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スワロウデイル

 編集工房SWALLOW-DALEのアーカイヴ準備室です。ときどき更新します。

平田信芳文庫

 平田信芳(1930年9月15日 - 2014年2月15日)の思い出に、
「平田信芳文庫」を開設しました。(2014年10月28日)

 

SWALLOW-DALE

 不定期刊小冊子『SWALLOW-DALE』をPDFで公開していく予定です。おもに鹿児島についてのテキストになります。忘れられている、忘れ去られている話題を取り上げていく予定です。時代遅れというか、時代とずれた話が続く予定です。

 

my favorite things

 しばらく「20世紀書店」が続きます。ほかの世紀にもお邪魔します。

 

216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)

1869年の「綾御衣裏寧姫命塚」


【承前】 たんたどの坂を登り下って、金剛嶺を登って下り、福昌寺墓地を抜けて、今度は、常安嶺にのぼります。

福昌寺の南西の裏鬼門にあたる常安の山上に、明治以降の島津家の墓所があります。

この場所に最初に葬られたのが、島津斉彬(1809~1858)の娘で、島津家29代当主・島津忠義(1840~1897)の正室、暐子(てるこ、1851~1869)でした。18歳の年、長女・房子の出産のあと、すぐに亡くなっています。
明治2年(1869)のことでした。

このときの葬儀は、それまでの仏式でなく、神式で行われました。
墓はいわゆる「土まんじゅう墓」で、下方上円の塚に、諡(おくりな)をしるした墓標を建てる形になっています。島津暐子の諡は「稚櫻豊暐姫命塚」、美しい名前です。「塚」ということばを使っているのも特徴のひとつです。背面に「明治二年己巳三月廿四日」と亡くなった日の日付が刻まれています。

明治に入って最初の島津家の葬儀が神式で行われたことが、「廃仏毀釈」容認のように受け取られてしまい、島津家の菩提寺であった福昌寺の廃寺につながりました。

鹿児島で廃寺にされたのは福昌寺だけではありません。明治2年、それまで1000以上あった仏教寺院がすべて廃寺となり、それから約10年、鹿児島には仏教寺院がひとつもない状態が続くことになります。