●my favorite things 421-425
my favorite things 421(2024年5月9日)から425(2024年8月26日)までの分です。 【最新ページへ戻る】
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421. 1992年の武田花のフォト・エッセイ(2024年5月9日)
422. 1982年のピーター・ブレグヴァド「アマチュア 3(AMATEUR 3)」(2024年5月28日)
423. 2024年の『Authentique Reliquaire de la MACHINE À PEINDRE(描画機械の真正なる聖遺物箱)』(2024年6月29日)
424. 1981年の『原罪の果実』(2024年7月27日)
425. 1970年の『映画芸術』4月号(2024年8月26日)
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425. 1970年の『映画芸術』4月号(2024年8月26日)
古本屋さんで、1968年、1970年と1971年の『映画芸術』誌が6冊ほど並んでいたので購入。
三島由紀夫と斎藤龍鳳の特集があって、前所有者の意図が感じられるものでした。
■『映画芸術』1970年4月 全面特集 ナショナリズムは敵が味方か
1970年/vol.18/No.272
昭和45年4月1日発行
編集発行人 大橋恭彦
発行所 株式会社映画芸術社
裏表紙は、特集された、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品『地獄に墜ちた勇者ども』の広告。
ヴィスコンティ(Luchino Visconti、1906~1976)が、ワーナー・ブラザーズ製作で、英語のタイトル「The Damned」と英語台詞でつくった映画というだけでも、不思議なつくりものという気がします。
日本で、ダーク・ボガート(Dirk Bogarde、1921~1999)のような立ち位置の俳優というと誰なんでしょう。
見る映画を選ぶとき、安心のダーク・ボガード印みたいな俳優でした。
原題の「The Damned」は、イギリスのパンクバンドのバンド名になり、そのメンバーだったキャプテン・センシブルの歌う「ハッピー・トーク」は、現在でもNHK-FMの音楽番組のエンディング・テーマになっています。
『映画芸術』1970年4月号の目次から
ヴィスコンティの「地獄に墜ちた勇者ども(The Damned)」の特集
三島由紀夫 性的変質から政治的変質へ
唐十郎 謎の引越少女
武田泰淳 国会炎上の思想
中井英夫 誰が鞭を持ちはじめたか
天沢退二郎 悪い時代への快感
裏表紙に広告のある作品を大きく取り上げるのは、映画雑誌ならでは慣行なのでしょう。
その場に、三島由紀夫、唐十郎、武田泰淳、中井英夫、天沢退二郎が並んでいるのは、壮観です。
グラビアで、映画のヌードスティール写真満載のページに「わが愛する女体」というアンケートがあります。
回答者はすべて男性。
目次に編集・営業の名前があり、大橋恭彦・小川徹・山口修子の名前は確認できますが、他は黒くつぶれて判読不明。
三島由紀夫の『地獄に墜ちた勇者ども(The Damned)』評「性的変質から政治的変質へ」のページ
モノクロの広告ばかりですが、1970年を感じます。
表3に『家畜人ヤプー』(都市出版社)広告 解説は奥野健男と金井美恵子。
雑誌に、なにかがくすぶっている雑踏のざわめきを感じます。
女性の姿はまばらです。
■『映画芸術』1970年8月 パゾリーニの特集
1970年/vol.18/No.274
昭和45年8月1日発行
発行人 大和岩雄(大和書房)
発行所 株式会社大和書房
編集人 小川徹(編集プロダクション映芸)
4月号とくらべると、発行人・発行所・編集人が変わっています。
1955年から編集発行人だった大橋恭彦が、労働争議で身をひき、小川徹に編集をゆずったあとの、復刊第1号になります。
復刊当初は、発行を大和書房が引き受けていたようです。
裏表紙の映画広告。
復刊第一号ということもあるのか、吉本隆明と三島由紀夫が巻頭に並んでいます。
吉本隆明 三番目の劇まで
三島由紀夫 忘我〈性的映画について〉
「忘我〈性的映画について〉」は、三島由紀夫の『映画芸術』への生前最後の寄稿です。
「未来の映画は、すべてブルー・フィルムになるであろう。そして公認されたブルー・フィルムの最上の媒体は、ヴィデオ・カセットになるであろう。なぜならそれは映像の性的独占を可能にするからだ」という予言が書かれています。
『映画芸術』の常連、斎藤龍鳳は「せめて緋牡丹お龍のように」を寄稿。
鈴木志郎康・大和屋竺・中井英夫がパゾリーニ評。
天野哲夫が「サディスト女優はなぜ魅力的か」を寄稿。
山田宏一は「東風(こち)ふかば 赤頭巾ちゃん気をつけて」を寄稿。
目次に、編集・渉外・協力・カット
編集/小川徹 加藤雅子・篠原美枝子
渉外/本田一夫
協力/荒井晴彦・佐藤留美子・佐々木亜美
カット/神山征二郎
1970年ですが、未来の脚本家・監督、荒井晴彦と神山征二郎の名前があります。
鈴木清順フリー第一回作品として、シナリオ「鋳剣」が掲載されています。
鈴木清順『けんかえれじい』(1970年9月30日第1版第1刷発行、三一書房)収録の『鋳剣』には、さらに「74 葬儀の日」というエピローグが追加されています。
◎1970年11月25日 三島由紀夫自決
■『映画芸術』1971年2月 全面特集 三島由紀夫へのぼくらの"仁義"
三島由紀夫の死を受けての追悼号。
1971年/vol.19/No.280
昭和46年2月1日発行
発行人 大和岩雄(大和書房)
発行所 株式会社大和書房
編集人 小川徹(編集プロダクション映芸)
裏表紙には、ルイス・ブニュエル監督作品『哀しみのトリスターナ』の広告
対談 三島由紀夫の行動と死 大島渚 小川徹
三島由紀夫に捧ぐ 天野哲夫
三島由紀夫との最後の対話〈対談〉戦争映画とやくざ映画 三島由紀夫 石堂淑朗(1970年10月21日)
斎藤龍鳳は、映画『ケマダの戦い』の評「すぐれた大衆のいる島」を寄稿。
目次に、編集・渉外・協力
編集=小川徹・斎藤千穂・加藤雅子
渉外/本田一夫
協力/富塚睦子・西部むつ子
天井桟敷や地下演劇の広告を、同時代に見ていたら、やはりわくわくしたのだろうなと思います。
■『映画芸術』1971年3月 特集 三島以後の世界
1971年/vol.19/No.281
昭和46年3月1日発行
発行人 大和岩雄(大和書房)
発行所 株式会社大和書房
編集人 小川徹(編集プロダクション映芸)
裏表紙の映画広告は、ハワード・ホークス最後の監督作品『リオ・ロボ』。
2月号に続いて、3月号でも三島追悼の「特集 三島以後の世界」
鈴木清順 花
虫明亜呂無 肉体
中島貞夫 クーデター
対談 生き永らえることに栄光はあるか 寺山修司 野坂昭如
斎藤龍鳳は「東映やくざ映画を叱る」を寄稿。
寄稿者に中上健次、針生一郎、天沢退二郎、別役実が並んでいます。
目次に、編集・渉外・協力
編集/小川徹・加藤雅子
渉外/本田一夫
協力/富塚睦子・西部むつ子・小田未知子
「特集 三島以後の世界」の冒頭は、鈴木清順の「花」。
三島由紀夫追悼公演『サロメ』の広告
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
吉沢元治『割れた鏡または化石の鳥』(1975年)1994年のCD
コントラバスの音だけのアルバム。
ベースの音だけのアルバムというのも気持ちよいものです。デイヴ・ホランドのソロなども暑気払いになります。
1975年のLPは ALM Record・半夏社からリリース。
手もとにある1994年再発CDは、P.S.F. Recordsから。
清水俊彦のライナーノーツ。
プロデュースは、間章(Aquirax Aida)とコジマ録音・ALM Recordsの小島幸雄。
1975年7月27/28日、軽井沢高原教会にて録音。
1975年7月27/28日のわたしは、学校の夏補習をさぼって、薩南半島を自転車でうろうろしていました。
あの時間に、録音されていたのか。
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424. 1981年の『原罪の果実』(2024年7月27日)
ベルギー・ブリュッセルのレコードレーベル、クレプスキュール(Les Disques Du Crépuscule)が1981年にリリースしたLP2枚組の編集盤『The Fruit Of The Original Sin』。
夏になると、聴きたくなるレコードです。
ジャケットの貝のイメージもあって、堀口大學訳コクトーの「私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ」の詩句も条件反射的にくちずさんじゃったりします。
ラブ・オブ・ライフ・オーケストラ(Love of Life Orchestra)のピーター・ゴードン(Peter Gordon)の「The Fruit Of The Original Sin(原罪の果実)」にはじまる、この未来を提示してくれたLPで、The Durutti Column、Soft Verdict、Paul Haig、DNA、Arthur Russell、Orange Juiceなどの音源を、初めて聴いたような気がします。
The French Impressionistsのギターは、アズテク・カメラのロディ・フレイム、Richard Jobsonの朗読やマルグリッド・デュラスのインタビューに音楽をつけていたのはヴァージニア・アストレイ(Virginia Astley)。
マルグリット・デュラスやウィリアム・S・バロウズの声も初めて聴きました。
とても啓蒙的で、好きなものがいっぱいつまっているレコードでした。
『原罪の果実』という邦題です。
その果実は、リンゴであったりイチジクであったり、イメージされるものは、人によって違います。
鹿児島という土地に暮らしている者としての個人的な連想ですが、「禁断の果実」にふさわしいのは、夏のすももじゃないかと思ったりします。
真紅の、みずみずしい、太った、甘酸っぱい果実は、神の造作したまいしものと、感謝するほかありません。
この果実を口にすると、鹿児島に夏がきたなと感じます。
大隅半島ですももを作っていた人から、梅雨が終わって1週間、太陽の光をたっぷり浴びてもらってから、摘み取り、出荷すると聞いたことがありました。
作っている人が少ないようなので、毎年、食べられるとは限りません。
梅雨が明けて、強い夏の日差しの日が続いて、すももが店頭に現れたら、それだけで幸せな気持ちになります。
片仮名が使われています。1981年のジャポニズムでしょうか。
クレプスキュールのレコード・デザインは、Benoît Hennebertが手がけています。
レコードの4面には、それぞれ「A Means To An End(目的に達するための手段)」「A Rhythm(リズム)」「A Purpose(目的)」「A Landscape(風景)」とタイトルがつけられています。
A Means To An End
A Rhythm
A Purpose
A Landscape
1990年の『The Fruit Of The Original Sin』CD再発盤。
2枚組LPをCD1枚にするのは無理があります。
2007年、英LTMによるCD2枚組の再発盤
帯と解説のついて日本盤(Disk Union)。
レコードを見たことがなかったPeter Gordon, Lawrence Weinerの7インチ盤『Deutsche Angst/Where It Came From』(1982)がボーナストラックとして収録されているのが嬉しかったです。
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423. 2024年の『Authentique Reliquaire de la MACHINE À PEINDRE(描画機械の真正なる聖遺物箱)』(2024年6月29日)
アトラス・プレス(Atlas Press)やロンドン・パタフィジック協会の創設者で、アルフレッド・ジャリ(Alfred Jarry、1873~1907)の伝記作家、アラステア・ブロッチー(Alastair Brotchie、1952~2023)の一周忌(パタフィジック暦151年6月[Gueules]2日、2024年1月27日)に配られた記念箱です。
中には、パタフィジック暦150年8月(Clinamen)15日(2023年4月6日)の「Festival of the Invention 'Pataphysics」でお披露目された「The Painting Machine」パフォーマンス関連の記念品が収められていました。
縦165×横243×幅22ミリのカードボードの箱に「Authentique Reliquaire de la MACHINE À PEINDRE」(描画機械の真正なる聖遺物箱)というタイトルが貼り込まれています。
ナンバリングされています。
箱の裏に番号が鉛筆で書き込まれています。
パタフィジック暦150年8月(Clinamen)15日(2023年4月6日)、「ペインティング・マシン」が描いた絵の一部が収録されています。
ナンバリングされています。
「Painting Machine」を操作していたのは、マグナス・アーヴィン(Magnus Irvin) 。
収録された絵のが、本物の一部であることを保証するロンドン・パタフィジック協会の証書。
ミルクの入ったコップの印は、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)会長の印。
『Authentique Reliquaire de la MACHINE À PEINDRE』収録の28ページ小冊子。
縦210×横145×幅2ミリ。
150年8月(Clinamen)15日(2023年4月6日)の「Festival of the Invention 'Pataphysics」の模様(5枚のカード)
「ペインティング・マシーン」のパフォーマンスで、The London Snorkelling Teamによって演奏された曲を収録したCD。
London Snorkelling Teamの音楽ははじめて聴きました。
ロル・コックスヒル(Lol Coxhill、1932~2012)的なユーモアを感じさせます。
この「Festival of the Invention 'Pataphysics」イヴェントを撮影した動画も公開されていました。
ジャリのユビュ王が持っていたような暴力性はなく、なごやかにユーモラスにペインティング・マシーンは絵を描いていました。
イヴェントの最後に、ギャヴィン・ブライヤーズ(Gavin Bryars)御大が登場して、 アラステア・ブロッチー亡き後のロンドン・パタフィジック協会の新役員に証書を手渡していました。会長のピータ・ブレグヴァドの姿が見当たらなかったのは残念でした。
動画の最後に、撤収の様子が早送りされるのですが、アラステア・ブロッチーのアトラス・プレス(Atlas Press)の後始末のようで、ひとつの時代が終わったのかと寂しくなります。
◆
絵を描く機械ということでは、絵を描くロボットが主人公の小説、ジョン・スラデック(John Sladek、1937年12月15日~2000年3月10日)の『Tik-Tok』の邦訳が出ていました。
世の中に疎くなっているためか、邦訳が出ていたことに、なかなか気づくことができませんでした。
去年の9月に出ていたようです。
確かに本屋では竹書房文庫の棚の前は通り過ぎてしまいますが、それも言い訳になりません。
好きな作家の邦訳が出ていたことに気づかなかったことは、口惜しいものです。
邦訳のタイトルが長くなっています。
ジョン・スラデック 鯨井久志訳『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』(2023年9月4日初版第1刷発行、竹書房)
264ページの文庫本。税込み1485円。文庫本も高くなったと改めて思いました。
スラデックの「チク・タク」は、アイザック・アシモフ(Isaac Asimov、1920~1992)の提唱した「ロボットは人間に危害を加えてはならない(A robot may not injure a human being)」にはじまるロボット工学三原則(Three Laws of Robotics)にしばられていないロボットです。
そのため、「チク・タク」は人に完璧に仕えつつも、人を欺き、殺す存在でもあります。
同時に、芸術市場で価値のある絵を描く存在にもなります。
そこから、暴力のないところに芸術が存在しうるかという疑問が投げかけられます。
1983年に読んでも、2001年に読んでも、そして、2024年に読んでも面白い小説です。
John Sladek『Tik-Tok』(2001年、Gollancz)
初版は、1983年のゴランツ(Gollancz)版。手もとには、2001年版があります。
ゴランツのSF本でおなじみの黄色い表紙です。
『チク・タク』のなかで言及されていた最初の絵を描く機械は、
《一八一二年、マイラルデ一家が海の絵を描く機械仕掛けの少年を発表したことにはじまり、前世紀の劣悪な「コンピューター・アート」を経て、そしてニューヨークのアトリエでは直流電流によるけいれんとしてもてはやされる、焼きたてのパンのように毎日われわれに届けられる不明瞭な嫌悪感に至るまで、誤警報の連続だった。》
From 1812, when the Maillardet family exhibited their mechanical boy who could draw seascapes, through all the wretched "computer art" of the last century, and on to the garbled loathing interpreted in galvanic twitches in New York lofts and satellited to us daily like fresh bread, a continuum there is, of false alarms.
絵を描くオートマトン/オートマタ(機械人形・自動人形)というと、「Maillardet」の名前が挙げられますが、「Maillardet」を片仮名で書くと、何がもっともらしい表記なのでしょうか。ミヤルデでしょうか。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
今年88歳になった、イギリスのジャズ・ミュージシャン、マイク・ウェストブルック(Mike Westbrook)の新譜『BAND OF BANDS』(2024年、WESTBROOK RECORDS)
マイク・ウェストブルックは、1936年3月21日生まれですから、寺山修司(1935年12月10日~1983年5月4日)と同世代です。
天沢退二郎(1936年7月31日~2023年1月25日)、6月14日に亡くなった佐々木昭一郎(1936年1月25日~2024年6月14日)と同い年です。
1937年生まれのジョン・スラデックより年上でした。
わたしにとっては「ぼくのおじさん」たちのひとりです。
今回のバンドの中のバンドは、7人編成。
Kate Westbrook - Voice
Chris Biscoe - Alto/Soprano Saxophones
Pete Whyman -
Alto/Soprano Saxophones/ Clarinet
Karen Street - Accordion
Mike Westbrook - Piano
Marcus Vercette - Bass
Coach York - Drums
Recorded by Matthew North
Produced by Jay Auborn
2023年11月25日土曜日、デヴォン(Devon)のAshburton Arts Centreでのライブ録音。
ストレートな気持ちの良いジャズというのが第一印象ですが、アコーディオンが入ると、場の空気をフランス的にするというか、強い楽器だなと思います。
このCDは予約していたので、「the Patrons」の1人として、わたしの名前もCDにクレジットされていました。
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422. 1982年のピーター・ブレグヴァド「アマチュア 3(AMATEUR 3)」(2024年5月28日)
ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)に、「Amatuer」と冠した一連の作品があります。
確実に手もとにあると分かっていたのは、
■AMATEUR No. 1 (1977)
213×285ミリの両面刷りの1枚を2つ折りしたリーフレット。
■AMATEUR NO 6 (1983)
ソロ第1作のLP。Peter Blegvad “The Naked Shakespeare” (1983年、Virgin)
■AMATEUR NUMBER EIGHT(1988)
ソロ第3作のLP。Peter Blegvad “Downtime” (1988年、ReR Megacorp)
の3作品のみでした。
そのほかは何だろうなあと、ながらく思っていました。
最近、Henry Cow/Slapp Happy『Desperate Straights』(1982年、Recommended Records)に、ちらし付属のものがあることを知り、注文してみましたら、ビンゴ! そのちらしに「AMATEUR 3」とありました。
ひさしぶりに心がわきたちました。
308×425ミリA3サイズのクラフト紙に、1977年から1982年にかけて、ピーター・ブレグヴァドが集めた、ニューヨークの店舗で使われている紙袋に押されたトレードマークが28点描かれています。中央で折られていました。
AMATEUR 3
TRADEMARKS
FOUND ON
NEW YORK
PAPER BAGS
drawn by
Peter Blegvad
No.1のように匿名ではなく、ブレグヴァドの名前が刻まれています。
。
もう一方の面は、じかに印刷はされず、半透明のグラシン紙に「AMATEUR EDITORIAL(アマチュア論説)」を印刷したものが貼り込まれています。
日付は「Oct. '82」になっています。
◆
第344回で紹介したピーター・ブレグヴァドのインタビュー本『The Bleaching Stream』(2011年、The London Institute of 'Pataphysics, Atlas Press)で、ピーター・ブレグヴァドは「Amateur」について、次のように語っています。
There was this little magazine I started when I lived in New York, called Amateur, and I did conceive of it as a way of celebrating marginality and failure. A vehicle for liminal, insolite ephemera, and outsider stuff that wouldn’t be considered “art”.
【試訳】ニューヨークに住んでいたときに創刊した『アマチュア』という小さな雑誌がありましたが、それは疎外感や失敗を称賛する方法として構想していました。「アート」とはみなされない、境界にある、奇異な、はかないもの、そしてアウトサイダーであるもののための媒体。
And I love the imagery ― alchemical, masonic, hocus pocus of all sorts.
It’s about transformation, which I craved, and the romance of the occults is that it’s hidden.
That’s somehow immediately poetic.
Everything’s metaphor for something else, or as Jarry might say, for everything else. Oscar Wilde: “The commonest thing is delightful if one only hides it.” So Amateur No.1 was just a little pamphlet I wrote and illustrated and put out anonymously, in about 1977, it doesn’t have my name or any other indication of provenance on it…
I used to leave it in napkin dispensers in delicatessens, or on seats of subway trains.
I suppose there musta been more than a thousand printed over the years.
It featured on an album by the band National Health, I recited part of it in the middle of a composition by John Greaves, “Squarer for Maud”.
And it got picked up and republished here in the UK, by Alastair Brotchie in Atlas Anthology 2 in the early Eighties.
【試訳】それに、わたしは錬金術、フリーメーソン、ホーカスポーカスといった類いのイメージが大好きです。それらは変容に関するもので、自分はそれを切望しており、オカルトのロマンあ隠されているということにあるのです。それはどういうわけか詩への近道でもあります。すべては何か他のもの、あるいはアルフレッド・ジャリが言うように、他のすべてのものの比喩です。オスカー・ワイルド曰く「最もありふれたものでも、それを隠しさえすれば素晴らしいものになる」。というわけで、『Amateur No.1』は、1977 年ごろに、わたしが文章を書きイラストを描いて、匿名で発行した、まさしく小さなパンフレットでした。そこにはわたしの名前や出所を示すものは何もありませんでした・・・。ニューヨークのデリカテッセンのナプキン・ディスペンサーや地下鉄の座席に放置したものです。何年にもわたって1000部以上が刷られたと思います。このテキストは、ナショナル・ヘルスというバンドのアルバム『Of Queues And Cures』でも取り上げられています。ジョン・グリーヴスの曲「Squarer for Maud」の中間部でその一節をわたしが朗読しました。また、1980 年代初頭にアラステア・ブロッチーが編んだ『アトラス・アンソロジー 2』でも取り上げられ、ここ英国でも再出版されました。
ここで言及されている「Squarer for Maud」は「第250回 1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購入者へのおまけ(2018年12月5日)」で、『アトラス アンソロジー 2』は「第336回 1985年の『ATLAS ANTHOLOGY III』(2021年2月11日)」でも紹介しています。
◆
「AMATEUR 3」を手にしたこの機会に、ピーター・ブレグヴァドの「Amatuer」の全貌について知りたくなりました。
SNSとは縁のない身で、ふだんはこういうことはしないのですが、ピーター・ブレグヴァドに直接問い合わせてみました。
すると、2004年に書かれた「Amatuer」についての文章を紹介してくれました。
それによると、「Amatuer」は、No.9まであるようです。 簡単にまとめてみました。
■AMATEUR No. 1 (1977)
匿名で出された2つ折りリーフレット。「Amateur Science Fiction」収録。
ニューヨークのデリカテッセンのナプキン・ディスペンサーや地下鉄の座席に置かれた。
Slapp Happy『Acnalbasac Noom』(1980年、Recommended Records) の付録。
『Atlas Anthology 2』 (1984年、Atlas Press) の付録。
Amateur Enterprises web-site (www.amateur.org.uk)でも公開。
「AMATEUR No. 1」については、「第219回 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)」でも紹介しています。
■Amateur No.2 (1979)
1979年4月発行。28ページのブックレット。ブレグヴァドが出来に不満足だったため、24部の不完全コピーを除いて、イーストリヴァーに投げ捨てられたそうです。
10ページ分の内容は、Amateur Enterprises web-site (www.amateur.org.uk)でも公開。
【2024年6月5日追記】
わたしの見方が悪いのかもしれませんが、改めて確認してみましたら、現在のAmateur Enterprisesのサイトには「Amateur No.2」についてページが見当たりません。
しかし、2004年当時のAmateur Enterprisesのサイトでは、ついに「Amateur No.2」の一部を公開と、表紙、p.3、p.12、p.13、p.14、p.15、p.16、p.17、p.18、p.25の10ページの写真が公開されていました。
幸い2004年版のサイトを保存していましたので見ることができましたが、ウェブサイトも永続的なものではありません。記録しておかないと、知らない間に無くなってしまいます。
■AMATEUR 3 (1982)
A3サイズ「TRADEMARKS FOUND ON NEW YORK PAPER BAGS」
Recommended Recordsの予約購入者に配布。
今回紹介したリーフレット。
■Amateur No.4 (1982, 1985)
「On Kew. RHONE. (a record); A Few Words by the Editors of Amateur (a pamphlet)」
『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』magazine (May 1, 1985、November Books) に収録。
『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』magazineは、「第204回 1985~1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1』(2017年5月28日)」で少し紹介しています。
■Amateur No.5 (1982)
1982年ごろ準備されたようですが、実現しませんでした。
ブレグヴァド自身、どんなものを作るつもりだったかも忘却したそうです。
■AMATEUR NO 6 (1983)
Peter Blegvad『The Naked Shakespeare』 (1983年、Virgin) のレコード内周に「AMATEUR NO 6」と刻まれています。
「第219回 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)」で紹介しています。
■Amateur No.7 (1984)
24ページの2色刷の小冊子『STONES IN MY PASSWAY』
○AMATEUR ENTERPRISES, LONDON, 1984年 700部 2色刷
○INSTITVTVM PATAPHYSICVM LONDINIENSE, 2002年 222部 1色刷
2枚目のアルバム『Knights Like This』が「No.7」かと推測していましたが、違いました。このアルバムはブレグヴァドにとって後悔の方が大きかった作品だったようです。
『STONES IN MY PASSWAY』は、「第248回 1984年のNovember Books『The Christmas Magazine』(2018年11月12日)」や「第336回 1985年の『ATLAS ANTHOLOGY III』(2021年2月11日)」でも紹介しています。
■AMATEUR NUMBER EIGHT (1988)
Peter Blegvad『Downtime』 (1988年、ReR Megacorp)のレコード内周に、 「AMATEUR NUMBER EIGHT」と刻まれています。
『Downtime』は、「第219回 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)」で紹介しています。
■Amateur No.9 (2000)
Amateur Enterprises web-site (www.amateur.org.uk) created by Simon Lucus
2004年にブレグヴァドが書いたテキストによれば、No.9は、
Amateur Enterprises のウェブサイトということです。
No.2とNo.5以外は、既知のものだったことが分かりました。
知らずに、どんなものだろうと想像していたほうが楽しかったかもしれません。
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ジャガランダの花
エゴノキの花
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
「AMATEUR 3」が挟まれていた、Henry Cow/Slapp Happy『Desperate Straights』(1982年、Recommended Records)を。
オリジナルは、1975年のVirgin版です。
33回転だったVirgin盤に対して、Recommended Records盤は45回転でした。
33回転だったアルバムを45回転で再発するというのは、1982年には画期的だったんじゃないでしょうか。
マットなVirgin盤ジャケット(左)とコーティングされたRecommended Records盤ジャケット(右)
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421. 1992年の武田花のフォト・エッセイ(2024年5月9日)
写真家・エッセイストの武田花の訃報がありました。
1951年10月31日~2024年4月30日
私は武田百合子(1925年9月25日~1993年5月27日)の読者です。
武田百合子『富士日記』(1977年、中央公論社)の冒頭に、
娘が生れたとき「花」と武田は名づけてくれて「中国では乞食のこと」と、うふふふ、笑いながら説明した。憮然としている私に「百合子と花で、ユリーカとよむからな」と、そのあと、いいわけするようにいった。
とあります。
武田花の存在は、本を通じてですが、生まれた頃から話を聞いている、親密な知り合いのように感じていました。
どこかに猫の気配のある、武田花のフォト・エッセイも好きです。
手もとにある武田花の本は、日当たりの良い場所にある本棚に置いてしまったので、背がだいぶ焼けています。
本の保存場所としては全くよくないのですが、ひなたぼっこをする猫の定位置のような場所がふさわしい気もしています。
日向のにおいのする本になればいいな。
■武田百合子『遊覧日記』
写真・武田花
中央公論社
1995年3月7日初版発行
装画 野崎耕二
装幀 中島かほる
母と娘の散歩本。
作品社版『遊覧日記』(1987年4月)も持っていたと思ったのですが、迷子になったようで見当たりません。
手近にある『武田百合子全作品 6』(中央公論社)の書影を。
『武田百合子全作品』全7巻の表紙装画は、鹿児島県南さつま市加世田出身の野崎耕二(1937~2022)の作品でした。
■武田花『煙突やニワトリ』
1992年6月15日第1刷発行
筑摩書房
装画・安西水丸
デザイン 中島かほる
■武田花『カラスも猫も』
1995年4月5日第1刷発行
筑摩書房
装画・安西水丸
デザイン 中島かほる
■武田花『One Day そして、陽は落ちる』
1997年11月25日第1刷発行
日本放送出版協会
ブックデザイン 西俊章
■武田花『季節のしっぽ』
1998年5月8日第1刷発行
角川春樹事務所
ブックデザイン 鈴木一誌+加藤昌子
■武田花『仏壇におはぎ』
2004年6月8日第1刷発行
2004年7月28日第2刷発行
角川春樹事務所
ブックデザイン 鈴木一誌+藤田美咲
■武田花『イカ干しは日向の匂い』
2008年5月8日第1刷発行
角川春樹事務所
ブックデザイン 鈴木一誌+藤田美咲
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猫がCDのジャケットになっているものはないかと探してみました。
サム・プレコップ(Sam Prekop)のアルバム『THE REPUBLIC』(2015年、Thrill Jockey Records)を。