昔のデータを整理していたら、当時の元データが使えなくなっていることが分かり、JPEGデータを使って、新たにPDFを作成してみました。
 久しぶりに見返してみて、これでも笑いの種ぐらいにはなるかと、PDF版を公開してみることにしました。
 ほんとうは、冒頭で「〇〇ちゃん、はじめまして。」という名前の呼びかけで始まる、1冊ずつ違う作りになっていたのですが、公開にあたって、少し言葉を改めました。

 「おじバカ」ぶりをお笑いいただければ幸いです。

 

08 『SWALLOW-DALE 07』(2019年11月)

SWALLOW-DALE 07 北と南 村次郎と児玉達雄 表紙

 児玉達雄さん(1929~2018)の一周忌に、『SWALLOW-DALE 07 北と南 村 次郎と児玉達雄』を準備中です。

 青森八戸の村 次郎(石田實、1916~1997)と鹿児島の児玉達雄との40年を超える交わりについては、当サイトの「第263回 1973年ごろの村 次郎詩集『風の歌』筆写版(2019年3月1日)」「第265回 1992年の『児玉達雄詩十二篇』(2019年3月3日)」でも書いていますが、11月にはいって、児玉達雄さんの原稿や児玉達雄さん宛の書簡が残されているのですが、関心がありますか、という連絡が入りました。
 連絡をくださったのは、橋口博幸さん。
 児玉達雄の妹さん、大迫幸子さんの画集を準備中の方でした。
 大迫幸子さんのもとに、児玉達雄の原稿が残されていて、そのことについて橋口さんが相談を受け、児玉達雄のことを検索してみたら、「編集工房スワロウデイル」へたどり着いたということでした。

  橋口さんと連絡をとり、大迫幸子さんのもとを訪問。大迫さんのもとに残っていた、児玉達雄さんの原稿を、しばらくあずかることになりました。
 雑誌類がなかったのは残念でしたが、原稿・メモだけでもかなり量が未整理のまま残されていました。

 大雑把に何があるか、ざっと目を通しただけでも、難物なのは分かりました。いわゆる「ちらしウラ」のメモも大量にあって、時系列で並べるのはほぼ不可能と思われますし、原稿も完全原稿は少ないようで、何かしら欠けています。正直、わたしの力では手に負えない感じです。
 もし本格的に整理するとしたら、それに取り組む人の生涯の時間を食いつぶす覚悟がいるような、遺稿のかたまりです。文学研究では珍しい話ではないのでしょうが、その対象と心中するようなものですから、たいがいの人は、そこに踏み込むのを躊躇します。「断捨離」するのが楽かもしれませんが、それでも、残す手立てはとってほしいと、切に思います。

 書簡など郵便物は少ないというか、ほとんど無かったので、別のところにあったのかもしれません。

 それでも、青森八戸の詩人・村 次郎から児玉達雄へ送られた書簡が残されていたのは確認できました。

 もっとも、今のところ確認できたのは、ほんの数通(はがき5枚、手紙3通)だけですが。
 本来なら、2人の往復書簡集が作れるくらいの文通だったのではないかと推測しています。
 まだ他の場所に残されていればと、思います。

 古いものは昭和29年(1954)の消印で、児玉達雄が京都大学の学生だったときのものです。

 さらに驚いたのは、村 次郎の自筆詩稿が残されていたことです。

 1954年、京大生の児玉達雄は、詩をやめた詩人・村 次郎に、その詩集を読みたいと問い合わせたようです。村 次郎は、それにこたえて、自ら筆をとって「風の歌」連作を原稿用紙に清書して、児玉達雄に贈っていました。
 その村 次郎の、たぶん1954年ごろの自筆原稿が残されていました。

 村 次郎「風の歌」(「序・I~XX・終」の22編)原稿用紙23枚
 村 次郎「忘魚の歌抄」原稿用紙23枚
 村 次郎「未完詩集途上」から。原稿用紙7枚

 青年が、詩の発表をやめた詩人に、あなたの詩集を読みたいと問い合わせたら、昔の詩の手書き原稿が届いた、というわけです。なんというか、「おとぎ話」というか「夢ものがたり」というか。
 この北の人と南の人の生涯にわたる交わりには、魅かれるものがあります。

 青森県では、震災後、2011年青森県近代文学館「詩人 村 次郎展」、2018年八戸ブックセンター「紙から本ができるまで展2018村次郎」と、村 次郎の展示が開かれているので、青森の人にとっては、思いがけない贈り物になるような原稿かもしれません。

 村 次郎の書く手紙の文字は、よく言えば、風のように流麗なのですが、とても読みにくいものでした。それでも好奇心がまさって、残されていたはがき・手紙を、読み解いていくと、これが、いい手紙でした。
 特に1950年代の手紙はすばらしいと思いました。
 村 次郎のもとに、児玉達雄の手紙が残されていれば、すばらしい往復書簡集を編むことができるのではないかと思いました。

 さて、読み解いたものをどうしたものかと思っていましたら、児玉達雄さんの一周忌の法要が11月20日と知りました(命日は11月27日でした)。その日に間に合うように、今回読むことができた書簡をもとに、児玉達雄と村 次郎についての小冊子を作ってみようかと思い立ち、編集・校閲も不十分な、にわかづくりですが、『swallow-dale 07 北と南 村次郎と児玉達雄』と題して、急ぎ1部だけ作ってみました。

 これから、村 次郎と児玉達雄に関わるものがでてくれば、増補改訂していく予定です。
 この小冊子は、児玉達雄さんの一周忌のための、とりあえずの準備稿です。

 

SWALLOW-DALE 07 北と南 村次郎と児玉達雄01

SWALLOW-DALE 07 北と南 村次郎と児玉達雄02

 

09 『SWALLOW-DALE 08』(近日公開予定)

 忘れられている、忘れ去られている話題を取り上げていく予定です。時代遅れというか、時代とずれた話が続く予定です。

 

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