●my favorite things 161-170
my favorite things 161(2015年10月1日)から170(2016年1月18日)までの分です。 【最新ページへ戻る】
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161. 1984年の品川力『本豪落第横丁』(2015年10月1日)
162. 1963年の天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』(2015年11月10日)
163. 1968年の松下竜一『豆腐屋の四季』(2015年11月11日)
164. 1975年のAllen Toussaint 『Southern Nights』(2015年11月16日)
165. 1924年のジェフリー・ケインズ『サー・トマス・ブラウン書誌』(2015年12月12日)
166. 1964年のミス・リード編『カントリー・バンチ』(2015年12月31日)
167. 2016年1月1日の桜島
168. 1925年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏のおはなし』(2016年1月12日)
169. 1966年の天沢退二郎『時間錯誤』(2016年1月17日)
170. 1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』(2016年1月18日)
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170. 1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』(2016年1月18日)
ダーウィン夫妻のトゥトロ氏もの絵本第二弾『トトゥロ・トゥ(Tootleoo Two)』です。1927年にノンサッチプレス(Nonesuch Press)から出ています。このころの子ども向けの本にありがちなことですが、何年に刊行されたとか、どこのプレスで印刷されたかの刊記はありません。
『トゥトロ氏のおはなし』同様、バーナード・ダーウィン(Bernard Darwin, 1876-1961)が韻文のテキストを書き、エリノア・ダーウィン(Elinor Mary Darwin, 1879~1954)が絵を描いています。20枚の多色刷りの絵が楽しいです。
話は『トゥトロ氏のおはなし』(1925年)に続きになっていて、鳥から変化して人間になったコッコさんの3人の息子と3人の娘の教育のため、ドラゴンを家庭教師に招くのですが、こどもたちのいたずらでドラゴン先生がカンカンになって、すったもんだあって、こどもたちが鳥の姿に戻ったところで終わります。
▲『トトゥロ・トゥ(Tootleoo Two)』の裏表紙。
▲『トトゥロ・トゥ(Tootleoo Two)』のタイトルページ。
▲『トトゥロ・トゥ(Tootleoo Two)』のページから。 表紙の影絵のもとになったページ。
▲『トトゥロ・トゥ(Tootleoo Two)』のページから。
▲『トトゥロ・トゥ(Tootleoo Two)』のページから。
傘で空を飛ぶという点では、メリーポピンズに先駆けています。
もちろん鈴木春信の後塵を拝してはいますが。
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169. 1966年の天沢退二郎『時間錯誤』(2016年1月17日)
天沢退二郎の第4詩集。1966年5月、思潮社から刊行されています。装幀は桑山弥三郎。
本を包むパラフィン紙が傷んでいて見にくくなっていますが、箱のくり抜かれた四角い部分に「天沢退二郎詩集 時間錯誤 思潮社 1966」の文字がおさまるように配置されています。
1962年の作品2編と1963年~1964年8月までの作品8編からなる第I部と、1964年9月から1966年1月までの滞仏中に書かれた7編からなる第II部で構成されています。 タイトルに「譚」が使われる詩が登場します。
第II部に「ある予言者の幼年時代」という詩があり、「予言」という言葉が使われています。予言者=詩人という側面があるとしたら、天沢退二郎は1970年代以降、予言的なヴィジョンをもって世界が黒いもので浸潤されていくのを押しとどめようとする少年少女の物語を書き紡いできました。その黒いものに世界がどんどん侵されていく予言は、もう起こってしまった、のかもしれません。
しかし、予言が実現してしまったあとの予言者とは、どういう存在なのか、とも考えてしまいます。予言が実際に起こったからといって、勝ち誇ることもできません。古代なら、禍々しい予言をしたものとして、石もて打たれ追われたのかもしれせん。今ならどうなのでしょう。
▲奥付 トランプのシンボルが目立ちます。ダイヤの形は、箱の◆のくり抜きとも呼応しているのでしょう。
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天沢退二郎で、水遊びの続きです。冬向きの遊びではない気もしますが、寒中水泳もあれば温泉もあります。雪は降らない世界ですが。メモがわりに、『時間錯誤』から「水」とむすびつく詩句を切り貼りしてみました。もちろん網羅的なものではありませんし、選択は恣意的です。
■『時間錯誤』水づくし 1962~1966
第I部
彼は透明だが妙に歪んでいて頭の方から覗くと糸くずのかたちした生きものが巨大な粘液性の斜面にへばりついてうごいている。彼には水分しかなくその内部を泳いでみるとじつに稀薄にむらがったセックスを経験できる。(「観察」)
穴だらけの映画をみてころげまわる鳥たちのための液状のことばを用意するのがせいいっぱいだ。(「観察」)
「おれは狂奔する門柱に首をはさまれたまま何千マイルも水をのみつづけてきた」(「観察」)
たるんだ石版の頬を
プツプツと射ぬいて唾をとばす(「死んだ男と女家長」)
あたしの血は足へは伝わらないのだから(「死んだ男と女家長」)
血でこね固めた車をつかんで彼らは走る(「死んだ男と女家長」)
目にしみるので泣きながら(「死んだ男と女家長」)
波がなくてスローなしぶきだけ(「死んだ男と女家長」)
ここでは水は上の方を流れる(「死んだ男と女家長」)
女家長がしきりにゆれるのも水のせいた(「死んだ男と女家長」)
高窓を縦横につなぐねばっこい河を
音たててつぎつぎすりこみ(「死んだ男と女家長」)
沈ませるのだそこにきらびやかな三角の船を(「死んだ男と女家長」)
あたしの月経は彼らの輪に降りかかるだろう(「死んだ男と女家長」)
吐きたいほど澄んだ渚で傷を洗ったのは昨日の朝(「さむい朝のはじまり」)
砂たちは砕氷の上で身もだえし(「さむい朝のはじまり」)
血の下から姉の指は島を支え(「さむい朝のはじまり」)
ぼくの額をつらぬいて子どもたちの汗が
裏側の壁にまで痛い朝をしみわたらせる
ときどき海をひっぱたくのは褐色の鼻の長い女(「さむい朝のはじまり」)
道ばたのドブの涸れ跡に母親たちは(「さむい朝のはじまり」)
老人の死体は海へ捨てられてしまった(「さむい朝のはじまり」)
〈またぎ越せ無能な河は〉(「反動西部劇」)
鼻づらをそろえて河岸にならび(「反動西部劇」)
われわれの頬に唾をながした(「反動西部劇」)
笑いもせずはせぬける河が(「反動西部劇」)
血にそまった氷片がまいあがる幻視(「反動西部劇」)
熱い液体が河をおしのけ(「反動西部劇」)
われわれは熱い雨の街であることに気づく(「反動西部劇」)
軸受のまわりにからみついたコンニャクの上をうすじろい汁をたれ流す細い青い星どもがうろつくのはニガニガしいかぎりだが(「後遺」)
革命は細い長い鼻水にそって起ればよい(「後遺」)
肩に降ってくるのはしびれ汁(「ワーク・ソング」)
いずれ女とおれと
水の中でくらすことになるだろう(「ワーク・ソング」)
みんなの眼は魚卵のようにながれだす(「ワーク・ソング」)
水の跡はうすよごれて(「ワーク・ソング」)
ながれるゼリーの角片(「ワーク・ソング」)
泡だちながら人間どもが浮かび上がるが(「ワーク・ソング」)
汗まみれの肉片がボタンにかわる(「ワーク・ソング」)
8リットル食った8リットル食った(「ワーク・ソング」)
かわいた汗の街に海をみちびく(「ワーク・ソング」)
黒ずんだおれの死たちはじつに苦もなく
らくらくとあふれ出はじめる
あけがた近い水の上へと(「ワーク・ソング」)
そのものはわたしたちの液体をむさぼり
すすりつくして巨大な球になってから(「裏と表」)
血をもろに浴びそれぞれに太陽となって(「裏と表」)
口のまわりを血まみれにして
河も歩いてわたるらしい(「裏と表」)
かれらのたらしていく小水のあとをみるがいい(「裏と表」)
じわじわと青みどろの液体にまたがって入ってくる(「裏と表」)
血だらけの詩を壁面につたわらせ(「裏と表」)
いたるところ海の神経をひきちぎり(「カーニバル」)
その結び方も唾にまみれやわらかい(「カーニバル」)
塩水の切口がいくつもの生をぶっつける(「カーニバル」)
もう汁の出ない壁穴のうすい輝き(「カーニバル」)
血で濡れた白さが河の裏をはいのぼった(「カーニバル」)
蓋のない世界よ
やわらかすぎて水さえもずりおちる(「カーニバル」)
くらい土いろの海に出ていった舟は(「カーニバル」)
しかし鯨でさえも通れない(「カーニバル」)
父チャンの肉を浸した雑巾汁(「カーニバル」)
足のながい氷が
1ブロックまたぐ(「カーニバル」)
熱い熱い暴力娘の舌は海の上(「カーニバル」)
噴水の骨をなぜ上げていくのを――(「辛酸」)
遠くの丘陵に血のすじをつけたのもみた(「辛酸」)
まっ黒な粘液にもがきながらまた
石のひしゃくからパシャパシャ香水をこぼし
あらゆる夜を奪おうとする二個の椀を(「辛酸」)
歌手の声はぼくらの昼の底の
まっくろい流れをかけのぼってくる(時代の首梟け)
曇り日の壁塀
鳥の内臓に自分の半生を読むとき
水がやわらかくないと苛だつのは(時代の首梟け)
血の薄さはこわくない
血の薄いことはこわくない
と水道の蛇口が低くすごんでいるうす暗い三角地へ(時代の首梟け)
おれたちは粘っこい雨を噴いて上気嫌(時代の首梟け)
おれはおれの海を吹きあげる
しかし待てよおれの血はまだ樽の中(時代の首梟け)
――さま
わたしの恋人はどこからが水溜りですか(時代の首梟け)
わたしの血はどこまでガソリンですか
わたしの海に映った死人はどこが私自身ですか(時代の首梟け)
坂の下から河がせりあがってくるのです(時代の首梟け)
冷えた言葉の汁をたれながしながら(時代の首梟け)
その 色のない血の雨は(時代の首梟け)
ヘルメット被ったデマゴーグよ下水から
吹きあがれ!(時代の首梟け)
第II部
水はあまい歌で石をさいなみ
海ぞいの血こごりの手紙を空へ捺した(「空もどき」)
遠くからきこえる沈黙のにぶい放尿(「空もどき」)
女たちの衣をしぼった汁は町をいくつにも
そめかえ・そめわけるべきだ(「空もどき」)
晴れたらしいわ眼がすっかりぬれちゃって(「空もどき」)
河がさわがしく増水し
ささえを失った巨大な粘液の棒を(「空もどき」)
きみたちはあの絶対的粘性を 女よ
静脈のおどる胸でさばくがいい(「空もどき」)
客席にすすすりなきの声があがる。(「時間錯誤」)
眠りは聖なるものであり、それはわれわれの妻の腿であり、武器であり、雨であるけれどもわれわれにはもうたくさんだ。(「時間錯誤」)
明日は海へ行きたいねえ(「時間錯誤」)
海でならもっとホリゾントがとれるから、もっと女を出せるんだ(「時間錯誤」)
あの、コーヒーがこぼれますよ(「時間錯誤」)
この間に、男(それは作者なのだが)の妻である主演女優は、楽屋で黒子たちに全裸にされ、水道の蛇口をくわえたかたちで洗面台にしばりつけられ、全身の肉がくにゃくにゃするまで揉みほぐされる。彼女の漏らす液体と声を記録しながら、真紅のカーディガンの少女は、その15分間に猛悪な鳥に変形し終えるが、この変形は舞台の上の作者以外には知られることがない。幕がおりた瞬間、作者はマッチをすってマンホールの中へ投げこむ。彼の妻が漏らした液体と声はたちまち引火して燃えあがり、楽屋と舞台全体を炎がつつみ、あっけなく燃えおちる。ただし観客は幕間でロビイにでているため無事なところがミソである。(註・さもないと芝居が続けられないわけだ、当然)(「時間錯誤」)
ものすごく増水した川が両腿の間を奔り流れる
私は血だらけの手で声だけを水面から剥がしにかかる(「ある予言者の幼年時代」)
散らばっているのは腐った魚ばかり(「ある予言者の幼年時代」)
夢の中でインディアン娘に脇差を抜かれ海へ落ちた(「ある予言者の幼年時代」)
息づまる打ち水のにおい(「ある予言者の幼年時代」)
郵便局で入れてくれる番茶の毒をたのしみに(「ある予言者の幼年時代」)
電車の窓ガラスに他人の血が流れるのを(「ある予言者の幼年時代」)
お前たちの好奇心は恒星のような桃の汁の中でくねる(「アンリ・ミショーの絵《四つの顔》に」)
音楽は中条流の血ホダの翻転する河の裏面(「アンリ・ミショーの絵《四つの顔》に」)
あらゆる流血をみなもとの穴までかならずさかのぼって(「アンリ・ミショーの絵《四つの顔》に」)
音楽は翻転する中条流の血ホダの広場の裏面(「アンリ・ミショーの絵《四つの顔》に」)
枝のように撓っている眼だけの河の上に(「アンリ・ミショーの絵《四つの顔》に」)
そんな歌は凍った海にのみふさわしい(「おまえの声は・・・」)
おまえの声は昨夜歩いたガロンヌ河の水のように
ぼくののどをかわかせる(「おまえの声は・・・」)
宇宙をめぐる血にいくら血をまさぐっても(「おまえの声は・・・」)
ぼく自身がおまえの声となって
おまえの熱い黒い唇から流れ出るまでに(「おまえの声は・・・」)
橋の下にならんだ暗いレストラン
兼旅館のまばらな水音でそだち
入江の向こうからとんでくる黄色な
火山弾の歌をきいて眠った(「わが本生譚の試み」田舍生れ)
海から吹く熱い唾に胸はとどろき
舌を出せば呼び水かぎりなく
縁のないヨブ記のガラスを吸わぶり
夜は昼昼は娘と石に滲みて(「わが本生譚の試み」田舍生れ)
腐った町くらいドボンと軟かくて大きな樽がほしいわ(「わが本生譚の試み」パリ生れ)
青くさい水の中に拡がっていく心臓を
輪切りにして朝ごとにとりかえるとは
なんという娘らしさであろう!(「わが本生譚の試み」パリ生れ)
海からきた馬にまたがり
潮からい道にすがって第五天までよじのぼって
そこで恋をしたのが間違いだった(「わが本生譚の試み」島そだち)
得たものは女同志のほとばしる血の鏡(「わが本生譚の試み」島そだち)
にも拘わらず真実の流氷が人間に見える(「わが本生譚の試み」島そだち)
女の唾であらゆる空をつぎあわせ
羊腸の未来を啜ろうとした(「わが本生譚の試み」島そだち)
かくてわたしの計画を水でふやけさせたが(「わが本生譚の試み」島そだち)
現在の槍はまっすぐな雨そのもの(「わが本生譚の試み」島そだち)
水がグツグツとわたしの管をゆさぶる(「わが本生譚の試み」島そだち)
これはまた日常ののどかわかせるリズムで(「わが本生譚の試み」島そだち)
船かくて船出して魚は煙にむせ(「わが本生譚の試み」島そだち)
泡が泡を生み北斗七星が(「わが本生譚の試み」中世生れ)
ゆらめく定着液に輝くおれの生毛と甲冑よ
女は舌を出したちまち呼び水にひっかかって(「わが本生譚の試み」中世生れ)
眠りをよそに血にじむ朝は健康じゃない
雨いよいよはげしく降りつのるとき(「わが本生譚の試み」中世生れ)
さすればおれたちは濡れ鼠の商人(「わが本生譚の試み」中世生れ)
Nezouの家では香水オバケが隠れんぼだし
夜は青い制服が空つきやぶって洪水だし (「わが本生譚の試み」鳥ノ子生れ)
死人が出るときは呼び水に
のどチンコまで吸わぶられちゃうし(「わが本生譚の試み」鳥ノ子生れ)
なべての夏の果実をふるわせてきた(「わが本生譚の試み」毛々生れ)
そのとたんぼくの全身が雪になって(「わが本生譚の試み」毛々生れ)
ウンカの如き毛で愛する人を窒息死させ
埋め尽くしてひとすじ小便のような川を流させるまでは(「わが本生譚の試み」毛々生れ)
あらゆる雨は遠く引いたが(「わが本生譚の試み」夢生れ)
水が音たてて流れて行き(「わが本生譚の試み」夢生れ)
はるかな水源から帰ってきた
人間の雨は嘔吐よりもなまぬるい(「わが本生譚の試み」夢生れ)
女運転士の月おくれの血が
おれの未来まで苦々しくうるませる(「わが本生譚の試み」夢生れ)
この掌からつながっている海におまえは
胴を切られ血しぶきが星をあらっている(「わが本生譚の試み」星生れの男)
おおこのはげしく汗臭をたらすアルコーヴに(「わが本生譚の試み」星生れの男)
おまえは虎らしい小便をしない(「わが本生譚の試み」星生れの男)
幾つめかの生体実験の隙間をつなぐ波立ちにつれて
せわしく波立つおまえの生皮の
あざやかな血紅のシグナル模様よ
眠りから覚めようとするその一滴のゼリー質の棘よ(「わが本生譚の試み」星生れの男)
宙づりの耳へうち寄せる呼び水の時に――(「わが本生譚の試み」星生れの男)
これら真空の通路を血びたしにするとそのとき(「わが本生譚の試み」星生れの男)
中世に生まれたときは朝な夕なに
ガソリンと定着液を絶やさなかった(「わが本生譚の試み」星生れの男)
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
▲PHEW『A NEW WORLD』(2015年、felicity)
天沢退二郎なら中島みゆきを合わせるのが筋なのかもしれませんが、PHEWの新譜『A NEW WORLD』から「終曲2015」を。
1980年に「終曲」を聴いていた自分は、35年たって「終曲2015」を聴いている自分を想像することはできませんでした。
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168. 1925年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏のおはなし』(2016年1月12日)
1925年に刊行された『The Tale Of Mr. Tootleoo』(トゥトロ氏のおはなし)の表紙です。表紙の円の部分は型押しになっていて、『MR TOOTLEOO AND THE COCKYOLLY BIRDS』(トゥトロ氏とコッコさん一家)と印されています。本来なら、この部分に合わせてまるく型抜きされたダストラッパーが付いているのですが、手もとにあるのは裸本です。 1920年代~1930年代イギリスに登場したプライヴェート・プレスの代表格のひとつノンサッチプレス(Nonesuch Press)が版元です。
Tootleooを「トトロ」と読めるなとも思うのですが、ここは「トゥトロ」としておきました。この絵本に登場するトゥトロ氏は、まるっこいですが勇敢な船乗り。南洋で遭難して鳥のコッコさん一家と会い、孤島にたどり着いて、魔法の力で家族になってしまうという、おはなしです。『もじゃもじゃペーター』やエドワード・リアの『ナンセンスの絵本』の系譜に連なる絵本です。22枚も多色刷りの絵が入っていて楽しい絵本だと思うのですが、翻訳はされていないようです。
夫がテキストを、妻が絵を描いた絵本です。
夫のバーナード・ダーウィン(Bernard Darwin, 1876-1961)は、ゴルフについての本で有名なようですが、個人的にゴルフとは無縁なので、ゴルフ以外の本しか知りません。進化論のチャールズ・ダーウィンのお孫さんのひとりです。『トゥトロ氏のおはなし』の文章は、弱強四歩格(Iambic tetrameter)で1行8音節、最後に押韻する二行連(couplet、カプレット)を基本にして書かれています。日本でいうと、七五調のようなものです。
妻のエリノア・ダーウィン(Elinor Mary Darwin, 1879~1954)が絵を描いています。アイルランドの出身で、ロンドンのスレイド美術学校に通い、W. B. イェイツ(William Butler Yeats, 1865~1939)周辺の人ともつながりがあって絵を提供していたようです。バーナード・ダーウィンの従妹グウェンドリン・ダーウィン(Gwendolen Darwin, グウェン・ラヴェラ Gwen Raverat, 1885~1957)に、木版画を手ほどきしたのもエリノアでした。
ということで、グウェン経由で、この絵本に出会いました。
▲『トゥトロ氏のおはなし』のタイトルページ
▲『トゥトロ氏のおはなし』のページから。鯨の上のトゥトロ氏と鳥のコッコさん一家。
▲『トゥトロ氏のおはなし』のページから。
天に浮いてしまったトゥトロ氏に、コッコさんが祖父から譲り受けた金の卵をカモメさんに届けてもらう。
▲『トゥトロ氏のおはなし』のページから。
金の卵から現れた妖精が、コッコさん一家を人間の姿に変えていく。
▲『トゥトロ氏のおはなし』のページから。
トゥトロ氏とコッコさんが結婚して、3人の息子と3人の娘もできて、めでたしめでたし。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
▲Maria Schneider Orchestra 『ALLÉGRESSE』(2000年, enja)
今聴いている音楽は、デヴィッド・ボウイの遺作になった『★』で、デヴィッド・ボウイとコラボしていたマリア・シュナイダー・オーケストラ、2000年のアルバム『ALLÉGRESSE』から「Hang Gliding」。飛翔する音楽。天翔る音楽です。
デヴィッド・ボウイの遺作を聴く日がくるとは、思いませんでした。ボウイについて何か書けるかなと考えたのですが、うまくまとまりません。
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167. 2016年1月1日の桜島
2016年の日の出。多賀山から桜島を望む。
日の出前。
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166. 1964年のミス・リード編『カントリー・バンチ』(2015年12月31日)
最近はメタル・ダンス・ユニットと紹介されることが多いようですが、BABYMETALを面白がっていたら、その出身母体である成長期限定ユニット、さくら学院も面白いと思うようになってしまい、日本のアイドルグループって、いろんな知恵がそそぎこまれている分野なのだなと感じます。
そのさくら学院の新しいミュージックビデオ「School Days -2015-」で、中学1年生の岡田愛が憧れの視線で英語の本を読んでいるという場面、いわば典型的な「もの思いにふける少女」の場面があったのですが、その場面で岡田愛が手にしている英語の本に見覚えがありました。
ミス・リード(Miss Read, 1913~2012)が編んだ田舎暮らしもののアンソロジー『Country Bunch』です。上の写真の本を岡田愛が手にしています。たぶん間違いないと思います。『Country Bunch』は、完結した短編を集めた作品集ではなく、ミス・リードの好きな作家や詩人たちが田舎の生活について書いたテキストからの抜粋で、150編ほどのテキストが収録されています。ミス・リードの本は、かつて角川文庫で出ていた『村の学校』を読んだ覚えはあるのですが、内容はすっかり忘れています。こうしたアンソロジーを拾い読みするのは好きで、なぜかこの本も手もとにありました。
エリナ・ファージョン(Eleanor Farjeon, 1881~1965)がエドワード・トマス(Edward Thomas, 1878~1917)について書いた文章なんかが選ばれている本です。
ミュージックビデオのなかで、岡田愛が手にしているのは、1963年のMichael Joseph社版の初版ではなく、1964年のCountry Book Club版です。
▲1964年のCountry Book Club版『Country Bunch』 のタイトルページ
Country Book Club版は、ダストラッパーのイラストがキャロル・バーカー(Carol Barker, 1938~ )。本文のイラストは、Michael Joseph社版と同じアンドリュー・ドッズ(Andrew Dodds, 1927~2004)。
アンドリューの息子ジェームス・ドッズ(James Dodds)がやっているJardine Pressの本も好きなのですが、それはまた別の話。
女の子が見知らぬ世界への想像を膨らませて英語の本を読んでいるという場面を設定する場合、そこに何の本を置くかというのは、思案のしどころです。例えば、ここでハリーポッターとかだったら、ちょっと興ざめです。 この場面で小道具としてミス・リードの本が選ばれたのは、たまたまかもしれませんが、なかなかの選択という気もします。
エリナ・ファージョンのエドワード・トマスへの思いは不器用の度が過ぎた片思いでした。岡田愛が、エリナ・ファージョンがエドワード・トマスについて書いた文章のページを開いているのだとすれば、それはそれで美しい夢の世界ではありませんか。
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165. 1924年のジェフリー・ケインズ『サー・トマス・ブラウン書誌』(2015年12月12日)
今は古い本のデジタル版をネット上で見ることができるようになって便利になりましたが、やはり実際に本を手に取ると、気持ちの高まりが違います。 本もまた官能的な存在です。
写真は、ジェフリー・ケインズ(Geoffrey Keynes, 1887~1982)が出した、サー・トマス・ブラウン(Sir Thomas Browne, 1605~1681)の書誌、『A BIBLIOGRAPHY OF SIR THOMAS BROWNE』(Cambridge, 1924)です。ジェフリー・ケインズは職業欄的には外科医ですが、ジョン・ダン(John Donne, 1572~1631)やウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757~1827)の書誌研究で知られています。経済学者ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes, 1883~1946)の弟さんです。
これは図書館からの放出品で、ダストラッパーもなく、剥がし痕があったり図書館印が押されていたりして状態は良くありませんが、ウォルター・ルイス(Walter Lewis, 1878~1960)がユニヴァーシティ・プリンターだったときの版で、図版印刷はエメリ・ウォーカー(Emery Walker, 1851~1933)、さらにはグウェン・ラヴェラ(Gwen Raverat, 1885~1957)の木版画まで入っているということで、個人的には、おいしいところがいっぱいの本です。
▲口絵とタイトルページ
口絵は、17世紀に描かれたとされるブラウン夫妻像。図版製版はエメリ・ウォーカー。
▲500部限定。発行部数は少ないですが、残って、しかも入手しやすいタイプの本です。1968年に改訂版が出ています。
▲グウェン・ラヴェラの木版
『サー・トマス・ブラウン書誌』としては唐突にも思えるのですが、タイトルページの後にグウェン・ラヴェラの木版画が入っています。
前書きには「6ページの木版画は、芸術家G.ラヴェラ夫人からの贈り物です。(The woodcut on p. vi is the gift of the artist, Mme G. Raverat.)」とありますが、この書誌にとって、いわば、なくても全く問題のない図版です。 ただこの木版画があることで、この『サー・トマス・ブラウン書誌』に、20世紀のはじめに確かに存在した、顔を持った人の気配が立ち上ります。
グウェン・ラヴェラは、進化論のチャールズ・ダーウィンの孫になります。 グウェンの妹マーガレットは、ジェフリー・ケインズと結婚していて、その関係で、グウェンの木版画を入れたということだけなのかもしれませんが、この個所だけ『サー・トマス・ブラウン書誌』に別の物語が陥入しているようで、ちょっとざわざわします。
Joanna Selborne and Lindsay Newmanの『Gwen Raverat: wood engraver』(The British Library and Oak Knoll Press, 2003)によれば、この木版は1924年の作でなく、1910年の作とされています。「Sir Thomas Browne, 1」と「Sir Thomas Browne, 2 / Death & the Philosopher」と2作品あって、さらに「2」には、「State 1」と「State 2」の版があって、右上の窓に星があるのが、「State 2」となっています。
『サー・トマス・ブラウン書誌』に使われているのは、
「死と哲学者(Death & the Philosopher)」 と題された「State 2」です。机に向かう書き手の背後から骸骨が右手を添えて、書き手のペンを動かし、骸骨の左手は灯りを掲げています。死者の力によって書き進められたテキストということを示しているのでしょうか。 もしかしたら、サー・トマス・ブラウンにまつわる挿話や、あるいは図像学的な由来があるのかもしれませんが、今のところはっきりしません。
▲プリンターズマーク
ウォルター・ルイスとスタンリー・モリソン(Stanley Morison, 1889~1967)が組んでいた時期の印刷物を手に取るとわくわくします。
ウォルター・ルイスは、1923年から1945年までThe University Printerとしてユニヴァーシティ・プレスの印刷部門の長となります。ですから、この書誌は、ウォルター・ルイスの初期の印刷物ということになります。 スタンリー・モリソンが正式に「typographic adviser」になるは1925年からです。
本文書体がカズロン(Caslon)というところは、まだ前世代的なのかもしれません。 1924年版『サー・トマス・ブラウン書誌』では、モノタイプ社が1915年に再刻したカズロン書体が使われています。
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164. 1975年のAllen Toussaint 『Southern Nights』(2015年11月16日)
11月10日、ニューオリンズのミュージシャン・プロデューサーのアラン・トゥーサン(Allen Toussaint)が、スペインのマドリードでのコンサート直後、心臓発作で亡くなったというニュースがありました。1938年1月14日~2015年11月9日。77歳。舞台の上で亡くなったようなものですから大往生です。
いちばん活躍した1960年代・70年代に聴いていたというより、80年代に後追いで聴いたくちです。この『サザン・ナイツ』のLPも1975年盤ではなく、1985年に英EDSELから再発されたもの。そのころいちばん聴いていたかもしれません。絵に描いたような「南」の音楽です。「南」で生まれた人間ですから肌が合います。
アラン・トゥーサンが亡くなったというニュースを聴いてから、レコードやCDを引っ張りだして、頭の中もアラン・トゥーサンの曲ばかり流すラジオ局のようになっています。
▲Allen Toussaint『Southern Nights』の1985年EDSEL盤のレーベルB面
Produced by Allen Toussaint And Marshall Sehorn
オリジナル盤は、Warner Bros. Records 傘下のReprise Record。
アラン・トゥーサンがマーシャル・シホーンとともにニューオリンズに1973年に作ったSea-Saint Recording Studioでの録音。
ボニー・レイットがカヴァーした「What Do You Want The Boy To Do」も好きでした。そちらを先に聴いていました。
アレン・トゥーサンのバンドといえば、ミーターズ(The Meters)です。
▲ミーターズのファーストアルバム 『LOOK-KA PY PY』(1969年、JOSIE 4011)
Produced by Marshall E.Sehorn And Allen R.Toussaint
Recorded at Le Ferve Sound Studio, Atlanta
▲1974年のミーターズのアルバム『Rejuvenation』(Warner Bros. Records 傘下のReprise Records)
80年代再発の欧州盤。
西駅近く、都通にあったレコード屋さんで購入したような気がします。
Produced by Allen Toussaint And The Meters
Sea-Saint Recording Studioでの録音。
B面1曲目の「Hey Pocky A-Way」に気持ちも高まります。
▲1978年Allen Toussaint『MOTION』(1970年代のWarner時代最後のアルバム)
Produced by Jerry Wexler
Recorded at Cherokee Recording Stuido, Hollywood
Vocals Recorded at Sea-Saint Recording Studio, New Orleans
ヴォーカル以外はハリウッド録音なのでよそゆき感はありますが、アラン・トゥーサンは耳に残るメロディを作る達人です。
B面3曲目の「With You In Mind」の
Like a flower drinking from the falling rain
Or the same rain that could wash it away
の部分が頭の中でリピートしています。雨を含んで咲く花のように、でもその雨が花を洗い流すこともある、といった感じでしょうか。
▲1970年代のワーナー時代の音源をまとめた2枚組CD、Allen Toussaint『The Complete Warner Recordings』
2003年のRhino Handmade盤。よくできたCDです。
▲2013年に出たライヴアルバム『Allen Toussaint SONGBOOK』(Rounder Records)
2009年のニューヨークのJoe’s Pubでのピアノ弾き語りのライヴ録音。
Produced by Paul Siegel
Video Directed & Edited by Gregory McKean
アラン・トゥーサンの音楽に、にぎやかなお葬式のような気分でいたら、パリのバタクラン劇場で銃撃があったというニュースで、ご陽気な葬列の気分がしゅんとしぼんでしまいました。
1972年1月29日、バタクラン劇場にルー・リード、ジョン・ケール、ニコがそろったときの音源があります。録音には、場所の記憶を瞬間冷凍して保存するようなところがありますが、バタクラン(Bataclan)という場所の記憶は、取り返しが付かないほど傷つけられてしまいました。
Lou Reed, John Cale & Nico 『Le Bataclan '72』(2003年、Alchemy Entertainment)
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163. 1968年の松下竜一『豆腐屋の四季』(2015年11月11日)
古本屋さんで見つけて、思いがけずうれしかった本です。
松下竜一(1937~2004)が、大分で自費出版した『豆腐屋の四季』です。
『豆腐屋の四季』奥付
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162. 1963年の天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』(2015年11月10日)
1963年に刊行された天沢退二郎の第3詩集。
新芸術社版ペーパーバックス・叢書・現代詩の新鋭・第1集の6巻。 タイプオフセット印刷です。
冒頭に「大岡信に」とあり、解説は入沢康夫です。
表紙について「飾絵 星・反芻学 加納光於」とあります。
新芸術社からは、評論集『詩はどのようにして可能か』の刊行も予定されていましたが、日の目を見ず、散文集としては1968年京都の洛神書房から出た天沢退二郎評論集『紙の鏡』が第1評論集になります。
▲『夜中から朝まで』奥付
▲新芸術社版ペーパーバックス・叢書・現代詩の新鋭の案内
天沢退二郎の詩集の装幀には、現代美術への窓口のようなところがありました。
個人的な印象ですが、加納光於の作品が本の装幀に使われていると、1970年代の空気感が浮かび上がってきます。
手もとにあるもので、加納光於の作品が表紙に使われた中央公論社の文芸誌 『海』の1970年1月号から12月号までの表紙を並べてみます。
蓮實重彦の『反日本語論』(1977年、筑摩書房)に「S/Zの悲劇」というエッセイがあって、野坂昭如の『俺はNOSAKAだ』について語られているのですが、この『海』の表紙を見て、『俺はNOSAKAだ』が取り上げられたのは、蓮實重彦の作品が掲載された『海』に、『俺はNOSAKAだ』も掲載されていたからではと思ったりしたのを思い出しました。
『海』は1969年に創刊。1969年の表紙構成は田中一光で、題字の「海」の字に川端康成・岡本太郎・渡辺一夫・棟方志功・勅使河原蒼風・中川一政・アンガス・ウィルソンのものが使われています。1970年になると、表紙は加納光於、表紙構成は田中一光。1971年の表紙作品は中西夏之でしたが、1972年からはがらりと変わって、平山郁夫の表紙になって、それが終刊まで続きました。
『海』は海外文学の特集が面白い雑誌だったので、ときどき買っていました。平山郁夫の表紙は青いということでは統一がとれていました。加納光於や中西夏之が表紙のころのものは古本屋さんで買ったくちです。
今年6月、馬場駿吉『加納光於とともに』という本が出ました。その「あとがき」に、「加納光於の作品、そして人との出会いは一九六〇年代初頭に遡り、親交は半世紀を超えた。最初に遭遇したのは《星・反芻学》という不思議なタイトルを持つモノクロームの版画作品群――」とありました。天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』の表紙とも結びつきます。
▲馬場駿吉『加納光於とともに』(2015年、書肆山田)
今年の7月NHK・Eテレの『日曜美術館』で与謝蕪村の俳句と西洋美術作品を組み合わせてみるという企画があって、そのゲストの一人として馬場駿吉さんが出演されていました。自己紹介でポケットから三木富雄の『耳』を取り出したのはお茶目でしたが、思ったほど受けていなかったのはご愛嬌でした。でも、ポケットにいろいろ不思議なものが詰まっているというのは理想的です。
▲北川健次『美の侵犯』(2014年6月、求龍堂)
その『日曜美術館』の企画のもとになった本です。ジャンルや国も異なる西洋美術作品に与謝蕪村の句を添えることで生まれる感興を楽しむ本です。蕪村の句に異文化の絵画作品とも結び合う普遍性があるということでしょうか。その組み合わせは、解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いではなく、美術作品と句が持つそれぞれの世界を補強し合うような出会いになっています。
とはいえ、『美の侵犯』というタイトルからして怖そうです。「序」で「北川健次 識」と、本名の下に「識」を入れるような美意識で通しています。「款識」という言葉があって、款が凸刻(陽文)、識が凹刻(陰文)を意味しているそうなので、銅版画家・北川健次を表す「識」なのかもしれませんが、蕪村の俳句を使った見立てということであれば、本名でなく雅号で「識」としたほうが、野暮ったくなく洒落に落ち着いたような気もしますが、洒落になるのを嫌ったのかもしれません。
蕪村といえば、仙波清彦のソロアルバム『BUSON』(1988年、キング)は、与謝蕪村の俳句をモチーフにしたCDでした。その中で小川美潮が歌う「狸」のようなほのぼのした組み合わせは『美の侵犯』では取り上げられていません。蕪村もいろいろです。
蕪村の句が西洋言語に翻訳された場合、『美の侵犯』の見立てはどうなるのだろうかと思いました。松尾芭蕉の『奥の細道』の英訳『The Narrow Road to the Deep North』はペンギンクラシックにも収録されて「詩」と「紀行」を組み合わせた古典として高い評価を受けて版を重ねていますが、蕪村の場合、まだ決定的な翻訳本がないような状態で、まだ国外では発見されていないようです。これから発見されるのでしょうか。
* * * * *
話を天沢退二郎の詩に戻して、水遊びの続きです。メモがわりに、『夜中から朝まで』から「水」とむすびつく詩句を切り貼りしてみました。もちろん網羅的なものではありませんし、選択は恣意的です。
■『夜中から朝まで』水づくし 1961~1962
そのとき女の小指は雨の電車に轢きつぶされ爪のさきから黄色い花をほとばしらせたので(「夜の旅」)
砕けるスワンの眼玉の汁を恋しい人間たちに飲ませよう(「夜の旅」)
ひきつけては細い海水を落す沿道の(「夜の旅」)
おれは放尿しなかった(「夜の旅」)
鮮血のアジアがひらくだろうと(「夜の旅」)
コーヒーがほとばしる空のドラム罐の下を(「夜の旅」)
夜の水に傷口をひたしてはいけないの?
苦しいわ河底の街が削られて
ねえどうして水は夢を沈めないのかしら(「夜の旅」)
朝は希薄な血を唄わせ(「夜の旅」)
ぼくは重い雨条をすかして
狂いまわる他人たちの文字を読むのだ(「夜の旅」)
ひとすじの僧侶の列となって泳ぎだし(「夜の旅」)
部屋中に桃色の汁があふれるまで(「夜の旅」)
人食いの港になったといって女は笑いころげ(「夜の旅」)
5万人分の血があたしのなかでタプタプ揺れてるわよ(「夜の旅」)
ぼくの胃で駅々は血しぶきにぬれ(「夜の旅」)
血を奪われた雲には
もうあらゆる動く窓が彫りつけられた(「旅の夜明けに」)
吹きあがってくる蒸気と忍び笑いに(「旅の夜明けに」)
その足もとに寝そべる果物から
水はやさしくながれつづけた(「旅の夜明けに」)
はるか下の街からせきあげる血のなかに
きみの肉はかたまっていくだろう(「旅の夜明けに」)
水はおれをこするのか(「首吊りの時代」)
かわいい男によじれた豚のまっかな孔の汁をのませろ(「夜中から朝まで」)
流れない桃色の河で目を貼りつけてやれ(「夜中から朝まで」)
泥と油のういてる風を
泳いで女たちは笑いつづける(「夜中から朝まで」)
若やいだ下水の胸に踊るよねえ
ねばつく虹が青い街をくわえこむねえ(「夜中から朝まで」)
街々はなまなましい砂にむせて涙をこぼす(「夜中から朝まで」)
海のレールで街を車刑しろ(「夜中から朝まで」)
滴る大粒の首のゼリーがわめいた
板ガラスの中でマリアの毛はうるんだ(「夜中から朝まで」)
透った敷石のすきまに死んだ女の唾をさぐる(「ソドム」)
狂喜して血の糞を空いちめんに放つだろう(「ソドム」)
そりかえってあるたけの温い水を吐いた(「ソドム」)
回転する銃身の希薄なソースを吐き戻す者は死刑
海でめざめる者は死刑
胃から下を失って黒い坂をすべもの死刑
いきなり鼻血出して突き刺さる者は死刑(「死刑執行官」)
夜を嚥下し唾で空をつくる者死刑(「死刑執行官」)
歯のあいだの感光しおえた汁をそそがれ(「死刑執行官」)
牛乳屋の指はむなしくめぐり(「死刑執行官」)
そのものと化しはてた女性的なガソリンたち
空の青さは血の通った刃を垂らし(「死刑執行官」)
かたい雨が耳を叩き(「CONDITION」)
眼たちは窓枠にそってたえず流れる日(「CONDITION」)
ガラス様の汁をしきりに滴らしながら(「CONDITION」)
暗い星々の海のテラスをじっと見る(「長いはじまり」)
眼をキラキラと刺す宙吊りの河だけ(「長いはじまり」)
なでまわす海で串刺しにされ(「長いはじまり」)
そのときからは河は眼のことばを失い(「長いはじまり」)
黒っぽい肉の湯気たてる道(「長いはじまり」)
砂まみれのよだれを引きのばし
首のながすぎる少女のチラと裂けた海面に(「樽きちがい」)
島宇宙のねばねばした痰にかためられ(「樽きちがい」)
水よりみじめな指をして舟を走らせる小僧の器から眩ゆい声が流れ出し(「街々」)
どぶ川を傷つけて去った星の祭(「街々」)
研ぎすまされた水の飛ぶ学校がものすごく欲情的なベルを鳴らす(「街々」)
ぽつりと落ちた血のあとを中心にゆっくりと男はまわる。(「反細胞(パレード)」)
頭のあたりは半透明に液化してゆるゆる漂いだし(「反細胞(パレード)」)
星たちは宙をとびめぐって時に街々へ褐色の液体を放射するが街路のしめったきしめきは高まるのでもなく(「反細胞(パレード)」)
窓々から白い肉の剥片がはげしく降りそそぐ中を――そのなま臭いふぶきは少しずつ赤みを加えながらついに全く視界をさえぎるが このとき 初めから閉ざされることのなかった〈眼〉はにわかに街々をはてしなく深い河の中へひきしぼる。(「反細胞(パレード)」)
保険はそっくり血まみれベイビーに(「可愛いベイビー」)
マカロニが血をふりしぼって叫ぶ(「可愛いベイビー」)
黒い堤防の月にささやかな血のりを
ぬりたくって風は低く唇を湿した(「三つの声」)
その跡をぼくはていねいに唾でなぞった
四方から雲がせばまってくる(「三つの声」)
白い男たちが最初吐きだした水はたちまち
壁をめぐる軽い河をおしのけ(「三つの声」)
河の中の卵喰い僧侶だけ(「三つの声」)
海藻にまみれながらその腹を切開いて
周縁部のちぎれた潮からい映画を見たのだ(「三つの声」)
めいめいの唾の力をたしかめるだろう(「三つの声」)
白い男たちの粘性はぼくを上まわるだろうか(「三つの声」)
更におれは存分に唾を眼玉にぬりつけて膝を深く曲げたまま宙を歩いてみる(「三つの声」)
空たちの隙間とはいえば白い男たちの不透明なことばと唾がぎっしりだ はげしくガソリンを噴きながら少女がひとり逃げてくる 彼女のために唾で道を描くおれの指は砂にかぶれて頭上にゆれるばかり 水とコップの境界のドアのない部屋を少女の虹がリズミカルに喰いちぎるのをおれはじっと見る(「三つの声」)
鳥たちのけちらす氷片の波状攻撃が地平の隔膜に絵をうつすのも砂の下で翔びつづけている白い男たちの虚空がおれの唾とはんのうしあある証拠ではないのか(「三つの声」)
冷たく汗ばんだブラインドがわずかに上った(「三つの声」)
血のついた毛をつかみ出しさらに(「三つの声」)
釘が黒く降りだした(「弾機(バネ)なしラプソディー」)
行くのは顔のない青入道
ではないか降れ降れシミよ(「弾機(バネ)なしラプソディー」)
ながれる水のうすい顔は(「弾機(バネ)なしラプソディー」)
港の塵芥槽からざらざらの月が
ねばつく女生徒のスクリーンへこぼれた(「日常」)
汗のにじむ街からぼくはぼくの
声の傷口を見つめた(「日常」)
こわばった河がその舌をさぐる
その河よりもこわばって
ぼくらの円環は朝を迎えるのだ(「日常」)
白ちゃけた穴の中へみるみる流れこんでいく
血のけのない声のぬるさ(「日常」)
綱はぼくを結わえたまま
次の港町へと河を越える(「日常」)
弓なりにせりあがる膜状の町を
ゆっくりと白い水が流れている(「水」―オルフェの六月)
ただ白い水が今もおれを洗っている(「水」―オルフェの六月)
血のこびりついた毛の間から
また少し白い水がこぼれる
あんたたちの足をぬらすため(「水」―オルフェの六月)
はねまわるホースも泡まじりの汗をちょっぴり塗るだけ
シミだらけの舌で教授は泣きながら家をみがく(「発声練習」)
雨はみじかくブリキの窓をぬらした(「発声練習」)
はぎとりそこねたなま皮はたっぷり白い汁を吸って(「発声練習」)
誰かあの河ぶちの寺まで教授のKを蹴りとばしてやれ(「発声練習」)
やわらかな壁はぬれてひかり
すさまじい唇にちいさな血の子どがひしめいて
だがおれは液体をかぶだけのことさ(「ECLIPSE」)
なまぐさいコーヒーを男たちの顔いちめんに(「ECLIPSE」)
その病院というのが空気より重く水より軽い(「胎内」)
すばやく男は泡をすすりこんだ(「胎内」)
あたしが流し出すコーヒーは(「胎内」)
他人の上半身は水中で互いに交換されるものよ(「胎内」)
でもあたしがほしいのは巨きな液体の球なのよ(「胎内」)
その血膜にはげしくうごめいた見知らぬ町(「胎内」)
なんというざまだ自分の死が
ケツの穴からずるずる逃げていくのがわからないのか(「胎内」)
かろうじて血のあとに置かれている(「胎内」)
あたしの唾はつむぐにはつよすぎる(「胎内」)
あんたのペンは街々にどんな汚水をうねらせたの?(「胎内」)
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161. 1984年の品川力『本豪落第横丁』(2015年10月1日)
東京は本郷落第横丁の古書店ペリカン書房の名物店主だった品川力(しながわつとむ、1904~2006)は、『書物巡礼』(1981年、青英舎)と『本豪落第横丁』(1984年、青英舎)の2冊の書物随筆を残しています。装幀は2冊とも品川力の弟で版画家の品川工(1908~2009)が手がけています。
その『本豪落第横丁』に収録された最初のエッセイのタイトルは「書物に索引を付けない奴は死刑にせよ」。インパクト大でした。そのエッセイの冒頭で 、
「物騒な題目を掲げたが、いつだったか私の尊敬する英文学者の升本匡彦氏と索引の話をしていた折に、升本氏からバーナード・ショーの言葉だといって教えていただいた言葉である。」と説明しています。『日本におけるバーナード・ショー文献目録』の著者升本匡彦から教わった言葉ということなのですが、ショーがどこで言ったか、その出典までは書いてありません。
20世紀初頭にロンドンのGEORGE ALLENから出たラスキン全集(THE WORKS OF JOHN RUSKIN)38巻に、アレクサンダー・ウェッダーバーン(ALEXANDER WEDDERBURN)とともに689ページもの大索引(ラスキン全集39巻)を作成したエドワード・クック(Edward Cook、1857~1919)という人がいます。その人が『文学の気晴らし(Literary Recreations)』(1918年、MACMILLAN)という書物随筆集を出していて、その中の「索引のわざ(The Art of Indexing)」というエッセイに、次のような一節がありました。
「Carlyle is credited with the saying that a publisher who issues a book without an index should be hanged.(試訳:「索引のない本を出す版元は絞首刑にすべきだ」という発言はカーライルのものと言われています。)」
品川力では「奴」「死刑」で、エドワード・クックではもう少し絞られて「版元」「絞首刑」となっていますが、同じ起源を持つ言葉でしょう。要は、「索引」のない本は屑だと。どうやらバーナード・ショー(George Bernard Shaw、1856~1950)の発言ではなく、トーマス・カーライル(Thomas Carlyle、1795~1881)の発言のようです。
確かに「書物に索引を付けない奴は死刑にせよ」という発言は、バーナード・ショーが言いそう言葉ではありますが、トーマス・カーライルも言いそうです。ショーもカーライルもいずれも毒舌で、そういう発言があればいかにも納得ではありますが、なぜか、カーライルのほうも出典は明らかではありません。書き残しまではしないが、口では言う伝聞レベルの言葉だったということなのでしょうか。もしかしたら、カーライル以前にさかのぼることができる言葉なのかもしれません。
▲『本豪落第横丁』品川力のタイピングによるエドガー・アラン・ポー像。
▲ 品川力『古書巡礼』カヴァー(1982年、青英舎)
▲ 品川力『古書巡礼』表紙(1982年、青英舎)
▲ 品川力『古書巡礼』(1991年ペーパーバック版、青英舎)
▲織田作之助『五代友厚』(1956年、現代社の現代新書版)
9月28日からはじまったNHKの朝ドラ『あさが来た』に、五代才助(友厚)が登場していました。
品川力のプロフィールに「太宰治の「ダス・ゲマイネ」の中のペリカンと噂され、織田作之助の友。精緻な読書人書誌人であり、無類の自転車愛好家。」とあるのですが、その品川力の友人・織田作之助に五代友厚を主人公にした長編小説があります。五代が薩摩藩英国留学生を引き連れて旅立つところで終わる青春編の『五代友厚』(初版は戦争中の1942年、日進社)と続編の『大阪の指導者』(初版1943年、錦城出版社)です。どちらかというと珍品の部類にはいる小説ですが、朝ドラでディーン・フジオカ演じる五代友厚の人気が出れば、織田作之助も『夫婦善哉』で根強い人気のある作家ですから、『五代友厚』と『大阪の指導者』もあわせて復刊されるかもしれません。