●my favorite things 211-220
my favorite things 211(2017年10月17日)から220(2018年1月20日)までの分です。 【最新ページへ戻る】
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211. 1982年のThe Ravishing Beauties「Futility」(2017年10月17日)
212. 1903年の川上瀧彌・森廣『はな』(2017年10月29日)
213. 1981年のScritti Politti「The "Sweetest Girl"」(2017年11月6日)
214. 1667年のタンタドの観音石像(2017年11月18日)
215. 1813年の金剛嶺石碑(2017年11月18日)
216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)
217. 1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし(2017年12月30日)
218. 鶴丸城跡堀のカワセミ(2018年1月1日)
219. 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)
220. 1990年のピーター・ブレグヴァド『KING STRUT』(2018年1月20日)
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220. 1990年のピーター・ブレグヴァド『KING STRUT』(2018年1月20日)
■ピーター・ブレグヴァドのソロアルバムまとめ・その2(承前)
【2018年8月8日追記】
2017年7月に、2017年暮れに発売予定と予約を募っていたPeter Blegvad Bandのボックス『The PETER BLEGVAD BANDBOX』。ReRレーベルらしく、何度が発売延期になっていましたが、ついに2018年7月に完成、届きました。Recommended Records(ReR Megacorp)からリリースされた、Peter Blegvad Bandの『Downtime』(1988)、『Just Woke Up』(1995)、『Hangman's Hill』(1998)、『Go Figure』(2017)の音源をまとめたボックスです。
72ページのブックレットも力作で、各曲についてピーター・ブレグヴァドやクリス・カトラーがコメントしていますので、そこで語られていたことを【2018年8月追記】として書き加えました。
■『KING STRUT』(1990年、Silvertone)
ソロ第4作。当時、ストーン・ローゼスを擁していたシルヴァートン・レーベルから、豪華なゲスト陣(しかし、John Greaves は不在)を得て、プロモーションを見ると、かなりの売り上げを期待されてリリースされました。プロデュースは、A02 と B06 のアンディ・パートリッジを除いて、クリス・ステイミーとピーター・ブレグヴァド。
○同年、英国チャンネル4でテレビ・オペラの企画があり、台本ピーター・ブレグヴァド、作曲アンソニー・ムーア、主演ダグマー・クラウゼの音楽劇『Camera』も制作しています。
○アルバムのジャケットは、フェイバー社のペイパーバックのようなデザインで、12編の短編小説集といった趣があります。
○ちなみに、ピーター・ブレグヴァドの父親はデンマーク出身の絵本作家エリック・ブレグヴァド(Erik Blegvad、1923 - 2014 )。コペンハーゲン生まれ。コペンハーゲン芸術学校卒業後、広告代理店で働く。のち、ヨーロッパ各地をまわり、1948年からパリで『フランス・ソワール』『エル』『フェミナ』誌などでイラストレーションを担当。1950年にアメリカ人の画家Lenore Hochmanと結婚し以来アメリカに住む。メアリー・ノートン作『まほうのベッド』、キャロル・ケンダル『小人のミニビン』のさし絵で、子どもの本の世界に入る(『センダックの絵本論』モーリス・センダック著、脇明子・島多代訳、岩波書店より)。母親の Lenore Blegvad も『アンナ・バナナと僕』など知られる画・文の人で、若いころはグリニッジ・ヴィレッジ周辺に出没し、ウディ・ガスリーなんかとも友達だったそうです。
○ピーター・ブレグヴァドは1951年8月生まれ。「King Strut」と同い年です。
○日本盤のみ、ピーター・ブレグヴァドのイラスト付き歌詞ブックレット(CDサイズでちゃちですが)付属(ライナーは中川五郎。訳詞は三浦万里)。
▲『KING STRUT』日本盤CD(1990年)
▲『KING STRUT』日本盤CD付属のブックレットから。
▲『KING STRUT』欧州盤CD(1990年)
このアルバムがリリースされた頃は、アナログ盤からCDへの移行期で、このアルバムまではアナログ盤も出ていたのですが、「新譜」はCDで買うようになっており、アナログ盤のほうは購入しませんでした。
▲『KING STRUT』再発盤CD(2002年、 What Disc)
CDの盤面に赤と黒の囲みがないと、さびしい気がします。
■『KING STRUT』収録曲要約
A01. King Strut (5'06)
ピーター・ブレグヴァドの想像の自叙伝? 1951年生まれの King Strut(虚栄王)と呼ばれる孤児院育ちの男が、謎めいた経緯で一夜にして巨万の富を得、貧者に施しまくり、最後に炎に包まれた保護施設で、姿を消すお話。
○クリス・ステイミー&ピーター・ブレグヴァドによるプロデュース。
○アンディ・パートリッジとの共作。アンディ・パートリッジは、XTCの『 Nonsuch 』(1992) の冒頭の曲「The Ballad of Peter Pumpkinhead」で、「King Strut」と同趣向の詩を書いています。この時期、2人は別のプロジェクトで共作を進めていたらしいのですが、棚上げになっていたようです。しかし、「カボチャ頭のピーター」とは、ブレグヴァドからすれば、俺のことか、ともとれるタイトルです。2人の共作は、その後、2003年の『Orpheus (The Lowdown) 』(APE)と2012年の『Gonwards』(APE)という2枚のアルバムに結実します。
○バック・コーラスで参加しているシド・ストロー(Syd Straw)の1989年のデビュー作『Surprise』(Virgin)には、ピーター・ブレグヴァドとアンソニー・ムーアも参加してしました。
○1992年、7インチ・シングルのA面曲。B面は「Shirt & Comb (live)」。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァ-ジョン。
A02. Gold (4'50)
黄金は無価値。探すのにこんなに苦労しなけりゃね。最低の金属。ふだんの暮らしには軟らかすぎて何の役にも立たないし、もちろん奇麗だよ、触るとあったかみがあるし、けど、ずっといじっていて楽しいものでもない。
「僕と一緒に探しにいかないか? 氷や雪なんて乗り越えられるよ。」女はちょっとだけ考えて言った。「さあ、行きましょう。」女の馬が僕の先を走る。
すでに食料は尽き果て、馬も死んで、高熱で臥せった女は採鉱小屋で黄金を見つけるのがどんなに簡単なことかうわ言でつぶやいている。雪めくらの僕は女に真実を告げる。僕たちの見つけた黄金じゃ歯のかぶせにもならないって。「分かってるわよ。ふたりでいることが良かったんじゃない。黄金がどうしたっていうの。最低の金属なんだって最初から分かってたことでしょ。」
○B.J.Cole のペダル・スチールの音が悲しみの肩にそっと手をかけます。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァ-ジョン。
○ Fairport Convention がこの曲をカヴァーしています。『 The Five Seasons 』(1991年、 UK Woodworm WRCD019) 所収。
A03. Meantime (3'40)
合間のリフレインに、子悪魔のいたずら書きのような詩が並ぶ作品。
燃え上がる飛行場の写真のカードを田舎の家族に送った。カードは「宛て先不明」のスタンプを押され戻ってきた。僕は合間に取り残された。
○1990年9月、7インチと12インチ・シングル、B面は「King Strut」。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァ-ジョン。
A04. On Obsession (3'12)
君は僕の強迫観念。僕は君に呪われ祝福されてる。君の名を口にするだけで、乾いたのどが潤されるようだ。どんな言葉を並べて歌っても説明しきれないな。僕の強迫観念のせいにしとこう。
A05. Not Weak Enough (3'05)
あっちに弱さが足りないやつがいれば、こっちに強さの足りないやつもいる。
僕の家族は僕を純粋な迷信で育てた。天の星は、僕らが願いをかけるために神様が置かれたんだってね。意識のない僕を湖の向こうから連れてきたんだって。僕は自分がどっち側にいるか分からないことに慣れてるんだ。地獄は案外いいところだよ。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第3作『DOWNTIME』(1988) に別ヴァージョン。
A06. Swim (4'59)
深き大洋のまん中に浮かぶ二人。僕は、船とともに沈んだ船員のことや、いろいろ弱気なことばかり考えたり話したりするけど、君は言った。「泳いで」
B01. Northern Lights (4'06)
僕はシェネクテディの町より北に行ったことはない。でも、いつか北極光を自分の目で見たいと願ってた。「わたしも見てみたい、天が何かを示すように輝くのを」
まあ、ここまで来るのに盗んだ車で13日かかった。昔はここからでも、雲ひとつない夏の夜に、あの光が見えたというよ。もうすく見れるに違いないよ。あの幻惑の輝きを二人で。
B02. Chicken (3'35)
ピーター・ブレグヴァドの魔法昔話。麻袋に鶏を一羽いれて夫婦が市場に出かけたが、妻と鶏だけが帰ってきた。妻は鶏を食べ、骨を集める。だが、指の骨のないのには気付かない。妻は、集めた骨を袋にいれて井戸に放り込むと、「フランク、さっさと戻って来て、自分の女房を見つけなさい」と叫んで、井戸のクランクをぐるぐる回した。すると、上がってきたバケツにちょこんとフランクが座ってる。「なあ、ひとつだけ解せないことがあるんだが、俺の左の小指はどこなんだ?」
B03. Real Slap In The Face (3'55)
男と女は7年一緒に暮らし、ことあるごとにお互いを掛け替えのない存在だとまわりに語っていた。そしてある日、男が突然姿を消した。ひどい侮辱。女は身ごもっていた。その上、女の宝石もきれいさっぱり持ち去って行った。女はパジャマ姿のまま街をさまよい歩き、留置場のシーツもない寝台で子どもを産んだ。その女の子を育てる資格がないと宣告された。ほんとにひどい侮辱だった。でも、その女が特別というわけじゃない。誰だって、思いもかけないときに、ひどい仕打ちをうける。
ある朝、女が自宅の中庭に出ると、プールの底にあの詐欺師が沈んでいた。ひどすぎる朝だった。このお話はハッピー・エンディングじゃありません。言うべきことはみんな言った。歌物語の登場人物が懇願する。「いくら歌でも、こんな終わり方はいや、こんな扱いを受けなきゃならないようなことをあなたにした? こんなの、ひどすぎる。」
B04. Shirt & Comb (4'20)
古典的といってもいい正調バラッド。意気消沈して船出の召集が来たことを愛する人に告げる男。「わたしも一緒に連れていって。怖くなんかないし、胸をきつくしばり、髪も切って、男の子のように低い声で話すわ。」……「でも、志願者は受け付けていないんだ。でも、僕は君に誓うよ。何年かかるか分からないけど、ここに戻る日が来るまで、シャツは決して肌にせず、髪も決して櫛でけずらない。君の眠るベッドと、そこに添い寝することだけを願い続けるよ。」
○エディー・リーダー(Eddi Reader) が、1994年のシングル『Patience of Angels』(Blanco Y Negro) でカヴァー。日本盤『天使の嘆息(Eddi Reader)』にはボーナス・トラックとして収録。
B05. Stranger To Myself (3'38)
会話で使うのが怖くなった言葉がある。大好きなのに本棚から取ろうとしなくなった本がある。聴くと悲しみしかもたらさなくなった歌がある。君が残したのは、僕じゃない他人だ。僕はゼロから自分を再構築しなくちゃならなかった。知り合いには、この悲しみを見せまいとしている。「なあ、ピート、ぐいっと飲み干せよ。気分でも悪いんじゃないか」こんな場面でも、どうふるまうべきか分からなくなっちまってる。だって、君は見知らぬ他人の僕を残したんだ。僕はますますこれが自分かって思っちまうよ。
B06. King Strut (Reprise) (5'25)
○アンディ・パートリッジ・プロデュースのヴァージョン。
▲『KING STRUT』のプロモーションCD『PETER WHO ?』(1990年、Silvertone)
アルバム『KING STRUT』には、『Peter Who ?』(Assembled and performed by Peter Blegvad and Andy Partridge.)というプロモーション用のCDが存在します。40分アルバム並みの充実した内容です。『King Strut』からの抜粋、デモ(「King Strut」のアンソニー・ムーアとのデモ音源も含む)、インタヴューなどで構成されています。
なかに「Blegvad はどう発音するか」といった項目もあり、「Blegvad」はなんと発音するかは、英米圏でも分かりにくいもののようです。デンマーク起源の姓のようです。
以前は探すのがとても難しかったCDですが、今だと、その音源は動画サイトなどを探せば、すぐに聴くことができます。
■『Just Woke Up』(1995年、ReR)
ソロ第5作。正式には「PETER BLEGVAD with JOHN GREAVES and CHRIS CUTLER」とクレジット。シンプルかつ強力な3ピース編成。15曲中5曲が再録音。詩もウリポ的技巧に走ったものの姿が消え、寓話的な、とぼけたお話といった感じのものが主体となっています。
○この時期、英週刊誌「インディペンデント・オン・サンデイ」に、ファウスト的性格をもつ赤子リーヴァイとメフィスト的性格をもつ猫を主人公とするコミック『リヴァイアサン(LEVIATHAN)』を連載。歌と視覚的ジャンルでの棲み分けが、ブレグヴァドのなかで起こっていたからかもしれません。1990年代のブレグヴァドは、密度の濃いコミック作品を毎週描き続けていました。その全貌が知りたいものです。
○前年の1994年、掌編集『HEADCHEESE』(Atlas Press)を上梓。このテキストをもとにして、ジョン・グリーヴスと朗読主体の『unearthed』もリリース。1998年の来日公演のときの素晴らしい朗読セットの原型になったアルバムでした。
このアルバムから、CDだけのリリースとなり、アナログ盤LPは制作されなくなりました。
■『Just Woke Up』収録曲要約
001. Special Delivery (1995 version) (3'06)
もうすぐ「特別配達便」がやって来る。盲者に視界を、聾唖者に会話を、臆病者に勇気を、麻痺者に感覚を。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第2作『KNIGHTS LIKE THIS』(1985)に 別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
1984年作品。『Knights Like This』(1985)収録曲。Virginとの契約時代、Virginのスタッフと自分は、いつか売れるかもという夢を共有。みんな人当たりがよくて優しいけど、いつか吸血鬼の本性を現して、すべての血を搾り取られるのではと夢想していたころ。でも結局レコードは売れなかったので、血も搾り取られなかった。
この曲に関して満足できたのは、1985年のシングル盤のジャケだけ。 『Knights Like This』の録音は当時のオーヴァーダビングの見本。
詩には、William Blakeの影響あり。
002. That'll Be Him Now (3'57)
今にも彼があの扉から現れて、この何の変哲もない床にも影をおとすんだ。女の子らは膝をちょこんと曲げてお辞儀、男の子たちも会釈してお出迎え。身づくろいは済んだかな。ディン・ドーン。さあ、彼のお出ましだ。彼は六頭だての馬車でやって来る。馬がまだいればの話だけど。「何かご用は?」と尋ねるだろう。僕らは彼にリストを差し出すんだ。そうしたら、彼は装備に身を固め、犂引くように、ことに取り掛かるんだ。やあ、彼のおでましだ。
彼が変化する前は、彼も結婚していて、大きな息子も2人いる、平凡な郊外のだんなさんだったそうだ。まあ、たとえそうだったにしても、今の彼が……ディン・ドーン、おでましだよ。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
ドン・ジョバンニと石像がモチーフ。
003. Daughter (3'17)
親バカのうた。見るものすべて、ほしいなと僕のお嬢ちゃまは言う。もちろんお嬢ちゃまはみんな手に入れる。水のなかのお嬢ちゃま。僕がすべて教えたんだ。お嬢ちゃまの知ってることすべて。
○女の子と男の子、2人の子どもを得て、それが『LEVIATHAN』というカートゥン・シリーズに結実。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァ-ジョン。
○大物歌手のロウドン・ウェインライト3世(Loudon Wainwright III)がこの曲をカヴァーしたため、ブレグヴァドの曲のなかで最もよく知られるようになりました。動画サイトには、この曲をカヴァーして動画をアップしている親バカさんが少なからず存在します。
【2018年8月追記】
ある夏、妻と3歳の娘と1歳と息子とプロヴァンスで過ごしたときに書かれた曲だそうです。
「daughter」と韻で結ばれる言葉がなかなか見つからなかったと。アイアン・メイデンの曲なら「slaughter」とかあるのだろうが。
004. Something Else (Is Working Harder) 〔Fier/Harris/Blegvad〕 (4'19)
「一生懸命働けば、男はものになる」という言葉が親父の唯一の遺産。そうさ、俺は一生懸命働いた。でも、何も変わらない。どうやら別の何かが俺よりもっと一生懸命働いてるみたいだ。このことを胸に刻んどかなきゃな。そいつは俺からすべてを搾り取ろうとする。なんか空しくないか?
○Golden Palominos『Blast Of Silence』(1986年) に別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
ロック版「魔王」(シューベルト作)。 Golden Palominosでは、Jack Bruceが歌唱。
発想の元になったことばにStuds Terkel『Hard Times: an oral history of the Great Depression』の登場人物が語る「no matter how hard I tried, the devil was working harder.」
ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の「夢の虎」も発想源。
005. Meet the Rain (4'41)
ほかに道はなかったんだ。俺は夢の世界へ引っ込む。雨夢、夢雨もっと降れ、わたしのいい人連れて来い。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第2作『KNIGHTS LIKE THIS』(1985年)に 別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
「When the world becomes a dream, the dream becomes a world.(世界がひとつの夢になるとき、その夢が世界になる。)」はノヴァリス(Novalis)の「the world becomes a dream, and the dream becomes reality.(世界がひとつの夢になり、その夢が現実となる)」から。
詩の最終連は、シュルレアリストの言う「amour fou(狂気の愛)」。
Virgin時代の『Knights Like This』(1985)収録曲は、ラジオ向けの音になるとの善意をもって、David Lordが制作したが、やり過ぎで、今となっては、アルバムジャケットぐらいしか好いところが見つからない。
006. Bee Dream 〔Greaves/Blegvad〕 (3'12)
人の魂って、一部はワシだったり、一部はモグラだったりするんだ。一部は空高く舞い上がり、一部は穴底でいびきをかいてる。
昔、ぼくは蜂だった。そう、蜂の王だった。羽は退化してたけどね。ぼくの王国は、こっち側の世界にはなかったけどね。
○John Greaves 『Parrot Fashons』(1984年)に 別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
『Parrot Fashions』(1984)で、ジョン・グリーヴスは「each of us has in our soul」という歌詞を「each of us has an arsehole」と歌っている。
詩の初出は、John Zornのアルバム『Locus Solus』(1983)に収録された『Juan Talks it out of his System』。
登場するThe eagle and the mole(鷲ともぐら)は、William Blakeの「Thel's Motto(セルのモットー)」からの無意識的援用。
Does the Eagle know what is in the pit?
Or wilt thou go ask the Mole?
鷲は(空から)穴の中にあるものを知ることができるか?
それとも、汝はそれを(盲目の)もぐらに尋ねに行くか?
007. Just Woke Up (3'02)
今、目が覚めたばかりなんだ。そんなに、がみがみどならないでくれ。ぼくの頭はまだぼんやりして、雲の中をさまよってるんだ。みんなが言うのはほんとだな。目覚めるのは、そうそう簡単にできることじゃないんだ。
【2018年8月追記】
The Velvet UndergroundやRoy OrbisonやAllman BrothersやNeal Sedakaが入りまじった曲想。
学生時代のあだ名は「Sleepy Pete」。
ピーター・ブレグヴァドが自分の葬儀でかけてほしい曲だそうです。
ミックスを担当したボブ・ドレイクによれば、最終ミックスで、前の曲「Bee Dream」で山ほどのエコーやリヴァーブなどサウンドエフェクトをかけて仕上げて、さて次の「Just Woke Up」はヴェルヴェット風にとクリス・カトラーが言いかけたとき、その16トラックテープは停止されておらず、「Bee Dream」の設定のまま、「Just Woke Up」が鳴ってしまったそうです。
ブレグヴァド、カトラー、ドレイクはその響きに驚いて、この設定のままでいいのではないかということに。
ですから、「Just Woke Up」は他の曲のミックス設定を使ってミックスされた曲という、珍しい作りです。
008. In Hell's Despite 〔Blegvad/Partridge〕 (4'22)
このロケットはストリングとチューインガムでできてる。どこを目指すのか、どこから出発したのか、もはや分からない。だけど、僕らがあれを見るとき、僕らに理解の光が差して、知るはずだ。僕らは天国を建設するんだ、地獄のさげすみ、なんのその。
○このロケットの形状をイメージすると、どうも「精子」に似すぎています。
○90年ごろのアンディ・パートリッジとの共作からか?
○John Greaves 『The Caretaker』(2000年)に別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
William Blakeの詩「土くれと石ころ(clod and pebble)」にある 「そして地獄の絶望のなかに天国を築く(And builds a Heaven in Hell's despair.)」「そして天国にあっても地獄を築く(And builds a Hell in Heaven's despite.)」という一節の反転。
009. Best Thing (2'18)
ぼくがした、いちばんいいことは、ぼくが何もしなかったこと。出て行く君を、拝み倒し説得するとか、ひと思いに殺してしまうとか。だから、ぼくがしたことじゃなくて、ぼくがしなかったことで、ぼくを見ておくれよ。
【2018年8月追記】
William Blakeの詩「土くれと石ころ(clod and pebble)」参照。
恋人たちが誤った方向へ進んでしまうラブソング。
010. Mad Love Vanishes (3'44)
とりつかれた憂鬱からの解放。それだけが望み。君は君の分身が繭から現れるのを夢みる。目覚めると、ベッドの横に分身がいる。人生って妙なもんじゃないか? もしかしたら君がやつの分身なのかもな。
いずれにしろ事実と面と向かい合わなきゃならなくなる。たとえ狂おしい愛が消え失せて、跡形も残していなくても。
【2018年8月追記】
双子あるいはドッペルゲンガーとしての恋人というテーマは、ブレグヴァドの詩で繰り返し現れます。
詩に登場する「Savarin」はJasper Johnsの作品に登場することで有名なコーヒー缶。もうひとつの主役は、Mississippi John Hurtが「Coffee Blues」で歌ったMaxwell House。
011. Driver's Seat (3'14)
世の中に二種類の人間がいる。歩行者と運転者。21になるまで、俺には選ぶ余地がなかった。イグニション・キーをいれる。時速80マイルを超えると、空を浮いてるようだ。俺はウィスキーをのどに流し込んだ。人生って一方通行とみんな知ってる。やつには気付かなかった。ちょっとかすったかなって感じ。俺は壊れた自転車を引きずってブロックを二周した。少年の遺体は見つからなかった。少しばかりの肉の端切れ。でも、俺は見つかった。ほかのどこだって言うんだ。運転席に座ってた。
【2018年8月追記】
交通事故ソング。歌の恐怖で、事故を防ぐ対抗魔法のような曲。
012. You & Me (3'02)
二人っきりになるのは大仕事だな。犬を眠らせ、電話にも出ない。やっと二人っきりになれた。ある日、駐車場からトラブルは始まった。水はみるみる人の背丈を超えた。僕は球形潜水機を作って、ともかく危機が過ぎ去るまで、二人が生き延びられるようにした。君は「ほかの人はどうするの?」と聞くけど、連中がぼくらに何をした? もうどこを見ても、ぼくら二人っきりさ。何千年も前、似たようなことがあって、そのときも、あの男は今の僕とおんなじように感じてたんだろうな。二人っきり。永遠に邪魔はなし。
【2018年8月追記】
愛し合いすぎて、生きることも無意味になった恋人たち。
013. Waste of Time (3'40)
すべて時間のむだ。僕の頭蓋骨には悪魔がいて、僕がしくじるのを見たがってるんだ。「時間のむだ」と、ありがたい助言をくれてね。そいつが首尾よくいくとは限らないんだけど。「真実」と「美」を守るのが義務だって? うそ言うなよ。ヘドロから「真実と美」を救い出すだって? それこそ時間のむだじゃないか。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァ-ジョン。
【2018年8月追記】
オープンEチューニングは、St. Christopher's Schoolの同級生アンソニー・ムーアから教えてもらった。気持ちは往々にして悲観的になるものだが、「Waste of Time(時間の無駄)」と一緒に歌うと、逆に泥沼に落ち込むのを防ぐ効果もあり。
014. Incinerator (3'35)
情欲の炎燃え尽き焼却炉、すべては昔のものがたり(南無)。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第2作『KNIGHTS LIKE THIS』(1985)に 別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
二つが一つになる錬金術的方法としての焼却。
015. Stink (1'57)
ぼくの指に残った君の悪臭は、時の終わりまで、におい続ける。
【2018年8月追記】
聴き手を不快にする詩。
William Blake「病める薔薇(Sick Rose)」を連想。
▲アルバム『Just Woke Up』のためのプロモーション用CD『wake up to Peter Blegvad...』。
内容は前作のプロモーションCD『PETER WHO ?』の再利用。
■『Hangman's Hill』(1998年、ReR)
ソロ第6作。前作同様、グリーヴス&カトラーとのトリオ編成。綺想から寓話へ、詩の重点も移り、吟遊詩人の軽快さはそのままですが、より素直に「歌」に迫った快作。ブレグヴァドならではの凝りすぎて意図不明になる綺想も恋しいのですが、もはや贅沢な願いか。
○同じ年、Slapp Happy 奇跡の復活作『Ça Va』(V2)がリリースされ、その一曲め「Scarred for Life」と、その終曲「Let's Travel Light」が、このアルバムと重複しています。
○1998年6月のピーター・ブレグヴァド、ジョン・グリーヴス、クリス・カトラー来日公演の、ピーター・ブレグヴァド歌ものセットのときには、新曲として、「The Marvellous in the Everyday」「Let's Travel Light」「Golden Age」「Hangman's Hill」「Scarred for Life」(確かではありませんが「Dog」も)、それに出たばかりの Slapp Happy 『Ça Va』(V2)から「The Unborn Byron」が演奏されていたと記憶しています。
○日本盤ライナーは坂本理、歌詞対訳は喜多村純。
○このアルバム後のツアーでイタリア、フランス、合衆国、ベルグラード、イギリス、そして、日本を巡ります。
■『Hangman's Hill』収録曲要約
001. Loss to Mourn (4'25)
父さんが、息をひきとる前に言った。「男は何かを失って哀しむことがなければ、男になったとは言えない。女も深い悲しみを友とするときまで、少女のままなんだ。」
【2018年8月追記】
「Waste of Time」や「(Something Else Is) Working Harder」と共通するニヒリズム。作者はニヒリストか、希望はないのか? ブレグヴァドの答えは、カフカと共にあり。「希望はある。ただわたしたちと共にないだけ。」
詩に「わたしの父親」的キャラクターが登場するが、本当のピータ・ブレグヴァドの父親エリック・ブレグヴァドではないと言及。
002. Hangman's Hill (3'48)
いくらか偶然、いくらか手管、ぼくらはハングマンズ・ヒル(絞首刑執行人の丘)にたどり着く。ジャグいっぱいのワインに、ありあまる時間、機知を競う似合いの二人、気持ちを決める試練、言い換えれば、どうしたら君にキスできる? 君がじっとしてくれないのだったら。
○たぶん、この丘は Green Boy(緑童子)が処刑された場所のような気もします。ソロ第3作『Downtime』CDに収録の「013. (The Ballad of) The Green Boy」参照。
【2018年8月追記】
ブレグヴァドが教えていたWarwick Universityに「Gibbet Hill(絞首人の岡)」と呼ばれる場所があったそうです。
ナーサリイライム、バラッド、言葉遊び。
003. Love Somebody (4'17)
誰かさんを愛してる、そう僕は愛してる。誰かさんを愛してる、でも、誰だか言わないよ。誰かさんは、君みたいな人、年はね、16と42の間だよ。その誰かさんも僕を愛してる。
【2018年8月追記】
3つの異なる曲の断片のコラージュ。
詩もアメリカのフォークソングによく使われる言葉のコラージュ。
004. Let's Travel Light (2'26)
身軽に旅にでよう。からだなんて置いていこう。必要ないよ。心だけでじゅうぶん。夜間飛行しよう。寄りそって、静かに上昇しよう。時の尽きるところまで、ずっと。
ぼくらの波長は紫外線に同化する。力を消耗するなよ。ぼくにまかせて。
ヴァーチャルなんかじゃない、これこそほんとうなんだ。きみの感じ方も変わるよ。全身全霊をこめておすすめしたいな。身軽に旅に出ようって。
○ブレグヴァドのクラリネットはとぼけて、いい味です。
○Slapp Happy『Ça Va』(1998年) に別ヴァージョン。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァ-ジョン。
【2018年8月追記】
この曲の最初の録音。今演奏しているものに比べるとだいぶ速い。
005. Dog (2'08)
犬をみたことがあるかい? 汚泥の中で、ほかの犬へ服従して腹をみせてる犬を。
【2018年8月追記】
強い者にへりくだる人の弱さ。
006. The Marvellous in the Everyday (4'23)
路傍につっこんだ事故車。女は死の瞬間、日常のあらゆるものに隠されていた神秘を見る。と見ることもできる。あるいは、茫然自失の女に、ふと訪れた啓示。見過ごしてきた日常の細部にこそ素晴らしいものがあったのに。でも、もう遅い。
【2018年8月追記】
Victoria Williams のアルバム『Happy Come Home』(1987年)でカヴァーされていたゴスペル「I'll Do His Will」のコード進行を参考。 「Driver's Seat」に続く2曲目の自動車事故ソング。死亡事故ではない。
007. Bride of Fire (2'16)
彼女はスタンド・マイクを手にとった。工場を背にして。
お皿に彼女の「ハート」をのせてマイク君に差し出して、告げた。「受け取ったからには、返すなんて言っても、もう遅いのよ」
彼女の瞳の狂おしさといったら。子供らのコーラス隊を従えて、熱狂的な歌のご披露。「あなたがH2Oの花むこなら、私は炎の花嫁」
ぼくのかみさんは炎の花嫁……
【2018年8月追記】
水と火のように、対極にある者の結婚。
ここでは、伝統的な火=男、水=女のようなジェンダーの役割は逆になっている。
008. On All Fours (2'48)
四つんばいの男の遠吠え。「Dog」と対をなす?
【2018年8月追記】
「Dog」と違い、この曲の人物は、自分の地位の低さを誇っている。
009. Scarred for Life (3'00)
「あなたを思い起こすものを残して。ひとふさの髪の毛以上のもの、一生残る傷跡を残して。」終わった恋の傷の深さ。
○Slapp Happy『Ça Va』(1998)に別ヴァージョン。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第7作『Choices Under Pressure』(2001年) に別ヴァ-ジョン。
○2016年のSlapp Happy日本公演で、ダグマー・クラウゼの歌うこの曲を聴いて、隣の女性が涙、涙でした。
【2018年8月追記】
この曲の最初のヴァージョン。後のヴァージョンと比べると、速い。
010. Man Overboard (3'51)
船から飛び降りた男のお話。踏み外すことの後悔はない。「ついにぼくは自由」
しかし、 「Swim」のときのような同伴者もなく、その先も提示されない。
【2018年8月追記】
溺れて生き返るような、劇的な生まれ変わり。
ブックレットには「Man Overbored」というキャプション付きのイラストが添えられている。
011. Golden Age (3'13)
「口をつぐめ」と皆が言う。若いくせに、「黄金時代」をさも体験してきたような口をきくなってさ。確かに、「黄金時代」はずっと昔の話なんだけど。でも、僕には詩人が描く「黄金時代」が目の前にあるようにはっきり見えるんだ。ほかの時代はくすんでるよ。彼みたいに書けたらいいな。彼の本は僕の聖なる書物。その本が描く「黄金時代」こそ僕の生きる場所。「夢の世界に生きててもなあ。」それがどうした。「黄金時代なんて、とっくに終わってる。今は蒸気の時代さね。」
○ケネス・グレアム著『 The Golden Age 』(1895) という幼少年時代を描いた書物を連想。
【2018年8月追記】
何かや誰かに自分を捧げようとする衝動についての歌。
012. Magritte (2'20)
ぼくは、ありふれた男。ぼくは、通りにたたずむ男。マグリットの絵の、あの空から降りそそぐ男たちのような。助けてくれよ。お願いだから。
風は野の草を吹き散らし、墓所はおおいかくされる。哀しみの唯一の友と呼べるのは、記憶だけ。
【2018年8月追記】
ルネ・マグリットの絵画作品「Golconda」(1953)参照。
013. The Only Song 〔Blegvad/Greaves〕 (6'43)
想像したまえ。これが、この世でただひとつの歌で、嫌でも、じっとして一日中聴かなくちゃならないとしたら。しかも気分が悪くなるまで。
○Peter Blegvad / John Greaves『unearthed』(1994)に別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
ヴォイジャー探査宇宙船に搭載されたゴールデン・ディスクにはこの曲がふさわしかったのでは。
■『CHOICES Under Pressure: an acoustic retrospective』(2001年、Resurgence)
ソロ第7作。自作再演のベスト。
Slapp Happy の3人のなかで、初のベスト盤ということになるのでしょうか?
第4作『KING STRUT』から3曲、第5作『Just Woke Up』から3曲、第6作『Hangman's Hill』から2曲( Slapp Happy『Ça Va』と重複)、そして、Slapp Happy の『Slapp Happy』(1974年、Virgin)と『Ça Va』から1曲ずつの計10曲に、新作のアンディ・パートリッジとの共作2曲を加えた12曲(共作がいつごろのものかは不明)。初期3枚からは選択されていないものの、アコースティックな編成でブレグヴァドの「歌ごころ」を堪能できる1枚です。
○JAKKOのホーム・スタジオで制作。
○「重圧下の苦衷の選択」とでも訳せるタイトルですが、もとになったのは、ブレグヴァドの『The Book Of Leviathan』( 2000年、Sort Of Books ) 所収の5コマから構成されるコミック。余計なお世話ながら、その5コマを逐一解説すると、
1. タイトル……問い:「キャラクター」の本性を明らかにするものは何か? 答え:重圧下で、その人物が行う選択。
2. 絵……深海の球形潜水機、中にはリーヴァイくんとウサちゃん(アルバム・ジャケに採用された絵)。
キャプション……キャラクター = リーヴァイ。重圧 = 水圧500に相当。
3. 絵……そっくりの豆2つ。
キャプション……問い:どっちがお好み? 「さやの中に豆2つ! でも、2つともそっくりだあ!」
4. 絵…… a. 石灰(チョーク)、b. チーズ。
キャプション……問い:燃えさかるビルからどっちを運び出す? 「チョークとチーズ! でも、2つは違いすぎる!」
5. 絵……深海の球形潜水機の遠景。
キャプション……酸素は尽きかけて、一度選択したら、もう変更はできないことは分かっているのだが、リーヴァイはより高き力に正しき判断の示唆を祈るばかり。潜水機からの吹き出し……「イーニー・ミーニー・ミニー・モー(ど・れ・に・し・よ・う・か・な)」
○このアルバムに収録する曲を重い圧力下で選択することで、キャラクター「ピーター・ブレグヴァド」の本性は明らかになったのでしょうか?
■『CHOICES Under Pressure : an acoustic retrospective』収録曲要約
001. Waste of Time (3'54)
ベスト盤のはじまりが、いきなり「時間のむだ」。ブレグヴァドの頭蓋骨に住まう悪魔の選択か?
○ピーター・ブレグヴァドの第5作『Just Woke Up』(1995年)に 別ヴァージョン。
002. The Unborn Byron 〔Blegvad/Moore〕 (2'36)
いまだ生まれざる胎児としての詩人バイロン。「皆に聞かしめよ。明日の朝、未来の詩人が生まれ来る。わが母のもとより、われらすべてを包む子宮のもとへ。わが生涯は彗星のごとく、世代を超えて崇敬の的となろう。わが胸襟開きし自由ゆえ、そのいまだ生まれざる者は我を記憶するだろう。」
ピーター・ブレグヴァド的な胎児の夢の中の選択。
○Slapp Happy『Ça Va』(1998年)に 別ヴァージョン。
003. Daughter (3'26)
やはりいつ聴いても親バカと笑ってしまいます。子どもたちへの配慮からの選択?
○ピーター・ブレグヴァドの第5作『Just Woke Up』(1995年)に 別ヴァージョン。
004. Let's Travel Light (3'49)
身を光のからだと化しての旅立ちの歌。納得の選択。3つのアルバムに連続して収録。旅のお供に口笛で……。
○Slapp Happy『Ça Va』(1998年)に 別ヴァージョン。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第6作『Hangman's Hill』(1998年)に 別ヴァージョン。
005. Meantime (4'06)
軽いのだけど、ぽっかりあいた「合間」に落ちた寂しさの、知らぬ間にいすわった選択。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第4作『KING STRUT』(1990年) に別ヴァージョン。
006. Scarred for Life (3'06)
いつまでも消えない傷を残して選択。3アルバム連続で収録。
○Slapp Happy『Ça Va』(1998年)に 別ヴァージョン。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第6作『Hangman's Hill』(1998年)に 別ヴァージョン。
007. King Strut 〔Blegvad/Partridge〕 (5'00)
ピーター・ブレグヴァド、想像上の自叙伝。名刺がわりの選択。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第4作『KING STRUT』(1990年) に別ヴァージョン。
008. That'll Be Him Now (4'15)
やあ、かの人のお出ましだ。お調子者に鉄槌の選択。
○ピーター・ブレグヴァドの第5作『Just Woke Up』(1995年)に 別ヴァージョン。
009. Haiku 〔Blegvad/Moore〕 (3'20)
意外性の選択。「Haiku」と「High I.Q.」という無茶なシャレのためだけに? しかし、若き日のブレグヴァドは、一茶や仙崖といった名前の知識をどこから得たのでしょうか? 日本のファン向けという気配も感じないでもありません。
○Slapp Happy『Slapp Happy』(1974年)/『Acnalbasac Noom』(1980年)に 別ヴァージョン。
010. Gold (4'33)
先を進む勇敢な女とたよりない男。さめざめと泣ける選択。
○ピーター・ブレグヴァドのソロ第4作『KING STRUT』(1990年) に別ヴァージョン。
011. God Detector 〔Blegvad/Partridge〕 (3'46)
評判良からぬ店に一人のよそ者がやってきた。男はポケットから何やら取り出す。蓄電器にブリキ缶が線でつながれている。男が取り出したのは「神性探索器」、その場にいた女どもは、男が何をしようとしてるのか分からなかった。「聖なるものが私たちの中におります。われらは彼女の靴紐を結ぶのさえ不相応ではありますが、その女神は実に控えめなお方でして、自ら名乗りをあげようなどとは決してなさらないのであります。」
「好きにさせておやりよ。害はなさそうだから。」男は神性探索器を一人ひとりに向けた。女たちは面白がってた。失うものなんてないし、男がだれを選ぶか興味しんしんだった。ひと通り調べ終わると、女たちの忍耐に感謝の言葉を述べ、言った。どうも聖なるものの気配はどなたにもないようで、妙な期待をさせてすまない、と。「そりゃ結構」。それから、女たちは男をハッピーにして、それから、男に支払わせた。また、男が神性探索機を取り出すと、女たちは言った。「そんなもの、どっかやって」
○アンディ・パートリッジとの共作。「卑俗なる神性」にまつわる連作の一部だったのでしょうか?
【追記】2004年初演のブレグヴァド作の朗読舞台劇「On Imaginary Media」では、この「God Detector」が紙芝居になって、演奏されます。紙芝居のなかで、「God Detector」を持った「よそ者」を演じるのは、赤子のリーヴァイ君。おもちゃの銃のようなものとして「神性探索器」が図示されています。
012. Gigantic Eye 〔Blegvad/Partridge〕 (2'03)
巨大な眼のなかで、行き交うものを見ながら。この巨大な神々はだれ? 網膜内錐体と桿体の間に座り、いったいどいつの眼のなかにいるのか考えた。やつも巨大な神々の一人にちがいない。こんなふうに僕に宿を提供してくれるんだからな、眼に入ったゴミのように。
また、僕がもとどおり失地回復するときまで、少なくともこの眺めを堪能しとこう。水晶体ごしにまばゆい輝きでそそぎこまれるこの眺めを。巨大すぎる器官の円周を楽しんどこう。
○第5作『Just Woke Up』のジャケットの絵と通じる作品。
○アンディ・パートリッジとの共作は、毎回小出しにされてきましたが、この後、『オルフェウス・ロウダウン』(2003年)『ゴンワーズ』(2012年)の2枚のアルバムに結実。ヴィジュアル面でも工夫を凝らしています。
夜はまだまだ続きます。
次は、8枚目のソロアルバムにして最新作『GO FIGURE』に。【続く】
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219. 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)
■ピーター・ブレグヴァドのソロアルバムまとめ・その1
去年の暮れ、2001年のCD『CHOICES Under Pressure』以来16年ぶりのピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)のソロアルバム『GO FIGURE』がリリースされました。わが家では「ブレグヴァド祭」になっています。
もちろん、ソロアルバムのほかにも、アンディ・パートリッジとの共作やBBCラジオでの音楽ドラマや、『KEW. RHONE.』の本など注目すべき作品を発表しているのですが、スタジオ録音のソロアルバムとしては、16年ぶりです。
ミュージシャンがCDを出すということが当たり前のことではなくなりつつある今、もしかしたら、これからはアルバムの発売を喜ぶという機会が少なくなっていくのかなあと思ったりもします。
昔のデータファイルを整理していてたら、2001年にブレグヴァドのソロ第7作『CHOICES Under Pressure』が出たとき、音楽ファンサイトの掲示板にブレグヴァドのソロアルバムについて書きこんだものが出て来ました。
それをもとにして、ピーター・ブレグヴァドのソロ・アルバムに収録されている曲について1曲ずつ振り返っておきたいと思います。
メンバーやスタッフのクレジットについては、DiscogsやIdiot-Dogの詳細なディスコグラフィがあるので、ここでははぶきます。
まずは1983年にリリースされた、ピーター・ブレグヴァド最初のソロアルバム『The Naked Skakespeare』から。
長い夜になりそうです。
【2018年8月8日追記】
2017年7月に、2017年暮れに発売予定と予約を募っていたPeter Blegvad Bandのボックス『The PETER BLEGVAD BANDBOX』。ReRレーベルらしく、何度が発売延期になっていましたが、ついに2018年7月に完成、届きました。Recommended Records(ReR Megacorp)からリリースされた、Peter Blegvad Bandの『Downtime』(1988)、『Just Woke Up』(1995)、『Hangman's Hill』(1998)、『Go Figure』(2017)の音源をまとめたボックスです。
72ページのブックレットも力作で、各曲についてピーター・ブレグヴァドやクリス・カトラーがコメントしていますので、そこで語られていたことを【2018年8月追記】として書き加えました。
■『The Naked Shakespeare』 (1983年、Virgin)
ピーター・ブレグヴァドのソロ第1作。プロデュースは、当時自身の Broken Records からポップ・シングルを連発していたデイヴ・スチュアート(Dave Stewart)がA面1曲めを担当したほかは、XTCのアンディ・パートリッジ(Andy Partridge)が手がけています。リン・ドラムなど当時の機材の音色が目立つものの、プロデューサーとしてのアンディの代表作といっていいと思います。このアルバムに続けてXTCは1984年の春『The Big Express』を、同じバースのクレセント・スタジオで制作しています。また、このアルバムは、ピーター・ブレグヴァドとアンディ・パートリッジというコンビの始まりでもあります。
このアルバムでのブレグヴァドの詩は、最近の寓話的なものと比べ、ジョン・グリーヴスとの共作『 Kew Rhone 』(1977年、Virgin)同様、伝わりにくい冗談に過ぎないで片付けてしまわれそうなものの集まりに見えつつ、実は、世界の神秘と連なる多量の注釈が用意されているのではないかと思われるもので、その遊びにどこまで付き合えるかが、好き嫌いの分かれ目かもしれません。別の世界と通じ合うハンドメイドの道具を使って「死」と戯れる、なんとも薄気味悪い冗談といった感触も確かにあります。
傑作とか名盤といった呼称がなんとも似合わない、しかし、たぶん一生付き合える作品です。なんのかんので、もう35年のつきあいです。
■『The Naked Shakespeare』収録曲要約
A01. How Beautiful You Are 〔Blegvad/Greaves〕 (4'06)
それが、いつ、どこで、どんな状況なのかは、定かではありません。フランス革命のパリ? ロシア革命のぺテルスブルグ? 1940年のワルシャワ? 恋人たちは追いつめられています。恋人たちの愛の巣の窓から見えるのは「恋人たちの人形を見せしめのように燃やし、夜空をおおう煙と、召使たちを悩ます装甲車のライト」というのですから。恋人たちは、その光景をうつす窓にカーテンを下ろして、相手のことしか見えない2人だけの世界に没入します。『存在の耐えられない軽さ』のような状況でしょうか。
○シングル曲にもなっていて、そのジャケット絵はブレグヴァドのもの。女性の肖像の後ろで、キノコ雲が立ち上っています。
○燃え上がるかがり火は、ブレグヴァドの詩に繰り返し現れるモチーフのひとつです。
○1984年1月リリースのシングルA面、B面曲は“Vermont”。
○共作者のJohn Greavesのアルバム『Parrot Fashions』(1984年) に別ヴァージョン収録。
○レオ・セイヤーがこの曲をカヴァーしています。
○この曲のみ Dave Stewart がプロデュース。同年の Stewart & Gaskin のシングル盤「Leipzig」〔T.Dolby〕 のカヴァー・イラストは、ブレグヴァドが手がけていました。
A02. Weird Monkeys (3'07)
人間という「奇妙な猿」の猿的愚かしさ。自分に似せて人間を創ったという神様も、そういったことには無頓着なご様子。鏡合わせの人と猿。
○A02以降は、すべて Andy Partridge プロデュース。
A03. Naked Shakespeare (3'03)
これも状況が定かではありません。このシェイクスピアは、少年少女の招霊遊びで出現したかのように、自分でも何が起こっているのか分かっていません。あるいは、少女の口から出る「 Shake a leg there (そこで片足を振って)」という命令(だじゃれ)のためだけに出現したか。
A04. Irma 〔Greaves/Blegvad〕 (3'23)
ヴィクトリア朝怪奇小説風のかなしばり歌。かなしばりで身動きできない男。男に添い寝するアーマを亡霊たちが犯していく。横にいながら男は何もできない。
○John Greaves『 Accident』(1982年)に別ヴァ―ジョン収録。
A05. Like a Baby (an exploded pop song) 〔Greaves/Blegvad〕(2'36)
赤子の変身物語。赤子は歌=鳥になる。歌=鳥は「まず何より鳥であることが主か、歌を聴かせ続けることが主か」……禅の公案みたいです。
A06. Powers in the Air (2'49)
人に詩を書かせるのは「大気に漂う精霊たち」。自分で考えたと思っていることも、連中が操って書かせてるんじゃないか。まさしく「電波系」の歌。
○新作『GO FIGURE』でも再演しています。
○詩人エズラ・パウンドについての詩でもあります。
A07. You Can't Miss It (1'43)
「見逃しっこないよ」……何を? Yellow Belly(黄人・臆病者)が茂みをカーテンで囲って花を枯らし、根ごと引き抜いて海で洗うんだ。そして夜になってそれに身を包んで空高く浮遊する……。
B01. Karen (3'03)
カレンという名のフィリピンの女の子に身も心も溺れる男。「敗者こそ勝者」とうそぶきながら。
○ Slapp Happy『Acnalbasac Noom』CD版ボーナスとして初期ヴァージョン。
○1983年9月シングル盤A面曲。B面は「Lonely Too」
B02. Vermont (2'19)
同じことは二度ない。でも、二つのことが同じではないということを意味するわけじゃない。女は言う。「私は何度も生まれ、そして死んだの」
今度身を沈めるのは何という河?
○アンディ・パートリッジ趣味の緑山高校マーチング・バンド(GREEN MOUNTAIN HIGH-SCHOOL MARCHING BAND)の間奏付き。
B03. Lonely Too (3'32)
男は何も身に着けてなかった。食膳はまだ温かかったから、死んでからそんなに時間は経ってない。首が変な方向にねじれていた……。男が誰だか分かった。エズラ・パウンドだ……。目が覚めて、メモしといた。そしたら、君のことがひどく恋しくなった。なんでかって? わかるわけないじゃないか。僕はひどく孤独なんだ。君もひどく孤独だったらどんなに……。
夢うつつの境から暴力的な恋慕への飛躍が、狂った恋そのまま。
B04. Blue Eyed William (4'24)
無邪気なウィリアム(その名の皇太子も詩人もいる国ならではの命名か)、キリストは皆がよってたかって殺したんだ。君に必要なのは危険をさとしてくれるやつだよ。みんなの一方的なたわ言に耳を傾ける必要はないよ。連中の言う良いものすべて、君の小さな体に詰め込めるわけないじゃないか。
○バック・コーラスがマギー・ライリー。ちょっと贅沢。
○Slapp Happyのシングル盤「 Everybody's Slimmin' 」(1982年) B面に別ヴァ―ジョン( Slapp Happy『 Acnalbasac Noom 』CD版に収録)。
B05. First Blow Struck (Ode to Capok) (4'24)
終末的な暴風の情景。救われた者たちの上に美しい虹がかかります。
▲『The Naked Shakespeare』のLPジャケット裏
▲『The Naked Shakespeare』LP盤の歌詞入りスリーヴ
後発のLPには、歌詞を掲載したスリーヴが付属していません。
片方の目を隠した鬼太郎のようなポートレイト。ブレグヴァドを分かりやすく説明しようとするなら、歌の内容も含めて「アダムス・ファミリーの登場人物のような」という形容がふさわしいのかな、と思ったりもします。
▲『The Naked Shakespeare』のラベル
盤のA面の円周内側に「AMATEUR No.6」と刻まれています。
ピーター・ブレグヴァドは1977年以降、「AMATEUR(アマチュア)」という名義で、小冊子を発行しています。手元にあるのは、「AMATEUR No.1」だけです。「No.2」以降のものも見てみたいと思うのですが、なかなか世の中に出回らず、思いは果たせていません。
当時のイギリスの音楽誌には、ブレグヴァドのイラストによる『The Naked Shakespeare』の広告も何本が出ていたようですが、その全貌も、まだ把握していません。エフェメラで輝く人です。
【2024年5月28日追記】ピータ・ブレグヴァドの「Amateur」について、「第422回 1982年のピーター・ブレグヴァド「アマチュア 3(AMATEUR 3)」(2024年5月28日)」で書いています。
▲1977年発行の『AMATEUR No.1』
A4の両面刷りを2つ折りした小冊子です。『AMATEUR No.1』のテキストは「AMATEUR」のサイトで読むことができます。
▲『The Naked Shakespeare』CD(1991年)
なかなかリマスター盤が出ないアルバムです。
■『KNIGHTS LIKE THIS』 (1985年、Virgin)
▲『KNIGHTS LIKE THIS』のLPジャケット
ソロ第2作。第1作『The Naked Shakespeare』同様、バースのクレセント・スタジオで録音。クレセント・スタジオのハウス・エンジニアであるデヴィッド・ロード(David Lord)がプロデュース。80年代特有の電子機材の音色が濃厚で、オーヴァー・プロデュースであることは否めません。1995年の『Just Woke Up』で3曲再録音しています。
現在のKing Crimsonのメンバーであるジャッコ(Jakko)、盟友ジョン・グリーヴス(John Greaves)に加え、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのガイ・エヴァンス(バース在住)、スクイーズのグレン・ティルブルック、キース・ウィルキンソン、80年代のメル・コリンズこと、ゲイリー・バーナクルらが参加。弟のクリストファー・ブレグヴァドは曲も提供。
詩は似非神秘主義者的側面も端々に感じられますが、全体に喪失感の気配が濃厚です。裏ジャケに使われた、詩神招来の自動筆記装置や。ギターにつけた「Liar's Lyre(嘘つきの竪琴)」というキャプションが、ブレグヴァドの歌に対する真摯かつユーモアに走る姿勢を感じさせます。
ジャケットの絵は、ブレグヴァドの手になるものです。
この作品を最後にヴァージン・レーベルとの縁は切れます。
○1930年代のイギリスのコメディ映画に『A Night Like This』という作品があります。
■『KNIGHTS LIKE THIS』収録曲要約
A01. Special Delivery (4'05)
恐怖の館に招き入れるヴィンセント・プライスのように、みな僕に愛想がいい。どうやら「特別配達便」がもうすぐやって来る。僕からお返しするものは何もないのに……。「王」は庇護するものより力を得て、われわれは自らの血で報いる。「王子」は厄災、しかし、それが「王子」の役割。虫食いの腐れきった王権。泥沼への郷愁。今にも「特別配達便」はやって来る……。
○1985年、12インチ・シングルA面、B面は「Karen」と「Meet The Rain」。
○ブレグヴァドのソロ5作『Just Woke Up』(1995)に 別ヴァージョン。
A02. Face Off (3'36)
僕は見ちまったんだ。シカゴの近くの「 Lee's - 」というバーの駐車場でさ。鮮血のようなネオンがチカチカしてた。バーから追い出された男と女がいたんだ。男の葉巻の火が赤く見えた。「お前にはむかむかするんだ」と女を殴るんだ。女は「あんたなんかどっか行って。わたしはここに残る」て言い返した。でも、男は聞いてないふうで、突然顔に手をあてると、自分の顔を剥ぎ取ったんだ。
男は言うんだ。「な、これで、どれだけお前を愛してるかわかるだろ? お前のすべてを崇めているのに、でも、俺はお前のドレスの袖にキスするのさえふさわしくないのさ」女は車で行っちまったよ。すぐにすごい衝突音が聞こえた。こんなのってありか?
A03. Let Him Go (4'14)
なあ、やつにうんざりしてるんだって? ぐずぐずしてないで、やつをおっ放り出したらいいんだよ。「もうお終い」とはっきり言えばいいんだ。それが君のためでもあるし、やつのためでもあるよ。やつを解放しろよ。
○John Greaves『La Petite Bouteille De Linge』(1991年) に「Let Her Go」という逆の視点の歌があります。
A04. The Incinerator (4'59)
「焼却炉」……僕たちは2つの呪われた魂のように手を取り合って煉獄の炎をかいくぐってきた。完全犯罪の共犯者のように2人の心は固く結びついていた。邪悪なまでに淫らで、雪のように純粋な2人。遠い遠い昔の話だ。
今、僕たちが完璧な他人になっちまうなんて、だれが想像できる?
○ブレグヴァドのソロ5作『Just Woke Up』(1995)に別ヴァージョン。
A05. Pretty U Ugly I 〔K. Blegvad〕 (4'29)
階段でキス。ごめん、傷ついた? 離れてるときも、君の心が僕とともにあると思えば、それが支えになるんだ。僕のすべてを君にあげる。君は僕に恋してない……。君のすべてを、勇気を、愛を、僕におくれよ。
○1985年8月、7インチ・シングルA面(edit)、B面は「Major Minor」。
○1985年8月、12インチ・シングルA面、B面は「How Beautiful You Are」と「Major Minor」。
B01. Always Be New To Me 〔Blegvad/Greaves〕 (3'47)
「揺るがぬものは飛び去り、移ろいやすきものこそ永続する」……僕が恋する女の子は唇を僕の耳もとに寄せてささやいた。「ここにいるのはわたしたちだけ。あなたがしたいことをして。どんなことだって構わない。でも、どんなときも新しい何かの始まりのようにね。」
○John Greaves『Parrot Fashions』(1984年)に別ヴァージョン。
B02. Last Man (4'15)
鏡に映る自分の顔、こいつ何て名前だっけ? 顔も、名も、番号もない。どんな種にも属しちゃいない。僕は「最後の男」さ。最初はアダムとイブ。エデンの園のようにイブはいない。こんなの予定になかったな。最初の「最後の男」になるなんて。
○「Special Delivery」で登場したヴィンセント・プライス主演『 The Last Man On Earth (地球最後の男)』(1964)という映画がありました。原作はリチャード・マシスン(Richard Matheson)の小説。すべての人類がヴァンパイア化した世界で、ヴィンセント・プライスがたった一人残った「人間」を演じています。何度かリメイクされています。
B03. Meet The Rain (5'47)
嵐が近いな。変わり目にふさわしい。稲光がして、遠くで雷が鳴る。雨宿りできそうな所もなし。濡れるな。でも雨は好きさ、泥んこに幸運ありさ。僕の血の中にはアヒルがいるのさ。君が押し流されてやしないかと電話したけど、つながらない。
君と面と向かって会う。お互い汚い心持ちで。嵐はここでもひどかったようだな。床には妙なもんが散乱して光ってる。みんな僕に会うのを予期してなかったみたいだな。みんなが何言ってるのか分からない。
僕が「シリアス」と言うとき、それは遊びに夢中な子供のように「シリアス」ということさ。「世が夢幻なら、夢幻こそ、この世」というけど、僕たちのことを夢見たもんさ。うなされるほどね。昏倒寸前の熱に浮かされたような「満月の夜のふるまい」。秘密の部屋でお互い鏡を見るように折り重なった兄妹。永遠に若くある唯一のやり方。ほかに道はない。君は僕を夢の世界に追放した。僕はそこから出る気はないよ。
雨よ、夢よ、永遠に続け。ほかに道はない。
○ブレグヴァドのソロ5作『Just Woke Up』(1995)に別ヴァージョン。
B04. The Wooden Pyjamas (4'57)
「木パジャマ」……信じらんないって? みんなが話してるのは君のことだよ。「こんなに若くでお亡くなりになるなんて」えっ、誰が死んだの? 「悲劇としか言いようがありませんな。あんなに素敵なお嬢さんが」……。なあ、驚くことはないよ。忘れたのかい、君がついた嘘の数々を。僕が泣くのを面と向かって笑い飛ばしたことを。僕が「美しきものもやがて死すべきさだめ」と歌ったら笑ったじゃないか。
さて、君の木パジャマの上から、全く別の笑い声みたいな音が聴こえてこないかい。ねえ、何だか分かる?
B05. Marlene (4'50)
僕は君をこんなに愛しているのに、君は出ていくというのかい? そのスーツケースは何? 何か言っておくれよ。なんで黙り込んでるの? ねえ、マーリーン、まだ信じられないよ、一体全体どうして?
▲『KNIGHTS LIKE THIS』LP盤の歌詞入りスリーヴ
歌詞入りスリーヴのブレグヴァドのイラストは力作ぞろいなので、縮小サイズにせず、ちゃんと読ませる小冊子の形が望ましかったです。
▲『KNIGHTS LIKE THIS』LPラベル
このLP盤の内周には「AMATEUR」の文字は刻まれていません。
▲『KNIGHTS LIKE THIS』CD(1991年)
このアルバムに関しては、リマスター盤より、リメイク版があればいいなと思っています。
■『DOWNTIME』 (1988年、Recommended)
▲『DOWNTIME』LPジャケット
ソロ第3作。
1986年、アントン・フィア(Anton Fier)のゴールデン・パロミノス(Golden Palominos)第3作『Blast Of Silence』に全面参加(その提供曲2曲を再録)、1988年には、ザ・ロッジ(The Lodge)として『Smell Of A Friend』を発表、それらのバンド活動の合間をぬって、制作されました。
ギター/ピーター・ブレグヴァド、ベース/ジョン・グリーヴス(John Greaves)、ドラムス/クリス・カトラー(Chris Cutler)のトリオによる、シンプルな編成が基本になっています。新譜の『GO FIGURE』でも、このトリオが中心になっています、
『DOWNTIME』というタイトルは、「(作業などの)休止時間、中断時間」を意味しますが、この場合は、前もって予約されていたスタジオがキャンセルされ、低料金で貸し出されることのようです。ブレグヴァドは、ブリクストンのコールド・ストレージ・スタジオの「Downtime」を利用して、このアルバムを制作。スタジオのキャンセルはいつ起こるか分かりません。真夜中すぎに電話でたたき起こされて、急いでスタジオ入り、という日々だったそうです。制作期間に「1986-1988」という表示があります。
スタッフには、いつも一緒に行動していたようなジョン・グリ-ヴスのほか、かつてブレグヴァドと袂を分かった、ヘンリー・カウ(Henry Cow)のクリス・カトラー、ティム・ホジキンソン(Tim Hodgkinson)を迎え、朋輩アンソニー・ムーア(Anthony Moore)とは、1983年のスラップ・ハッピー(Slapp Happy)再編シングル以来の共演でした。
▲『DOWNTIME』歌詞ブックレット
▲『DOWNTIME』LPラベル
盤のB面の円周内側に「AMATEUR NUMBER EIGHT」と刻まれています。
単純に考えれば、「AMATEUR No 7」は2枚目のソロアルバム『KNIGHTS LIKE THIS』になると思われますが、確証はありません。
【2024年5月28日追記】「AMATEUR No 7」は、ブレグヴァドの2枚目のソロアルバム『KNIGHTS LIKE THIS』ではなく、ブレグヴァドが1984年に発表したブックレット『Stones In My Passway』(AMATEUR ENTERPRISES, LONDON, 1984)でした。ブレグヴァドは『KNIGHTS LIKE THIS』に良い記憶はないようです。
『Stones In My Passway』は、「第248回 1984年のNovember Books『The Christmas Magazine』(2018年11月12日)」や「第336回 1985年の『ATLAS ANTHOLOGY III』(2021年2月11日)」で紹介しています。
■『DOWNTIME』収録曲要約
A01. Model of Kindness (4'14)
「親切さの鑑」というべき老女への弔辞で始まる、この歌で、ブレグヴァドは自己のスタイルにあった歌のかたちとして、古謡的なものへ近づきます。繰り返されるナーサリー・ライム的なリフレイン、
Weave a wreath of willow & ivy (柳と蔦で花輪を編もう)
Heigh-ho, the carrion-crow (ハシボソキツツキ、ハシボソガラス)
この繰り返しが、古謡の、由来の忘れ去られれた、効力を失った呪文のように、まとわりつきます。
老女は一生恋もせず、キスさえ交わさず、亡くなった。年老いて、杖をつき、耳が遠くなり、目が見えなくなり、正気を失った様子で、さまよい歩いてた。あんな人には、もうお目にかかれないだろうなあ。
【2018年8月追記】
一部分は、亡くなったばかりの家族の友人へのトリビュート。あとは空想と押韻の練習。長年続いている、驚いたという感情と分かったという感情のとの間でバランスを取る傾向。
A02. Not Weak Enough (4'03)
僕はどっちの側にいるか分からないことに慣れてるんだ。妙に聞こえるかもしれないけど、地獄って涼しくて、かぐわしく落ち着けるところだよ。そこに部屋を借りたよ。安いし、スペースも十分だ。僕はもう戻る気はないよ。
○ブレグヴァドの次作『KING STRUT』(1990年)に 別ヴァージョン。
【2018年8月追記】
何かを意味しているように思われる「無意味」を書く試み。無意味なことばを通して、わたしたちが言いたくても言い得ないことに近づけることもあります。
03. Card To Bernard (2'42)
何年ぶりかな、パリの昔なじみベルナールにカードを送った。返事が来るとは思わなかったけど、なんと速達で返事が来た。
「こっちは至極結構なあんばい。なんせフレンチ・キスの本場だし、銭勘定のほうもばっちりさ。ロンドン暮らしが滅入るんなら、ホヴァークラフトの運賃ぐらい俺が出すから、勝手しったる巴里に来て俺の仲間になれよ。ランボーも言ってたじゃないか〈犯罪の空気で、身を清め〉とかなんとか。きっと気にいるぜ。モナミ」……。
で、ルー・デ・リヴォリで奴の仲間入り。結構至極のあんばいとは、いかなかったな。ひどいジャンキーになっただけさ。で、ベルナールは俺らを見捨てて行っちまった。ま、やつはロビン・フッドじゃなかったというだけの話さ。
俺はもう少しでおっ死んでるところさ。古なじみが声かけなきゃね。俺の変わり果てた姿に、彼女はほんとに俺か分からなかったくらいさ。彼女の嫌になるくらい豪華な家で、ようやく息を吹き返したってわけ。彼女の親父が知ったら大事になったろうけど、家に寄り付かないっていうからね。これぞ幸運ってやつさ。
○ダン・ヒックスなんかとも共通する「オフビート」(古くさい言い回しですが)な感覚、こういうものが死に絶えませんように。
【2018年8月追記】
『ReR Quarterly』Vol.1 Number3(1986年)のレコードのA面1曲目に収録。ブレグヴァド、グリ-ヴス、カトラーのPeter Blegvad Trioによる最初の録音。
ブレグヴァドは、パリ在住の写真家の友人ベルナールに時々絵はがきを送っていたようです。まだ海峡トンネルは開通していなかったので、ホーヴァークラフトがあったことは事実。それ以外の詩の内容はフィクション。ランボーの地獄の季節の「Je me suis séché à l'air du crime.(罪の風に吹かれて、わが身はからからに乾いた)」を参照。
A04. White 〔Greaves/Blegvad〕 (2'46)
無を考え抜くことの恐ろしさ。言葉もヴィジョンもなく、無。一方もまた無。歯のうつろな穴。空虚な円としての目。想像力そのものがカオスへと化し、狂ったように削除し、無記憶、乳児期の一切を記憶しないところへ。〔原則は明白〕 そいつの首をひねり、ひたすら思い出し、子供と化して、もう一度はじめからやり直す。
○ウリポ的技巧を駆使した詩です。ルドルフ・アルンハイム、アンリ・ミショー、マリー・ボナパルト、ウィトゲンシュタイン、ウィンダム・ルイスなどによる15のパラグラフから語を順に選択し、機械的に一編の詩に仕立て上げています。
【2018年8月追記】
John Greavesの曲。Lodgeの『Smell of a Friend』(Antilles、1988年)のための曲。複数の作家のテキスト断片のモザイク構成。主に「MILK」についてのテキストを集めています。
A05. Strong, Simple Silences 〔Blegvad/Fier〕 (4'38)
ある日、俺の2倍年かさで、俺の半分酔ってる男とすれ違った。「神の愛にかけて、そいつをめぐんでくれ」俺は酒瓶をそいつに渡した。「で、何を見せてくれるんだ?」と聞くんだ。「もう遅いから」と言うと、俺の手をつかんで言うんだ。「若いの、俺に見覚えはないか?」俺は眉間を殴られ、崩れ落ち、耳が遠くなる。俺に残されたなけなしのものが消えていく。まるでたった一人になりたいように。
どうしようもない静けさが、したこと、すること、まだやってないこと、すべてのことを忘れさせる。どうしようもない静けさが世界を焼き尽くす。振り返るな。もう戻れない。
○Golden Palominos『 Blast Of Silence 』(1986年) に別ヴァージョン。そこでのリード・ヴォーカルはTボーン・バーネット。
B01. When the Work Was New (3'49)
仕事が新しかったころのほうが簡単だった。僕らは今より十倍働いたけど、ちっともきつくなかった。最初に君と愛し合ったとき(今は時々だけど)、僕の誓いを破るなんて奇跡みたいなもんだった。今となってはね。
斧が振り落とされて、立ち上がり辺りを見回す。建物がたっていた場所は空っぽ、愛する人が微笑んでいた場所には誰もいない。
みなで俺を撃つべきだよ。引きずり出して殺るべきさ。俺をみじめさから解き放ってくれ。骨折した馬を撃つように。死ぬのはかまわない。嘘だよ。もちろん。
○Golden Palominos『Blast Of Silence』(1986年)に 別ヴァージョン。タイトルは「Work Was New」。リード・ヴォーカルもブレグヴァド。
【2018年8月追記】
トリオで2番目に録音した曲。エンジニアはBill Gilonis。
ブルース・ロックとギルバート&サリヴァンのオペレッタを合体させる試みで、当時はちょっとしたアイデアだと思っていたと。
B02. Animated Doll (3'32)
僕はどんな感情だって演じられる。それこそ滝のように涙を流すことだってできる。君は思ってもみないだろうけど、君が相手にしてるのは、頭も心も空っぽの操り人形なのさ。
【2018年8月追記】
コード進行は、『オリヴァー!』(1968年)の「As Long as He Needs Me」の影響。甘い感傷なものに弱いところあり。
B03. I Don't Believe You've Met My Baby (1'45)
○クリストファー・ブレグヴァドのリード・ヴォーカル。
○ words & music by The Louvin Brothers
B04. Bared Bard (2'57)
○「The Naked Shakespeare」インスト異版。朋輩アンソニー・ムーアとの共演。ピーター・ブレグヴァドがアンソニーと共作するコツを尋ねられて、「アンソニーが笑う詩を書くこと」と答えていましたが、「Bared Bard(裸の詩人)」という駄洒落タイトルにアンソニーは笑ったのでしょうか?
【2018年8月追記】
「Naked Shakespeare」のサーフ・インストゥルメンタル版。
B05. Lying Again (4'45)
僕は君から何も得ようと思ってないよ。あ、やっちまった。また嘘ついちゃったな。
僕の歯ブラシは「WISDOM(智恵)」印で、僕のバッグは「REVELATION(啓示)」印。でも、この2つを結び付けられないなあ。なんか縛られて猿ぐつわかまされた感じ。自慢じゃないけど、僕は話上手でならしたもんだったけど、冷たき沈黙こそ今の僕がのぞむもの。あ、やっちゃったね。また、僕は嘘ついた。
【2018年8月追記】
「Model of Kindness」のドラムトラックを使用。
B06. Crumb de la Crumb (3'36)
いずれにしろ、「クレム・デ・ラ・クレム(粋をきわめた精華)」から「クラム・デ・ラ・クラム(屑中の屑)」まで、満遍なくお迎えはやって来るわけでございます。
きつい骨折り仕事を終えて家に帰り着き、レコードなぞ聴きたくなる。溺れる者は流木にもすがると申しますからな。でも、あなたは私のアルバムを気に入ってくださると思います。究極の宝物とでも申しましょうか。ま、プラチナには決して行かないでしょうがね。で、その最後の曲が「屑中の屑」なわけでございます。
【2018年8月追記】
「Gem/creme」「platinum/crumb」という韻を、自賛。
自己卑下でアルバムを終わらせるために作られた曲。
▲『Downtime』(1990年)CD版
■CD盤のボーナストラック
012. Actual Frenzy 〔Greaves/Blegvad〕 (2'45)
■ Greaves / Blegvad『KEW. RHONE.』(1977) のジャケット・コラージュの図像解釈。『KEW. RHONE.』のアイデアの心臓部的作品。ジャケ図像の水車の細部を解釈して、「FRENZY(逆上・熱狂・錯乱)」の3つ局面、「FRENZY の残りかす」「潜在的な FRENZY」そして「今ここにある FRENZY」の3つのエンブレム(象徴)であることを語り示しています。
○朗読者としてのブレグヴァドの声は素晴らしいことを再確認。
013. (The Ballad of) The Green Boy (2'42)
あいつは銀杏の木とまぐわっていた。
「あいつの親父は木だったにちがいない」
「保護する必要はない、あいつは殺すべきだ」
ぼくらは緑童子の首に輪縄をかけた。あいつは笑った。
「やってみろよ。でも、できねえぜ。おれの親父は絞首台の木さ」
ぼくらはその場に凍りついた。
野次る群集のいた場所は、今は静かな森だ。
○John Greaves『La Petite Bouteille De Linge』(1991年)に 別ヴァ―ジョン。
014. Say No Now (4'01)
もう夜明けが近いよ。結婚式のお客はみな帰っちまった。君の花婿さんは二階で、のびてる。「大人であることは年齢じゃはかれないのよ」涙を浮かべながら僕に言ったよね。結婚の誓いを破らないように、僕に「ノー」と言いなよ。君はほんとにかけがえのない人だよ。でも、僕を引き止めないで。僕は聖人じゃないよ。だから、僕にきっぱり「ノー」と言いなよ。
015. The Wife of Usher's Well (live) (4'49)
○CDの隠しトラック。ライヴ音源。古謡の名バラッド「アッシャーズ・ウェルの寡婦」を歌っています。送り出した先で3人の息子を不慮の事故(版によっては流行病)で亡くした母親が、神に「もう一度息子たちに会わせてください」と祈っていたところ、クリスマスの夜、息子たちが帰ってくる。母親は大喜びでご馳走を出すのだが、息子たちは何もたべられない。息子たちをベッドに寝かしつけようとしたところで、鶏が鳴く。「もう行かなくちゃ。かあさん、さようなら。さようなら。」
○ブレグヴァド好みの神秘的な内容。ただ通常歌われるヴァージョンと歌詞がだいぶ違います。英国古謡の集大成、チャイルド著『English and Scottish Popular Ballads』の分類に従えば、チャイルド番号 79-D のアメリカのノースカロライナで採録された版に近いと思われます。ブレグヴァドのヴァージョンもアメリカ起源でしょうか?
016. Live Crumb (live) (3'30)
○CDの隠しトラックその2。ライヴ音源。最後の曲は「屑中の屑」。
長い夜は続きます。
次は、4枚目のソロアルバム『KING STRUT』です。【続く】
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218. 鶴丸城跡堀のカワセミ(2018年1月1日)
鶴丸城跡の堀沿いに歩いていましたら、カワセミを見かけました。
鶴丸城跡の堀沿いがテリトリーのようで、一年中いるようです。夏も冬も見かけます。
飛んでいると、その鮮やかな青にすぐ気づきますが、蓮の花托の上や茎などにとまっていると、なかなか気づきません。
英語で「Kingfisher」と呼ばれるだけあって、冬も元気に漁をしていました。
光の加減かもしれませんが、夏ほど羽の青色は鮮やかではないような気がします。それでも、歩いていて、カワセミの青い飛翔が目に入ると、はっとして、そして、いい気分になります。
▲この中にカワセミがいます。分かるでしょうか? 枯れた蓮の花托の上にとまっています。
▲こんな感じで小魚をねらっています。
手持ちのカメラの性能と私の腕では、カワセミのすばやい動きをカメラにおさめるのはちょっと無理でしたが、その青のすばやさは見ていて飽きません。
▲小魚を捕まえることに成功したようです。
しぐさの豊かな鳥で、見ていて楽しいです。
鶴丸城石垣の上では、アオサギも太極拳のような動きをしていましたが、漁が上手いのか下手なのか分かりません。
2018年になりました。
今朝の桜島です。
この稲荷川沿いをテリトリーとするカワセミもいるのですが、そちらのほうは、しばらく見かけません。
今年もよろしくお願いいたします。
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217. 1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし(2017年12月30日)
斎藤昌三(1887~1961)や秋朱之介(西谷操、1903~1997)が制作した凝った本の製本者、中村重義が社主をつとめた「伸展社」という版元から、次のようなフランス文学の翻訳が出ています。
■『醉ひどれ船』(1936)アルチュウル・ランボオ著・堀口大學訳
■『嶮しき快癒』(1937)ジャン・ポオラン著・堀口大學訳
■『庭』(1937)ポオル・クロオデル著・山内義雄訳
これらの本の現物はまだ手にしたことがないのですが、その中の一冊『醉ひどれ船』の広告ちらしが手元にあります。黒皮入り楮紙を2つ折りにして、8ページ中4ページに印刷されています。
さらに封筒に収めまるように、縦にもう一折りされていて、郵送されたものだと思われます。
伸展社の出版企画は、秋朱之介が立てていたとされており、このちらしの文章を書いたのも秋朱之介だと思われます。惹句に「象徴主義」ならぬ「象徹主義」という大きな誤植があるのがご愛敬です。
▲『醉ひどれ船』(1936)アルチュウル・ランボオ著・堀口大學訳の広告ちらし
▲『醉ひどれ船』(1936)アルチュウル・ランボオ著・堀口大學訳の広告ちらしから「象徴主義文學の鼻祖アルチユル ランボウの醉ひどれ船」
この文章は、秋朱之介の手になるものと思われます。書き出してみます。
象徴主義文學の鼻祖アルチユル ランボウの
醉ひどれ船
―
十九世紀の末葉から二十世紀の初めにかけて象徴主義文學は全盛を極めた。現代の文學はその象徴主義文學の洗禮を受けて日本でも上田敏博士の海潮音以來、詩の上に文學の上に大きな革命を來たしのであつた。そうしてその象徴主義文學の輝ける戰士達として稀有の天才アルチユル・ランボオ、ステフアヌ・マラルメ、エドガア・ポー、シヤルル・ボオドレエル、ポオル・ヴエルレエヌ等が擧げることが出來る。中でも年少二十歳に充たないわがアルチユル・ランボオの輝かしい三年間程(1870年―1873年)世界文學史上に輝かしい詩革命の年はなかつたのである。ランボオは瞭(繚)亂と咲き亂れた文學爛熟期の花園の夜に突如出現した太陽であつた。そうして、また、そのみぢかい文學生活をさらりと捨てて流星のやうにアフリカに去つたランボオであつた。
ランボオの「醉ひどれ船」は、ポオの大鴉、ボオドレエルの惡の華、マラルメの半獸神の午後、ヴエルレエヌの智慧と共に詩の中の詩として彼等を語るものが一時も忘れることの出來ない稀有の傑作である。日本でも上田敏博士の海潮音に既にその未定稿一部譯が現はれ、その後堀口大學氏小林秀雄氏中原中也氏等に依つて、醉ひどれ船をはじめ、地獄の一季節、學校時代の詩、その他が邦譯され、日本の讀書界でも多く親しまれて來たのである。
此度伸展社から刊行される「醉ひどれ船」は、我國フランス文學の大御所堀口大學氏の決定譯になるもので、決して今迄の譯書の追隨を許さぬものである。
(附記)ランボオの全作品が之からつゞけて刊行されるので、ランボオ全集の第一巻として、この輝かしい錦繡の書を秘藏願ひ度い。
▲『醉ひどれ船』(1936)アルチュウル・ランボオ著・堀口大學訳の広告ちらしから、中村重義の紹介文「伸展社主中村重義氏と装釘」
この文章も秋朱之介の手になるものと思われます。書き出してみます。
伸展社主中村重義氏と装釘
社主中村重義氏は、年少小學も中途の頃から造書の道にたづさはつて居られます。いま頭に霜の降りるとし頃になられまして、尚かつ青年の氣鋭に充ち、氏の江戸ツ子氣質は現今の頽廢せる出版家、製本同業者を他所に着々と熱意と誠實專心をもつて、書物は堅牢であつて美しく造らなければならぬ。しかし現今のやうな予ノン家でそうした手工業のやうな仕事をしてゐては食つてはゆけぬ、が、わたしだけは生涯時勢に反抗しても、そうした美しい堅牢な書物をつくつてゆき度い、とバツトに火をつけ乍中村氏に贈られた德富蘇峰先生の「修藝進于道」の書額にらみつけられる平生の中村氏である、氏はこゝ數年フランス大使館、ブラジル大使館等の一册本を一册數圓また數十圓の製本料をいただいて、錦繡の製本をして居られる方である。この中村氏が、今般出版書肆伸展社を創立され、自ら一册一册手を下して子弟の見本とすべき書物を刊行してをかれることは、我國造本藝術のために大いに喜ぶべき事で、今度の處女出版「醉ひどれ船」は、氏が直接製本に當られたもので、京染朱紅羽二重装、金、銀箔かけ、皮紐綴ぢの變つたもので、工場を親しく見学された某書癡先生が「錦繡の京の都の秋をしのぶ感がある」と感たん久しく見とれて居られたもので、純日本趣味に外人好みの皮紐をかけられた手際の良さには、をどろくの他ないのである。手間代や材料代は差し引いて頒布されるといふのだから、大變な損失出版になるわけであるが、伸展社刊本を一度手にされた方々の笑顔を見て一日の勞苦も損失も忘却される氏の満足な顔が見られるかと思ふと、我等永年中村氏の世話になつてる末輩の喜びもまた之に越したるはないと云はねばならぬ。
未法書癡 伸展社編輯局同人謹識
アルチユル・ランボオ「醉ひどれ船」申込規定
全册七五〇部限定 (角册番號入)
内第一番 ― 第二五〇番 (羽二重装特製、堀口大學氏署名入本)
第二五一番 ― 第七五〇番 (上製本希望者には堀口大學氏署名)
定價 特製 一冊 二圓 (送料 十錢)
上製 一冊 八十錢 一圓 ( 〃 )
この文章は、187回「1936年のモラエス『おヨネと小春』(2016年9月4日)」で紹介した『木香通信』四月号・創刊号(昭森社、1936年)掲載の秋朱之介記名による中村製本所の広告と共通する文章になっています。そちらのほうも、あらためて、掲載してみます。
その広告は「(秋朱之介)」の名前で書かれていて、秋朱之介と中村重義のつながりの深さを感じさせます。
フランス大使館、ブラジル大使館の製本をやってゐる中村重義君は我國で最優秀な製本技術者である、仕事の上に於てはウイリヤム・モリスのこころを自分のこころとして完成出來る男である。
さうした點に於て昭森社の製本は全部中村君に委して安心してゐる。
それでゐて製本料はどこよりもやすく、期日を正確に守る男だ。どうか中村君のと[こ]ろで製本されるやうに各位に小生からもお願申上ます。(秋朱之介)
中村重義が製本した本の書影を集めた本があったら、と思います。楽しい時間が過ごせそうです。
ところで、伸展社の広告ちらしにあったペンネーム(?)が読み解けません。
▲『醉ひどれ船』(1936)広告ちらし中の「伸展社主中村重義氏と装釘」に「未法書癡 伸展社編輯局同人謹識」とあるのですが、「未法」が何を意味しているのか、読み解けません。
秋朱之介は、横浜で住んでいたことから「ル・ポールの書癡」(横浜「港」の書痴のしゃれ)と名乗ったり、堀口大學の限定本を出す会を、恋人の名前をもじって「裳鳥会」と名付けたり、日夏耿之介の詩集刊行を目論んで、その版元の名前を自分のペンネームから「書林オートンヌ」(フランス語の「秋」のしゃれ)と名付けたりと、ことば遊びの多い人なので、「未法書癡」も何かのしゃれだと思うのですが、無粋なもので読み解けません。どなたか、ご教授くだされば幸いです。
書林オートンヌの日夏耿之介詩集は企画倒れに終わり、書林オートンヌからは一冊も本は上梓されなかったのですが、広告ちらしは作られた可能性はあります。秋朱之介は、たぶんそうしたちらしや小冊子をつくるのが好きだったのだと思います。
鹿児島だと、そうした、ちらしや小冊子などを集めるのは難しくて、もはや他力本願ですが、秋朱之介が手がけた、たぶんたくさん存在した小さい作品群を、まとめて見ることができる機会がないものかと願うばかりです。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
安易な発想ですが、アルチュウル・ランボオつながりということで、Slapp Happyのアルバムから「MR. RAINBOW」を。
▲Slapp Happy『Slapp Happy』(1974年、Virgin)Side Oneの6曲目。作詞作曲クレジットは、Blegvadとなっています。
▲Slapp Happy『Slapp Happy』(1974年、Virgin)の紙ジャケ再発CD(2005年)と歌詞ブックレットのレプリカと、オリジナル盤の歌詞ブックレット
▲Slapp Happy『Slapp Happy』(1974年、Virgin)のオリジナル盤の歌詞ブックレットと、紙ジャケ再発CD(2005年)の縮小版レプリカの「Mr.Rainbow」のページ。
残念ながら、レプリカ版には、ランボオの詩の英訳部分、右側の部分が欠けています。
印刷された「MR.RAINBOW」の歌詞には、この1974年の『Slapp Happy』ブックレットのほかに、1980年のRecommended Records盤の手書き文字の歌詞と、2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』(An AMATEUR Production)に掲載されたものがあります。赤字は異同のある個所です。
■まず1974年の『Slapp Happy』ブックレットでは、次のようになっています。
MR. RAINBOW
“Jeune goinfre” by Arthur Rimbaud
Casquette,
De moire,
Quéquette
D’ivoire,
Toilette
Très noire,
Paul guette
L’armoire,
Projette
Languette
Sur poire,
S’apprête,
Baguette,
Et foire.
‘Young Glutton’
Silk headgear
Ivory prick
Very black clothers
Paul eyes
The cupboard,
Sticks his
Little tongue out
At a pear,
prepares,
Wand,
And diarrhoea.
(Translation © by Slapp Happy, from their forthcoming study of Arthur Rimbaud ‘The systematic disorganisation of the senses’)
His silhouette rancid with diamonds,
Splinters like a stone in the palm of your hand.
He's rigged with a nebulae's sine qua non:
A festival of brass on a table of sand.
He's jerking like an angel on the ladder of crime,
Diluting syrup way ahead of their time.
He's spun like a ghost in the radio cool,
He's everybodies child but nobodies fool.
He's cool like the breath of a radio ghost,
His name is Arthur Rainbow & tonight he’s your host ......
スラップハッピーあるいはピータ・ブレグヴァドによる冊子『感覚の組織的解体(The systematic disorganisation of the senses)』が存在するとしたら、どんなものだったのでしょうか。見てみたいものです。
ここで歌われているランボーの詩「Jeune goinfre(若き大食漢)」は、ランボーが仲間と模倣作(パスティシュ)もじり詩(パロディ)を書き込んだ『アルバム・ズュティック(Album Zutique)』にあった戯詩で、意味がある詩というより音の遊びです。1871年、ランボオ17歳頃の作。
『ランボー全集II』(人文書院、1977年)の花輪莞爾訳では次のように訳されています。
若き大食痛飲家
つば帽子は
モヘアおり
いちもつは
象牙づくり
身なりは
まっ黒け
ポールは
戸棚ねらい
小舌を
ぺろり
梨のうえ
棒麺麭(バゲット)の
準備はあるぞ
それで腹下し
A.R.
■1980年のRecommended Records盤の手書きの歌詞
MR. RAINBOW
[“Jeune Goinfre” by A Rimbaud]
Casquette,
De moire,
Quéquette
D’ivoire,
Toilette
Très noire,
Paul guette
L’armoire,
Projette
Languette
Sur poire,
S’apprête,
Baguette,
Et foire.
[“Young Glutton” by A Rimbaud]
Silk cap,
ivory prick,
Clothes very black,
Paul eyes the cupboard,
Sticks his tongue out at a pear,
prepares
Wand & diarrhoea.
His silhouette rancid with diamonds splinters like a cone in the balm of your hand; he's rigged with a nebulae's sine qua non a festival of gas on a table of sand; he's jerking like an angel on the ladder of crime; diluting syrup ditties at the peak of their prime; he's spun like a ghost in the radio cool? he's everybodies child but nobodies fool; he's cool like the breast of a radio ghost; his name is etc. etc. ...
■2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』(An AMATEUR Production)に掲載されたもの
Mr. Rainbow
[’Jeune Goinfre’ by Arthur Rimbaud]
Casquette,
De moire,
Quéquette
D’ivoire,
Toilette
Très noire,
Paul guette
L’armoire,
Projette
Languette
Sur poire,
S’apprête,
Baguette,
Et foire.
Approximate translation: ‘Young Glutton’ - Silk cap, ivory prick, very black clothes, Paul eyes the cupboard,
sticks little tongue out at pear,
prepares
wand and diarrhoea.
His silhouette rancid with diamonds
slinters like a stone in the palm of your hand.
He's rigged with a nebula's sine qua non,
a festival of brass on a table of sand.
He's jerking like an angel on the ladder of crime,
diluting syrup ditties way ahead of their time.
Spun like a ghost in the radio cool,
he's everybody's child but nobody's fool.
He's cool like the breath of a radio ghost,
his name is Mr. Rainbow and tonight he’s your host.
そして、実際にダグマー・クラウゼが歌ったものも、印刷された歌詞とは少し違うので、話はやっかいです。
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216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)
【承前】たんたどの坂を登り下って、金剛嶺を登って下り、福昌寺墓地を抜けて、今度は、常安嶺にのぼります。
福昌寺の南西の裏鬼門にあたる常安の山上に、明治以降の島津家の墓所があります。
この場所に最初に葬られたのが、島津斉彬(1809~1858)の娘で、島津家29代当主・島津忠義(1840~1897)の正室、暐子(てるこ、1851~1869)でした。18歳の年、長女・房子の出産のあと、すぐに亡くなっています。
明治2年(1869)のことでした。
このときの葬儀は、それまでの仏式でなく、神式で行われました。
墓はいわゆる「土まんじゅう墓」で、下方上円の塚に、諡(おくりな)をしるした墓標を建てる形になっています。島津暐子の諡は「稚櫻豊暐姫命塚」、美しい名前です。「塚」ということばを使っているのも特徴のひとつです。背面に「明治二年己巳三月廿四日」と亡くなった日の日付が刻まれています。
明治に入って最初の島津家の葬儀が神式で行われたことが、「廃仏毀釈」容認のように受け取られてしまい、島津家の菩提寺であった福昌寺の廃寺につながりました。
鹿児島で廃寺にされたのは福昌寺だけではありません。明治2年、それまで1000以上あった仏教寺院がすべて廃寺となり、それから約10年、鹿児島には仏教寺院がひとつもない状態が続くことになります。
鹿児島県維新史料編さん所『鹿児島県資料 忠義公史料 第六巻』(1979)の 「二一四 島津忠義夫人産後病気ノ為逝去セラル」の項に、次のようにあります。
二一四ノ八
一御先代様御葬祭之儀、是迄仏家作法を以御執行被為在来候得共、此節
御前様御逝去ニ付テハ、方今復古之御盛典ニ被為基、御葬祭向都て神国之礼式を以可被為遂行旨、被
仰達候条、此旨神社奉行江申渡、向々江も可申渡候、
但御葬具出来ニ付ては、受持之局々より都て神社方江引合、早々無手抜取計候様、被仰付候、
明治二年巳三月廿五日 知政所
二一四ノ九
一常安峯
右は此節福昌寺境内山中開拓之場所
右之通相唱
豊暐姫命御遺体可被遊 御埋葬旨被仰達候条、向々江可致通達候、
明治二巳三月 知政所
常安峯が「福昌寺境内」だったことが分かりますが、このとき、島津家の対応いかんでは、「廃仏毀釈」が、すべてを廃寺にするような徹底した不寛容さで行われなかったのではないか、という気がしてなりません。
「寛容な不徹底」の道を探れなかったものか。
明治2年6月25日、鹿児島県の知政所は、「中元盂蘭盆会ヲ禁止シ祖先ノ祭祀ハ仲春仲冬両度ニ執行スヘキヲ達す」と通達。
明治2年11月29日、藩庁は、島津家歴代総社を鶴嶺神社として、旧南泉院跡に創建。
明治2年12月、藩庁は、仏教寺院を廃して、島津家の霊位を神社に祀ることを決めます。
旧福昌寺 → 長谷(はせの)神社・慈眼公(島津家久)御霊社
旧浄光明寺 → 龍尾神社 御高祖(島津忠久)御霊社
旧日進寺 → 竹田神社 梅岳公(島津忠良)御霊社
旧南林寺 → 松原神社 大中公(島津貴久)御霊社
旧妙谷寺 → 大平神社 龍伯公(島津義久)御霊社
旧妙円寺 → 徳重神社 松齢公(島津義弘)御霊社
「旧」ということばから分かるように、鹿児島は、日本のなかで「廃寺」をほんとうに実施してしまった、不寛容が徹底された場所になってしまいます。
▲常安嶺の島津家墓所外観
常安嶺の島津家墓所には、島津家29代当主・島津忠義の家族をはじめ、それ以降の世代が葬られています。
15の土まんじゅう墓があります。そのうち、12が島津忠義の家族、2つが島津久光(1817~1887)の子ども、1つが島津斉宣(1774~1841)の娘のものです。
島津家30代当主・島津忠重以降の墓は、土まんじゅう墓ではなく、石造りの墓になっています。
▲島津忠義の墓
【正面】
従一位勲一等公爵島津忠義卿墓
【背面】
天保十一年四月二十一日生
明治三十年十二月二十六日薨
▲島津暐子の塚、奥に島津忠義の墓
▲島津暐子の塚
島津忠義と島津暐子以外の13の土まんじゅう墓に葬られているのは、次の人たちです。
忠義の子どもたちで、この墓地に葬られているのは、幼くして亡くなった子どもたちです。
■愛邦眞稚彦命塚
明治十八年乙酉四月四日
忠義三男・邦丸(母・寿満子)
■花蔓豊房姫命塚
明治四年辛未三月十日
忠義長女・房子(1869~1871、母・暐子)
■幼稺豊和姫命塚
明治十七年甲申九月十日
忠義九女・和子(母・寿満子)
■稚靈忠寶彦命塚
明治十二年己卯八月十七日
忠義長男・忠宝(1879年、3か月で夭折、母・寧子)
■綾御衣裏寧姫命塚
明治十二年己卯五月廿四日
忠義継室・寧子(やすこ、1853~1879、島津斉彬五女、近衛忠煕養女)
■眞玉德彦命塚
明治十六年癸未九月十七日
忠義次男・徳之助(母・寿満子)
■花勝見普稚姫命塚
明治十一年戊寅九月五日
忠義六女・普子(母・寿満子)
■緑翠潔棲姫命塚
明治十九年丙戍五月十七日
忠義継室・棲子(すみこ、?~1886、板倉勝達の二女)
■島津久之墓
明治五年九月二十四日生
昭和三十五年一月二十六日歿
忠義側室・久(1872~1960、旧姓・菱刈)
■奇靈眞勝姫命塚
明治八年乙亥六月十日
勝姫(1812~1875)
島津斉宣(1774~1841)の娘。島津斉興(1791~1859)の養女。
石見浜田藩の嫡子松平康寿(1809~1831)の正室。松平康寿が家督を継ぐ前に早世したため、島津家に戻り、玉里邸(1835年造営)に暮らした。
■島津壽滿子之墓
昭和二年二月十七日
忠義側室・寿満子(1850~1927、旧姓・山崎)
忠義四男・忠重(ただしげ、1886~1968、第30代島津家当主)、八女・俔子(ちかこ、1879~1956、久邇宮邦彦王妃、香淳皇后の母)、十女・正子(なおこ、1885~1963、徳川家正の正室)らの生母。
■瑞心俊世姫命塚
明治八年乙亥十月廿七日
久光の娘・於俊(1859~1875、母・久光側室・山崎武良子)
■忠心經別彦命之□
從五位源朝臣島津忠經
明治十四年三月十一日逝去
享年三十一
嘉永四年辛亥十一月九日誕生
久光の子 母・久光側室・山崎武良子
▲お犬様の墓
福昌寺墓地の島津重豪の墓のそばにあるお犬様たちの墓は知っていましたが、このお墓は初めて知りました。
なんだか、今日の散歩では、「龍」たちが、あちこちで姿を見せます。
たんたどの龍窟にいた「正真」という名の龍、あるいは龍女。
福昌寺十二景には、ほかにも「龍門橋」や「龍燈松」、「龍獻水」という龍にかかわる場所があります。
「龍門橋」は智日池に真ん中にかかり、福昌寺大門へ続く石橋。
「龍燈松」は福昌寺の開山塔の前にあったとされますが、今は表示板だけです。
福昌寺の後ろの懸崖から湧いていたという「龍獻水」も、神龍が福昌寺の和尚に捧げたものといわれています。そもそも福昌寺は玉龍山です。
福昌寺の南には、大龍寺もありました。現在の大龍小学校です。 大龍小には、大竜町や上竜尾町・下竜尾町の子どもたちが通っています。
考えれば、鹿児島の川に架かっていた橋が、アーチ型の石橋だったのは、そこに龍の姿形を重ねて、龍に水の守りをさせるという考えがあったのかもしれません。龍が守護する街、鹿児島です。
鹿児島のあちこちに見え隠れしていた龍たちは、姿を変えたのか、それとも、姿を消したのか。
▲常安嶺から鹿児島市街地を見渡す
たんたどから、あちらこちら寄り道しながら歩いてきましたが、坂道がある分、結構な運動になります。
思うのは、やはり「廃仏毀釈」という不寛容な施策は、大失敗だったということです。
「稚櫻豊暐姫命」という美しい名前から、徹底的な廃仏毀釈が始まったかと思うと、悲しくなります。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
Dagmar Krause『Supply & Demand』(1986年、Hannibal Records)
この場にはふさわしくないのかもしれませんが、ブレヒト/ワイルの『ベルリン・レクイエム(Berliner Requiem)』(1928)の歌が頭の中を流れます。
流れてくるのは、ダクマー・クラウゼの歌声で「Grabrede (Epitaph 1919、墓碑 1919年)」です。
ダグマー・クラウゼの歌で「Ballade vom ertrunkenen Mädchen(溺れ死んだ少女のバラッド)」も聴きたいです。
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215. 1813年の金剛嶺石碑(2017年11月18日)
【承前】 たんたどの坂を下って、金剛嶺へ続く坂を登ります。
写真は、文化10年(1813)に、以前のものが壊れたので、改めて建てられた金剛嶺の石碑です。
福昌寺十二景といわれる名勝があって、そのなかの「深固院」と「金剛嶺」はセットになっています。
深固院は、福昌寺開祖、石屋真梁が引退後、住んだ場所です。『三国名勝図絵』の「福昌寺十二景」の項に、
金剛嶺 當寺の艮嶺を指す、石屋禪師石を聚て金剛經を書し、是を嶺頭に埋めて、鎭護とす、是なり
とあり、石屋禅師が、深固院の上にある金剛嶺に、石を集めて金剛経を書いたものを埋め、福昌寺東北の鬼門の守りとしたと伝えられています。
金剛嶺にある墓石群については、近日中にアップ予定の平田信芳『石碑夜話』を参照していただければ幸いです。
▲『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「深固院」〈昭和41年刊行の南日本出版文化協会刊行の『三国名勝図絵』から〉
現在の發照寺がある辺りでしょうか。
『三国名勝図絵』によれば、深固院は、福昌寺三塔司の一つとされ、開祖・石屋禅師ゆかりの小院です。島津家9代・忠国(大岳公)の菩提所にもなっていたようです。
他の福昌寺三塔司は、福昌寺16世・喜冠和尚開山の華舜軒と、福昌寺18世・代賢和尚開山の月香院です。
福昌寺の諸院は多数ありますが、そのなかでいちばん格が高かったのが恵燈院で、絵師の木村探元も『三暁庵主談話』で、
一雪舟之畫に四明天童第一坐とは四明天童第一の座席と云ふ事にて候 繪にて第一の座には不被居答出家が能有之第一の座に被居候半御國福昌寺第一の座は惠燈院なり 此通之事にて可有之と被考候由
と書いて、恵燈院が福昌寺「第一の座」としてます。
恵燈院の本尊は、運慶作の十一面観音で、福昌寺の本尊も運慶作の釈迦如来、夾侍の阿難・迦葉・須菩提・八金剛も運慶作ということでしたから、鹿児島でも運慶仏を拝むことができた時期があったわけです。
現在の玉龍中学・高校の南側の高台にある住宅地にあったようです。福昌寺開祖・石屋禅師の開山で、島津家8代の島津久豊(義天公)の菩提所でした。時期ははっきりしませんが、恵燈院にあった島津家の墓所は福昌寺墓地に改葬されたようです。
▲『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「金剛嶺」
『三国名勝図絵』は、天保14年(1843)にまとめられた地誌で、金剛嶺の頂に建っている石碑は、文化10年(1813)建立と刻まれているので、図に描かれた石碑は、現在建っている石碑と同じものです。
鹿児島の古くからのパワースポットのひとつなのですが、現在のあつかいはぞんざいとしか、言いようがありません。
▲金剛嶺から鹿児島市街を見渡す。多賀山ごしの桜島。
金剛嶺の周囲は、旧・深固院の墓所で、江戸から明治にかけての墓が残っていますが、發照寺下の崖の崩落以降、定期的に世話をする人がいないのか、荒れ果ててはいませんが、荒れています。
眺めがほんとうにいい、まさに「眺望佳勝」という言葉が似合う、気持ちのよい場所ですが、ここに一日いても、たぶん誰とも会うことはないような、人の気配のうすい場所です。
▲加治木島津家初代の島津忠朗の夫婦墓
島津忠朗(1616~1676)と 夫人(?~1692)の墓。大きさからいうと、福昌寺墓地にある島津家墓地群より、立派かもしれません。
平田信芳「石碑夜話(十一) 金剛嶺の古墓」(1995年)によれば、加治木島津家菩提所「龍仁寺墓地」にも墓がありますが、そちらが「埋め墓」で、鹿児島市街を見渡すこちらは「拝み墓」ということです。
金剛嶺からおりて、福昌寺墓地のほうへ向かいます。
▲福昌寺墓地にある石屋真梁と仲翁和尚の墓
今回は、島津家6代・師久(総州家)・島津6代・氏久(奥州家)から28代島津斉彬までの歴代当主と夫人の墓が集められた島津家の墓所は素通りして、福昌寺の開祖・石屋真梁(1345~1423)の墓と福昌寺三世住持・梅壽仲翁和尚(1379~1445)の墓をお参りしました。
梅壽仲翁和尚は、福昌寺を創建した島津家7代・元久の嫡子で、本来なら島津家8代を継ぐ人でしたが、僧としての一生を選択した人です。
▲玉龍中学・高校の西側にある水源地「玉龍水」
現在の玉龍中学・高校の校庭は、智日池という周囲1キロほどの池でした。現在の地名の「池之上町」は、廃仏毀釈のあと、埋め立てられた池に由来します。
春の桜、初夏の蓮花が名物だったようです。池の中央部には、福昌寺の大門へと続く龍門橋が架かり、その右手には、出島のような形で、弁財天と聖観音の祠があったようです。東京の不忍池の弁財天のような形でしょうか。
現在も水源地として使われているだけに、昔から水が豊かな場所だったようです。
福昌寺は何度か火事にあっているのですが、島津重豪(1745~1833)の時代、明和8年(1771)に、福昌寺が修築されたときのようすを『三国名勝図絵』は、次のように書いています。
大信公の代、明和八年、命して殿堂門廡を改め作り、悉く其舊に復し、或は光華を加へらる、凡そ當地の地たるや、後方は高峻にして、山に倚り、溪を帯ひ、前面は寛豁にして、平地に臨む、其境内廣大、周廻半里餘あり、其分界の定りは、恕翁公の御印文に見えたり、其後の山は、玉龍山と稱して、峯巒蟠屈し、常に雲霧を起し、翠靄を染む、宛も神龍雄蟠の勢ひありて、法窟を擁護せり、山峰の西面には、百仭の瀑布瀉き下りて、宛も百虹の龍背より懸り起るが如し、其下流は清水湛然として、常に塵情を蕩滌す、寺中には水を引き、若干の水車を設て米糧を舂き、民丁の勞役を省く、寺門の前には、周廻十餘町の大池を穿ち、智日池と號し、種るに蓮藕を以てす、夏月蓮花開くれば、紅白相映して、錦繍を織が如く、珠璣を敷が如し、清香異氣馥然として、遠く梵殿を薰し、寺院は香氣の中に朦朧たり、池蓮の清淨を觀ては、妙法蓮華開示悟入の緣を結ばしむ、其池頭には、石橋を架して、大門路の徃來とし、龍門橋といふ、池中多く鯉魚を畜て、橋上より觀るに宜し、堤塘には櫻樹數十百株を種て繚繞し、其花時には、山地と勝を爭んとす、池塘の東には、水田數頃を開きて、夏箕川に臨み、種るに香稻を以てせり、梵臺の崢嶸たるは、高く白雲に突出し、佛殿の宏壯なるは、廣く瑞日に照映す、支院隔房は多少を知らず、遠く林外の布列し、鐘聲經音は晨昏となく、遙に煙中に接續せり、しかのみならず、寺地廣大なれば、其上界下界の景狀一ならず、下界は平地にして、松形欝然たれば、多く幽深なるに、上界は山腹に連り、其僧坊梵閣高敞にして、城市海山の遠きを一眸の下に収め盡せり、其千状萬態、筆下に論じがたし
島津重豪ごのみの、華やかな寺の姿がしのばれます。
かつての栄華は今いずこ、です。
さて、次は、福昌寺の西側にある常安(とこやす)嶺にのぼります。【続く】
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214. 1667年のタンタドの観音石像(2017年11月18日)
近くにある、3つの坂を登ってきました。
平田信芳が、今から二十数年前、平成4年(1992)5月~平成9年(1997)5月にかけて、『みなみの手帖』誌に連載していた「石碑夜話」全15回(第1回~第9回は『石の鹿児島』に収録)をまとめてデジタルデータ化してPDFにしようと準備していて、
「石碑夜話(十一) 金剛嶺の古墓」〈平成7年(1995)9月〉
を読んでいましたら、福昌寺の艮(うしとら)の鬼門にあたる金剛嶺の話で、上町育ちの血が騒ぎ出します。天気もよかったので、旧・福昌寺周辺を散策して郷土史探訪のまねごとをすることにしました。
思い浮かべたルートは、まず福昌寺十二景のいちばん東にある「たんたど」に至る坂をのぼっておりて、続いて「金剛嶺」にのぼっておりて、福昌寺墓地を通って、「常安嶺」にのぼる、というルートです。
玉龍山・福昌寺は、島津家の菩提寺で、「藩国第一の巨刹」と言われていた曹洞宗のお寺です。
島津氏以前に鹿児島を治めていた長谷場氏の屋敷跡に建てられたとされます。
島津家7代・元久(1363~1411)が、石屋真梁(1345~1423)を招いて、応永元年(1394)に創建。福昌寺の三世住持の仲翁和尚(1379~1445)は、元久の嫡男ですが、島津家を継がず、島津家8代は元久の弟・久豊(1375~1425)が継ぎます。
島津家との結びつきの深い寺です。
島津家の菩提寺であったにもかかわらず、明治2年(1869)の廃仏毀釈で廃寺となりました。
残っていれば、鹿児島を代表する名所となっていたでしょうが、今は、その敷地跡に建てられた玉龍中学・玉龍高校の北側にある、福昌寺墓地に面影を残すのみです。 福昌寺墓地には、6代島津師久から28代島津斉彬までの歴代当主と夫人の墓が集められていますが、改葬があったためか、墓自体は18世紀以降につくられたものが多いようです。島津久光とその玉里家を継いだ忠済の墓もあります。
明治以降の、第29代・島津忠義以降の墓所は、福昌寺墓地とは別になっていて、福昌寺の西南側にある常安の高台にあります。
最初の坂は、「たんたど」へ登る坂です。
「たんたど」を漢字で書くと、「反田土」「撻鼕々」「都曇答臘」など難しい表記が使われてきましたが、その語源は、皷のように鳴る水音説、石工の石鎚の音説や、近くの「催馬楽(せばる)」という地名と結びつけて古代の音曲由来説などがあり、定かではありませんが、なんらかの擬音が起源のようです。
上の写真は、「たんたど」の龍窟・蛇穴(じゃのあな)前に残っている観音石像です。
いいお顔をしています。
背後に刻まれた碑文に「寛文七丁未」(1667年)とあります。
鹿児島市で見ることのできる石碑は、18世紀以降のものが多く、この観音像のように17世紀のものは多くは残っていません。
観音像の後ろ側に刻まれた碑文を読んでみました。
【正面】
□□□□有大龍濟弱石屋禅師[逢]□脉
□□□[移]岫其形[遍][岡]而或十丈□十五丈欤
□正真□
□口
□泉
石□下
豈逗千歳[于]龍師□□□□□□不見[予]彫観音
[正][裡][邈]□其□寛文七丁未[暦]仲春日[在]仙[叟][筑]□於玉龍之室
【右面】
目[記] 長圓
代官 鎌田清右衛門
[ ]内の字は仮の読みです。欠けや 摩耗がすすんで、判読が難しい個所が多いのが残念です。
判読可能な個所に、玉龍山・福昌寺の開祖である「石屋禅師」の名前が刻まれていることに驚きました。
福昌寺の開祖である「石屋禅師」が「龍」を済度したエピソードや、龍窟(蛇穴)の「岫」(いわあな)について、「寛文七丁未」(1667年)に「玉龍之室」で書かれていることが推測されます。
碑文中にある「正真」は、その龍の名前とも言われ、お礼にここに泉を湧かせたという伝説があります。
龍窟(蛇穴)のある場所にあった、正真軒という寺は、「石屋禅師」が開いたとされています。
この観音石像は、江戸時代の初め、鹿児島では島津光久(1616~1695)の代に、正真軒の由来を刻み、龍窟(蛇穴)に置かれていたもののようです。
「撻鼕々(タンタドウ)」は、「福昌寺十二景」に選ばれていることから分かるように、福昌寺と関わりが深く、正真軒には、毎月一日に福昌寺から僧が上ってきて、水神供をしたそうです。
もともと、古くからの、泉がわく「聖なる場所」だったのだと思います。
『三国名勝図絵』には、「撻鼕々(たんたどう)」の「蛇之窟 附 正真軒」のついて、次のように書かれています。
當寺(福昌寺)の北、五町許、撻鼕々にあり、蛇之窟、又龍窟ともいひ、寺説を按ずるに、むかし神龍此洞窟に栖しに、石屋禪師に參して、證果を得、全身蛻脱して、風雲を生し、兩角崖を穿ち去りしといふ、此洞窟高こと二間、深さ七間、横五間餘あり、洞上の山に穴あり、大小六ツ、其中殊に大なるもの徑り三尺五寸にして、半より兩岐となる、虚空を穴中より望みみるべし、穴中明朗にして、日光透り通ぜり、洞中常に水泉湧出して盈滿し、洞外に流る、此洞窟は、即神龍の蹤跡なり、故に龍窟を、俗呼て蛇之穴といふ、又此地を撻鼕々とも號するは、水音常に皷音の如く、鼕々たる故に其名を得たるとぞ、 [撻鼕々の事は、別にも説あり、本府催馬楽城の章に詳なり、今此には寺説に從てこれを記す、] 洞中に聖觀音を安ず、又正眞大明神の石像あり、是神龍を崇めしといふ、洞外に寺あり、正眞軒と名く、石屋禪師を開山とし、禪關和尚を中興とす、[元禄五年、遷化、]本尊聖觀音大士なり、[定朝作、]當寺は儈徒福昌山中の禪院と稱す、[山中禪院の數下條に見江たり、]寺寶に神龍の落したる鱗を藏む、福昌寺第五十五世圓山和尚龍鱗の記一篇あり、其文中に、神龍石屋師に參禪せしに、師正眞大師と名を捧けしかば、神龍本身を顯し去り、又屋後に清泉を湧出して是を謝す、今の正眞軒の名は、此由緒に依れりと云々記せり、古來毎月朔日に、福昌の大衆此洞に至り、水神供を修せしに、今は略して、福昌佛殿に於て誦経すといふ
また、その龍が女性に化身していた、という伝説もあります。
石屋和尚、薩摩國中を履歴したまひけるが、ある所の山洞の下に、暫く錫を住て坐禪工夫ありしに、或時何所もしらず一女人來て曰、吾は是神龍なりとて、禪要を問ふ、師直指人心見性成佛の旨を示す、龍女歡喜して華水を供して、時々來る、里人謂く此草庵へ女人の通ずるは怪し、彼女を捕んとて、數百人彼女の跡を逐て草庵に至り、彼美女を出すべしと呼びけるに、龍女謂く、吾善知識に遇ひ、畜生道を出離して、正覺を取らんとするに、凡夫の爲に妨けらるゝこそ無慚なれとて、忽ち本身をあらはし、大盤石を裂破て、平地に波瀾を翻し、海中に入る、里人驚き恐れて、皆十方に逃散りけり、此岩は龍宮窟とて、今に彼地にあるとかや、此文は蛇穴の事を云に似たり
同時代の島津家の絡み合ったお家事情とからめて、石屋禅師と龍女を主人公にした、歴史ファンタジーができそうな話です。
▲「たんたど」のバス停・たんたど公園
「たんたど」の地名は、バス停と公園に、目に見える形で残っています。
▲『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「撻鼕々」
▲龍窟(蛇穴)のある岩山
たんたど一帯は石切場でもあったので、地形はだいぶ変わっていると思いますが、『三国名勝図絵』の福昌寺十二景中の「撻鼕々」の図と似ているような気がします。
▲龍窟(蛇穴)
唯一残されている龍窟(蛇穴)。外は擁壁で埋め固められています。
▲土嚢に囲まれた観音石像
今回、いちばん衝撃的な光景でした。
奥に、唯一残されている龍窟(蛇穴)があります。
観音像は霊屋造の祠のなかに浮き彫りにされているのですが、霊屋の屋根は前に埋もれています。
▲青木昆陽『昆陽漫録』を収録する日本随筆大成第一期第20巻(1994年、吉川弘文館)
江戸時代の鹿児島の名勝を記録した書では、
■白尾国柱編『麑藩名勝考』寛政7年(1795年)
■本田親孚ほか編『薩藩名勝志』文化3年(1806年)
■橋口兼古・五代秀堯・橋口兼柄ほか編『三国名勝図絵』天保14年(1843年)
の三書が知られていますが、「たんたど」について、『麑藩名勝考』と『三国名勝図絵』が、青木昆陽が「たんたど」について書いたものを紹介しています。その部分を、日本随筆大成第一期第20巻(1994年、吉川弘文館)に収録された青木昆陽『昆陽漫録』から引用します。「日中見星」という項目です。
徐光啓西洋暦曰、夫密室測量。盖因陽精炫燿非人目可当。初虧時率多未見。或用水盤映照。則免于閃爍。又若動揺。故善巧者設為此法。用素板。作圜界。画分秒。以承日光。即虧。復初終分数多寡灼然。不爽所取于密室者。窺光自闇倍蓰。分明即眢井茂林。日中見星之儀。僧寮中或為幽房。通隙以受塔影。亦是理也ト。我国ニテモ眢井ノ中ヨリ、日中星ヲ見ルト云ヒ伝ヘ、薩州鹿子島ノ城ヨリ半里ホドアルタンタトウト云フトコロ、三町余山ヘ上レバ、平カニシテ岩屋アリ。蛇ノ穴ト云フ。穴ノ口広サ四間ホド、奥ヘ五間バカリ、往キテ岩屋ヨリ上ノ山ヘ、マワリ二托ホド、長サ二丈余ノ穴アリテ、其ノ穴ヨリ日中ニ星ヲ見ルト云フハ、徐光啓ノ説信ズベクシテ、豊ノ卦ノ日中見斗モ、仮説ノ言ニアラザルニヤ。〔割注〕或ノ云ク、韃鼕々[タンタタウ]ト書ス。
「星見の井戸」などと同じ原理で、昼間にも星を見ることができたのだと思われます。
その具体例として、鹿児島の「タンタドウ」が江戸の青木昆陽(1698~1769)にも知られて、中国の徐光啓(1562~1633)の文章と結びつけられていたわけです。
白尾国柱編『麑藩名勝考』では、「今按、昆陽漫録ハ青木敦書著す所也、此人嘗て商賣を爲して本藩に寓居す、後巡検使を奉して再ひ藩に至る、蛇穴を看しハ初度佯來し時なるへし」として、青木昆陽が鹿児島に滞在したときの実際の見聞だとしています。
青木昆陽はさつまいもを日本全国に普及した人物ということで知られていますが、鹿児島に滞在したという伝記的事実は確認されているのでしょうか? ただ『昆陽漫録』には、薩摩や琉球の記述もいくつか見られるので、少なくとも薩摩についての情報源を持っていたことは確かだと思われます。
▲龍窟(蛇穴)の構造
平田信芳が主宰していた地名研究会『地名研究会報 第4号』(1984年6月3日)で、「蛇穴(じゃのあな)」について言及・検討されています。
片岡吾庵堂さんが子どもだった大正の末に、昼でも星が見えると、たんたどまで父親に連れていかれた体験を語っていて、「龍窟(蛇穴)」の構造も図示していました。
【2018年3月17日追記】
2018年3月17日放送のNHKの番組『ブラタモリ』で、タモリ一行がこの龍窟(蛇穴)一帯を訪れていました。「寛文七丁未」(1667年)の観音像祠も全国放送で写っていました。そのためか周囲にあった土嚢はすべて取り払われていました。番組の主題である溶結凝灰岩・反田土石(たんたどいし)についての説明をする場所として選ばれたためか、反田土石については語るものの、龍窟(蛇穴)・観音像・正真軒・青木昆陽・廃仏毀釈など、この場所が持つ歴史については、いっさい触れられることがなかったのは、ちょっと残念でした。
▲たんたど龍窟(蛇穴)の上の方からの眺め
たんたど一帯は石山で、そこで切り取られる溶結凝灰岩は、たんたど石と呼ばれ、鹿児島城下では、城の石垣、民家の石塀、神仏の祠、石像など、幅広く使われていました。
▲正真軒の墓石
「安永六年(1777)」「享和三(1803)」「元治元(1864)」と刻まれた墓石が放置されていました。正真軒にあった墓石と思われます。
▲首を落とされた石仏
まさに廃仏毀釈が今も形として残っています。
▲名越左源太屋敷跡へのぼる坂
たんたどの龍窟(蛇穴)から少し登ると、名越左源太の屋敷跡があります。
お由羅騒動で奄美大島に遠島になり、そのときの体験をもとにして『南島雑話』が生まれたのですから、人生に何が幸いするか分かりません。
▲白尾国柱旧居
たんたどから福昌寺の方へ下ると、かつて「たんたどう番所」があった辺りに、『麑藩名勝考』を編んだ白尾国柱(1762~1821)の旧居跡があります。
白尾国柱は、『成形図説』の編纂や『倭文麻環(しずのおだまき)』の著作で知られる、国学者です。槍術にすぐれた人物としても知られています。
白尾国柱が編んだ『麑藩名勝考』の大きな特色は、鹿児島に1000を超えてあったと言われる仏教寺院の記述が少ないことです。白尾国柱旧居の近所にある福昌寺の記述もほとんどありません。国学者であった白尾国柱にとって仏教寺院は「名勝」ではなかったようです。
▲福昌寺墓地の白尾国柱の墓
『鹿児島県史料 麑藩名勝考』(1982年)の「白尾国柱略伝」には「南林寺墓地に葬られた」とありますが、 現在、白尾国柱の墓は、福昌寺墓地にありました。改葬されたのでしょうか。
国学者としては「~命」のおくりなのほうがふさわしいと思うのですが、墓には法号で「千秋亭鼓泉瑞楓大居士」とあります。
続いて、金剛嶺へと向かいます。【続く】
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213. 1981年のScritti Politti「The "Sweetest Girl"」(2017年11月6日)
情報遮断気味の生活をしていて、たまに、思い出したように、いくつかの気になる名前をネットで検索すると、思いがけないことになっていて驚くことがあります。
今日、幾組かのミュージシャンの名前を検索してみたら、スクリッティ・ポリッティ(Scritti Politti)が、まさに昨日・一昨日、11月4日・5日に、ビルボード東京でライブをしていたことを知って呆然とし、そして、アンソニー・ムーア(Anthony Moore)が関東・関西の小さなスペースをライブ行脚していることに気づいて、わが「情弱」ぶりを嘆きました。
どちらも、かなり入れ込んできたミュージシャンですので、前もって知ることができていたら、と思うばかり。
というより、知らなければ、心穏やかにいられたものを、とさえ思ってしまいます。
スクリッティ・ポリッティのライブ1曲目は、「The "Sweetest Girl"」だったそうです。
嗚呼。
というわけで、rough trade からのシングル盤に先立って、1981年1月、「The "Sweetest Girl"」が初めて披露された、カセットコンピ『NME/ROUGH TRADE C81』です。
イギリスの音楽雑誌 NME 誌が出した、廉価版カセットコンピの第一弾です。
その Side One 1曲目が、Scritti Politti の「The "Sweetest Girl"」でした。
「ザ・スウィーテスト・ガール」という曲の印象というと、世界で最高の女の子を前に立ちすくんでいる男の子というイメージでしょうか。
「スウィート」すぎるのですが、ロバート・ワイアットの物憂いキーボードがしみいります。
この『NME/ROUGH TRADE C81』のカセットは、当時入手したものでなく、最近になって中古で入手したものです。
聴いてみて驚いたのは、「The "Sweetest Girl"」が、私が聴きなじんできたレコード盤とは違うミックスだったということです。
このカセットコンピについて、サイモン・レイノルズ著、野中モモ/新井崇嗣・訳『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984 Rip It Up and Start Again』 (2010年、シンコーミュージック・エンタテイメント) に次のような記述があります。
1981年春、「ザ・スウィーテスト・ガール」は『C81』の1曲目として初めてお披露目された。『C81』はラフ・トレードがレーベル創立の、広義ではインディーズ革命の5周年を記念して、『NME』と協力して編集したコンピレーション・カセットである。1.5ポンドという破格の安価で販売されたこのカセットには、ペル・ウブ、キャバレー・ヴォルテール、サブウェイ・セクト、ザ・レンコーツといった有力ポストパンク勢の曲が収録され、実に3万人の読者がこれを注文した(※1)。
しかし『C81』は多くに意味において、ポストパンクの終焉を告げるものとなった。
※1 『C81』=クーポンを2枚集め、代金と共に郵送するという注文形式だった。
インディーズとポストパンクの歴史という意味では、きちんと項目を立てるべき位置にある、歴史的なカセットコンピだったようです。
このカセットコンピを実際に聴いてみて初めて分かったのですが、『C81』に収録されている曲は、レコードとは違う別ヴァージョンが多く、「異版」の宝庫ということでした。
例えば、アズテック・カメラ(Aztec Camera)は「We Could Send Letters」が収録されていますが、これも初めて聴くバージョン。これもポストカードレーベルでのレコードデビューに先立つ形で、この『C81』がアズテック・カメラの公式音源でのデビューということだったようです。
『C81』に収録されたヴァージョンのほうになじんだ人も多かったのでしょう。カセットで聴いていた者には、レコードで聴いていた者とは、ちょっと違った音楽体験があったのだなと気づきました。
似ているようで微妙に違う異なる世界の過去に戻るような、面白いリスニング体験でした。
▲「NME/ROUGH TRADE C81 OWNER’S MANUAL」
NME誌を切り抜いて作る、カセットケースサイズの32ページの小冊子。
『NME/ROUGH TRADE C81』の選曲は次のようなものでした。
Side One
01 Scritti Politti - The "Sweetest Girl"
02 The Beat - Twist And Crawl Dub
03 Pere Ubu - Misery Goats
04 Wah! Heat - 7,000 Names Of Wah
05 Orange Juice - Blue Boy
06 Cabaret Voltaire - Raising The Count
07 D.A.F. - Kebab Traume (Live)
08 Furious Pig - Bare Pork
09 Specials - Raquel
10 Buzzcocks - I Look Alone
11 Essential Logic - Fanfare In The Garden
12 Robert Wyatt - Born Again Cretin
Side Two
01 The Raincoats - Shouting Out Loud
02 Josef K - Endless Soul
03 Blue Orchids - Low Profile
04 Virgin Prunes - Red Nettle
05 Aztec Camera - We Could Send Letters
06 Red Krayola - Milkmaid
07 Linx - Don't Get In My Way
08 The Massed Carnaby St. John Cooper Clarkes - The Day My Pad Went Mad
09 James Blood Ulmer - Jazz Is The Teacher, Funk Is The Preacher
10 Ian Dury - Close To Home
11 Gist - Greener Grass
12 Subway Sect - Parallel Lines
13 John Cooper Clarke - 81 Minutes
▲ 「NME/ROUGH TRADE C81 OWNER’S MANUAL」のScritti Polittiのページ。
冊子の内容は、カセットの曲順どおりにはなっていないので、「OWNER’S MANUAL」を編集する段階では、カセットの曲順は決まっていなかったのでしょう。
▲Scritti Politti 「The Sweetest Girl」(1981年、rough trade)12インチシングルの米盤
昔は異版をそろえるということはしなかったので、このアメリカ盤12インチシングルとLPの『Songs to remember』英盤に収録された「The "Sweetest Girl"」の音が、わたしにとっての「The "Sweetest Girl"」の音でした。
ジャケ違いもいろいろあって、英シングル盤のジャケには、男の子だけでなく、女の子の写真もあります。ジャケットとしては、そちらのほうがいいですし、入手も難しくないのですが、なぜか手に入れるをためらい続けるレコードでもあります。
▲サイモン・レイノルズ著、野中モモ/新井崇嗣・訳『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984 Rip It Up and Start Again』 (2010年、シンコーミュージック・エンタテイメント)
版を重ねていてほしい本です。
▲Simon Reynolds『Rip It Up and Start Again: Post-punk 1987-1984』(2005年、faber and faber)
サイモン・レイノルズは1963年生まれですので、1978~1984年は、彼にとって15歳から21歳までの時期にあたります。
その人が40歳を過ぎて書いたテキストです。
1978~1984年の英国音楽を、遠く日本で、断片的に聴いていたものにとっては、分からなかった線がつながって、断片が形になっていくので、それだけでも面白いのですが、その当時を全く知らない者はどう読むのでしょうか。インディーズで物づくりをしていくことの実践例として読む方法もあるのかもしれません。
▲Simon Reynolds編集のコンピCD『Rip It Up and Start Again』(2006年、V2)
ここでは、「The "Sweetest Girl"」でなく、Scritti Politti 2枚目のレコード『4 A Sides』(1979年、Rough Trade / St. Pancras Records) から「PAs」が選曲されていました。
本とCDのデザインを文字を主体にそろえていて、こういう作りは好きです。
表紙にカセットテープとヘッドフォンが図案化されているのが象徴的です。
ソニーのウォークマンが発売されたのが1979年ですし、カセットテープは時代の推進者の1人で、新しい何かを作り出せるのではないかと信じられていた時代だったのかもしれません。
日本語版も、ZINEの世界に詳しい野中モモの翻訳だけに、ZINE的なDIY感を前面にだしたカヴァーにすればよかったのに、と思ってしまいます。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
訃報を目にしました。
マッチング・モール、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース、ナショナル・ヘルス、イン・カフーツのギタリスト、フィル・ミラー(Phil Miller)が亡くなっていました。
ずっと、そのギターの響きを聴いてきました。これからも。
1949年1月22日 - 2017年10月18日
the Relatives & Phil Miller のアルバム『Virtually』(2013年、relative records)から
Richard Sinclair のヴォーカル曲「On my mind」を。
フィル・ミラーとリチャード・シンクレアの共演は、この曲が最後だったのでしょうか。
YouTubeでも、追悼として relative records から、この曲がアップされていました。
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212. 1903年の川上瀧彌・森廣『はな』(2017年10月29日)
鹿児島市立美術館で開催されている『藤島武二展』を見に行きました。
この川上瀧彌・森廣『はな』も、藤島武二の木版が4枚収録されているということで、展示されていました。
川上瀧彌・森廣『はな』は、明治35年(1902)1月に、自然科学出版の老舗・裳華房から初版が出て、版元の広告によれば「大好評にて第一版第二版悉く盡せり目下増補第三版着手中」とあって、評判もよかったようです。写真は、その増補訂正第三版(1903年)の表紙です。
はなしょうぶの図案は、藤島武二によるもの。
図版に、藤島武二の木版のほか、飯田雄太郎・川上瀧彌・牧野富太郎・和田英作の石版が使われています。
札幌農学校出身の若い農学士、川上瀧彌・森廣の共著で、
詩や俳句や和歌や花言葉がふんだんに引用された、文学志向の強い植物読み物になっています。
1910年に改訂五版がでて、それが最後の版のようですから、時期的にも「ベルエポック」な本です。
関わった人物を調べてみると、予想以上の人間交差点になっていて、すごいなと思った本です。
初版「緒言」の感謝の部分を引用します。
本書を著すに當り、本庄義雄。飛鳥輝子の二君は、筆記の勞を分たれ、飯田雄太郎(轉寫石版)。藤島武二(意匠木版)の二君は、特に其健腕を揮ふて、挿む所の彩色畫數葉を寫生せられ、牧野富太郎君は野菊の寫生石版圖を寄せられ、白井俊一君は專ら校正のことに當らる。志賀重昻君。有島武郎君。半澤洵君。高杉夫人。美野田夫人。長谷川とく子。其他學友諸君は親切なる力を盡され。而して本書印行に就ては裳華房主人の留意頗る多かりき。これ著者等の深く感謝する所なり。
句読点の使い方が、現在のものと違うのも興味深いのですが、札幌農学校コネクションが見えてきました。
登場した人物を何人かあげてみます。
■川上瀧彌(1871~1915):札幌農学校18期。「マリモ」の命名者。台湾博物館の初代館長。
■森廣(1876~1915):札幌農学校19期。有島武郎の小説『或る女』の登場人物「木村貞一」のモデル。北海道大学のポプラ並木をつくった人物。
札幌農学校2代校長・森源三(1836~1910)の長男。森源三の次男・森茂樹は、長岡の河井継之助の家を再興するときに河井家の養子に。
■有島武郎(1878~1923):札幌農学校19期。「或る女のグリンプス」1911年1月~1913年3月連載。『或る女』(1919年)。
■半澤洵(1879~1972):札幌農学校19期。「納豆」博士。
■志賀重昂(1863~1927):札幌農学校4期。『日本風景論』(1894年)
■飯田雄太郎(1867~1909):浅井忠(1856~1907)のもとで学んだらしい。札幌農学校画学講師。「クラーク博士」肖像の作者。『はな』に多色石版5枚。
■藤島武二(1867~1943):『はな』に意匠木版4枚。『明星』表紙や与謝野晶子『みだれ髪』と同じ1901年作。
■牧野富太郎(1862~1957):『はな』に単色石版1枚。
■川上瀧彌(1871~1915):『はな』に多色石版2枚。
まず、偶然とはいえ、著者が2人とも、大正4年(1915年)に亡くなっていることに驚きました。
森が大正4年(1915年)2月18日に札幌で38歳で、川上は、大正4年8月21日に台湾台北で44歳で、亡くなっています。
マリモと台湾にも吃驚しましたが、最初は、森廣と有島武郎とが結びついていなかったので、2人の関係にいちばん吃驚しました。
100年前の本の中にある名前でも、男性の名前は調べると、何かと手がかりがあるのですが、『はな』の序文には、「飛鳥輝子」「高杉夫人。美野田夫人。長谷川とく子。」という女性たちの名前もあります。この女性たちがどういう人たちかを調べるのは難しいです。
過去のテキストは、男たちの「経歴」の厚い岩盤で埋め尽くされているようなところがあります。
次に、増補改訂三版の「緒言」から引用します。1903年に川上瀧彌の任地である熊本農業学校で書かれています。森廣はアメリカへ遊学中。
著者素より文字に嫻はす、字句往々にして法を誤るもの多し。曙山前田氏の厚意を以て訂正するところ尠からす。又在佛蘭和田英作氏より贈られたる林檎の花の圖(水彩畫)は、氏が特に其健筆を揮はれたるものにして、爲めに一段の光彩を添えたり、是れ著者の併せて深く感謝する所なりとす。
■和田英作(1874~1959):『はな』に水彩をもとにした多色石版1枚。
■前田曙山(1872~1941):小説家。園芸関係書も多数。
三版の「緒言」からすると、和田英作のリンゴは、三版から掲載ということのようです。
さらに、三版の「緒言」には、次のような文言もありました。
本書の增訂俳歌の撰擇に就て尠からざる助力を與へたる、家妻千歳は、改版の本書を見るに及ばずして病沒せるを以て、即ち其遺稿「みちしばの露」より、千秋文學士の撰拔せられたる一首を花菖蒲の章に加へ、以て亡妻の紀念となせり。
初版と三版の間に、川上瀧彌は奥さんの千歳を亡くしています。
そして、はなしょうぶの項目に挿入された川上千歳の歌は、次のもの。
しめやかにふり出したる五月雨にながめを添えし花あやめ哉 千歳
はなしょうぶの項目には、藤島武二の木版が添えられています。
▲藤島武二の木版 はなしょうぶ
1901年のTF。
藤島武二の図版は「意匠木版」と書かれていて、植物学的な図版ではありません。
また、「梅」の図版では、銀泥が使われていて、より装飾性を高めています。
なんだか、『はな』という本の底流に流れているのは、『みだれ髪』以上に情熱的な世界のような気がしてきました。
【10月31日追記】
明治43年(1910)11月3日発行の増訂改版五版も見てみました。
タイトルが『はな』から『花』になっています。
冒頭に、それまでの「緒言」が掲載されていて、書いた場所が、札幌から台湾台北へ南下しています。
「五版緒言」明治四十三年三月 臺灣臺北博物館に於て 川上瀧彌
「參版緒言」明治三十六年五月 熊本農業學校に於て 川上瀧彌
「初版緒言」明治三十四年六月 札幌農學校に於て 川上瀧彌。森 廣
「増補改訂第五版」に収録された「參版緒言」では、奥さんの死に言及した箇所は省かれていました。
本文中の「しめやかに~ 千歳」の和歌は残されています。
「増補改訂第五版」では、図版にも変更があって、藤島武二の木版が4枚から3枚に、飯田雄太郎の石版が5枚から1枚に、川上瀧彌の石版が2枚から1枚に減っていますが、新たに佐藤醇吉の石版1枚、須賀蓬城の石版1枚、中山龜次郎(素堂)の石版が1枚、追加されています。須賀と中山の図版は台湾の佛桑花(ハイビスカス)と台湾の蘭の絵で、今までなかった南方の花が加わっています。
▲藤島武二の木版 梅
【10月31日追記】
「増補改訂第五版」では、この木版が省かれています。1901年から1910年の10年の変化を感じます。
「花」を主題にした科学啓蒙書のなかでは、花より女性が中心の図版はふさわしくない、とされたのでしょうか。
ただ図版が省かれたということだけでなく、時代の潮目が変わったことの痕跡なのかもしれません。
▲藤島武二の木版 櫻
▲藤島武二の木版 菊。萩。なでしこ
▲和田英作の石版 りんご(苹果)
この石版の仕上がりは、和田英作の思い通りだったとは思えない出来です。
▲飯田雄太郎の石版 花はしどい。鈴蘭
▲川上瀧彌の石版 こまくさ。千島ひなげし。
札幌農学校出身者の本らしく、北方の花の図版が目立ちます。
▲牧野富太郎の石版 のじぎく
藤島武二の装飾的な図版に対して、牧野富太郎は、正統な植物学の図版を提示しています。
▲川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版の扉
▲川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版の奥付
検印は個人名でなく、「札幌學藝會蔵版」とあります。
▲川上瀧彌・森廣『はな』増補訂正第三版巻末の広告
図版について次のように説明しています。
天然色アートタイプ三色刷二枚
天然色石版摺四枚
木版模様意匠畫四枚
アートタイプ壹枚
石版摺花式圖一枚
圖畫廿三個
(最上色クロース製洋装菊判美本全一冊)
しかし、この『はな』の企画に、藤島武二を引き入れたのは誰だったのでしょう? 同い年の飯田雄太郎だったのでしょうか?
池之上町の藤島武二宅跡の前を通ったら、藤島武二展のポスターが飾られていました。
今回の藤島武二展で、ひそかに期待していたのは、父・平田信芳が今後の課題としていた、藤嶋新二と藤島武二の関係の有無です。
平田信芳「西郷書・藤嶋新二追悼碑」―『敬天愛人』第九号(1991年、西郷南洲顕彰会)
平田信芳「藤嶋新二とその仲間たち」―『みなみの手帖』(みなみの手帖社)「石碑夜話」第1回(1992年5月)・第2回(1992年9月)、『石の鹿児島』(1995年、南日本新聞開発センター)
などで、2人とも池之上町にゆかりがあるので、何らかの関係があるのではないかと推測していましたが、決め手はありませんでした。
今回の展覧会カタログを読むと、藤島武二の母方の蓑田家についてはいろいろ知ることができましたが、残念ながら「藤嶋新二」については、言及がなく、関係の有無は分からないままです。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
中村高廣監督作品『禅と骨』のサウンドトラックです。
岸野雄一×岡村みどり×タブレット純「赤い靴」
題材が太平洋をはさむだけに、亡き蓮実重臣が元気だったら、 岸野雄一×岡村みどり×蓮実重臣「赤い靴」が聴けたのではないか、とも思いました。
そういえば、「赤い靴」は、北海道移住に際して、幼い女の子が北海道の環境に耐えられないだろうから、「異人さん」のもとに預けられた話がもとだという説もありました。
『はな』と「赤い靴」、「北海道」つながりでした。
【2017年10月31日追記】
映画『禅と骨』が鹿児島でも公開されたので、見に行ってきました。
『禅と骨』というタイトルなのですが、それ以上に「血族」「肉親」ということばが表す「血と肉」をもった人間が画面から迫ってきます。
ヘンリー・ミトワという人物を通して、ドキュメンタリーとドラマ、日本とアメリカ、横浜と京都、男性と女性、そして、骨と骨、いろんなものが混じり合った、ヒリヒリして飄々とした映画でした。
疎ましく愛おしい、生きている人間がいることを感じさせる映画でした。
座禅のときの警策と娘さんの手、どちらも痛かった。
2時間の尺の中で、語れなかったこと、語りえなかったことも多かったのだと思います。
それは「察する」以外、すべがない世界なのかもしれません。
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211. 1982年のThe Ravishing Beauties「Futility」(2017年10月17日)
写真は、イギリスの音楽誌『NME』が、通販のみで頒布していた廉価カセット・コンピの第4弾『Mighty Reel』(1982年、NME004)です。
その Side Two4曲目に収録されていたのが、The Ravishing Beauties 唯一の公式音源「Futility」です。
Virginia Astley、Kate St John、Nicky Holland の3人グループ The Ravishing Beauties は、1980年代はじめの文化系青少年ならば好きにならずにいられないアイドル性もあったと思うのですが、レコードアルバムやシングルを残さなかったグループです。
このカセット・コンピ『Mighty Reel』に収録された「Futility」だけが唯一公式にリリースされた音源です。
その後、3人は、それぞれ魅力的なソロアルバムを出していますし、なかでも Kate St John のソロアルバムは90年代の「Light Music」の極みだと思っています。それだけの才能が集まったのだから、せめて1枚でもグループとしてアルバムを残していたら、80年代初頭の珠玉のアルバムとして輝きつづけて、信奉者をうっとりさせてくれたのではないかと、今でも残念に思います。
The Ravishing Beauties の音源では、ほかに、1982年4月14日のBBCラジオで放送された John Peel セッションの音源もあって、動画サイトなどで聞くことができますが、音質はかなり残念な状態。いい音でリリースしてくれないものか。
ところで、The Ravishing Beauties の収録されたテープ『Mighty Reel』を久しぶりに掘り返したのは、思いがけないところで、Virginia Astley の名前を見かけたからです。
▲『STANLEY SPENCER POEMS: An Anthology』edited by Jane Draycott, Carolyn Leder, Peter Robinson(2017年、Two Rivers Press)
新刊案内で、この『STANLEY SPENCER POEMS: An Anthology』を見かけて、イギリスの画家スタンレー・スペンサー(Stanley Spencer、1891~1959)の詩の本「?!?」と思いながら注文したのですが、スペンサーが生まれ育ち暮らしていたテムズ河畔のCookham(クッカム)の町で企画された詩のコンペの応募作を集めた選詩集でした。スペンサーの膨大な遺稿から詩を集めたものかという予想ははずれました。
スタンレー・スペンサーは、日常の中の聖なるもの、聖なるもののなかの日常を描き続けてきた「画人」で、20世紀の「現代美術」の潮流からは離れたインディーズな存在です。
そんな画家とその作品を、題材にした「詩」を約100編を集めたアンソロジーでした。
パッとしないものになる可能性も大きい趣向ではありますが、スタンレー・スペンサーの絵の世界と21世紀の詩人たちの現在が交差して、思った以上におもしろいアンソロジーになっています。
このアンソロジーのなかに、Virginia Astleyの詩が3編、「Swan-Upper」「The Last Willow Pot Omper Maker」「Moulsford to Cleeve」 の3作品が選ばれていました。
「思いがけないところでお会いしました」でした。
近況を知ることができてうれしかったです。
「Swan-Upper」は、スペンサーの作品「クッカムの白鳥調べ(Swan Upping at Cockham)」(1915-19)、「The Last Willow Pot Omper Maker」はリンゴが登場するので、「林檎をつむもの(Apple Gatherers)」(1912-13)でしょうか、「Moulsford to Cleeve」 は乳牛が登場するので、 「農場の戸(The Farm Gate)」(1950)であったり、テムズ河畔の風景画を踏まえているようです。
『STANLEY SPENCER POEMS: An Anthology』の巻末には、詩人達のかんたんなプロフィールが載っていて、Virginia Astleyは、テムズ河畔の生活についての本や詩集を準備中のようです。そして、小さな詩集『The Curative Harp』(2015年、The Munster Literature Centre)をすでに出していたことに気づきました。
▲Virginia Astley『The Curative Harp』(2015年、The Munster Literature Centre)
アイルランドのコークの文化機関 The Munster Literature Centre というところが、32ページステープル綴じのチャップブック(chapbook)と称する詩集のオンデマンド出版をやっていて、そのなかの1冊でした。
これがヴァージニア・アストレイの「本」としての第一詩集のようです。
ヴァージニア・アストレイが2003年に『from gardens where we feel secure』(オリジナル盤は1983年)のCDを再発したとき、アルバムジャケットに使われたものと同様の花の写真(ブルーベルの群生?)が表紙に使われていました。
書名になっている「ハープのなぐさめ(The Curative Harp)」という詩は、ある春の夜のできごとでしょうか。
人里離れた家の階段に飾り物として置かれて、だれも弾くことのない43弦のハープが、
ひとりぼっちの夜にくちずさんだシューベルトの「春に(Im Frühling)」の歌声に共振した、という場面を描写した詩です。「琴瑟相和す」とは違うのですが、思いがけないハープの震えが、春の夜の孤独に慰めを与える、そんな詩です。
『The Curative Harp』のプロフィール欄には、
「Both music and the river run throughout her work.」(音楽と川はともに彼女のしごとのなかに流れて続けている)
とあって、かっこいい紹介になっています。「音楽とテムズ川」だと、なんだかさまになります。
振り返って、わが身に流れる川は何だろうと考えると、いちばん長くそばにあった川は、鹿児島の上町を流れる稲荷川でしょうか。生まれたところは川内川のほとりでしたので、川は常にともにあったのですが、わが身を流れる「音楽と稲荷川」「音楽と川内川」と決めぜりふにするには、使いにくいようです。
▲1982年『Mighty Reel』の手引(OWNER'S MANUAL)の表紙と裏表紙
『NME』誌が出していたカセットの編集盤シリーズは、廉価でしたが、通販だけという頒布法もあって、当時は手にすることはなかったのですが、ネット通販の時代になって、中古盤が入手しやすくなって、試しに購入してみると、いろいろと発見や聴きどころの多いコンピシリーズです。
まず「NME独占(NMExclusive)」という形で、このカセットシリーズ だけでしか聴くことができないものが多いということ。
アルバムやシングル盤のヴァージョンとは違うものが多いことにも驚きました。
異版の宝庫です。例えば、ロバート・ワイアットの「'Round Midnight」も、レコードより少し長めの音源だったり、エルビス・コステロの「Town Cryer」は、テンポの速い別ヴァージョンだったり。
このシリーズは81年にはじまり、90年代まで続きますが、廉価版ということもあって、かなりの量が出回っていたようです。人によっては、アルバムやシングル盤のヴァージョンではなく、このカセットのヴァージョンで歌を記憶している人も多いのではないかと感じました。
このシリーズは、当時のNME誌のタブロイド版サイズの紙面を切り抜いてつくると、カセットのケースにテープと一緒に収められる「OWNER'S MANUAL(所有者の手引)」という、32ページの手作りブックレットと対になっています。
このブックレットを手作りするDIYな感じは、カセットテープの時代の文化という気がします。
中古盤で入手する場合、前所有者が「OWNER'S MANUAL」を添えているものを入手できると、うれしいです。
量が出回っていただけにプレミアはついていませんから、今でも手ごろな値段で入手できますが、廉価版ということもあったのでしょうか、あまり質のよいカセットテープが使われていないようで、経年に耐えない、状態の悪い「はずれ」テープも結構あります。
しかしながら、「ダブ(dub)」を通過した時代の録音ものだけに、カセットとはいえ、音はいいので、ポストパンクの時代の音楽が好きな人間にはたまらない、よく出来たコンピになっています。
▲1982年『Mighty Reel』の手引中の The Ravishing Beauties 紹介ページ
The Ravishing Beauties の唯一の公式音源「Futility」は、第一次世界大戦で亡くなったウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen、1893~1918)の詩に、ヴァージニア・アストレイが曲をつけたものです。
「Futility」は、「むだ、無益、むなしいこと」といった意味。戦場での死が主題です。
『Mighty Reel』の手引でも、14行の詩がすべて掲載されていますが、改めて書き起こして、試訳もつけてみます。
Futility
Move him into the sun -
Gently its touch awoke him once,
At home, whispering of fields unsown.
Always it woke him, even in France,
Until this morning and this snow.
If anything might rouse him now
The kind old sun will know.
Think how it wakes the seeds -
Woke, once, the clays of a cold star.
Are limbs so dear-achieved, are sides
Full-nerved, - still warm, - too hard to stir -
Was it for this the clay grew tall?
- O what made fatuous sunbeams toil
To break earth's sleep at all?
【試訳】どうしようもないこと
あいつを日の当たるところへ移そう。
日の光はやさしく、いつもあいつを目覚めさせた、
ふるさとでは、種をまいていない土地のことをささやきながら。
いつも日の光があいつを起こした、このフランスの地でも、
この朝がきて、この雪が降るときまで。
今あいつを起こしてやれるものがあるとすれば
やさしい、昔なじみのお日さまだけだろう。
考えてみれば、お日さまが種を芽生えさせ
冷え切った星の土を目覚めさせていたんだ。
四肢はすっくと伸び わき腹は
みごとに張って――まだぬくもりがあり――硬くなってまったく動かない
そのからだがのびやかに育ったのは、このためだったのか。
――いったい何が、まのぬけた日の光にむだに
大地の眠りを破れさせようとするのか。
The Ravishing Beauties の曲「Futility」では、オーウェンの詩に省略と反復が加えられ、次のように歌われています。
Move him into the sun
Move him into the sun -
Gently its touch awoke him once,
Always it woke him, even in France,
Move him into the sun -
Move him into the sun -
Gently its touch awoke him once,
whispering of fields unsown.
- O what made fatuous sunbeams toil
To break earth's sleep at all?
Are limbs so dear-achieved, are sides
still warm, too hard to stir
Move him into the sun
Move him into the sun -
Move him into the sun -
Gently its touch awoke him once,
whispering of fields unsown.
- O what made fatuous sunbeams toil
To break earth's sleep at all?
Are limbs so dear-achieved, are sides
still warm, too hard to stir -
- O what made fatuous sunbeams toil
To break earth's sleep at all?
Are limbs so dear-achieved, are sides
still warm, too hard to stir -
- O what made fatuous sunbeams toil
To break earth's sleep at all?
Are limbs so dear-achieved, are sides
still warm, too hard to stir -
Move him into the sun -
Move him into the sun -
Move him into the sun -
Move him into the sun - (refrain...fade out)
オーウェンの詩にあった「At home,」「Think how it wakes the seeds, -」「Woke, once, the clays of a cold star.」「Full-nerved,」「Was it for this the clay grew tall?」という詩句を省略して、「Move him into the sun -」などの詩句を繰り返し、幼い子の歌う童謡のようにしています。それがヴァージニア・アストレイのか細い声で歌われると、戦場での突然の死が、夢のなかのできごとのように思われます。
それでも、失った痛みは消えません。