●my favorite things 171-180
my favorite things 171(2015年1月24日)から180(2016年5月17日)までの分です。 【最新ページへ戻る】
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171. 桜島雪景色(2016年1月24日)
172. 1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』(2016年1月24日)
173. 1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』(2016年2月18日)
174. 1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』(2016年2月23日)
175. 1948年のバーナード・ダーウィン『のんきな物思い』(2016年3月17日)
176. 1926年ダックワース版のハドソン『緑の館』(2016年4月22日)
177. 1942年の野村傳四『大隅肝屬郡方言集』(2016年4月28日)
178. 1904年の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』(2016年5月10日)
179. 1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻(2016年5月16日)
180. 1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻(2016年5月17日)
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180. 1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻(2016年5月17日)
アイルランドはダブリンの出版社マウンセル社(Maunsel & Co.)が1906年に創刊した文藝誌『シャナヒー』(THE SHANACHIE)の年刊版第2号で、1907年に刊行された4冊をまとめたものです。これも表紙が痛んでいるのが残念ですが、なかなか見かけない本です。
▲『シャナヒー』年刊版第2号の口絵と扉
▲『シャナヒー』年刊版第2号の文藝目次
【エッセイ】The Royal Hibernian Academy and Home Rule in Art by J. B. Yeats. R.H.A.
【詩】The Jewel in the Tower by Jane Barlow
【小説】Owny on the Turf by K. F. Purdon
【詩】The Trees by Padraic Colum
【詩】Across the Door by Padraic Colum
【小説】In the Year of Our Lord One Thousand by L. MacManus
【紀行】The People of the Glens by J. M. Synge
【詩】To Ireland: Sonnet by J. H. Cousins
【詩】Cuhoolin and Parnell: a Sonnet by T. F. Keohler
【エッセイ】Pat’s Pastoral by PAT
【エッセイ】A National Dramatist by George Roberts
【紀行】In West Kerry by J. M. Synge
【お話】The Bogwail by Theo Hannay
【小説】The Resolution by G. A. Birmingham
【詩】By the Shannon by A. V. C.
【翻訳】The Shanachie of the East, Part I by Ernest Horrwitz
【エッセイ】A Note on Fanlights by the late J. H. Orwell
【エッセイ】An Interpretation by Oliver Gay
【小説】The Crows of Mephistopheles by George Fitzmaurice
【詩】The Golden Age by Gerald Kingston
【エッセイ】The Rationale of Art by J. B. Yeats. R.H.A.
【エッセイ】Discoveries by W. B. Yeats
【詩】A Connaught Love-Song by Padraic Colum
【翻訳】Regret, translated from de Maupassant by Margaret Gough
【紀行】In West Kerry - The Blasket Islands by J. M. Synge
【エッセイ】Two Impressions by the late James H. Orwell
【詩】The Old Home by S. R. Lysaght
【詩】A Prayer by Susan Mitchell
【翻訳】Verse from the German of Heine by Grace MacNamara
【翻訳】The Shanachie of the East, Part II by Ernst Horrwitz
【エッセイ】St. Patrick on the Stage by John Eglinton
【翻訳】The Quail, translated from Turgenieff by Margaret Gough
【小説】A Prayer to St. Anthony by John Guinan
【小説】The Ballygullions Creamery Society, Ltd. by Lynn C. Doyle
【詩】A Rann of Wandering by Padraic Colum
【翻訳詩】Night, from the French of De Regnier by Seamas O’Sullivan
【戯曲】The Passing by T. D. Fitzgerald
【エッセイ】Mysticism in English Poetry by J. H. Cousins
【小説】Marcus of Clooney by Padraic Colum
【翻訳詩】Verses from the German of Heine by Grace MacNamara
【エッセイ】On Bullying by G. A. Birmingham
【紀行】In West Kerry - To Puck Fair by J. M. Synge
【小説】The Doom of La Traviata by Lord Dunsany
【翻訳詩】Building Plans, from Ibsen by T. R. C.
【エッセイ】An Idle Hour with a Cyclopædia by Michael Orkney
翻訳作品が、モーパッサン、ツルゲーネフ、イプセン、ド・レニエといったところなのが、日本にも同じような時期があったと感じさせます。
▲『シャナヒー』年刊版第2号の美術目次
【素描】Unemployed by William Orpen
【素描】Portrait of Nathaniel Hone, R.H.A. by J. B. Yeats
【素描】From a Pencil Sketch by the late Walter Osborne
【素描】Portrait of Vincent Duffy, R.H.A. by J. B. Yeats
【素描】Blind by Elinor M. Darwin
【素描】An Old Swiss Woman by Elinor M. Darwin
【素描】Mother and Baby by Elinor M. Darwin
【素描】Death by Elinor M. Darwin
【素描】A Sketch by Elinor M. Darwin
【目次掲載だが未収録】Cupid, with Cymbals by Elinor M. Darwin
【ペン画】Study of A Head by Oswald Cunningham
【ペン画】Padraic Colum, a Sketch by Grace Gifford
【ペン画】Town Hall, Kikenny by W. Daly
【素描】St. Audoen’s Chapel by Clare Marsh
【素描】The Gaol Gate by R. Caulfield Orpen
【ペン画】The Economical Irishman by Grace Gifford
【ペン画】William Orpen by Grace Gifford
【ペン画】The Jockey by J. B. Yeats
作品数では、ジャック・B・イェイツが男性代表、エリノア・ダーウィン(モンセル)が女性代表という形になっています。
▲『シャナヒー』年刊版第2号に収録されたエリノア・ダーウィン(Elinor Mary Darwin, 1879~1954)の素描作品「盲人(BLIND)」
エリノア・モンセルは、1906年にバーナード・ダーウィン(Bernard Darwin, 1876~1961)と結婚して、エリノア・ダーウィンとなります。そして、アイルランド文藝復興のシーンから退場します。
バーナード・ダーウィンの従妹で版画家グウェン・ラヴェラ(Gwen Raverat, 1885~1957)の伝記によれば、エリノア・モンセルがプロポースを受け入れたとき、失敗に終わると思っていたバーナード・ダーウィンは嬉しくて嬉しく真っ赤になったといいます。喜ばしいことではありますが、もうちょっと、アイルランドのシーンにエリノアを関わらせていたら、何か素晴らしいものが生まれていたのでは、とも思ってしまいます。
アイルランド文藝復興に同時代的に強い関心をもっていた日本の作家に、や片山廣子(松村みね子, 1878~1957)や菊池寛(1888~1948)がいます。
片山廣子のエッセイ集『燈火節』(暮しの手帖社, 1953)に収録された「過去となつたアイルランド文學」に次のような一節があります。
いま私が考へるのは、ジヨイスがその澤山の作品をまだ一つも書かず、古詩の譯など試みてゐた時分、シングがまだ一つの戯曲も書かず、アラン群島の一つの島に波をながめて暮してゐた時分、グレゴリイが自分の領内の農民の家々をたづねて古い民謡や英雄の傳説を拾ひあつめてゐた時分、先輩イエーツがやうやく「ウシインのさすらひ」の詩を出版した時分、つまりかれら天才作家たちの夢がほのぼのと熱して來たころの希望時代のことを考へる。世界大戰はまだをはらぬ二十世紀の朝わが國は大正の代の春豊かな時代であつた。世は裕かで、貴族でもない労働者でもない中流階級の私たちは、帝劇に梅蘭芳の芝居を見たり、街でコーヒーを飲んだりして、太平の世に桜をかざして生きてゐたのである。大きな時間のギヤツプを超えて今と昔を考へて、まとまらない自分の心を一首の歌に托してみる。
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に
惜しむのは季節の花ばかりではない、人間の青春ばかりではない。この古歌の中にある「花の色」のすべてを悲しみなつかしむのである。むかしの貴婦人は何とかしこくも短かくも詠み得たのであらう。第三句四句五句のたつた十九字でその歎きを一ぱいに詠つてゐるのである。
ここに登場する人物の中にエリノア・モンセル(ダーウィン)の名も含めて、失われたものを惜しんでもよいのではないかと思います。
▲『シャナヒー』年刊版第2号巻末のシングの著作広告
『シャナヒー』誌の版元マウンセル社は、1920年には実質終わってしまいます。1905年創業ですから、およそ15年だけ続いた出版事業でした。第一次世界大戦があり、イギリスからの独立前の1916年イースター蜂起があり、イギリスの検閲にひっかかる書目が多くなり、事業として立ち行かなくなったようです。それでも、シングの作品を世に出しただけでも、えらいものです。
シングをはじめとするアイルランド文學に引きつけられていた菊池寛が『文藝春秋』を創刊するのは1923年です。マウンセル社の店じまいの後です。単なる思いつきですが、もしかしたら、何か思うところがあったのかもしれません。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
アイルランドの女性ヴォーカルということで、アイリス・ケネディ(Éilís Kennedy)の歌声を。2001年のデビュー作『Time to Sail(船出の時)』から、貴重な本のコレクションとともに沈んだ船の歌「Amhrán Na Leabhar(歌の本)」を。
写真は、2001年の自主制作盤のジャケットです。ジャケット違いで何度か再発されていますが、意外なところで、無印良品でも売られていて、それには驚きました。
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179. 1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻(2016年5月16日)
イェーツ姉妹のクアラ・プレス(Cuala Press)とともに、20世紀初頭のアイルランド文藝復興を下支えした出版社マウンセル社(Maunsel & Co.)が1906年~1907年に出していた文藝誌『シャナヒー』(THE SHANACHIE)の年刊版で、1906年に刊行した2冊をまとめたものです。表紙が痛んでいるのが残念ですが、なかなか見かけない本です。シャナヒー(shanachie)はアイルランド語で「語り部」という意味です。
今年は、ちょうど創刊100周年になります。
どういう雑誌か、創刊のノートで簡潔に語られています。
It is hoped that THE SHANACHIE may come to be a means whereby the shorter work of Irish writers and the work of Irish Artists may appear together in a magazine, produced and edited in this country; and, for the present, it is intended that THE SHANACHIE shall appear twice during the course of each year, in the spring and in the autumn. 〔【粗訳】『ザ・シャナヒー』誌は、アイルランドの作家の小品やアイルランドの美術家の作品がともに1つの雑誌に――このアイルランドの地で編集され印刷される雑誌に――掲載される、その手段になればと思います。さしあたり『ザ・シャナヒー』誌は年2回春と冬に刊行する予定です。〕
当時まだ大英帝国の支配下にあったアイルランドで、アイルランド人の作品を地元で編集し印刷するというものです。植民地の時代の終わりに世界のあちこちで始まった、地域に根づいた本づくり宣言のひとつです。
▲『シャナヒー』年刊版第1号口絵と扉
▲『シャナヒー』年刊版第1号文藝目次
【小説】The Miraculous Revenge, a story by Bernard Shaw
【詩】Eve and Lilith by Seumas O’Sullivan
【小説】The Lament of the Gods for Sardathrion by Lord Dunsany
【小説】Fundamental Sociology, a story, by George A. Birmingham (Author of “The Seething Pot” )
【詩】Against Witchcraft by W. B. Yeats
【詩】The Praise of Deirdre by W. B. Yeats
【エッセイ】Slemish and St.Patrick by Stephen Gwynn
【詩】The Builder by Padraic Colum
【翻訳】*Aesop. An t-Aṫais Peadar ua Laoġaire do sgríoḃ
【戯曲】The Travelling Man: A Miracle Play Lady Gregory
【詩】The First Winter Song by Alfred Perceval Graves
【詩】The First Summer Song by Alfred Perceval Graves
【詩】*Pósaiḋ Béil-Áṫ-hÁmnais. Fionán Mac Cárṫaiġ do sgríoḃ
【エッセイ】Five Knots on a String by Grace Rhys
【詩】The Earth by A.E.
【小説】The Child of our Hope, a story by George Birmingham
【詩】The Sorrows of Song by Jane Barlow
【小説】The Will of the Widow O’Toole, a story by Rosamund Langbridge
【紀行】The Vagrants of Wicklow by J. M. Synge
【小説】The Whirlpool by Lord Dunsany
【詩】Sonnet by Page L. Dickinson
【講演】Art and Literature by A. E.
【小説】The Lost Genius, a story by Michael Orkney
【詩】Crete by Tudor R. Castle
【詩】Your Question by George Roberts
【詩】A Lark Singing in the City George Roberts
【詩】*An buinneán Bog ― Tórna
【エッセイ】Richard Talbot by Oliver Gay
*ゲール語(アイルランド語)の書体には疎いので、正確に書き写しているわけではありません。
バーナード・ショウ(George Bernard Shaw, 1856~1950)、W.B.イェイツ(W. B. Yeats, 1865~1939)、クレゴリー夫人(Lady Gregory, 1852~1932)、J.M.シング(John Millington Synge, 1871~1909)、ロード・ダンセイニ(Lord Dunsany, 1878~1957)らアイルランドの有名どころの文學者が名を連ねています。とはいえ、ジェイムズ・ジョイスの名はありませんが。
アルフレッド・グレイヴス(Alfred Perceval Graves, 1846~1931)は、小説家・詩人ロバート・グレイヴス(Robert Graves, 1895~1985)のお父さん。ロバート・グレイヴスの子供たちの世代になると、ミュージシャンのロバート・ワイアットやケヴィン・エアーズとのつながりもあるのですが、それは別の話です。
スティーフン・グィン(Stephen Lucius Gwynn, 1864~1950)とジョージ・ロバーツ(George Roberts, 1873~1953)は、 ジョセフ・マウンセル・ホーン(Joseph Maunsel Hone, 1882~1959)とともマウンセル社を立ち上げた人たちです。
ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』を組版し近刊広告まで出しながら、最終的に出版しないと判断したのは、ジョージ・ロバーツだったそうです。
▲『シャナヒー』年刊版第1号美術目次
【ペン画】Patraic at Slaine by Seagham MacCathmhaoil
【木版】The Flower of Love by Elinor Monsell
【素描】Slemish Mountain by Hugh Thomson
【ペン画】The Travelling Man by Jack B. Yeats
【ペン画】Finn and Cnu Deireoil by George Morrow
【素描】Portrait of Stephen Gwynn, from a pencil-sketch by Jack B. Yeats
【素描】The Four Courts by Hugh Thomson
【ペン画】The Tinker by Jack B. Yeats
【素描】A Sketch by Caufield Orpen
【表紙】Cover by Beatrice Elvery
W.B.イェイツの弟、ジャック・B・イェイツ(John "Jack" Butler Yeats, 1871~1957)は、20世紀アイルランドの画家というと、真っ先に思い浮かぶ存在になります。
▲『シャナヒー』年刊版第1号に収録されたエリノア・モンセル(Elinor Monsell)の木版作品「愛の花」
ちなみに、『シャナヒー』第1号が刊行された1906年、作家サミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906~1989)がアイルランドのダブリン近郊で誕生しています。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
John Renbourn Group『The Enchanted Garden』
日本でも、ケルト系音楽を演奏するシャナヒーというグループが活動しています。また、欧州の伝統的な音楽をリリースすることで知られるアメリカのインディーズ・レーベルに「SHANACHIE」の名を冠したものもあります。
そのShanachieレーベルが1990年にCDで再発したジョン・レンボーン・グループの『魔法の庭』から、男たちから何もかも奪ってしまう娘さんの歌「The Maid on the Shore(岸辺の娘)」を。
このアメリカ版再発CDは、1980年のオリジナルLPとはジャケットが変わっていて、後半生を精神病院で過ごした画家リチャード・ダッド(Richard Dadd, 1817~1886)の『The Fairy Feller's Master-Stroke(おとぎの樵、入魂の一撃)』を使っています。
【2018年4月8日追記】
石邨幹子訳編『サアディの薔薇 マルスリイヌ・デボルド=ヴァルモオルの詩と生涯』の装幀が政田岑生だったので思い出したのですが、政田岑生が装幀した塚本邦雄『詞華美術館』(1978年、文藝春秋)の外箱に、リチャード・ダッドが「装畫」として使われていました。
塚本邦雄『詞華美術館』(1978年、文藝春秋)の外箱のリチャード・ダッド
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178. 1904年の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』(2016年5月10日)
エリノア・ダーウィン(Elinor Mary Darwin, 1879~1954)が挿絵を描いた本を少しずつ集めるのが楽しみになっているのですが、なかば忘れられた存在になっている本とは違って、現在のアイルランドでも使われ続けている、エリノアの手になるエンブレムがあります。
1904年、20歳代半ばのエリノア・モンセル(Elinor Monsell、バーナード・ダーウィンとの結婚前です)は、アイルランド文藝復興の中心となるダブリンのアベイ座(The Abbey Theatre)開設にあたって、W.B.イェイツ(W. B. Yeats, 1865~1939)とクレゴリー夫人(Lady Gregory, 1852~1932)からアベイ座のエンブレム制作を依頼されます。それが、この『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』 (Queen Maeve Hunting on the Hills of Ireland)です。
エンブレムというと、五輪のエンブレム騒動から、きっちりしたモダンなデザインを思い浮かべてしまいますが、このエンブレムは、勢いのある、粗っぽいといってもいい彫りながら、妖精女王マブとアイルランド犬、そしてアイルランドの夜明けを力強く描いた木版画で、それがアイルランド文藝復興のイメージに合ったのでしょう、100年を超えて今も、アベイ座を象徴する図像として使われ続けています。
写真の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』の絵は、1910年代、たぶん第1次世界大戦前に作られたと思われる、4冊の紙装の戯曲を合冊して『PLAYS』と題した本からとりました。
▲4冊の戯曲を合冊した『PLAYS』
この『PLAYS』は、次の4つの戯曲を合冊していました。
▲セント・ジョン・グリア・アーヴィン(St John Greer Ervine, 1883~1971) 『異宗結婚(Mixed Marriage)』
1911年アベイ座で初演。 アイルランドのベルファストを舞台にして、プロテスタントのレイニー(Rainey)家の息子とカソリックのマレー(Murray)家の娘の恋が生む悲劇です。マウンセル社の『アベイ座作品集(Abbey Theatre production series)』の第15巻です。
この『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』エンブレムは、戯曲集『アベイ座作品集』各巻の表紙にも使われていました。『アベイ座作品集』は、アベイ座設立とほぼ同じころ、ジョセフ・マウンセル・ホーン(Joseph Maunsel Hone, 1882~1959)らが立ち上げ、アベイ座同様アイルランド文芸復興の中心的存在になった出版社マウンセル社(Maunsel & Co)が出していた戯曲シリーズで、アベイ座で上演した戯曲を1905年から1911年にわたって15冊刊行しています。
1.Well of the saints / by J.M. Synge
2. Kincora / by Lady Gregory
3. Land / Padraic Colum
4. Hour-glass / Cathleen ni Houlihan. Pot of broth / W.B. Yeats
5. King's threshold / W.B. Yeats
6. On Baile's strand / W.B. Yeats
7. Building fund / William Boyle
8. White cockade / Lady Gregory
9. Spreading the news. Rising of the moon / Lady Gregory
Poorhouse / Lady Gregory and Douglas Hyde
10. Playboy of the western world / J.M. Synge
11. When the dawn is come / Thomas MacDonagh
12. Crossroads / S.L. Robinson
13. Thomas Muskerry / Padraic Eolum
14. Birthright / T.C. Murray
15. Mixed marriage / St. John G. Ervine
マウンセル社の看板作家というと、『アラン島』のJ.M.シング(John Millington Synge, 1871~1909)がいちばんに思い浮かびます。若くして亡くなったことが惜しまれます。
ただ20世紀文学史的にマウンセル社は、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce, 1882~1941)の短編集『ダブリン市民(Dubliners)』を組版までしながら、結局出版しなかった残念な出版社として記憶されているようです。
▲W.B.イェイツ『王の門(The King's Treshold)』
1911年のSHAKESPEARE HEAD PRESS版です。
片山廣子『燈火節』(暮しの手帖社, 1953)に『「王の玄關」イエーツ戯曲』という紹介文が収録されています。アイルランド文芸復興の紹介者としての片山廣子が、エリノア・モンセルあるいはエリノア・ダーウィンについて書いていれば、続く者へのとてもいい入り口になったのでしょうが・・・。
▲A.M.バクトン(Miss Alice Mary Buckton, 1867~1944)『熱き心―降誕祭神秘劇(Eager Heart: A Christmas Mystery Play)』
1906年Methuen刊。表紙絵は、ウィリアム・ブレイクの作品をもとにしています。
▲リヒャルト・ワーグナー(RICHARD WAGNER)『タンホンザー(TANNHÄUSER)』英独対照訳版。
英語訳はジョン・P・モーガン夫人(Mrs John P Morgan)で、一瞬、モルガン財閥のJohn P Morganかと思いますが、オルガン奏者John P Morganの夫人による英語訳。
話は跳ぶのですが、4月に始まったNHKのドラマ『トットてれび』で、 ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』(1954~1956)のオーディションの場面がありました。ヤン坊に里見京子、ニン坊に横山道代、トン坊に黒柳徹子が選ばれます。『ヤン坊ニン坊トン坊』が放送されていたころ私はまだ生まれていませんが、同じく里見京子や黒柳徹子が出演していた『ブーフーウー』(1960~1967)や『チロリン村とくるみの木』(1962~1964)は記憶にある世代です。うちにテレビが入ったのは東京オリンピックの前ということなので、それ以降はしっかりテレビっ子でした。
『ヤン坊ニン坊トン坊』は、インドの王様から中国の皇帝に贈られた三匹のサルの冒険物語ですが、原案はウォルター・デ・ラ・メア(Walter de la Mare, 1873~1956)の『THE THREE MULLA-MULGARS』(DUCKWORTH, 1910)です。これにエリノア・モンセルのお兄さんが関わっています。
▲1910年ダックワース版初版の挿絵は、エリノア・モンセルのお兄さん、ジョン・ロバート・モンセル(John Robert Monsell, 1877~1952)が描いています。
『THE THREE MULLA-MULGARS』というタイトルだけでは分かりにくいと思われたのか、後の版ではタイトルが『Three Royal Monkeys or The Three Mulla-Mulgars』と変わります。
▲『THE THREE MULLA-MULGARS』の日本語訳。飯沢匡訳『サル王子の冒険』(岩波少年文庫, 1952)。
3匹のサルという設定だけ借りて、飯沢匡がラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』の台本を書くことになります。
ほかにも脇明子訳で『ムルガーのはるかな旅』(ハヤカワ文庫・1979年、岩波少年文庫・1997年)があります。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
『ヤン坊ニン坊トン坊』『サル王子の冒険』からの連想で、里見京子のだんなさん、宇野誠一郎(1927~2011)の曲「悟空が好き好き」。歌はヤングフレッシュ。
「そんなやつが悟空の大冒険をいっぺん見たら びっくりしてひっくりかえってドインなことになってしまう ― かもね」という歌詞が好きでした。
濱田髙志・監修の『宇野誠一郎作品集I』(ウルトラ・ヴァイブ, 2004)から。
『宇野誠一郎作品集II』と『宇野誠一郎作品集III』も素晴らしいです。
▲ 『宇野誠一郎作品集II』(ウルトラ・ヴァイブ, 2004)
▲ 『宇野誠一郎作品集III』(ウルトラ・ヴァイブ, 2014)
▲濱田髙志編『宇野誠一郎の世界』(月刊てりとりぃ編集部, 2014)
1960年代、鹿児島のテレビというと、NHKとNHK教育、それに南日本放送(MBC)の3局だけでしたが、それでも宇野誠一郎の音楽をたくさん聴いていたのだと思います。1970年代になって、自分が洋楽にかぶれるようになるのは、1960年代に宇野誠一郎の音楽を聴いたからだと、つくづく思います。
そして、冨田勲、いずみたく、山下毅雄、中村八大の音楽も、60年代のテレビから浴びていたのだなと、今さらながら思います。
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177. 1942年の野村傳四『大隅肝屬郡方言集』(2016年4月28日)
野村伝四(のむらでんし, 1880~1948)というと、夏目漱石の教え子として漱石の書簡集で度々登場することで記憶に残ってしまったという印象が強い人ですが、著書としては、郷里の肝属郡高山の方言集が残されています。そこに住み続けた人がまとめたものではなく、郷里を離れた人が書いた方言集です。「肝屬(肝属)」と書いて「きもつき」と読みます。鹿児島以外の人には難読地名になるかもしれません。
昭和41年(1966)の高山(こうやま)郷土誌編纂委員会『高山郷土誌』にある野村伝四の略歴を引用します。
〇野村伝四 明治十三年伝之助四男に生る。造士館一高、明治三十年帝大英文科卒、其間文豪漱石氏余裕派同人として文壇に活躍、後各地中学校長を歴任昭和十年奈良県立図書館長となる。氏の作品は大正時代の中学校の国語教科書に、「大隅の鷹渡り」の文がある。この文章は鷹渡りの壮観なようすを、初めて日本に紹介した名文である。又方言についての著書も有名である。昭和二十三年七月廿六日死去、
祝伝四、新婚ノ日に、日毎ふむ艸芳しや二人連れ 漱石 (明治四十一年二月)
ここに「方言についての著書も有名である」とあるのが、この『大隅肝屬郡方言集』(1942年, 中央公論社)です。
この方言集は、ある妖怪の典拠のひとつとなっています。水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみのイッタンモメンです。水木しげると関わりの深い境港市観光協会が行った第1回妖怪人気投票(平成19年)では、鬼太郎や目玉の親父をさしおいて、堂々の第1位になった人気妖怪です。
このイッタンモメンは、江戸時代の妖怪草紙などには記録がなく、昭和になって名前が知られるようになった妖怪です。地元の鹿児島でも、その存在のことはあまり知られていません。もっとも古い文献記録は、民俗学者・柳田国男(1875~1962)が『民間伝承』に連載した「妖怪名彙」(1938年6月~11月, 1939年3月)で紹介した80の妖怪のひとつとしてです。
イッタンモメン 一反木綿という名の怪物。そういう形のものが現れてひらひらとして夜間人を襲うと、大隅高山地方ではいう。
柳田国男にイッタンモメンの情報を伝えたのは、肝属郡高山出身の野村伝四ということで間違いないようです。野村伝四は柳田国男の『蝸牛考』(かぎゅうこう, 昭和5年)に触発され、方言研究に取り組むようになり、最初にまとめた「高山方言考」を柳田に見てもらい、いわば弟子入りしたかたちで、柳田の鹿児島についての民俗情報提供者のひとりとなったようです。
昭和13年の「妖怪名彙」より後になりますが、昭和17年の『大隅肝屬郡方言集』には次のようにあります。
イッタンモンメン お化けの一種。長さ一反もある木綿の様な物がヒラヒラとして夜間人を襲ふと言ふ。
この短い記述から、のちに水木しげるというフィルターを通すことで、皆が知る人気キャラクターが生まれたわけです。
ところで、昭和41年(1966)に刊行された高山郷土誌編纂委員会『高山郷土誌』の「町の伝説と伝承」の章などでは、イッタンモメンの伝説や伝承はまったく登場しません。この1000ページを超える大著に、1行でもイッタンモメンに関する記述があれば、今なら繰り返し参照・引用されているのでしょうが、ちょっともったいないような残念な話です。何を書き残すかという点で、小さなものを書き残しておくことも大切ということでしょうか。
タイミングもあったのかもしれません。昭和41年(1966)の時点では、イッタンモメンが日本全国に知れ渡る存在になると考えた人は一人としていなかったでしょう。漫画の『ゲゲゲの鬼太郎』にイッタンモメンが登場するのが昭和42年(1967)、テレビアニメの『ゲゲゲの鬼太郎』が始まるのが昭和43年(1968)で、『高山郷土誌』刊行後でした。
イッタンモメンについての読み物ということでは、児童文学者として知られる椋鳩十(1905~1987)に「一反木綿」(1953年)という短編小説があります。しかし、これは分野としてはエロス+グロテスクで、今ならR18指定というのでしょうか、これをお子さんに勧めるわけにもいきません。せっかく椋鳩十というカードがありながら、ことイッタンモメンに関しては扱いにくいのです。
そういう点でも、地元の妖怪とは言いながらも、イッタンモメンと鹿児島は、なんとなく居心地の悪い関係にあるようです。
▲『大隅肝屬郡方言集』奥付
『大隅肝屬郡方言集』を柳田国男との共著とする例も見かけますが、『大隅肝屬郡方言集』は野村伝四の著書です。柳田国男は全国方言集全体の編者という立場です。
柳田の「肝屬郡方言集に題す」というまえがきに「野村さんの郷里、大隅肝屬郡高山(カウヤマ)の故事遺迹を記述した一巻の寫本を、曾て鹿兒島の圖書館で讀んだことがある。書名は『高山風土記』だつたかと思ふが確かでない」とありますが、この『高山風土記』は、高山郷土誌編纂委員会『高山郷土誌』に収録された『高山名勝誌』のことかと思われます。
▲『大隅肝屬郡方言集』巻末の全國方言集広告
柳田國男編の全國方言集は7巻まで出ています。戦時中の刊行です。
全國方言集 第1『喜界島方言集』岩倉市郎(1904~1943)著 柳田国男編 中央公論社 1941年
全國方言集 第2『大隅肝屬郡方言集』野村伝四著 柳田国男編 中央公論社 1942年
全國方言集 第3『伊豆大島方言集』柳田国男編 中央公論社 1942年
全國方言集 第4『周防大島方言集』原安雄著 柳田国男編 中央公論社 1943年
全國方言集 第5『伊予大三島北部方言集』藤原与一(1909~2007)著 柳田国男編 中央公論社 1943年
全國方言集 第6『佐渡海府方言集』倉田一郎(1906~1947)著 柳田国男編 中央公論社 1944年
全國方言集 第7『対馬南部方言集』滝山政太郎著 柳田国男編 中央公論社 1944年
▲手もとにある『大隅肝屬郡方言集』は、京都の古書店で求めました。扉に「圓輔蔵書」と蔵書印がありました。
この「圓輔」は、俗信・妖怪・幽霊に詳しい民俗学者、今野圓輔(1914~1982)でしょうか。
▲「圓輔蔵書」の『大隅肝屬郡方言集』の「イッタンモンメン」をはじめとする妖怪の項目には、▽印が付けられていました。
ここにあるような、野村伝四の持っていた「イッタンモンメン」についての情報が、柳田國男の「妖怪名彙」のもとになり、水木しげるの想像力をえて、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪たちのなかで人気者の「一反木綿」になった、というのがイッタンモメン受容の筋道のようです。鹿児島には「イッタンモメン」の絵図は残されておらず、目と手のある布状の存在というおなじみの姿形を図像化したのは、水木しげるの力ということになります。
祖父が肝属郡高山で教鞭をとっていたことがあり、肝属郡の岸良や大根占(おおねじめ)に縁者がいるので、肝属とはそれなりに関わりがあったのですが、1970年代だったか、水木しげる関連の本を読んでいると、イッタンモメンが鹿児島肝属の妖怪として紹介されていて、そのことを地元の者として全く聞いたことがなかったので、驚いた記憶があります。
祖父の家もなくなり、肝属との関わりは薄くなってしまいましたが、かつて耳にした「大根占の着倒れ、根占の書生倒れ」といった地域性を表した言葉が記憶に残っています。大根占の人は衣装道楽で家計を傾け、根占の人は教育熱心が過ぎて家計を傾けると、地域の性格を表した言葉のようです。こうした町民性というか地域差は、もう様変わりしてしまったのでしょうか。
流行りすたりが気になる性分は、わが内なる「大根占」性なのかもしれません。
▲昭和52年(1977)に新しく版を組み直した『大隅肝属郡方言集』が国書刊行会から出ています。
【2016年8月19日追記】
一反木綿の手ぬぐいが売られていました。
鳥取県米子市の会社の製品で、鹿児島産ではありませんでしたが。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
佐井好子『萬花鏡』(1975年, テイチク・BLACK RECORDS) から「逢魔ヶ時」。
昏い世界へ誘いこまれます。そこには、ほんとうに恐ろしい一反木綿がいそうです。
土俗的なモダニズムといったら怒られそうですが、「紅い花」という、つげ義春の世界と直結するような曲もB面にあります。
佐井好子は奈良の出身。野村伝四は奈良の県立図書館に勤めて、『大和の垣内』など奈良についての著作もありますから、奈良つながりです。
こじつけですが。
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176. 1926年ダックワース版のハドソン『緑の館』(2016年4月22日)
失ったものを悼む本といったら何だろうと考えました。
W.H.ハドソン(William Henry Hudson, 1841~1922)の小説『緑の館―熱帯林のロマンス』(Green Mansions: A Romance of the Tropical Forest)が思い浮かびましたが、ありきたりでしょうか。
初版は1904年、イギリスのDuckworth社から。
手もとにダックワースの1926年版、キース・ヘンダーソン(Keith Henderson, 1883~1982)の挿絵の入った版があります。
強い電気照明から生まれた舞台表現や影を強調した表現主義の映画表現を思わせる、ドラマティックな挿絵が記憶に残る版です。
▲1926年ダックワース社版『緑の館』タイトルページ
▲キース・ヘンダーソン(Keith Henderson, 1883~1982)のサインの入った版です。限定版ということで、照り輝きのある黒を刷りだそうと意図して印刷インクにも凝ったのでしょうが、結果としてインクの油分が浮いて、対のページに裏写りが生じるという、意図せぬ結果が生まれてしまった版でもあります。
▲影と実体の境界のない表現。強い電気照明から生まれた舞台表現に近いかもしれません。
▲ヒロインのリーマを失った後のアベルの嘆き。
If only I could have faded gradually, painlessly, growing feebler in body and dimmer in my senses each day, to sink at last into sleep !(試訳:願うのは、ゆっくりと消えていきたいということ、痛みなく、日々少しずつからだと感覚を弱らせて、ついには永遠の眠りに沈みたいということだけだった。)
スタイリッシュな白と黒の表現も魅力的なのですが、どうしても裏写りした模様のほうに見入ってしまいます。裏写りやにじみは、作り手の意図を超えて魅力的に見えることもあります。そちらのほうが表現として強く見えてしまいます。
考えれば、デジタルデータは、裏写りを起こさないので、印刷物の「もの」ならではの現象かもしれません。
▲1944年に、E. マックナイト・カウファー(E. McKNIGHT KAUFER, 1890~1954)が挿絵を描いたRandom House社版もあります。1920年代に美術批評家ロジャー・フライ(Roger Fry, 1866~1934)が評価したことでも知られる挿絵画家ですが、その期待からすると、この『緑の館』は残念な仕上がりでした。変に具象的な表現をとらずに、緑という色だけで攻めたらよかったのにと思ったりしたものです。
ふと思いましたが、日本でマンションという言葉が流布しはじめるのが昭和30年代で、オードリー・ヘップバーン主演の映画『緑の館(Green Mansions)』が公開されたのも昭和30年代です。もしかしたら言葉はリンクしているのかもしれません。
残念ながら、オードリー・ヘップバーンをいかに魅力的に撮らないかということに心を尽くしたような映画で、キース・ヘンダースンの挿絵のほうが、まだ映画的でした。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
『緑の館』の舞台は南米のオリノコ川流域の熱帯林なので、エンヤの「オリノコ・フロウ」も思い浮かんでしまいましたが、とことん嘆きの方向へ落ち込んでいく物語なので、MY BLOODY VALENTINEの『LOVELESS』(1991年, Creation Records)のような、甘くて激しい音楽がふさわしい気がします。写真は2012年のリマスター版CDのジャケット。
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175. 1948年のバーナード・ダーウィン『のんきな物思い』(2016年3月17日)
All, all are gone, the old familiar faces.
〔みんな、みんないなくなった。古なじみの顔が。(福原麟太郎訳)〕
これは、チャールズ・ラム(Charles Lamb, 1775~1834)の詩句。懐かしい顔は次々と消えていき、世はままならぬことばかり。それでも、心慰めてくれるものも確かにあります。チャールズ・ラムの『エリア随筆』は心慰められる本ですが、バーナード・ダーウィン(Bernard Darwin, 1876~1961)の『のんきな物思い(Every Idle Dream)』も、そうした心慰むエッセイの系譜に連なる1冊です。
ものうげな昼下がり、安穏な場所での、とりとめのない物思いのように、どこか懐かしく、ささやかだけれど夢中になってしまう物事について書かれています。1948年にCOLLINS社から刊行されています。戦後すぐの本ということで、書き手も読み手もそうしたものを求めていたのかもしれません。
各エッセイの冒頭には、エリノア・ダーウィン(Elinor Mary Darwin, 1879~1954)のイラストが入っています。末尾にスペースがあるときは、末尾にもイラストが入っています。
チャールズ・ラムに傾倒していた福原麟太郎(1894~1981)や小沼丹(1918~1994)のような人たちがこの本を翻訳していたら、日本でも愛される本になっていたような気がします。
▲『のんきな物思い(Every Idle Dream)』のタイトルページ
夫妻で出した最後の本になります。「To URSULA, ROBIN AND NICOLA」と、ダーウィン夫妻の3人の子どもたちに捧げられています。
29編のエッセイのタイトルと、そのエッセイのタイトルに添えられたエリノア・ダーウィンの挿絵を並べてみます。
■Tin Soldiers
鉛の兵隊のおもちゃについて。
■Match-Hunting
自販機で売られていたマッチ集め。
■A Look Round the Room
自分の部屋に飾られているもの巡回ツア。
■Giving Up the Game
スポーツをやめるとき。
■In the Cotswolds
コッツウォルズでの暮らし。
■A Day in Bed
一日病気で寝込んだとき。
■Watching Cricket
クリケット観戦。
■Portrait of an Old Friend
昔なじみの友人の肖像。
■The Cure
戦時中、シリアのファルパルで体験した癒やしとしての入浴。
■Sherlockiana: The Faith of a Fundamentalist
このエッセイは、J・E・ホルロイド編/小林司・東山あかね訳『シャーロック・ホームズ17の愉しみ』(1988年, 河出文庫)に「ホームズ研究書について─正典派の信仰」として翻訳されています。
■Some Writers on Sport
ハズリットら前世紀の著作家の書くスポーツ 。
■The Yule-Tide Spirit
クリスマスの思い出。
■Frank Fairlegh
スメドレー(1818~1864, Francis Edward Smedley)の小説『フランク・フェアレー(Frank Fairlegh)』(1850)讃。
■The Boyhood of a Hero
名選手の少年時代。
■Heat and Cold
薄着と厚着。
■Games on the Air
ラジオ中継で聴くスポーツ。
■The Magic of a Name
名前の不思議。
■The Spirit of Picnic
理想的なピクニック。
■Reading Aloud
音読の愉しみ。
■Hard Hitting
スポーツにおける、スマッシュやヒットなど、強くたたくことの快感について。この考察を深めていくと、根源的なスポーツ論になりそうです。
■At the Club
英国のクラブ。
■Hidden Treasure
秘宝さがし。
■Crowd and Urgency
チャーチルのいう「群衆と緊迫」から読み解くボートレース観戦。
■Colour and Colours
エドワード・リア『ノンセンスの絵本』彩色版の色讃美を枕に、ネクタイの色彩についての考察。 『トゥトロ氏』ものの絵の源泉がエドワード・リアと知れます。
■Instruction with Amusement
楽しい入門書。
■At the Junction
乗換駅。
■The Jubilee of a Society
ただ「ソサエティ」というだけで知られるゴルフ倶楽部の記念日。
■Father and Son
ディケンズの世界に見る父親と息子。
■Portrait of a Dog of Character
ともに暮らしてきた犬の性格。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
ロイ・ハーパー(Roy Harper)の『HQ』(1975年, Harvest)から
「When An Old Cricketer Leaves The Crease」
写真は、1995年のScience Friction版CDのジャケット。
ベテランのクリケット選手がベンチから立ち去り、夕暮れの長い影が徐々に夕闇に消えていく、そんな情景が浮かびます。いかにもイングランドなブラスの音が染みます。 ブラスのアレンジはデヴィッド・ベッドフォード(David Bedford)。
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174. 1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』(2016年2月23日)
2月19日に合田佐和子さんが亡くなったそうです。
天沢退二郎の詩集にも合田佐和子の絵を使ったものがありました。
合田佐和子の絵を稲越功一が撮影したものが表紙に使われています。
微かな、ほとんど下地の白色に溶け込みそうな、西洋的な顔立ち。
▲帯付きの表紙
『ノマディスム』奥付
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173. 1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』(2016年2月18日)
同じ挿絵で同じ内容の本でも、異なる版を並べてみると、いろんな違いがあって、見比べると楽しいものです。
英国モダニズムの顔のような出版社フェイバー社(Faber and Faber)が出したナーサリーライムの本『Nursery Rhymes for Certain Times』です。序文は作家・詩人のウォルター・デ・ラ・メア(Walter de la Mare, 1873~1956)が書き、挿絵は『トゥトロ氏(Mr. Tootleoo)』もののエリノア・ダーウィン(Elinor Mary Darwin, 1879~1954)が描いています。左が1946年初版で、右がモイラ・リーザム(Moyra Leatham)が色を足した1956年版。エリノア・ダーウィンの挿絵がとてもかわいらしい本です。
この本のもとになったのは、ウォルター・デ・ラ・メアの奥さんエルフリーダ・デ・ラ・メア(Elfrida de la Mare, 1862~1943, 旧姓Ingpen)の弟、ロジャー・イングペン(Roger Ingpen, 1867~1936)が集めていたイギリスのわらべ唄ナーサリーライムです。ロジャー・イングペンは、パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley, 1792~1822)の書簡集を編集し、リー・ハント(Leigh Hunt, 1784~1859)の伝記を書いている人です。
版元のフェイバー社は、1925年にFaber and Gwyerとして創業し、1929年にFaber and Faberに改組するのですが、創業以来の中心メンバーは、社長のジョフリー・フェイバー(Geoffrey Cust Faber, 1889~1961)、そして、詩人にして文藝担当のT. S. エリオット(Thomas Stearns Eliot, 1888~1965) とリチャード・デ・ラ・メア(Richard de la Mare, 1901~1986)の3人です。リチャード・デ・ラ・メアはウォルター・デ・ラ・メアの長男で、ブックデザインに強かったようです。フェイバーは1人なのに、Faber and Faberという社名にしたのは、そのほうが頼もしそうだというウォルター・デ・ラ・メアの助言があったからだそうです。
1946年版の段階で、エルフリーダ・デ・ラ・メアとロジャー・イングペンが亡くなっており、1956年版の段階で、 ウォルター・デ・ラ・メアとエリノア・ダーウィンが亡くなっていることを考えると、この本には過ぎ去りしものをしのぶ意図もあったのかもしれません。
▲1946年版(左)と1956年版(右)のクロス表紙
▲1946年版のダストラッパー
▲1956年版のダストラッパー
▲1946年版の刊記
▲1956年版の刊記
▲1946年版のタイトルページ。1946年版は黒+茶色の活版2色刷り。
▲1956年版のタイトルページ。黒+緑の活版2色刷り。1956年版は黒+赤、黒+緑、黒+黄、黒+青の活版2色刷りで構成。
▲1946年版の見開きページから 。
▲1956年版の見開きページから。黒+赤の2色版。
▲1946年版の本文と挿絵。「涙」というのは絵としては意外と扱いにくい題材ですが、この仔猫の涙は単純にすばらしい。
本文活字は、1946年版はPoliphilusという書体、1956年版はおなじみのCaslonで組まれています。
▲1956年版の黒+黄の2色版ページから。
▲1956年版の黒+青の2色版のページから。この、おなかが空いたことを主張する感じがいいです。
▲手もとにある1946年版には、見返しに書き込みがありました。F.C.C.さんへE.M.D.さんから1946年9月に贈られた本だったようです。このE.M.D.がElinor Mary Darwinの頭文字ということであれば、これは挿絵画家のサインということになります。
エリノア・ダーウィンの結婚前の姓はモンセル(Monsell)で、兄のジョン・ロバート・モンセル(John Robert Monsell, 1877~1952)はウォルター・クレイン(Walter Crane)やランドルフ・コールデコット(Randolf Caldecott)の系譜に連なる挿絵画家です。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
バリー・ワーズワース(Barry Wordsworth)指揮、ニュークイーンズホール管弦楽団 (The New Queen’s Hall Orchestra)
『グリーンスリーヴス幻想曲 ヴォーン=ウィリアムズの世界(Fantasia On Greensleeves & Other Works)』(1994年, London Decca)から
「富める人とラザロ」の五つの異版(Five Variants of ‘Dives and Lazarus’)
ヴォーン=ウィリアムズ(Ralph Vaughn Williams, 1872~1958)が20世紀初頭に採集したイギリスの民謡をもとにつくった曲です。初演は1939年。この盤でのニュークイーンズホール管弦楽団は20世紀初頭の楽器や奏法を使っているそうです。邦題はいかめしいものですが、民謡採集者の夢と記憶がつまっている、歩きながら、土のにおい、草のにおいがたちのぼるのを聴くような気持ちにさせてくれる曲です。
ヴォーン=ウィリアムズは、ダーウィン=ウェッジウッド一族の系譜に連なる人で、バーナード・ダーウィン(Bernard Darwin, 1876-1961)とも、小さいころからの知り合いだったようです。2冊のナーサリーライム本を見比べていたら、「異版」というものものしい訳のついた、この曲が思い浮かんだのですが、考えれば、ヴォーン=ウィリアムズとエリノア・ダーウィンも知り合いのはずだと思い至りました。
「富める人とラザロ」という曲には、地域によって、歌詞や節の違いがあって、「Come all ye faithful Christians」「The Star of County Down」「Gideroy」「The Murder of Maria Martin in The Red Barn」「The Thresher」「Cold Blows The Wind」「The Unquiet Grave」と名前を変えて、いくつものヴァージョンが歌い継がれています。
▲Van Morrison & The Chieftains『Irish Heartbeat』(1988年, Mercury Phonogram)収録の「Star of The County Down」とか、
▲June Tabor & The Oyster Band『Freedom and Rain』(1990年, Cooking Vinyl)収録の「Dives And Lazarus」とか、Shirley Collins and the Albion Country Band『No Roses』(1971年, Pegasus)収録の「Murder of Maria Marten」とか、Glyphon『Glyphon』(1973年, Transatlantic)収録の「The Unquiet Grave」とか、棚をさがし出したら、異版さがしはキリがなくなりそうです。
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172. 1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』(2016年1月24日)
ダーウィン夫妻のトゥトロ氏もの第3弾『トゥトロ氏と仲間たち(MR. TOOTLEOO AND CO.)』の表紙です。3作目は出版社が変わって、英国版はFABER & FABERから、米国版はHARPER AND BROTHERSから出ています。どちらも「PRINTED IN GREAT BRITAIN」イギリスで印刷されています。例によって刊記はありませんが、カーウェン・プレス(Curwen Press)のリトグラフ印刷です。前2作のように網点分解ではなく、砂目の4色カラー印刷です。本文書体はBemboが使われています。
「TO URSULA, ROBIN. NICOLA」と、ダーウィン夫妻の3人の子どもたちに捧げられています。
手もとにある本には、見返しに書き込みがあって、1940年のクリスマスに男の子に贈られたものでした。
今回、トゥトロ氏は、奥さんのもとを離れ、亀と虎と象を仲間に冒険します。6人の子どもたちは全く登場しません。
▲『トゥトロ氏と仲間たち』ダストラッパー
▲『トゥトロ氏と仲間たち』タイトルページ
▲亀と大海原を旅するトゥトロ氏
▲トゥトロ氏とのお別れに涙がとまらない虎。涙の池ができます。
▲トゥトロ氏は仲間と別れ、王様からもらった魔法のじゅうたんに乗って奥さんのもとへ帰って行きます。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
Eberhard Weber『The colours of Chloë』(1974年、ECM)から「No Motion Picture」
ECMものにはピンと来ないほうなのですが、エバハード・ウェバーだけはどの盤を聴いても楽しいです。カンタベリーものに近いものがあるからでしょうか。夫婦ものの本に合わせたというわけではありませんが、エバハード・ウェバーのアルバムジャケットの絵は奥さんのMaja Weberが描いています。親密な音楽です。
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171. 桜島雪景色(2016年1月24日)
雪を踏みしめての散歩の途中、一瞬日がさして桜島も姿をあらわしました。山頂は見えませんでしたが。
雲の色は恐ろしげです。
▲多賀山の林岳記碑も雪化粧。
一昨日は日なたぼっこ日和だったのですが。