■平田信芳の書誌・年譜
平田信芳(1930年9月15日 - 2014年2月15日)の年譜と書誌のページです。
*上町の歴史と文化に学ぶ会、郷土史講座、歴史の道ウォーキング、西田橋保存活動などの資料については未整理です。また、数百としか言いようのないノート類も未整理です。
●昭和5年(1930)
9月15日 父・平田熊吉、母・フイの長男として、鹿児島市に生まれる。
▲右端の少年が平田信芳。父・平田熊吉が宮崎機関区で働いていたころ。機関区宿舎近くの田んぼの前で。右奥に見える建物は、宮崎の刑務所。中央でしゃがんでいる男性が平田熊吉。その前の少年は二人兄弟だった信芳の弟、そのとなりが母フイ。
●昭和9年(1934)
一家で満洲に渡る。国鉄に勤めていた父が満鉄に転職。
▲平田信芳少年。錦州の広済寺ラマ塔の前で、父の家に間借りしていた同郷のM兄弟とともに。
▲1938年3月の平田信芳少年。
●昭和20年(1945)
8月 満洲の錦州(きんしゅう)中学校3年の時、敗戦。錦州中学校解散。
●昭和21年(1946)
7月12日 胡蘆島(コロ島、フールータオ)より引き揚げ、焼け野原の鹿児島に着く。
9月1日 鹿児島県立第二中学校3年に編入。
▲二中時代
●昭和23年(1948)
3月 鹿児島二中(現在・鹿児島県立甲南高校)4年修了。5年に進んだ同級生は甲南高校一回生。
第七高等学校文科甲類一組入学(旧制高校最後の入学者)
▲七高時代
●昭和24年(1949)
3月31日 七高1年修了(学制改革により七高廃校)
▲七高1年の修了証。平田信芳は、錦州中学校と第七高等学校と、二つの学校の廃校を体験しています。
7月 後継として設立された新制大学の鹿児島大学文理学部入学 。
▲鹿大時代。まだ登山禁止でなかった桜島に登山。
▲鹿大ホッケー部に在籍。後列右から2人目。北大・東大・京大・九大との対抗戦か。
●昭和28年(1953)
3月 鹿児島大学文理学部東洋史学科卒業(新制大学の1期生。東洋史学専攻の卒業生は平田信芳ひとり。担当教官は増村宏と荻原弘明。)
4月 鹿屋農業高校教諭
12月 研究発表「ネルチンスク条約の国境線について」(鹿大史学会)
●昭和29年(1954)
▲鹿屋時代
■11月26日 卒業論文要旨「露支交渉史序説」(『鹿大史學』第2号)
▲『鹿大史學』第2号
●昭和30年(1955)
9月 市来農芸高校教諭
▲市来時代
●昭和32年(1957)
11月、結婚。
●昭和34年(1959)
4月 川内高等学校教諭
▲川内時代
●昭和38年(1963)
■昭和38年(1963)~41年(1966) 薩摩国府、薩摩国分寺の調査
●昭和39年(1964)
■3月 「川内の名称および由来について」「可愛山陵・中陵・端陵・川合陵」「泰平寺・和睦石」「国分天満宮」(川内市『文化財』第一集)
▲川内市『文化財』第一集
■3月8日 入来原家屋遺構発掘調査
■12月5日 研究発表「薩摩国府の遺構について」(第11回鹿大史学会)
●昭和40年(1965)
■8月 薩摩国府発掘調査
●昭和41年(1966)
■鶴峯瓦窯址調査
▲川内の発掘現場で
●昭和42年(1967)
4月 甲南高等学校教諭
11月 川内市文化功労賞受賞
▲甲南時代
●昭和43年(1968)
■薩摩国分寺発掘調査
■9月 「高城郡の境域」(『中世史研究会報』21)
■9月 「薩摩国分寺の変遷」(『中世史研究会報』23)
●昭和44年(1969)
■1月31日 「国分寺と黄金比」(『甲南』第17号)
■3月 「古代寺院の設計――その数値的分析」(『鹿児島史学』第16号)
▲『鹿児島史学』第16号
●昭和46年(1971)
■10月18日 「前方後円墳設計の仕様尺」(『一九七一年度・第二十一回地方史研究協議会大会 研究発表要旨』)
▲『一九七一年度・第二十一回地方史研究協議会大会 研究発表要旨』
■10月18日 『地方史研究協議会 全国大会巡見地案内 1971』(鹿児島大会実行委員会)
▲『地方史研究協議会 全国大会巡見地案内 1971』
●昭和47年(1972)
■3月 「薩摩国分寺関係史料」(『薩摩国府・国分寺』鹿児島県教育委員会)
■3月20日 「前方後円墳の計測学的研究」(『鹿児島史学』第18号)
●昭和48年(1973)
■3月 「メトロロジカルエッセイ」(『鹿児島史学』第19号)
■5月 「古墳の計測」(『鹿児島考古』第7号)
▲『鹿児島考古』第7号
■11月 研究発表「古墳造営と使用尺」(地方史研究会)
●昭和49年(1974)
4月 鹿児島県教育委員会文化課 主任文化財研究員
[*文化課時代に執筆した調査報告書等については、まだ未整理のままで、ここでは、そのすべてを網羅しているわけではありません。
]
■(1974)5月 「古墳の計測II」(『鹿児島考古』第9号)
■(1974)8月 再掲「古代寺院の設計――その数値的分析」(『鹿児島史学論集』鹿児島史学20号発刊記念、鹿児島県高等学校歴史部会)
▲『鹿児島史学論集』鹿児島史学20号発刊記念
●昭和50年(1975)
■3月 発掘調査報告書『薩摩国府跡・国分寺跡』(鹿児島県教育委員会)
●昭和52年(1977)
■2月 発掘調査報告書「山神遺跡」(『鹿児島県埋蔵文化発掘調査報告書(7)』)
■7月10日 「大隅国分寺址をみて」(『隼人文化』第3号)
▲『隼人文化』第3号
●昭和53年(1978)
■3月 発掘調査報告書『萩原遺跡』(姶良町教育委員会)
■6月 「土師部の造形理念――前方後円墳および坏の造形数値」(ニュー・サイエンス社『考古学ジャーナル』No.150)
▲『考古学ジャーナル』No.150
■7月17日 「国分市城山公園建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査事業報告」(国分市教育委員会)
■10月 研究発表「熊襲と隼人」(隼人文化研究会)
●昭和54年(1979)
■3月20日 「隼人が用いた土器――成川式土器――」(『隼人文化』第5号)
■3月30日 「薩摩国分寺の塔は七重か五重か」(『考古学ジャーナル』No.159、ニュー・サイエンス社)
■4月4日~4月6日 「隼人って何?」(『南日本新聞』文化欄)
■6月 研究発表「菱刈郡の範囲について」(隼人文化研究会)
■10月31日 「菱刈郡の境域」(『隼人文化』第6号)
■11月10日 「薩摩の特産“紫根”について」(隼人文化研究会)
●昭和55年(1980)
■1月18日 「中村」考(『南日本新聞』文化欄)
4月 国分高等学校教諭
■4月30日~5月17日 「かごしま古代地名考」1~10(『南日本新聞』連載)
■5月30日 「上・下の分類」(国分高校図書館報『あかね雲』No.72)
■12月20日 「さつまと塩」(『隼人文化』第8号) 隼人文化研究会編『隼人族の生活と文化』(1993年9月、雄山閣出版)に収録。
▲隼人文化研究会編『隼人族の生活と文化』(1993年9月、雄山閣出版)
●昭和56年(1981)
■9月 分担執筆『鹿児島大百科事典』(南日本新聞)
■11月 「古代大隅・薩摩の郡郷名――倭名抄記載の郷名考証」(『鹿児島大学史録』第14号)
■11月 「A Toponymical Approach to the 郡(districts) and 郷(regions) of 大隅(Osumi) and 薩摩(Satsuma) Provinces in Old Times」(『鹿児島大学史録』第14号)
●昭和57年(1982)
■10月 「霧島神宮と鹿児島神宮」「熊襲と隼人」(『鹿児島県風土記』トラベルメイツ社)
■12月20日~12月31日 「大隅国府はどこか」1~10(『南日本新聞』連載)
●昭和58年(1983)
■2月28日 「開発と保存と」(『南日本新聞』文化欄)
■3月 「大隅国府はどこか」(『文芸かごしま』第11号) 南日本新聞に連載のもの再掲。
▲『文芸かごしま』第11号
■3月 分担執筆『鹿児島県地名大辞典』(角川書店)
■4月1日 「溝部と溝辺」(『地名研究年報』地名研究協議会)
▲『地名研究年報』地名研究協議会
6月12日 第1回鹿児島地名研究会を開催。世話役をつとめる。
■6月22日 「隼人の地名」「隼人が用いた言葉」「隼人は海人族か?」「律令期の大隅・薩摩(一)~(六)」「墨書土器」「薩摩・大隅の特産 消えてしまった?塩」(隼人文化研究会『古代隼人への招待』第一法規)
▲ 隼人文化研究会『古代隼人への招待』(第一法規)
■8月31日 「王子遺跡はなぜ残らないのか」(『みなみの手帖』No.40)
■昭和58年(1983)9月4日 鹿児島地名研究会の会報『地名研究会報』を手作りで発行しはじめています。
約2時間の研究会の論議を録音したものを、平田信芳が書きおこし、編集していました。当初は手書きの原稿をコピーしたもの。平成23年(2011)10月の117号(116号は録音失敗のため欠号)までは残されています。それ以降はテープ起こしが負担になったようで、会自体は平成25年(2013)12月1日の第131回まで開催され、テープも残っていますが(123回・124回・126回・128回・131回はテープ欠)、会報を作成するまではいかなかったようです。
■9月4日 「峠の語源」(『地名研究会報』第1号)
■10月20日 「奈良なる地名」(『地名通信』第7号)
●昭和59年(1984)
■3月1日 「国分物語」(『国分高校七十周年記念誌』)
▲『国分高校七十周年記念誌』の「国分物語」
■3月31日 「地名が語りかけるもの――地名研究の方法」(『千台』第12号)
▲『千台』第12号
■4月20日 「目印地名としての植物地名」(『地名通信』第9号)
■10月13日 研究発表「なぜ国分(こくぶ)か」(隼人文化研究会)
■12月2日 「鶴丸城の語源」「国分市府中の小字」(『地名研究会報』第6号)
■12月20日 「桜島」考――その地名の由来――(『隼人文化』第15号)
●昭和60年(1985)
■研究発表「郷土学習の一視点――考古地名・歴史地名・民俗地名」(鹿児島県高校歴史部会)
■「名字(苗字)と地名」(「国分高校生の名字の由来」文化祭・郷土研究クラブ)
■4月 「島津一族・家臣団と南九州の地名」(『歴史と旅』秋田書店)
■6月2日 「市後柄」(『地名研究会報』第8号)
■11月 「伊座敷という地名」(『歴史と旅』No.159)
■12月 発掘調査報告書「城山山頂遺跡」(『国分市埋蔵文化財発掘調査報告書(2)』)
●昭和61年(1986)
■3月8日 鹿児島県における地名研究の動向――『阿久根の地名』にことよせて――(『隼人文化』第17号)
■3月12日 書評「阿久根の地名」(『南日本新聞』)
■6月1日 「新田神社と新多郷」(『地名研究会報』第12号)
■6月19日 研究発表「石垣の話」(鹿児島市郷土史研究会)
■7月 「国分市」「大隅国分寺跡」「隼人町」「鹿児島神宮」「福山町」(『文化誌日本 鹿児島県』講談社)
■11月15日 研究発表「小野石と五大石橋」(隼人文化研究会)
■昭和61年(1986)11月10日~昭和62年(1987)12月21日 「石の鹿児島」(『南日本新聞』夕刊連載) 平成7年(1995)刊行の『石の鹿児島』に収録
■12月1日 「波見という地名」(『南九州の地域文化を考える』第1号)
●昭和62年(1987)
■3月 『郷土見直しのための資料 身近な地名の由来』(国分高等学校社会科)
▲『郷土見直しのための資料 身近な地名の由来』
■8月 『研修旅行のしおり』(国分高等学校)
■10月17日 研究発表「大石兵六物語に見える地名」(隼人文化研究会)
●昭和63年(1988)
■1月4日 鹿児島の「竜」「辰」地名考(『南日本新聞』文化欄)
■3月15日 発掘調査報告書『本御内(もとおさと)遺跡(国分舞鶴城跡)』(国分高等学校郷土研究クラブ)
▲『本御内遺跡(国分舞鶴城跡)』
■6月5日 「国名郡郷と那珂郡」「島廻(しまめぐり)という地名」(『地名研究会報』第20号)
■7月9日 研究発表「鹿児島の山と川の地名」(隼人文化研究会)
■12月4日 「海の地名と山の地名」(南九州の地域文化を考える会)
●平成元年(1989)
■1月11日 『浄光明寺の歴史』松峯山浄光明寺
▲『浄光明寺の歴史』
■2月5日 研究発表「一見新しいようで古い地名(多祢国府)」(鹿大史学会)
■2月15日 発掘調査報告書『敷根火薬製造所跡』(国分高等学校郷土研究クラブ)
▲『敷根火薬製造所跡』
■2月21日 「星ヶ峰」「紫原」「広田」(『南日本新聞』文化欄・記者による紹介記事)
■3月31日 「郷土学習の一視点――地名を考える」(『鹿児島史学』第35号)
■4月 『かごしま地名ものがたり』(南日本新聞附録「南日本くらしの宝」シリーズNo.63)
▲『かごしま地名ものがたり』
■5月1日 「オハラ節に見える地名」(『文化ジャーナル鹿児島』No.13)
■8月22日 講義「溝部と溝辺」(竹子郷土研究会・平田先生のお話を聞く会)
■10月31日 「征韓論と遣韓論」(信濃毎日新聞夕刊)
●平成2年(1990)
▲『朱欒』平成2年(1990)6月号
■平成2年(1990)6月から平成19年(2007)12月まで、脇本星浪氏主宰の俳句誌『朱欒』(平成元年創刊)に地名エッセイを連載。
01 『植物に由来する地名』平成2年(1990)6月~平成6年(1994)12月 全55回
02 『動物に由来する地名』平成7年(1995)1月~平成11年(1999)2月 全50回
03 『自然現象にもとづく地名』平成11年(1999)3月~平成15年(2003)10月 全56回
04 『人文地名・田と畑と園の巻』平成15年(2003)11月~平成19年(2007)5月 全42回
05 『信仰地名』平成19年(2007)6月~平成19年(2007)12月 全7回
■6月3日 「柊原という地名」(『地名研究会報』第28号)
■7月 「星に由来する地名」(南日本新聞附録「南日本くらしの宝」シリーズNo.77「かごしま星物語」)
■9月20日 「柊原という地名」(小野重朗先生傘寿記念論文集『南西日本の歴史と民俗』)
▲小野重朗先生傘寿記念論文集刊行委員会編『南西日本の歴史と民俗』(第一書房)
■8月 「研修旅行のしおり」(国分高等学校2年)
▲「研修旅行のしおり」
■11月 講演「舞鶴城と島津義久」(国分高校)
●平成3年(1991)
■2月6日 講演『「大」と「小」の付く地名』(国分高校)
■3月5日 「島津一族・家臣団と南九州の地名」(『歴史と旅』臨時増刊「姓氏 名門 名家 Part2」秋田書店)
▲『歴史と旅』臨時増刊「姓氏 名門 名家 Part2」
■3月10日 分担執筆「大分県」「宮崎県」「鹿児島県」「沖縄県」(『日本地名ルーツ辞典』創拓社)
▲『日本地名ルーツ辞典』(創拓社)
■3月20日 「西道仙」(『村野守次先生追悼録』)
▲『村野守次先生追悼録』
■3月31日 「遣韓論」説の問題点(『鹿児島史学』第37号)
▲国分時代
3月 国分高等学校定年退職。
■6月2日 「谷山と山川」(『地名研究会報』第31号)
■9月24日 西郷書・藤嶋新二追悼碑(『敬天愛人』第9号)
▲『敬天愛人』第9号
■10月19日 記事「西郷書の追悼碑確認」(『南日本新聞』)
●平成4年(1992)
4月 出水中央高等学校非常勤講師
5月 鹿児島県教育委員会・歴史の道調査委員(平成12年3月まで)
■平成4年(1992)5月~平成9年(1997)5月 「石碑夜話(一)~(十五)」(『みなみの手帖』66号~81号に連載) 「石碑夜話(一)~(九)」は平成7年(1995)『石の鹿児島』に収録。
「石碑夜話(一) 藤嶋新二とその仲間たち(その一)」平成4年(1992)5月
「石碑夜話(二) 藤嶋新二とその仲間たち(その二)」平成4年(1992)9月
「石碑夜話(三) 旧射圃記」平成4年(1992)12月
「石碑夜話(四) 肱黒君益墓碣銘」平成5年(1993)5月
「石碑夜話(五) 伊藤翁遺徳碑」平成5年(1993)9月
「石碑夜話(六) 五石橋のうめき声」平成5年(1993)12月
「石碑夜話(七) 石橋への思い」平成6年(1994)5月
「石碑夜話(八) 石大工薩摩之住紀加兵衛」平成6年(1994)9月
「石碑夜話(九) 石橋挽歌」平成6年(1994)12月
「石碑夜話(十) 路傍の石碑」平成7年(1995)5月
「石碑夜話(十一) 金剛嶺の古墓」平成7年(1995)9月
「石碑夜話(十二) 島津家久献上の石」平成7年(1995)12月
「石碑夜話(十三) 鎮国山感応寺」平成8年(1996)5月
「石碑夜話(十四) 白水君墓表」平成8年(1996)12月
「石碑夜話(十五) 宝満寺石と夏井石」平成9年(1997)5月
■5月 「生き残りの美学」(平田整形外科病院誌『グリーンベルト』8号)
平成7年(1995)『石の鹿児島』に収録
▲『グリーンベルト』8号
■9月24日 「西南之役戦没者墓碑銘(一) 南洲墓地その一」(『敬天愛人』第10号)
●平成5年(1993)
■1月13日 「岩永三五郎の知恵」(『南日本新聞』)
■3月 「出水筋の歴史的考察――古代の薩摩」(『歴史の道調査報告書 第一集 出水筋』鹿児島県教育委員会)
▲『歴史の道調査報告書 第一集 出水筋』
■3月15日 「稲荷川井堰の保存とは」(『南日本新聞』)
■5月4日 「大隅国府は移動していた――平安時代の一時期、帖佐に」(『南日本新聞』文化欄)
■9月5日 「白石」考――しらいし・しろいし――(『地名研究会報』第38号)
■9月24日 「西南之役戦没者墓碑銘(二) 南洲墓地その二」(『敬天愛人』第11号)
●平成6年(1994)
■3月 「大隅国略年表」(国分高等学校研究紀要『舞鶴』創刊号)
▲『舞鶴』創刊号
■3月 「大口筋・加久藤筋・日向筋の歴史的考察――古代の大隅」(『歴史の道調査報告書 第二集 大口筋・加久藤筋・日向筋』鹿児島県教育委員会)
■3月6日 「曽於国府と桑原国府」(『地名研究会報』第41号)
■7月21日 『川内市歴史資料館開館10周年記念特別展「よみがえる古代」~薩摩国府・国分寺発掘30周年展解説』に「平田信芳」の記述。
■8月4日 「独り歩きしている五石橋移設論」(『甲突川と石橋』第11号)
■9月24日 「西南之役戦没者墓碑銘(三) 南洲墓地その三」(『敬天愛人』第12号)
■10月 『続かごしま地名ものがたり』(南日本新聞附録「南日本くらしの宝」シリーズNo.124)
▲『続かごしま地名ものがたり』
■12月29日 「石橋移設の問題点」(『南日本新聞』)
●平成7年(1995)
■3月 「海の道の歴史的考察――古代の海の道」(『歴史の道調査報告書 第三集 海の道』鹿児島県教育委員会)
■5月5日 「甲突川石橋技術セミナーを聴いて」(『南日本新聞』)
■7月4日 『石の鹿児島』(南日本新聞開発センター)
▲『石の鹿児島』
『石の鹿児島』もくじ
はしがき
第一章 石材の原産地を尋ね歩く
コンクリート文化4
旧鹿児島刑務所6
明治6年の銘文8
悲劇は未知から10
秘められた歴史12
石切場跡と磨崖仏14
梅ヶ渕観音訪問16
探し当てた産地18
第二章 甲突川五大石橋
五大石橋の嘆き22
五大石橋と岩永三五郎24
三五郎と規矩術26
欄干に宿る歴史28
残念石を生かす30
第三章 反田土石と小野石
二瀬戸石の盛衰34
上町の反田土石36
新道之碑38
平松神社40
石工たちの系譜42
手水鉢44
職人気質と芸術46
泣いている鳥居48
蛇の神様50
第四章 石が語る西南之役
浄光明寺墓地54
麑島改葬碑56
西南之役の弾痕58
西郷隆盛終えんの地60
滝ノ上火薬製造所跡62
井川と清水64
藤嶋新二とその仲間たち66
生き残りの美学83
肱黒君益墓碣銘89
伊藤翁遺徳碑97
第五章 石に刻まれた歴史
いづろの石灯籠108
自然の摂理「霜崩」110
集成館112
福昌寺墓地114
摩利支天116
題字に見る世相118
亀浮屠120
御石様122
重建孝行橋碑124
花倉石126
旧射圃記128
第六章 田之神の里と石敢当の路地
田之神さあ138
石敢当と石曼子140
石倉と藏家142
横峯石144
薩摩郡避石郷146
薩摩国石籬浦148
大隅国分寺石造層塔150
正国寺石造層塔152
第七章 想い出の石橋
稲荷川の六石橋156
国料と反田土石158
黒島神社160
「サイクロイド」162
浜田橋164
山形の石橋166
一升巻と五合巻168
五連アーチ永遠に170
第八章 五石橋のうめき声173
第九章 石橋への思い183
第十章 石橋挽歌193
第十一章 われら、かく主張せり。されど203
第十二章 石工薩摩之住紀加兵衛217
あとがき
巻末資料 石工の系譜
■9月3日 「市・町の痕跡地名」(『地名研究会報』第46号)
■9月24日 「西南之役戦没者一覧(南洲墓地)」(『敬天愛人』第13号)
■11月1日 「歴史はくりかえす」(『甲突川と石橋』第12号)
●平成8年(1996)
■1月20日 「石橋移設に苦言を呈す」(『南日本新聞』)
■3月 「南薩地域の道筋の歴史的考察――古代の南薩地域」(『歴史の道調査報告書 第四集 南薩地域の道筋』鹿児島県教育委員会)
3月 出水中央高等学校退職
■6月2日 「甲突川とその流域の地名」(『地名研究会報』第49号)
●平成9年(1997)
■平成9年(1997)2月4日~平成13年(2001)6月29日 「七高風説書」第1号~第19号(七高史研究会)
■3月 「大隅地域の道筋の歴史的考察――古代の大隅地域――大隅郡の境域と日向への道」(『歴史の道調査報告書 第五集 大隅地域の道筋』鹿児島県教育委員会)
■3月2日 「八幡の分布について」(『地名研究会報』第52号)
■3月31日 「西南の役と国分」(『国分郷土誌』上巻)ほかに明治初年行政部分の執筆。
4月 学校法人共立学舎理事
■4月 『地名が語る鹿児島の歴史』(かごしま文庫-38、春苑堂出版)
▲『地名が語る鹿児島の歴史』
『地名が語る鹿児島の歴史』目次
古代語が生きている鹿児島
話の糸口16
「入戸口」とは16
「戸を立てる」16
「わがえ」と「わがやど」19
古代の住まいの呼称19
コラム《『万葉集』に見る「わがえ」と「わがやど」》19
種子島・奄美諸島の場合21
「じんしゃ」と「じんじゃ」23
鹿児島では「じんしゃ」23
「じんしゃ」は古い表現24
清音と濁音26
清音と濁音の逆転26
蒲生(かもう)26
山川(やまがわ)27
島々の呼び名28
中島(なかしま・なかじま)30
古代の大隅と薩摩
熊襲と隼人
先進地は大隅32
大隅・薩摩から薩・隅・日へ32
熊襲(クマソ)は地名34
「隼人」語源説いろいろ37
隼人(早人)の由来は贈於人40
コラム《『万葉集』にみえる隼人(早人)》41
純情な隼人たち42
傀儡子(くぐつ)の舞42
殉死した隼人44
考古学と神話・伝説46
盛んな古代遺跡の調査46
解明される古代の文化46
神話と伝説の混在47
史実と現実49
薩摩国・多褹(たね)国・大隅国の設置51
隼人の解明51
隼人の教化と抵抗51
南九州と遣唐使53
隼人の経略と遣唐使53
南島路整備と南九州経略54
南九州における遣唐使関係記事58
「薩摩」の語源61
文献では61
現存する「薩摩」地名61
「薩摩」語源説いろいろ62
「サ・ツマ」か「サツ・マ」か64
古代大隅・薩摩の郡と郷69
奈良・平安期の郡・郷69
郡名消滅六〇パーセント69
郷名の比定71
大隅国の郡・郷73
国界・所属国の異動変遷73
菱刈(ひしかり)郡74
桑原(くわはら)郡77
贈於(そお)郡81
大隅(おおすみ)郡83
姶羅(あいら)郡89
肝属(きもつき)郡89
馭謨(ごむ)郡91
熊毛(くまげ)郡94
薩摩国の郡・郷95
薩摩国十三郡95
出水(いづみ)郡96
高城(たかき)郡98
薩摩(さつま)郡102
甑島(こしきじま)郡103
日置(ひおき)郡105
伊作(いさく・いざく)郡107
阿多(あた)郡107
コラム《「田布施(たぶせ)」の語源》109
河邊(かわなべ)郡110
頴娃(えい)郡110
揖宿(いぶすき)郡111
給黎(きいれ)郡112
谿山(たにやま)郡112
麑島(かごしま)郡113
地名から歴史を探る
「帖佐」の由来116
桑原国府と贈於国府116
国府および駅路の解明116
贈於国府118
桑原国府118
国府を結ぶ駅路119
帖佐城跡120
蒲生駅121
コラム《「クワバラ・クワバラ」の由来》122
出水郡家と市来駅の問題124
肥後から薩摩への道124
『延喜式』の駅名124
出水郡家125
薩摩国府への駅路128
各地八幡社の鎮座129
俊寛配流の道131
配流先「鬼界ヶ島」131
「鬼界ヶ島」はどこか131
配流の経路135
地名と苗字136
鹿児島県は歴史の宝庫136
縄文文化と火山灰層136
米とその渡来経路136
国府・国分寺跡137
現存する貴重な史料139
鹿児島の苗字141
どんな苗字が多いか141
苗字の九〇パーセントは地名から141
関東武士の流れ141
苗字研究のメッカ142
苗字ランキング143
コラム《「有馬」と「山下」》146
郡・郷・里(村)に由来する苗字147
苗字として見られない郡・郷名147
『建久図田帳』にみえる地名147
「東郷」と「西郷」
「東郷」は高城郡の郷名
西郷隆盛の家系
残る地名・消える地名152
地名は無形の文化152
門名・小字名消長の類別153
地名と伝承155
民俗学の重要テーマ155
伝説・土俗信仰の痕跡を残す地名155
「日暮の岡」伝説156
「日暮の岡」伝説推理157
「日暮の岡」と「テチョ」159
古道を探そう160
新か物(にかもん)好き160
古道探しの着眼点161
橋の名と橋の数163
橋の名の面白さ163
橋は古道探しの手引き165
津と泊と湊166
海に関わる地名166
海上交通の拠点と和戦168
国府・郡家に古道は集中する170
「すべての道は国府に通ず」170
麓・在・野町・浦町173
近世集落の中心「麓」173
「門割制度」と「野町」「浦町」179
総廟の性格180
由緒深い土地神ともたらされた神々180
「八幡神」と「一之宮」184
寺跡を示す地名185
壊滅した寺院仏閣185
小字に残る仏教関係の地名187
コラム《「紫原(むらさきばる)」》188
地名の分析あれこれ
おはら節に登場する地名190
鹿児島おはら節190
歌の由来と歌詞の地名190
草牟田川と伊敷・原良192
燃える桜島194
キリシマツツジと国分タバコ195
コラム《「桜島」という地名》
「小原」のよみ197
「白」のよみ205
「鹿児島」の語源206
その他二、三のこと208
「み」語尾の地名209
「川」を見直そう209
「稲荷の市」のこと211
鹿児島県の地名研究
研究史概要と参考文献214
地誌・名勝志などの編纂214
参考文献と研究者214
江戸時代から明治初期の文献214
辞典類215
島々の地名研究215
市町村別の地名研究216
県内全域の地名研究220
註解223
あとがき226
■6月22日 書評・小川亥三郎著『南日本の地名』(『南日本新聞』)
■8月12日 「河頭太鼓橋の価値の見直しを」(『南日本新聞』)
■12月7日 「稲荷川流域の地名」(『地名研究会報』第55号)
■12月30日 「河頭太鼓橋問題始末書」(『南日本新聞』)
●平成10年(1998)
■6月7日 「河頭太鼓橋の由来と現状」(『地名研究会報』第58号)
■9月6日 「地名で探る大字の特色」(『地名研究会報』第60号)
■9月20日 「七高風説書第五号、第六号」(東京七高会『会報』第27号)
■9月24日 「明治十年における新旧暦の対照」(『敬天愛人』第16号)
■12月12日 講演「鹿児島の川の名前」(照國文庫講演会)
●平成12年(2000)
■1月 「隼人塚をめぐる諸問題」(『高宮廣衞先生古稀記念論集』)
▲『高宮廣衞先生古稀記念論集』
■3月5日 「日高姓の分布」(『地名研究会報』第66号)
■12月 七高史研究会『七高造士館で学んだ人々(名簿編)』
▲七高史研究会『七高造士館で学んだ人々(名簿編)』
平田信芳は、旧制七高の最後の入学者で、「七高生」であったことに誇りを持っていました。歴史家として、七高の正確な同窓会名簿の作成を目論み、七高史研究会として『七高で学んだ人々(名簿編)』と『七高で学んだ人々(業績編)』の2巻の原稿を書いていました。七高史研究会『七高造士館で学んだ人々(名簿編)』は,2000年12月上梓され、今のところ七高最後の同窓会名簿です。
七高史研究会を支援してくださる方も多かったのですが、諸事情で、『名簿編』は七高史研究会の自費出版のような形になりました。 そして、『七高造士館で学んだ人々(業績編)』のほうは、とうとう上梓することができませんでした。
『業績編』の原稿・資料を含め,鹿児島大学の総合研究博物館にあずけたという話も聞いていましたが、『名簿編』と『業績編』の原稿ノートが平田信芳の書庫に残されています。
加えて、誤植修正や2012年ぐらいまでの情報を赤ペンで追加した訂正本も残されていました。
■12月3日 「大隅・薩摩の臨済寺院」(『地名研究会報』第69号)
●平成13年(2001)
■2月 「嵐の中のキャンプ」「祭文」(『学校法人共立学舎125周年記念誌・共立幼稚園70周年記念誌』)
▲『学校法人共立学舎125周年記念誌・共立幼稚園70周年記念誌』
▲1998年、共立学舎の妙円寺詣
■2月7日 卓話メモ「島津氏の町づくりと方位」(『鹿児島西ロータリークラブ』週報1831号)
■2月10日 『地名が語る鹿児島の歴史』(かごしま文庫-38、春苑堂出版)の第2刷発行。
■3月4日 「島津氏の町づくりと方位」(『地名研究会報』第71号)
■8月 『歴史教科書をめぐる諸問題』
▲『歴史教科書をめぐる諸問題』
■9月2日 「桜島の小字」(『地名研究会報』第73号)
■12月2日 「神話を地名から眺める」(『地名研究会報』第74号)
●平成14年(2002)
■10月26日 『野外郷土史講座ノート』(学校法人共立学舎)
▲『野外郷土史講座ノート』
■12月1日 「内之浦町の地名」(『地名研究会報』第78号)
●平成15年(2003)
■3月 「古道を探る方法」(『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(54) 中原遺跡』)
▲『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(54) 中原遺跡―第3分冊―』
■7月20日 「出水街道」「串木野と川内」(三木靖・向山勝貞編『街道の日本史54 薩摩と出水街道』吉川弘文館)
▲三木靖・向山勝貞編『街道の日本史54 薩摩と出水街道』(吉川弘文館)
■9月7日 「東串良町の地名」(『地名研究会報』第81号)
■9月24日 「島津応吉邸門前――南洲翁戦死地の特定は可能」(『敬天愛人』第21号)
■12月19日 「青山墓地に眠る鹿児島の人々」(『鹿児島史談』第5号)
▲『鹿児島史談』第5号
●平成16年(2004)
■2月28日 「鹿児島のまちの発達」(上町の歴史と文化を守る会)
■4月24日 「国府」所在地解明の鍵は“地名”――薩摩・大隅・種子島(『別冊歴史読本81 地名を歩く』 新人物往来社)
▲『別冊歴史読本81 地名を歩く』
■5月24日 月曜談話室「合併で生まれる新地名、気になります」(『南日本新聞』)
■9月24日 「青山墓地の西郷家墓所」(『敬天愛人』第22号)
■12月5日 「白銀坂物語」「「小」のよみ」(『地名研究会報』第86号)
●平成17年(2005)
■9月4日 「古道を探す方法」(『地名研究会報』第89号)
■9月24日 史料紹介「追想録」(その一)(『敬天愛人』第23号)
■10月 「西郷隆盛首級のゆくえ」(『歴史読本』2005年10月 新人物往来社)
▲『歴史読本』2005年10月
■ 12月4日 「上町の地名」(『地名研究会報』第90号)
●平成18年(2006)
■1月1日から12月31日まで、『南日本新聞』で「かごしま川由来考」をほぼ毎日連載。鹿児島県内各地の河川名の由来をたどる小コラム。次の河川を取り上げています。
棈木川、倉谷川、馬場口川、野呂迫川、七社川、雀が宮川、稲荷川、鼓川、アヒル川、滑川、甲突川、川田川、油須木川、比志島川、花野川、犬迫川、長井田川、山崎川、幸加木川、清滝川、田上川、脇田川、永田川(鹿児島市)、和田川、障子川、愛宕川、八幡川、貝底川、田貫川、湊川(指宿市)、二反田川、成川、宮川(指宿市)、宮田川、新川(指宿市)、集川、高取川、馬渡川(頴娃町)、石垣川、水成川、加治佐川、厚地川、麓川(知覧町)、永里川、山仁田川、万之瀬川、野崎川、神殿川、大谷川、尻無川(枕崎市)、花渡川、金山川(枕崎市)、馬追川、泊川、久志川、秋目川、大当川、祓川、笠石川、大浦川、相星川、加世田川、立神川、干河川、内布川、武田川、唐仁塚川、万之瀬河口、長谷川、境川(南さつま市)、堀川、横枕川、伊作川、湯之浦川、小野川、永吉川、大川(日置市)、神之川、鳶巣川、上谷口川、下谷口川、石谷川、長松川、野田川、江口川、大里川、重信川、八房川、五反田川、金山川(いちき串木野市)、荒川(いちき串木野市)、平身川、土川、轟川、川内川、隈之城川、百次川、久見崎川、八間川、猫岳川、平佐川、三堂川、後川内川、市比野川、樋脇川、倉野川、山田川(薩摩川内市)、樋渡川、田海川、銀杏木川、高城川、麦之浦川、原田川、湯田川、西方川、中津川(薩摩川内市)、浜田川(薩摩川内市)、鹿島川、堂之元川(薩摩川内市)、尻無川(阿久根市)、大川(阿久根市)、山下川、高松川、折口川、新田川、汐見川、城川内川、指江川、小浜川、浦底川、江内川、岩下川、野田川、御手洗川、高尾野川、米之津川、軸谷川、平良川、境川(出水市)、久富木川、泊野川、海老川、穴川、北方川・南方川、夜星川、柳野川、求名川、平江川、辺母木川、馬渡川(伊佐市)、宮入川、羽月川、白木川、平出水川、井立田川、小川内川、山野川、十曽川、牛尾川、青木川、針持川、市山川、重留川、川内川上流、桶寄川、幸田川、田尾原川、丸池川、佃川、金山川(霧島市)、清水川(霧島市)、馬渡川(霧島市)、万膳川、三体川、石坂川、中津川(霧島市)、霧島川、久留味川、崎森川、嘉例川、西光寺川、清水川(霧島市)、天降川、手籠川、郡田川、須戸川、広瀬川、検校川、高橋川、湊川(霧島市)、佳例川、溝之口川、横市川、大淀川、菱田川、前川(霧島市・曽於市)、月野川、梅ヶ渡川、大鳥川、前川(志布志市)、安楽川、尾野見川、野井倉川、田原川、持留川、汐入川、肝属川、串良川、甫木川、荒瀬川、高山川、本城川(肝付町)、広瀬川、小田川、久保田川、一ノ谷川、姶良川、大姶良川、肝属川上流、獅子目川、浜田川(鹿屋市)、高須川、井手ノ瀬川、境川(垂水市)、松崎川、仏石川、中俣川、河崎川、本城川(垂水市)、井川、追神川、ヨメジョ川、港川、小谷川、馬形川、神ノ川、城元川、堂之元川(錦江町)、麓川(錦江町)、雄川、赤瀬川、二川、大川(南大隅町)、上之園川、郡川(南大隅町)、大泊川、甲女川、石寺川、西京川、湊川(西之表市)、川脇川、早稲田川、熊野川、島間川、大浦川、阿武鋤川、宮瀬川、郡川(南種子町)、鹿鳴川、永田川(上屋久町)、一湊川、宮之浦川、女川・男川、安房川、荒川(屋久町)竹女護川、鯛ノ川、鈴川、栗生川、大川(上屋久町・屋久町)、金ヶ迫川、大川(屋久町)、長瀬川、長浜川、宮向川、一五川、中里川、里ノ川、宮川(十島村)、諏訪之瀬島川、上ノ川、滝川、観音川、前田川、屋仁川、佐仁川、宮久田川、龍郷川、秋名川、嘉渡川、大美川、浦上川、新川(奄美市)、大川(奄美市)、小宿大川、大和川、名音川、住用川、役勝川、河内川、宇検川、阿木名川、実久川、大田川、亀徳川、面縄川、秋利神川、真瀬名川、雁股川、奥川、石橋川、余多川、増木名川、網掛川、宇曽ノ木川、日木山川、別府川、蒲生川、山田川(薩摩川内市・姶良町)、思川、塩杣川、本名川、持木川、深谷川
■9月3日 「大隅・薩摩の古代官道」(『地名研究会報』第93号)
■9月24日 史料紹介「追想録」(その二)(『敬天愛人』第24号)
●平成19年(2007)
■2月7日 「かごしま川由来考」余話(『南日本新聞』)
■3月1日 「戦艦大和の沈没海域」(『文化かごしま』第92号)
▲『文化かごしま』第92号
■3月4日 「口永良部島と沖永良部島」(『地名研究会報』第95号)
■3月31日 交通の要衝「溝辺」~今も昔も~(『文化みぞべ』第17号)
▲『文化みぞべ』第17号
■6月3日 「西南之役を顧みる」(『地名研究会報』第96号)
■9月24日 史料紹介「追想録」(その三)(『敬天愛人』第25号)
■9月25日 随筆「鶴丸城址二題」(東京七高会『会報』第36号)
●平成20年(2008)
■6月1日 「大隅・薩摩の郡郷名――呉音・漢音にもとづく分析――」(『地名研究会報』第100号)
■9月24日 史料紹介「西南戦争懲役人」(1)(『敬天愛人』第26号)
■12月12日 「精忠組その後」(『鹿児島史談』第6号)
●平成21年(2009)
■9月24日 史料紹介「西南戦争懲役人」(2)(『敬天愛人』第27号)
●平成22年(2010)
■1月20日 薩軍城山帰還路調査会編『薩軍城山帰還路調査――城山帰還最後の四日間』(南方新社)
▲『薩軍城山帰還路調査――城山帰還最後の四日間』
■9月24日 史料紹介「西南戦争懲役人」(3)(『敬天愛人』第28号)
9月より病気療養。
●平成23年(2011)
▲2011年7月、西安(かつての長安)の碑林博物館前で
●平成24年(2012)
▲2012年4月、トルコの古都コンヤのメブラーナ博物館前で
●平成25年(2013)
■10月11日 「建部神嶋」について (『鹿児島史談』百周年記念号)
●平成26年(2014)
▲1月 自宅のベッドで。一度ぐらいひげを伸ばしてみようと言っていました。生涯最初のひげ姿でした。
平成26年(2014)2月15日午後3時22分逝去。 満83歳。かぞえで85歳でした。