●my favorite things 111-120
my favorite things 111(2013年6月15日)から120(2013年9月30日)までの分です。 【最新ページへ戻る】
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111. 1887年のローレンス・オリファント『ファッショナブルな哲学』(2013年6月15日)
112. 1958年のエリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス』(2013年6月26日)
113. 1976年の『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』(2013年7月4日)
114. 1972年の島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(2013年7月14日)
115. 1985年の『さようなら、ギャングたち』(2013年7月31日)
116. 1905年のゴードン・ボトムレイ『夏至の前夜』(2013年9月9日)
117. 1953年のゴードン・ボトムレイ『詩と劇』(2013年9月10日)
118. 1984年のガイ・ダヴェンポート『「りんごとなし」とその他の短編』(2013年9月12日)
119. 1937年のアーサー・ウェイリー訳『歌の本』(2013年9月22日)
120. 2004年の『妄想フルクサス』(2013年9月30日)
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120. 2004年の『妄想フルクサス』(2013年9月30日)
大友良英が音楽を担当するということで,毎回欠かさず見てきたNHKドラマ『あまちゃん』が,2013年9月28日土曜日に最終回を迎えて,ハードディスクの録画をBlu-rayに焼き終えたら,すっかり気が抜けました。
『あまちゃん』は音楽ドラマでもあったので,過剰なほどの音楽ヴァリエーションを聴くだけでも楽しかったですが,日常の座付き音楽家のように,それが毎日当たり前のようにあった日々は,終わってしまいました。
写真は,大友良英も関わっていた「歌もの」のアルバムということで,2004年の『妄想フルクサス』です。この箱が出たのは2004年ですが,付録のキッチンドリンカーズCDは1990年代後半の録音で,もしかしたら20世紀に置いてけぼりでお蔵入りするところだったのかもしれません。ジョン・ゾーンCOBRAの1部隊のような編成というか,1990年代に大友良英を中心に活動していたバンドGround-Zeroの後期メンバー中心で録音されたものもあるので,Ground-Zeroのスピンオフのようでもあります。
キッチンドリンカーズは,
Tanaka Yumiko (田中悠美子:太棹三味線,ヴォーカルほか)
Mihashi Mikako (三橋美香子:ヴォーカル)
の2人が1995年に結成したデュオです。自由すぎて,笑えて,恐ろしい,とぼけたデュオです。台所の酔人の歌です。大人の遊びです。数年に1度,思い出したようにライブをしていて,今年も6月に「ピンク・風呂いいど!」という良い加減なサブタイトルでやっていたようです。終わったあとで,やっていたことに気づきました。次回は2年後の2015年,結成20周年を祝う予定だそうです。田中悠美子は,2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』に,白拍子の1人として登場していました。神出鬼没です。
2004年の『妄想フルクサス』は,成り立ちが少しややこしいボックスです。音楽の治外法権的なキッチンドリンカーズの録音は,「商品」として流通しがたく,《キッチンドリンカーズ(三橋美香子 田中悠美子)と特殊漫画家根本敬の「なんじゃこりぁ?」コラボレーション》というかたちで,根本敬のアートボックスにキッチンドリンカーズの「販売促進品」CD2枚を「特別付録」としておまけしたというていで,限定150部,3000円~3300円で流通していました。根本敬の「村田藤吉+フルサクス÷2=妄想」世界に,キッチンドリンカーズの歌が寄り添う,文字通りの「珍品」になっています。探し甲斐があります。
ボックスには,次のようなものが収められていました。
■特殊漫画家根本敬氏描き下ろし,コラージュ6作品
■お楽しみバッチ(根本画2つ)
■お楽しみフィギュア
■お楽しみキッチンおみくじ(初回限定)
■キッチンドリンカーズ妄想ブロマイド3枚
■特別付録『実録キッチンドリンカーズ』CD2枚組(ライブ総集編)
▲『妄想フルクサス』ケース裏面
特別付録『実録キッチンドリンカーズ』は,『赤盤(Red record)』・『紫盤(purple record)』の2枚に分かれ,『紫盤』はライブ音源,『赤盤』はスタジオ音源のようです。いずれも1990年代後半の録音と思われます。参加ミュージシャンは明記されていますが,曲目や録音時期のクレジットはありません。
こういう場合「販売促進品」CDはCD-Rだったりするのですが,ちゃんとプレスされた盤です。CD盤自体は,まだあり余っているという話がありました。曲目を掲載したものかどうか迷うところですが,大人の遊びに野暮はなしということで,おおざっぱな内容は次のようなものです。ただし使われている曲の引用などをすべて網羅したリストではありませんので,あくまで参考まで。
▲『妄想フルクサス』販売促進品CD「紫盤」
収録曲
01. 同期の桜/ワシントン・ポスト・マーチ/明治一代女/ジェッディン・デデン(Ceddin Deden)/おもちゃのマーチ/日の丸の旗
02. We Will Rock You
03. ベートーヴェン交響曲第5番/都々逸「逢いたがらせるあなたが無理か逢いたがる私がわがままか」「見返り見返るもしやともしや朧月夜のすれちがい」
04. 狙いうち
05. 加東自動車教習所
06. Bicycle Race/朝の出がけ
07. 会津磐梯山
08. 赤い靴
09. ゴールドフィンガー(Goldfinger)
10. 黄金虫/カルミナブラーナ(Carmina Burana)
11. アナーキー・イン・ザ・UK
12. セックス・マシーン/オッペケペー節
13. 海ゆかば
キッチンドリンカーズ
Tanaka Yumiko (田中悠美子:太棹三味線,ヴォーカルほか)
Mihashi Mikako (三橋美香子:ヴォーカル)
『紫盤(purple record)』参加ミュージシャン
Uemura Masahiro (植村昌弘)all songs
Uchihasi Kazuhisa (内橋和久)2,6,7,8,11,13
Otomo Yoshihide (大友良英)all songs
Kikuchi Naruyoshi (菊地成孔)1,3,4,5,9,10,12
『妄想フルクサス』の帯には「特別付録『実録キッチンドリンカーズ』CD2枚組(ライブ総集編)」とありますが,『紫盤』には,拍手やMCは一切なく,スタジオ録音のようです。[★2014年1月30日追記:紫盤もライブ音源だそうです。ああ,キッチンドリンカーズのスタジオ盤が聴きたい!!]
英国のロックバンド,クイーンの「We Will Rock You」「Bicycle Race」を演っています。イタコが歌っているようなクイーンです。『あまちゃん』の登場人物,花巻さんのレパートリー「レディオ・ガガ」を演っていたら『あまちゃん』的にはおいしかったのですが。
▲『GROUND-ZERO “plays Standards”』(1997年,DIW)のCDジャケット
キッチンドリンカーズ「紫盤」は,『GROUND-ZERO “plays Standards”』(1997年)とほぼ同時期に録音されたものかと思われます。GROUND-ZERO が「ウルトラQ」「悲しき天使」「アカシアの雨がやむとき」「見上げてごらん,夜の星を」といったスタンダードを解体演奏した“plays Standards”にも,「ワシントン・ポスト・マーチ+日本解散」というロートレアモンの解剖台の上でミシンと雨傘が出会ったような曲があって,そうした曲構成は,Aという曲とBという曲を無理から縫い合わせるパッチワークを得意とするキッチンドリンカーズとも共通しています。「紫盤」の参加ミュージシャンも,松原幸子(Sachiko M)とナスノミツル,芳垣安洋らは参加していませんが,大友良英・菊地成孔・植村昌弘・内橋和久と後期GROUND-ZEROメンバーがバックにそろっていて,豪華です。
▲『妄想フルクサス』販売促進品CD「赤盤」
収録曲
01. 【口上】ミファソラシド
02. ウィッチ・ドクター(妖術師)
03. 007のテーマ
04. 【口上】木工用ボンドガール/大木ボンドガール
05. 燃えよドラゴン
06. 【口上】早口言葉・生麦生米生卵
07. 移民の歌/伊勢佐木町ブルース
08. 菊正宗(初めての街で)
09. 「ジェッディン・デデン(Ceddin Deden)」(祖父も父も)/おもちゃのマーチ
10. ? (タイトル不明:好き好き一噌さん)
11. テキーラ/太陽の彼方/ソーラン渡り鳥/若鷲の歌
12. バッハのロンド「管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV1067」
13. セックス・マシーン/オッペケペー節/ボヘミアン・ラプソディ
14. ?(タイトル不明:速弾き/早引け)
15. 雨(雨がふります)
16. 孫/ブルグミュラーのアラベスク
17. ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ
18. 初めての出来事
19. 加東自動車教習所
20. アナーキー・イン・ザ・UK
21. 【口上】続行不能
22. 黒田節/人生劇場/同期の桜
23. ケセラセラ
24. セックス・マシーン/オッペケペー節
キッチンドリンカーズ
Tanaka Yumiko (田中悠美子:三味線,ヴォーカルほか)
Mihashi Mikako (三橋美香子:ヴォーカル)
赤盤(Red record)参加ミュージシャン
Isso Yukihiro (一噌幸弘:篠笛)2,3,5,6,7,9,10,11,12,13,14,16,17,18,19,20,22,23,24
Ota Keisuke (太田恵資:ヴァイオリン)2,3,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,16,17,18,19,20,21
Shimizu Kazuto (清水一登)22,23,24
Senba Kiyohiko (仙波清彦:パーカッション)22,23,24
Takei Makoto (竹井誠:尺八)22,23,24
Yagi Michiyo (八木美知依:箏)3,11,12,15,17,20
Yoshimi Masaki (吉見征樹:タブラ)2,3,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20, 4,21=MC
「赤盤」は,まごうことなきライブ盤。MCで「戦後50年」と言っているので,1995年よりは後のライブです。はにわオールスターズ的な豪華なメンバーです。曲目を見るだけでもアナーキーです。
▲『妄想フルクサス』特殊漫画家根本敬氏描き下ろし,コラージュ6作品
▲『妄想フルクサス』お楽しみバッチ(根本画等2つ)
▲『妄想フルクサス』お楽しみフィギュア
▲『妄想フルクサス』キッチンドリンカーズ妄想ブロマイド3枚
▲『妄想フルクサス』お楽しみキッチンおみくじ(初回限定)
大吉です。しかし,大吉というと,どうしても『あまちゃん』の登場人物を思い出してしまいます。
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119. 1937年のアーサー・ウェイリー訳『歌の本』(2013年9月22日)
アーサー・ウェイリー(Arthur Waley,1889~1966)が,中国最古の詩集『詩経』の現存する詩を翻訳したものです。『The BOOK of SONGS(歌の本)』という簡潔なタイトルが決まっています。上の写真は1954年George Allen and Unwin版の「SECOND IMPRESSION(第2刷)」のものです。
FRANCIS A JOHNSのアーサー・ウェイリー書誌によると,1937年の初版は,英国のGeorge Allen and Unwin版が1250部,米国のHoughton Mifflin版が1250部印刷されており,1954年第2刷は,英国版が2050部印刷されています。
『詩経』の翻訳に関しては,アメリカの詩人エズラ・パウンド(Ezra Pound,1885~1972)が,第1次世界大戦中の1915年に出版した中国詩翻訳詩集『キャセイ(CATHAY)』の冒頭に,「Song of the Bowmen of Shu(周の弓手のうた)」という題で掲載したことが有名です。『詩経』の「采薇(さ薇を采りに采る)」という詩の翻訳です。パウンドと日本や中国の文学との関わりは,ロンドンに客死したアーネスト・フェノロサ(Ernest Fenollosa,1853~1908)が東洋文学研究のため準備していた資料を,1913年,メアリ・フェノロサ(Mary Fenollosa,1865~1954)から委託されたことに始まります。この継承から,詩人パウンドという大きな芽が育ったともいえます。
前回,紹介したガイ・ダヴェンポート(Guy Davenport,1927~2005)の『「りんごとなし」とその他の短編』の冒頭には,「The Bowmen of Shu(周の弓手)」という短編作品が収録されています。
「Song of the Bowmen of Shu(周の弓手のうた)」を翻訳したエズラ・パウンドが,この翻訳詩を,第1次世界大戦中,最前線に従軍していた彫刻家アンリ・ゴーディエ=ブルゼスカ(Henri Gaudier-Brzeska,1891~1915)に手紙で送ったという挿話をもとにした短編作品です。
その「Song of the Bowmen of Shu(周の弓手のうた)」のエズラ・パウンド訳詩とその日本語試訳です。
Song of the Bowmen of Shu
HERE we are, picking the first fern-shoots
And saying: When shall we get back to our country?
Here we are because we have the Ken-nin for our foemen,
We have no comfort because of these Mongols.
We grub the soft fern-shoots,
When anyone says “Return,” the others are full of sorrow.
Sorrowful minds, sorrow is strong, we are hungry and thirsty.
Our defence is not yet made sure, no one can let his friend return.
We grub the old fern-stalks.
We say: Will we be let to go back in October?
There is no ease in royal affairs, we have no comfort.
Our sorrow is bitter, but we would not return to our country.
What flower has come into blossom ?
Whose chariot ? The General's.
Horses, his horses even, are tired. They were strong.
We have no rest, three battles a month.
By heaven, his horses are tired.
The generals are on them, the soldiers are by them.
The horses are well trained, the generals have ivory arrows and
quivers ornamented with fish-skin.
The enemy is swift, we must be careful.
When we set out, the willows were drooping with spring,
We come back in the snow,
We go slowly, we are hungry and thirsty,
Our mind is full of sorrow, who will know of our grief?
【試訳・周の弓手のうた】
さあ,ここで,シダの初芽を摘んで
言うのだ,いつわれらが国に帰れるのだろうと,
われらが敵,玁狁(ケンイン)がため,ここに来た
やつら蒙古のために,われら心休まるときなく
われらは柔らかいシダの若芽を掘って
だれかが「戻る」というと,ほかのものは悲しみでいっぱいだ。
心は悲しみでいっぱい,悲しみは強く,飢えて渇いている
われらが守備は不確かで,だれも友を帰すことができない。
われらは,古いシダの茎を掘って
われらは言う,十月には戻れるようにしてもらえるのだろうかと。
王室のしごとに心休まらず,われらに慰めはない
われらが悲しみは苦いが,国に戻るあてもない。
今は何の花が盛りになっているのだろうか。
だれのいくさ車か? 将軍のだ。
将軍の馬さえ,疲れている,やつらは強い。
われらに休みなく,月に三度の戦いだ。
やれやれ,将軍の馬は疲れている。
将軍たちがまたがり,兵士がその脇に。
馬たちはよく訓練され,将軍たちは象牙の矢と魚革の矢筒を身にまとう
敵はすばやく,われらは気が休まらない
われらが出立したとき,柳が垂れ下がっていた。
戻るのは雪のころ
われらはゆっくりと進み,飢えて渇いている
われらが心は悲しみでいっぱいだ,だれがわれらの悲痛を知るのだろうか。
玁狁(ケンイン,Ken-nin)は北方の騎馬民族で,昆夷(こんい)・燻粥(くんいく)ともいい,のちの匈奴族にあたります。「ケンニン,Ken-nin」と日本風の読みなのは,パウンドがもとにしたフェノロサ資料が,森槐南や有賀長雄ら日本人に学んだ漢文であったことに由来します。周の故郷を離れ,モンゴルの騎馬民族が出没する地域に遠征し,帰ることのできない兵士の心情をうたったものです。このうたの兵士の心情は,第1次世界大戦の最前線で終わりの見えない戦闘を繰り返している兵士たちの心情にも寄り添うものでした。
『キャセイ(CATHAY)』(1915年,ELKIN MATHEWS)初版のタイトルページには,「耀」という漢字が大きく書かれています。漢字の持つ力がパウンドの詩的想像力を強く刺激していました。1915年初版では,この詩は「By Kutsugen(屈原)4th Century B.C.」とされていましたが,後に「By Bunno(文王)reputedly 1100 B. C.」とされています。
1915年頃,パウンドは日本語も中国語も得意というわけでなく,四方田犬彦「『キャセイ』のヴィジョン」によれば,フェノロサの資料を判読し損ねた部分もあるようです。例えば,パウンドの翻訳では「his horses are tired(将軍の馬は疲れている)」となっている部分は,フェノロサのノートの「his horses are tied(将軍の馬はつながれている)」を見誤ったものとされています。しかし,1915年の厭戦的な気分に「tired」は逆に的確なことばで,いつ終わるともしれない前線の泥沼を表現した詩として「周の弓手のうた」は記憶されることになります。
ウェイリー訳『歌の本』では,玁狁は「Hsien-yün」と表記されています。次は,ウェイリー訳『歌の本』131番のテキストとその試訳です。大胆に改行し省略していたパウンド訳にくらべると,ウェイリー訳では,原詩の行段に合わせて翻訳されています。
131
WE plucked the bracken, plucked the bracken
While the young shoots were springing up.
Oh, to go back, go back!
The year is ending.
We have no house, no home
Because of the Hsien-yün
We cannot rest or bite
Because of the Hsien-yün.
We plucked the bracken, plucked the bracken
While the shoots were soft.
Oh, to go back, go back!
Our hearts are sad,
Our sad hearts burn,
We are hungry and thirsty,
But our campaign is not over,
Nor is any of us sent home with news.
We plucked the bracken, plucked the bracken;
But the shoots were hard.
Oh, to go back, go back!
The year is running out.
But the king's business never ends;
We cannot rest or bide.
Our sad hearts are very bitter;
We went, but do not come.
What splendid thing is that ?
It is the flower of the cherry-tree.
What great carriage is that ?
It is our lord's chariot,
His war-chariot ready yoked,
With its four steeds so eager.
How should we dare stop or tarry ?
In one month we have had three alarms.
We yoke the teams of four,
Those steeds so strong,
That our lord rides behind,
That lesser men protect.
The four steeds so grand,
The ivory bow-ends, the fish-skin quiver.
Yes, we must be always on our guard;
The Hsien-yün are very swift.
Long ago, when we started,
The willows spread their shade.
Now that we turn back
The snowflakes fly.
The march before us is long,
We are thirsty and hungry,
Our hearts are stricken with sorrow,
But no one listens to our plaint.
【試訳・131】
われらワラビを摘み,ワラビを摘み
若枝が芽吹きだすなか
ああ,戻りたい,帰りたい
一年は終わる
われらに,家も,家庭もないのせいだ
玁狁のせいだ
われらに休息も一口の食事もない
玁狁のせいだ
われらワラビを引き抜き,ワラビを引き抜き
枝が柔らかいうちに
ああ,戻りたい,帰りたい
われらが心は悲しく
われらが悲しい心は焼けて
われらは飢えて渇いている
しかし,われらが遠征は終わらず
だれもそのことを伝えに帰ることもない
われらワラビを引き抜き,ワラビを引き抜き
しかし,枝は固くなった
ああ,戻りたい,帰りたい
一年は終わる
しかし,王の仕事は終わらない
われらは休むことも食事することもできず
われらが悲しい心はとても苦く
われらは出かけたものの,戻ることはない
あの立派なものは何だ
桜の木の花だ
あの大きな乗り物は何だ
わが君のいくさ車だ
そのいくさ車には馬がつながれ
四匹の元気な馬は意気揚々
どうして止まって,とどまる必要があろう
一月の間に,三回も警報があった
われらは四組になり
馬たちは強く
わが君がその後ろに乗る
身分低きものが守る
四匹の馬は堂々として
象牙の鏃,魚革の矢筒
そう,われらは常に守りを固める
玁狁はとても素早い
ずっと前,われらが出立した時
柳は葉陰を広げていた
われらが引き返そうとするころ
雪が飛び交う
われらが前の行軍の列は長い
われらは飢え渇いている
われらが心は悲しみにおそわれているが
だれもわれらの嘆きを聴かない
これらパウンドとウェイリーの英語版のオリジナルである『詩経』小雅,鹿鳴の什の「采薇(さ薇を采りに采る)」も,白川静訳注『詩経雅頌』(平凡社東洋文庫)から掲載しておきます。
167
采薇(さ薇を采りに采る)
采薇采薇 [薇(び)を采(と)り 薇を采る:さ薇(わらび)を采りに采る]
薇亦作止 [薇も亦作(おこ)れり:さ薇も もえ出(い)づる]
曰歸曰歸 [歸りなむ 歸りなむ:歸りなむ 歸りなむ]
歳亦莫止 [歳(とし)も亦莫(く)れぬ:年もはや 暮れそむる]
靡室靡家 [室(しつ)靡(な)く 家靡(な)きは:家離(さか)り さすらふも]
玁狁之故 [玁狁(けんいん)の故(ゆえ)なり:玁狁の故ぞかし]
不遑啓居 [啓居(けいきょ)するに遑(いとま)あらざるは:安らぐに ひまなきも]
玁狁之故 [玁狁(けんいん)の故(ゆえ)なり:玁狁の故ぞかし]
采薇采薇 [薇を采り 薇を采る:さ薇を采りに采る]
薇亦柔止 [薇も亦柔(わか)し:さ薇も しなやかに]
曰歸曰歸 [歸りなむ 歸りなむ:歸りなむ 歸りなむ]
心亦憂止 [心も亦憂(うれ)ふ:わが心は 憂はし]
憂心烈烈 [憂心(いうしん) 烈烈(れつれつ)として:わが憂ひ いやましに]
載飢載渇 [載(すなは)ち飢(う)ゑ載ち渇(かは)く:身のかつれ 渇くごと]
我戍未定 [我(わ)が戍(まもり)未だ定まらず:]
靡所歸聘 [歸聘(きへい)する所靡(な)し:家問はむ すべもなし]
采薇采薇 [薇を采り 薇を采る:さ薇を采りに采る]
薇亦剛止 [薇も亦剛(かた)し:さ薇も たけにけり]
曰歸曰歸 [歸りなむ 歸りなむ:歸りなむ 歸りなむ]
歳亦陽止 [歳も亦陽(や)けたり:年もはや 更けにけり]
王事靡盬 [王事 盬(や)むこと靡(な)し:えだちごと 果てなくて]
不遑啓處 [啓處(けいしょ)するに遑(いとま)あらず:]
憂心孔疚 [憂心 孔(はなは)だ疚(うれ)ふ:わが憂ひ いやませど]
我行不來 [我が行(かう) 來(ねぎら)はれず:勞(ねぎ)らひの こともなし]
彼爾維何 [彼(か)の爾(でい)たるは 維(こ)れ何ぞ:咲きほこる 花は何]
維常之華 [維(こ)れ常(じやう)の華(はな):あの花は にはざくら]
彼路斯何 [彼の路(ろ)たるは 斯(こ)れ何ぞ:嚴(いつく)しき ものは何]
君子之車 [君子(くんし)の車(くるま):將軍の います車]
戎車既駕 [戎車(じうしや)既に駕(が)し:裝ひも そなはりて]
四牡業業 [四牡(そぼ)業業(げふげふ)たり:四つの馬 勇みたつ]
豈敢定居 [豈(あに)敢(あへ)て定居せむや:たゆたひて あるべきや]
一月三捷 [一月(いちげつ)に三たび捷(か)たむ:一月に 三たび勝たむ]
駕彼四牡 [彼の四牡に駕すれば:四つの馬 走らせば]
四牡騤騤 [四牡 騤騤(きき)たり:四つの馬 たくましく]
君子所依 [君子の依(よ)る所:將軍の 召します車]
小人所腓 [小人(せうじん)の腓(さ)くる所:武士(もののふ)の從ふところ]
四牡翼翼 [四牡 翼翼(よくよく)たり:四つの馬 勇ましく]
象弭魚服 [象弭(ざうび)魚服(ぎよふく):象弭(ゆはず)と魚箙(えびら)と]
豈不日戒 [豈(あに)日(ひ)に戒(いまし)めざらむや:ひねもすに 戒めよ]
玁狁孔棘 [玁狁 孔(はなは)だ棘(すみや)かなり:玁狁は 迫りたり]
昔我往矣 [昔(むかし)我が往きしとき:昔われ 出でしとき]
楊柳依依 [楊柳(やうりう)依依(いい)たり:さ柳は しだりたり]
今我來思 [今(いま)我れ來(きた)れば:今われ 歸りきて]
雨雪霏霏 [雨雪(うせつ)霏霏(ひひ)たり:ふる雪は しきりなり]
行道遲遲 [道を行くこと 遲遲(ちち)たり:道ゆくも たゆたゆし]
載渇載飢 [載(すなは)ち渇(かつ)し 載ち飢(う)う:身は渇き かつれたり]
我心傷悲 [我が 心傷悲(しやうひ)す:わが心 悲しめど]
莫知我哀 [我が哀(かな)しみを知る莫(な)し:知る人もなし]
▲ガイ・ダヴェンポートの短編作品「The Bowmen of Shu(周の弓手)」の挿画。アンリ・ゴーディエ=ブルゼスカの彫刻作品エズラ・パウンド像を模写した,ガイ・ダヴェンポートのイラストですが,このパウンド像は,大地のファルスのようです。
鹿児島には,「田の神」と呼ばれる,笠をかぶった土地神の石像が各地にあるのですが,その後ろ姿は大地のファルス像ですので,共通するものがないとはいえません。
▲GUY DAVENPORT『卓上のオブジェ:アートと文学の調和ある乱雑(OBJECTS ON A TABLE: HARMONIOUS DISARRAY ON ART AND LITERATURE)』(1998年,Counterpoint)表紙に使われているのは,「りんごとなしのある静物画(STILL LIFE WITH APPLE AND PEAR)」という1980年のアクリル画です。
ガイ・ダヴェンポートの作品集『「りんごとなし」とその他の短編(APPLES AND PEARS AND OTHER STORIES)』(1984年,NORTH POINT PRESS)に関連するのですが,ダヴェンポートが静物画について論じたエッセイ集『卓上のオブジェ』で「Apple and Pear(りんごとなし)」という章を設けて,ギリシャ・ローマ時代以来の,文学・絵画における「りんご」と「なし」の象徴性について書いています。簡単に言えば,「りんご」は男性であり「なし」は女性で,対になって表現されるということです。ダヴェンポートの小説作品では「APPLES AND PEARS」と複数形でしたから,「男たちと女たち」という含意もあるのでしょう。
りんごが肩幅の広い男性,なし(洋なし)はお尻の大きい女性を表しているのでしょうか。セザンヌやピカソの静物画のりんごやなしもその象徴性を,抜きがたく帯びているわけです。
余談になりますが,呉茂一訳でロンゴス『ダフニスとクロエー』(1961年,筑摩書房世界文學大系『古代文学集』)から,「巻の三」末尾の一節「りんご」の場面を引用しておきます。「りんご」は男性から女性への最高の求愛のしるしでもあったわけです。
ちょうど季節がなにもかもみのらしたので,あふれるほどのゆたかさに地梨も山梨もりんごの実もたくさん見つかった。地面にもう落っこちているのや,木の枝にまだついているのや,地に落ちたのはかおりがいちだんとよく,枝にのこっているのは色つやがいっそう美々しく,一方がぶどう酒の香を放てば,一方は黄金のように輝いて見える。
そこにただ一本だけ,すっかり実を摘まれたりんご樹があって,木の実も葉もみなもうついてなかった。枝もみなまったく裸であったが,たった一つ,そのいちばん頂きの梢に,熟れきった実がのこっていた。大きい見事なりんごでそのかぐわしさも,ほかのおよその実よりも一つきりで超えまさっている。実を摘むものが登るのをこわがって,採らずにおいたものだろう。あるいはだれかがその見事なりんごを,恋をする羊飼いにと大切にとっておいてくれたのかもしれない。
このりんごの実をダフニスが目にすると,すぐさま登ってそれをもぎ取ろうとおい立ち,クロエーがいくらとめてもいうことをきかなかった。そこでクロエーは自分の言葉にかまわれないので,ふいと羊たちのいるほうへ去ってしまった。いっぽうダフニスは木に馳せ登ってその実にゆきつき,それを摘んでからクロエーへの贈り物にもってくると,まだ憤りのとけぬ娘にむかってこういいかけた。
「ねえきみ,このりんごはまずよい季節(ホーライ)たちがこしらえあげそれをよい木が養いそだて,太陽が実を熟れさせると,仕合せ(テユケー)が大切にまもっておいてくれたものだ。それゆえぼくがそいつをもっておくのは,目があるうちはどうしたってできないんだ,地べたに落ちてぶらつきまわる羊の足に踏まれちまうか,それとも這い虫がのたくりながら毒をさすか,それとも木の上にのこっていて,眺められほめあげられるまま,時とともに朽ちしてしまうか,そんな目にいずれはあうのを。この実を昔神様アフロディナーは器量くらべのごほうびにもらったんだが,これを今ぼくはきみに優勝のしるしとして贈ってあげる。パリスもぼくもおんなじようなもんだからね。あいつはその神様の,ぼくはきみの,美の証人なんだもの。パリスは(イーダの山の)羊飼いだった。ぼくもまた山羊飼いなんだ」
こういってかれがりんごをクロエーのふところに入れてやると,彼女は身近かに寄った少年に口づけを与えた。それでダフニスも大胆にあんな高みまでよじ登ったのを後悔せずにすんだ。黄金のりんごよりもっとうれしい口づけをもらえたからである。
▲ERIK ANDERSON REECEによるダヴェンポートのイラスト・絵画作品集『マルメロのバランス(A BALANCE OF QUINCES: THE PAINTINGS AND DRAWNINGS OF GUY DAVENPORT)』(1996年,NEW DIRECTIONS)
表紙に使われているのは「けものたちに説くオルフェウス(ORPHEUS PREACHING TO THE ANIMALS)」という1979年のアクリル画です。
いかにも文学者による,文学的な絵,です。
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118. 1984年のガイ・ダヴェンポート『「りんごとなし」とその他の短編』(2013年9月12日)
前回取り上げたゴードン・ボトムレイ(Gordon Bottomley,1874~1948)が,Yone Noguchi(ヨネ・ノグチ,野口米次郎,1875~1947)に贈った詩の中に,富士山を逆さまの百合の花に例える「まっ逆さまの百合の花(firm inverted lily)」という表現がありました。
桜島の近くに住む人間が富士山の話をするのもなんですが,富士山といえば,アメリカの学匠小説家,ガイ・ダヴェンポート(Guy Davenport,1927~2005)の作品集『「りんごとなし」とその他の短編(APPLES AND PEARS AND OTHER STORIES)』(1984年,NORTH POINT PRESS)に,「富嶽五十七景(FIFTY-SEVEN VIEWS OF FUJIYAMA)」という29ページの短編が収録されています。
この作品集は,ガイ・ダヴェンポートの唯一の長編といっていい「りんごとなし」という200ページを超える小説が収録されているのですが,他の短編を入れずに,1冊の長編小説として本を完結させればよかったのに,と思っていました。
「空想的社会主義者」シャルル・フーリエ(Charles Fourier,1772~1937)を研究するオランダの哲学者と,画家を志す少年とその姉の3人が,シャルル・フーリエ的共同体をつくろうとするストーリーを軸にしていますが,西洋的教養主義の極みのようなガイ・ダヴェンポートの知識があふれ出しているテキストで,正直,私の手に負えない難物です。
少年が書く日記と絵が,小説の推進役になっているのですが,少年が描いたという設定の32枚の絵は,ガイ・ダヴェンポート自身が描いています。その少年のキャラクターとして目立つ特徴を1つあげると,少年は,下着の,ブリーフのフェチなのです。
そこで,「逆さまの百合の花(firm inverted lily)」です。ブリーフも逆さまにすれば富士に見立てられるわけです。「逆さまの富士(firm inverted Fuji)」もまた「ブリーフ」の比喩として可能なわけです。
とすると,「富嶽五十七景」という短編が,ブリーフ原理主義の少年が主人公の長編「りんごとなし」に寄り添っていても,おかしくないという話になります。ほんとにそうだったのかは分かりませんが,腑に落ちた気になりました。
▲「APPLES AND PEARS」の挿画から。月見富士の構図になっています。
「富嶽五十七景(FIFTY-SEVEN VIEWS OF FUJIYAMA)」というタイトルではありますが,大筋では松尾芭蕉の『奥の細道』の旅をなぞるテキストで,Fuji(富士)が登場する断章は2つだけです。「奥の細道」のほうが正しいタイトルという気がします。
「富嶽五十七景」は57の断章から構成されています。その57の断章で,どういう固有名詞(地名にかかわるものも含める)が登場するか,ピックアップしてみます。29ページの短編ですが,ガイ・ダヴェンポートのテキストらしく固有名詞の洪水です。英語圏の読者にとっても過剰な固有名詞の嵐という気がします。
01 Shiogama(塩釜),Ishinomaki(石巻),Kyoto(京都),Ogaki(大垣),Basho([松尾]芭蕉),Sumida River(隅田川),Shirakawa(白河),Matsushima(松島)
02 Vermont Trail,Shaker,New York,Ohio,Yale,Raphael Pumpelly,Percy Wallace,Steele MacKaye,Thoreau,Burroughs
03 Sampu([杉山]杉風),Fuji(富士),Ueno(上野),Yanaka(谷中),Senju(千住)
04 Sounion,Byron,Poseidon,Homer,Iliad,Attika,Zeus,Greek,Ionian,Hermes,Priapos,Damon
05 Genroku(元禄),Soka(草加),Sora([河合]曾良),Muro-no-Yashima(室の八島),Ko-no-Hana Sakuya Hime(木花咲耶姫),Fuji(富士),Ninigi-no-Mikoto(瓊瓊杵尊),Hohodemi-no-Mikoto(火火出見尊),konosiro(コノシロ)
06 Basho([松尾]芭蕉),Shirakawa(白河),Matsushina(松島の誤植?),Kawai Sogoro(河合惣五郎=河合曾良),Minoru Hara(原實?),Chocorua,Ezra Pound,Pisa,Jessie Whitehead,William James,Thoreau,Charles Ives,The Rockstewn Hills Join in the People's Outdoor Meeting,Potomac,Shiloh
07 Gozaemon(仏五左衛門),Nikko Mountain(日光山),Buddha,Confucius,Kobo Daishi(弘法大師),Mount Kurokami(黒髪山),Sora([河合]曾良),Black-Haired Mountain(黒髪山),Kawai Sogoro(河合惣五郎),Matsushima(松島),Kisagata(象潟)
08 Apollo of the Lykoreans Evnomos of Lokris,Parthis,Leto,Heraclitus,Poseidon
09 Sora([河合]曾良),Sogo(宗悟=河合曾良),Mount Kurokami(黒髪山),Urami-no-Taki(裏見の滝),Kurobane(黒羽),Nasu County(那須),
10 Ives,Brahms,Mason and Dixon Line,Moravian,Dixie,French,Calvinist,Gettysburg,Cézanne,West Redding,Yale,Wagner,Bibémus
11 Sora([河合]曾良),Kasane(かさね),Joboji Takakatsu(浄坊寺高勝),Tamamo(玉藻),Yoichi(那須与一)
12 Fibonacci,Professor T. C. Hilgard
13 En-no-Gyoja(役行者),Shugen(修験),Komyoji Temple(光明寺),Joboji(浄坊寺),Unganji(雲巌寺),Buccho(仏頂禅師),Edo(江戸),Yuan-miao(妙禅師),Fa-yun(法雲法師)
14 Jim Dandy,Winslow Homer,Nikolai Slonimsky,Waterbury,Chancellorsville,Apollinaire,N'tomo,Bambara,Picasso,Laurencin,Gaudier,London Zoo,Seven Pines
15 Kurobane(黒羽),Sessho-seki(殺生石),Saigyo(西行),Shin Kokin Shu(新古今集),Ashino(芦野),Shirakawa(白河)
16 Pyrenees,Pau,Saint Anthony,Alexandria,Joan Baez,Nicanor Perrá,Marguerite Yourcenar,Kentucky
17 Shirakawa(白河),Kiyosuke(清輔),Fukuro Zoshi(袋草子),Sora([河合]曾良),Abukuma River(阿武隈川),Aizu(会津),Iwaki(岩城),Soma(相馬),Miharu(三春),Hitachi(常陸),Shimotsuke(下野),Shadow Pond(影沼),Sukagawa(須賀川),Tokyu(等窮)
18 Suze,Hortense Cézanne,Gertrude Stein,Madame Ginoux,Arles,Vincent,Etienne Louis Malus,Palais du Luxembourg,Indian,Vermont
19 Tokyu(等窮),Shirakawa(白河),Saigyo(西行),Chinese,Gyoki(行基),Nara(奈良),Asaka(安積)
20 Sequoia Langsdorfii,Cretaceous,British Columbia,Greenland,Gingko polymorpha,Cinnamomum Scheuchzeri,Dakota,Westerrn Kansas,Fort Ellis,Sir William Dawson,Laramie,Professor G.M.Dawson,Geological Survey of Canada,Quercus antiqua,Newby,Rio Dolores,Utah,Eocene,Cinnamomum Sezannense,Paleocene,Sézanne,Gelinden,Heer,Patoot,Atane,Myrtophyllum cryptoneuron,Senonian,Westphalia,Dewalquea Gelindensis,Sterculia variabilis,Senonian,Eocene,Sapotacites reticulatus,Sachs-Thüringen
21 Nihonmatsu(二本松),Fukushima(福島),Shinobu(しのぶの里),Tsuki-no-wa(月の輪),Se-no-ue(瀬の上),Maruyama(丸山),Sato(佐藤),China,Yang Hu(羊祜・堕涙の碑)
22 Price's Shoals,South Carolina,New England,New Hampshire,Republic
23 Yoshitsune(義経),Benkei(弁慶),Feast Day of Boys(端午の節句),County Okido(大木戸),Abumizuri(鐙摺),Shiroishi(白石),Sanekata(実方),Fujiwara(藤原),Iwanuma(岩沼),Kasajima(笠島)
24 Packrats,Poconos,New England,Calvin,Institutes,Florentine,Tuscan,Scotch,Ruskin,Italian
25 Takekuma(武隈),Noin(能因),Kyohaku(挙白),Sendai(仙台),Natori River(名取川),Kaemon(加右衛門),Miyagino(宮城野),Tamada(玉田),Yokono(横野),Tsutsuji-ga-oka(つつじが岡),Konoshita(木の下),Yakushido(薬師堂),Tenjin(天神)
26 Bay of Spezia,Revely,Archimedes,Sicily,Holbein,French,Genua,Portus,Pisa,Tuscan,Laplace,Saunderson,Algebra,Simm,Trigonometry,Archimagian
27 Kaemon(加右衛門),Matsushima(松島),Shiogama(塩釜),Narrow Road to the Deep North(奥の細道),Tsubo-no-ishibumi(壺の碑),Taga Castle(多賀城),Jinki(神亀),General Ono-no-Azumabito(鎮守府将軍大野東人),Tempyo-hoji(天平宝字),Emi-no-Asakari(恵美朝獦),Noda-no-tamagawa River(野田の玉川),Sue-no-matsuyama(末の松山)
28 Mason
29 Shiogama(塩釜),Magaki-gashima(籬が島),Myojin Shrine of Shiogama(塩釜の明神),Deep North(塵土の境),Izumi-no-Saburo(和泉三郎),Matsushima(松島),Japan(扶桑),Tungting Hu(洞庭湖),Hunan(湖南),Si Hi(西湖),Chekiang(浙江),China
30 Ezra Pound,Miss Rudge,Spanish
31 Ojima(雄島),Ungo(雲居),Sora([河合]曾良),Matsushima(松島),Sodo(素堂),Dr.Hara Anteki(原安適),Dakushi(濁子),Sampu(杉風),
32 -
33 Hiraizumi(平泉),Aneha Pine(あねはの松),Odae Bridge(緒だえの橋),Sode(袖),Obuchi(尾ぶち),Mano(真野),Fujiwara(藤原),Yasuhira(泰衡),Koromo-ga-seki Gate(衣が関)
34 Linnaeus
35 Yoshitsune(義経),Kanefusa(兼房),Hikari Do(光堂),Cape Ogoru(小黒崎),Mizu(美豆),Dewa(出羽)
36 New England,Jimmy
37 Obanazawa(尾花沢),Seifu(清風),Edo(江戸),Sora([河合]曾良),Ryushakuji(立石寺),Mogami River(最上川),Oishida(大石田)
38 Samwise
39 Mogami River(最上川),Yamagata Province(山形),Sakata(酒田),Shiraito-no-take(誤植か・白糸の滝),Sennindo(仙人堂),Haguro Mountain(羽黒山),Egaku(会覚),Gongen Shrine(権現),Fujiwara-no-Tokihira(藤原時平),Mount Sato(里山),Dewa(出羽),Sato(里),Kuro(黒),Haguro(羽黒),Tendai(天台)
40 Bruni,Tatlin,Russian,Slavic
41 Haguro Mountain(羽黒山),Mount Gassan(月山),Egaku(会覚)
42 Vermont
43 Mount Haguro(羽黒山),Mount Gassan(月山),Mount Yudono(湯殿山),Sora([河合]曾良),Tsuru-ga-oka Castle(鶴が岡城),Nagayama Shigeyuki(長山重行),Zushi Sakichi(図司左吉),Sakata(酒田),Dr.Fugyoku([淵庵]不玉),Fukuura(吹浦),Mount Atsumi(温海山),Mogami River(最上川),Lake Kisagata(象潟),Mount Chokai(鳥海山)
44 Boy Scout,Pete
45 Kisagata(象潟),Noin(能因),Saigyo(西行),Kanmanjuji(干満珠寺),Mount Chokai(鳥海山),Muyamuya(むやむやの関),Akita(秋田),Shiogoshi(汐越),Matsushima(松島),Lady Seishi(西施),Teiji(低耳),Sora([河合]曾良)
46 Spartan,Corinthian,Boy Scout,Brother Porky
47 Sakata(酒田),Kaga Province(加賀の国),Hokuriku Road(北陸道),Nezu Gate(鼠の関),Echigo(越後),Ichiburi Gate(市振の関),Ecchu(越中),Weaver Star(織女星),Shepherd Star(彦星),Ise Shrine(伊勢神宮),Kurobe(黒部),Nago(那古),Tako(担籠)
48 Hephaistiskos,Renault,Paris,Villefranche,Tarbes,Montignac,Menton,Ravenna,Kriti,Venice,Adriatic,Athens,Parisian,German,English,Oxford,Bath,Alton,Illinois,Mrs.Brown,Aztecs,Mexican Rotary,Greek
49 Tako(担籠),Kaga Province(加賀の国),Unohanayama Mountains(卯の花山),Kurikara-dani Vally(倶利伽羅峠),Kanazawa(金沢),Kasho(何処),Osaka(大坂),Issho(一笑),Japan,Komatsu(小松),Dwarf Pine(小松),Tada(太田),Sanemori(眞盛・実盛)
50 Bath,Oxford,Gerald,British,Greek,Crimean Field Hospital,Kriti,Mr.Brown of Alton,Adriatic,Parisian,English,German
51 Sanemori(眞盛・実盛),Kiso Yoshinaka(木曾義仲),Higuchi-no-Jiro(樋口の次郎),Shirane Mountain(白根が嶽),Nata Shrine(那谷),Emperor Kazen(花山),Kannon(観音),Yamanaka(山中),Teishitsu(貞室),Teitoku(貞徳),Kyoto(京都),Sora([河合]曾良),Nagashima(長島)
52 Bath,Kriti,Oxford,Crimean Field Hospital,Mexican,Gerald,Greek,Homeric
53 Sora([河合]曾良),Zenshoji Temple(全昌寺),Yoshizaki(吉崎),Shiogoshi(汐越),Saigyo(西行),Kanazawa(金沢),Hokushi(北枝),Tenryuji Temple(天龍寺),Matsuoka(松岡)
54 Hellenistic,Roman,Greek,Archaic,Baroque,Eleusis,Geometric,Cycladic
55 Fukui(福井),Tosai(等栽),Edo(江戸),Tsuruga(敦賀),Shirane(白根),Hina(比那),Asamuzu Bridge(あさむづの橋),Tamae(玉江),Myojin Shrine of Kei(気比の明神),Emperor Chuai(仲哀天皇)
56 Taxodium Europaeum,Bournemouth,Meximieux,Europe,Mississippi,Skopau,Sachs-Thüringen,Miocene,Green River,Florrisant,Colorado,Dr.Newberry,Fort Union,Laramie,Point of Rocks,Wyoming,Cretaceous
57 Yugyo(遊行上人),Tenya(天屋),Suma(須磨),Tosai(等栽),Rotsu(路通),Mino Province(美濃の国),Ogaki(大垣),Sora([河合]曾良),Joko(如行),Zensen(前川),Keiko(荊口),Ise(伊勢)
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117. 1953年のゴードン・ボトムレイ『詩と劇』(2013年9月10日)
ゴードン・ボトムレイ(Gordon Bottomley,1874~1948)の没後に,Claude Colleer Abbottの編集で,THE BODLEY HEADから出された1巻本選集です。ボトムレイのおもな詩と劇を集めた460ページほどの本です。残念ながら初期の詩劇『夜さけぶもの』(1902)や『夏至の前夜(Midsummer Eve)』(1905)は収録されていません。ダストラッパーに使われている写真は1923年の,50歳ごろのゴードン・ボトムレイです。
詩の中に知人への献詩がいくつかあって,詩劇『夏至の前夜(Midsummer Eve)』(1905)1冊を,日本の詩人Yone Noguchi(ヨネ・ノグチ,野口米次郎,1875~1947)に贈ったときに書かれた1906年の詩が収録されています。野口がイギリスに滞在したのが1903~1904年ですので,日本に帰国した野口に贈られた詩になります。野口米次郎は,英米に能楽を詩劇として紹介した存在ですので,イェイツやボトムレイの詩劇とも結びつく存在です。
野口米次郎の遺した蔵書の中に,その詩が書かれた『夏至の前夜(Midsummer Eve)』は残っているのでしょうか。気になります。
その『夏至の前夜(Midsummer Eve)』とともに,ボトムレイから野口に贈られた詩を引用して,その粗訳を掲載してみます。詩は12音節の行もありますが,基本的に1行が強弱格が5つある詩形(○●○●○●○●○●のように1行10音節)で,翻訳する場合も七五調などの定型詩がふさわしいのでしょうが,今回はその工夫はせず,おおざっぱな粗訳のままです。
Dedications and Inscriptions
XII To Yone Noguchi, with a copy of ‘Midsummer Eve’
I have seen bending ladies in a mist
Gathering dewy butterflies with fans
Before full day takes off their burden of moon-drops --
O, faint delicious ladies with wistaria
Dropt down their silken backs. And I have seen
Your clear pure mountain, firm inverted lily,
Rapt Fusiyama, through tall fringy waves.
There is no dream I have not some time dreamed
Of your far land rare and desirable:
And in this greyer place of shadow and veil
I now prepare a poem my heart has loved
And filled with solemn Autumn as it falls
On vision and longing in this greyer place
To send to you because my heart has loved
Your murmurs of hushed poetry that wait
On stillness to express what sound must lose:
This poem of earth and change I send to you
Because I think of you among your poems
In your far land dear and desirable
(Land of such haunting hands and eyes and hairs,
Blossoms and pines and foam of invisible sea),
Where now perhaps you are withdrawn to meet
A night-song half a gleam and half a sigh.
(1906)
【粗訳】
「献辞」から
12 『夏至の前夜』の1冊とともに,ヨネ・ノグチに贈る
わたしは,霧のなかで,身をかがめている女たちを見た。
扇を手に,夜露にぬれた蝶々を集めていた
日の光が月のしずくの重みを取りはらう前に――
おお,藤の花を挿した手弱女たちが絹の背をかがめていた。
それから,わたしは,君の国の澄みきった山を,
まっ逆さまの百合の花を,見た,
心奪うフシヤマを,高く房のように落ちてくる波ごしに。
はるか遠くの,いつか訪れたい君の国を
夢見ること以上の夢はない。
そして,この翳り曇った,灰色がかった場所から
わたしは、今,心から好きだった詩を用意して,
そして,荘厳な秋につつまれ,
この灰色がかった場所で眺め切望したものを
君に届けようという思いで満たされた。
なぜなら,わたしの心は,音をたてると失われるに違いないものを表すために
静けさを待つ、君の口ごもる詩の耳語(ささやき)が,好きだから。
この大地と変化の詩を私が君に贈るのは
はるか彼方の国の,いつか訪れたいと思う国にいる君の詩に
君のことを思うから。
(あの忘れがたい手と目と髪の人々,
花々と松林と,見えざる海の波しぶきの土地)
そこは,今,たぶん君が引きこもって
微光とため息でできた夜の歌に出会っている場所。(1906年)
病弱で,生涯イングランドを離れることのなかったボトムレイが夢見た日本です。
この詩の冒頭は,明らかに浮世絵と思われる日本の絵をもとに詠まれています。絵画的ジャポニズム詩の一例になっています。
And I have seen
Your clear pure mountain, firm inverted lily,
Rapt Fusiyama, through tall fringy waves.
(それから,わたしは,君の国の澄みきった山を,
まっ逆さまの百合の花を,見た,
心奪うフシヤマを,高く房のように落ちてくる波ごしに。)
の部分は,明らかに葛飾北斎の『富嶽三十六景』中の「神奈川沖浪裏」でしょう。この絵はジャポニズムを語る時,ドビュッシーの交響詩『海(LA MER)』のスコア(1905年出版)の表紙に使われたことがよく語られますが,ほぼ同じ頃,ボトムレイも葛飾北斎の富士山から,詩を詠んでいたわけです。
富士を逆さまの百合の花に例える「まっ逆さまの百合の花(firm inverted lily)」という表現が,見立てとして面白いところです。「ふじやま(Fujiyama)」でなく「ふしやま(Fusiyama)」と濁っていないところも気に掛かります。その前の一節,
I have seen bending ladies in a mist
Gathering dewy butterflies with fans
Before full day takes off their burden of moon-drops --
O, faint delicious ladies with wistaria
Dropt down their silken backs.
(わたしは,霧のなかで,身をかがめている女たちを見た。
扇を手に,夜露にぬれた蝶々を集めていた
日の光が月のしずくの重みを取りはらう前に――
おお,藤の花を挿した手弱女たちが絹の背をかがめていた。)
の部分が何という絵をもとにしているのかは,分かりません。とりあえず鈴木春信の娘たちを想定しています。
この詩のもとになったと思われる,絵画作品名がお分かりの方があれば,ご教授ください。
野口米次郎は,今では彫刻家のイサム・ノグチのお父さんというイメージが先行しています。手軽に読める野口米次郎の文庫本詩集1冊ぐらいあればいいのですが,なぜかありません。確かに名声を求める向上心の人といった面もありますので,脱俗の人が好まれる文藝の環境では,苦手とされるのかもしれません。
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116. 1905年のゴードン・ボトムレイ『夏至の前夜』(2013年9月9日)
ゴードン・ボトムレイ(Gordon Bottomley,1874~1948)の『夏至の前夜(Midsummer Eve)』の初版です。赤・黄・グレイの3色で刷られています。赤はタイトルや人物名,黄はト書き,グレイは本文です。ジェイムズ・ガスリー(James Guthrie,1874~1952)が1900年ごろに設立したプライヴェート・プレス,ピアツリー・プレス(Pear Tree Press,あえて訳せば「梨の木印刷所」でしょうか)で印刷・製本されています。ピアツリー・プレス初期の本です。挿画も組版もすべてジェイムズ・ガスリーが一人でやっています。
ジェイムズ・ガスリーについての文章を日本語で読むとしたら,エリナー・ファージョン関連のテキストにあたると,ちょこちょこ登場します。ファージョンの本もピアツリー・プレスで作っていて,良き友人だったようです。いわゆる都市派の印刷人ではなく,田舎暮らしの印刷人です。
『夏至の前夜』は,49回で紹介した,ゴードン・ボトムレイ『夜さけぶもの 一幕劇』同様,一幕の詩劇です。詩劇なので,韻文で書かれています。基本的に1行が強弱格が5つある詩形(○●○●○●○●○●のように1行10音節)で,そこにトラッド(民謡)のような歌もはさまれて,劇は進行します。日常会話のような会話でなく,日本でいうと七五調で進行するドラマのようなものです。W. B.イェイツ(W. B. Yeats, 1865~1939)の詩劇などと同時代の産物といった分かりやすいでしょうか。
余談になりますが,その歌のパートで,
The maids went down to dip in the pool
When the mirrored moon had cooled the water;
(試訳:娘は池に水浴びに下りた。鏡のようなお月様が水を冷たくしていた。)
と歌われていて,「dip in the pool」という一節が気になりました。
ロアルド・ダールの短編集『あなたに似た人』(英1953年,日1957年・2000年)に収録された作品に,「Dip in the Pool」という短編があって「海の中に」「プールでひと泳ぎ」というタイトルで翻訳されています。日本では,甲田益也子と木村達司の音楽デュオ「dip in the pool」の名前にも使われています。
『夏至の前夜』の舞台は,イングランド北部の人里離れた,小高い丘の上の農場にある大きな納屋。登場人物は,農場で働く若い女たちです。時はタイトル通り夏至の前夜。夏至の前夜は,特に北ヨーロッパで,火祭りであったり,男女の縁結び,精霊や魔女が現れる夜など,さまざま伝承と結びついており,超常的なことが起こっても不思議ではない「逢魔が時」です。シェイクスピアの『真夏の夜の夢』も夏至前後の出来事です。ボトムレイは後に,シェイクスピアのマクベスやリア王の前日譚を戯曲化しているので,そうしたシェイクスピア的なものとのつながりもあるのかもしれませんが,『夏至の前夜』は喜劇ではなく,なんというか不思議な劇です。
物語は,農場で働く若い女たち5人の会話で進行していくのですが,舞台の外に初産で乳熱になって死にかかっている若い雌牛がいる設定の中,一人の女が「fetch」あるいは「wraith」と呼ばれる「生き霊」のようなものに取り憑かれ,死んでしまうというものです。
静かな劇です。けんかのような激しい言い争いもなく,男女のもめごともなく,静かに宿命のように死が降りかかるといったらいいのでしょうか,超常的なできごとが当たり前のように起こるドラマという点で,日本の能楽とも近しいものがあります。
ボトムレイは子どもの時,結核にかかり,イングランド北部のヨークシャーやランカシャーで,生涯を病弱という立場で過ごした人です。争いでおこる英雄的な死でなく,あっけない唐突な死のことを,常に考えていたのかもしれせん。
▲『夏至の前夜』のタイトルページ
▲『夏至の前夜』の口絵,ジェイムズ・ガスリーが描いた舞台最後の場面。
ゴードン・ボトムレイの若い友人,ポール・ナッシュ(Paul Nash,1889~1946)は,48回で紹介した『詩人と画家 ゴードン・ボトムレイとポール・ナッシュの往復書簡』収録の書簡で,次のようにボトムレイに書き送っています。
「I want to make drawings for it & I should like to have done the frontispiece here. I like Guthrie you know, but I deplore his vague drawing.(試訳:ぼくはこの本の絵を描きたい。ここで口絵を描いたのが僕だったらと思います。もちろんガスリーの人物は好きです。でも,彼のぼんやりとした絵を残念に思います。)」
来るべき若い世代であり,20世紀のモダニスト典型的存在でもあるポール・ナッシュは,ジェイムズ・ガスリーのことを古くさくて,ボトムレイのテキストにふさわしくないと思っていたようです。まだ20代前半のポール・ナッシュが書いたことなので,うらやましさも混じっていたのかもしれません。もしポール・ナッシュが『夏至の前夜』を手がけたら,また違った本になったのでしょうが,このジェイムズ・ガスリーのピアツリー・プレス版も,1905年ならではの魅力がある本だと思います。
▲『夏至の前夜』の冒頭ページ
ジェイムズ・ガスリーが自ら組版した『夏至の前夜』は,52回で紹介した1895年のウィリアム・モリス『世界のかなたの森』のチジック・プレス版(CHISWICK PRESS:-CHARLES WHITTINGHAM AND CO.)と同じ活字,カズロン(Caslon)を使っています。
最良の書体ではなく,次善の書体と言われたりもするカズロンですが,20世紀前半のタイポグラフィに与えた影響力,チジック・プレスとウィリアム・モリスの影響力の強さを感じさせます。『夏至の前夜』では,『世界のかなたの森』本文と同じ大きさの14ポイントのカズロンが使われています。
ということは,14ポイントのカズロンを使えば,20世紀初頭のイギリス印刷物の雰囲気を再現できるということなのかもしれません。
▲『夏至の前夜』の刊記
1905年10月13日作り終えたとあります。『夏至の前夜』は120部印刷されました。40ページほどの小さな本です。
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115. 1985年の『さようなら、ギャングたち』(2013年7月31日)
今年やくしまるえつこが出したCDに,カセットテープが付いていたので,それをmp3でなくカセットで聴きたくて,壊れていたカセットデッキを修理しました。カセットテープというのは意外と保存性の高いメディアで,デジタルの洪水のあとでそのアナログの音を改めて聴くと,結構楽しい音です。そのせいか,昔のカセットテープを引っ張り出すことになって,1985年のラジオドラマ『さようなら、ギャングたち』を久しぶりに聴きました。
NHK-FMで夜10:45~11:00に放送されていた連続ラジオドラマ枠『ふたりの部屋』で,1985年(昭和60年)3月4日~3月15日に全10回で放送された『さようなら、ギャングたち』をエアチェックしたカセットテープです。ラベルに『So Long, Gangsters』なんて書いていて気恥ずかしいです。エアチェックにありがちなことで,第1回の放送は録音し損なっています。
高橋源一郎の小説『さようなら、ギャングたち』(1982年)を原作に,大森一樹が脚本を書いたラジオドラマです。1985年の高橋源一郎と大森一樹ですから,期待されて当然ですが,ちょっと据わりが悪いかたちでラジオドラマの枠に収まってしまって,「傑作」とはいいがたい作品です。しかし,なぜだか愛着はあります。『さようなら、ギャングたち』の大枠のストーリーは,独りぼっちの男が,女性と出会い娘ができ,そして2人は娘を失って別れるという,感傷的なものですので,その感傷的なストーリーを覆っていたポップな要素を,ラジオドラマでは生かしきれずに、上滑りを起こしているのも残念で,なにかうまい料理のしかたがあったのではないかと毎回思います。それでも,時々聞き返したくなります。「駄目」なところ「惜しい」ところに引かれるのかもしれません。
主演が泉谷しげるで,ヒロインが高沢順子というのも,ベストという感じはしませんが,これはこれで,よかったのかもしれません。高橋源一郎の小説のキャラクターに合った声というは,キャスティングが難しそうです。
かつて車でカセットテープを聴くことができたころ,長いドライブの間に,この『さようなら、ギャングたち』のテープをかけたら,乗っていた連中が最初は「何これ?」と言っていましたが,次第に聴き入って,みんな黙り込んでしまいました。「キャラウェイ」や「中島みゆきソング・ブック」が退場するとき「あ~あ」とため息がでます。よかったけど,第10回のジョン・レノン射殺は蛇足じゃないか,とつぶやいたのを覚えています。
ウェブ上で検索してみたのですが、演出や音響をどなたが担当されたのか分かりませんでした。劇伴の選曲も優雅で感傷的で,バーナード・ハーマンの『ハリーの災難』や『サイコ』,ブライアン・イーノのアンビエントもの,ジョン・レノンなどが使われていておもしろいものでした。
マックス・ブルッフ(Max Bruch, 1838~1920)のチェロと管弦楽のための協奏曲『コル・ニドライ(Kol Nidrei op.47)』が主題曲になっていました。
毎回,泉谷しげると高沢順子が次のような前口上を述べます。
【前口上】
泉谷しげる: この物語は,ギャングと詩人に関する物語であり,1人のあまり若くもなく美しくもない男が,純粋な魂を守り通すために,いかにして詩人であることをやめ,ギャングになろうとしたかを,うわべだけ描いたものです。『ふたりの部屋』タイトルは「さようなら、ギャングたち」。
高沢順子: 原作は高橋源一郎,脚本は大森一樹。
泉谷しげる: この物語は,いくつもの冒険の連続する10個のエピソードからなっています。今夜はエピソード(英数字)「○△□」それでは…。
で始まります。番組の最後に,毎回の出演者がそれぞれ自分の名前を述べて終わります。
【後口上】
大阪からの『ふたりの部屋』。お相手は,私,泉谷しげると,○○,□□,△△,そして,高沢順子でおおくりしました。それではまた明日。おやすみなさい,ギャングたち。
第10回の最後は「おやすみなさい,ギャングたち」でなく「おやすみなさい,キッズたち」でした。
全体は,10のエピソードで構成されています。
■エピソード1(ワン)「詩人のいる時間――あるいは……」
第1回の放送は録音できませんでした。演出や音響のクレジットは第1回であったのかもしれません。第2回~第10回ではスタッフ・クレジットは読み上げられていませんので,演出がだれだったか,分かりません。
■エピソード2(ツー)「ギャングについて私が知っている二三の事柄」
【出演者】泉谷しげる,小林稔侍,田渕岩男,タージン,高沢順子
小林稔侍が「でぶのギャング」役です。
■エピソード3(スリー)「中島みゆきソング・ブックという名の女」
【出演者】泉谷しげる,きたせりさ,高沢順子
「キャラウェイ/『緑の小指』ちゃん」の「きたせりさ」の正しい表記は分かりません。
■エピソード4(フォー)「女の子はみなキャラウェイという名である」
【出演者】泉谷しげる,きたせりさ,おおしまかずこ,高沢順子
「おおしまかずこ」の正しい表記は分かりません。
■エピソード5(ファイヴ)「ギャングから遠く離れて」
【出演者】【出演者】泉谷しげる,小林稔侍,きたせりさ,高沢順子
■エピソード6(シックス)「わたしとヴェルギリウスのいる冷蔵庫」
【出演者】泉谷しげる,きたせりさ,柳川清,高沢順子
「ヴェルギリウス」役は柳川清。
■エピソード7(セヴン)「小さな兵隊」
【出演者】泉谷しげる,きたせりさ,國村隼,高沢順子
「木星人」役を國村隼がやっています。
■エピソード8(エイト)「ギャングはギャングである」
【出演者】泉谷しげる,きたせりさ,まままつり,高沢順子
「受付の女の子」役の「まままつり」の正しい表記は分かりません。
■エピソード9(ナイン)「勝手にしやがれ」
【出演者】泉谷しげる,小林稔侍,田渕岩男,タージン,高沢順子
■エピソード10(テン)「ピエロ・ル・フォー」
【出演者】泉谷しげる,きたせりさ,まままつり,上海太郎,大森一樹,高沢順子
脚本家も登場。最後に流れるジョン・レノンの「oh my love」は,なんとも哀しい終わりにふさわしい曲でした。
〈2024年2月5日追記〉
ラジオでのタイトルは『さようなら、ギャングたち』ではなく『さよならギャングたち』だったのかもしれません。
泉谷しげるのタイトルコールには「う」が聞こえません。
『めざら資源』というサイトの「ラジオドラマ資源」で検索してみると、同じ1985年の7月に、NHK大阪制作のFMシアターで、鈴木清順作『過激にして愛嬌あり』が放送されています。
その出演者が、『さようなら、ギャングたち』と同じ泉谷しげる、高沢順子、小林稔侍です。
この作品の演出は柴田岳志なので、もしかしたら、『さようなら、ギャングたち』も柴田岳志演出だったのかもしれません。
柴田岳志演出のNHKドラマは、大河ドラマ『平清盛』はじめ、いつも楽しみにしてきました。
NHKやTBSで放送された鈴木清順作のラジオドラマも、きちんと聴いてみたいものです。
手もとにある鈴木清順作のラジオドラマは、1988年に放送された『異聞世界語事始頌』をエアチェックしたカセットテープだけです。
▲高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(講談社,1982年初版)
▲Genichiro Takahashi『SAYONARA, GANGSTERS』(VERTICAL,2004年)
translated by Michael Emmerich
1985年にエアチェックしたカセットテープには、「So Long, Gangsters」と書きましたが,2004年の英語版では『SAYONARA, GANGSTERS』というタイトルでした。
▲WILLIAM GIBSON & BRUCE STERLING 『THE DIFFERENCE ENGINE』(GOLLANCZ,1990年)
カセットテープの入った箱やら探していたら、106回で紹介したウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』の英ゴランツ社版の初版が出てきました。行方知れずになっていた本が見つかるとうれしいです。
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114. 1972年の島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(2013年7月14日)
『東北と奄美の昔ばなし』は,島尾敏雄(1917~1986)が,福島の母方の祖母から聴いた昔ばなしと,奄美でひとからきいた昔ばなしを再話した物語集です。序文の日付は昭和45年10月16日。奥付の発行日は昭和47年10月15日。印刷製本はやじろべ工房。発行は鹿児島市の詩稿社。やじろべ工房と詩稿社は,井上岩夫(1917~1993)が鹿児島市で営んでいた印刷所・版元です。鹿児島でつくられた瀟洒な1冊です。収録されているのは以下の昔ばなしです。
東北の昔話
地蔵の耳
正直正兵衛
縁結びの神様
ほととぎす
笛市
壺の宝
奄美の昔話
蛇性の姉
猫女房
妹と妻
夫と妻
舌切り娘
三人の娘
継母継娘
二人のわかもの三人兄弟
奄美のユリワカ
鬼と四人の子ら
最後を飾る「鬼と四人の子ら」は,島尾ミホ(1919~2007)が母親から聴いた奄美の昔ばなしで唯一まとまって記憶していたという話で,島尾敏雄は,ルビを多用してその語りを再現しようと試みています。収録された昔ばなしの中で特に目立つお話になっています。のちに島尾ミホの文章で積極的に使われることになる方法です。イラストは,二人の息子である島尾伸三のユーモラスな線画が使われています。
▲島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(1973年,創樹社)
鹿児島の詩稿社版に続いて,東京の創樹社が出した版です。 外箱に宮田雅之の挿画が使われていますが,いまひとつ内容に合っていません。
▲左は1972年詩稿社版,右は1973年創樹社版の「鬼と四人の子ら」冒頭。
▲創樹社版の付属の「鬼と四人の子ら」を吹き込んだ録音盤(LPシート)
創樹社版には,島尾ミホが奄美のことばで「鬼と四人の子ら」を吹き込んだ録音盤(LPシート)が付属しています。直径145ミリの珍しいサイズで,ソノシートより少し固めのレコードです。プレイヤーがあれば今でも聴くことができます。島尾ミホが,小鳥のようにリズミカルな高い声で朗読しています。
わたしは奄美の方言で語られるお話の内容を聴き取ることができません。島尾ミホの声は,わたしにとって遠い音楽のようなものですが,その抑揚には,懐かしいものがあります。
▲CANIS LUPUS 『II』(1989年,ALTER DEEP CONNECT AD-001)のジャケットと曲クレジット
島尾敏雄の代表作というと『死の棘』が挙げられます。
川上慧二郎,北村昌士,箕輪政博らのバンドCANIS LUPUSのセカンド・アルバム『CANIS LUPUS II』A面2曲目に,「Thorn of Death/死の棘」という曲が収録されています。
メンバーの北村昌士(1956~2006)は,音楽誌『FOOL'S MATE』(1977年創刊)の初代編集長としても記憶されます。プログレ経由のニューウェーヴ的アプローチは,今聴くと懐かしさのほうが先に立つのですが,歌詞に「時の魔法」「瀕死の小鳥」「最後のラヴ・ソング」「麻酔が切れる」「震える掌」「愛の破片(かけら)」「傷の痛み」「虚空に叫ぶ」「滅びの夜」といった,後にゴシック的なジャンルで常套句として消尽された文句が並んでいるため,今聴くと「死の棘」ということばがもたらした衝迫の強さから遠ざかってしまったような印象が残りました。かろうじて「暗い夜路をどこまでも歩く 犬の真似して 怯えた顔して」という歌詞が,まだ息を残しているようです。
CANIS LUPUS 『II』のライナーノーツで,「Thorn of Death/死の棘」に寄せて北村昌士が書いた文章のほうがまだ力があります。以下に引用します。
■島尾敏雄の『死の棘』を最初に読んだのは82年頃,友人の篠原順子(故人)から,彼女の持っている2冊のうち一冊をもらい受けたときだった。それからどう少なく見積っても2年に1回か2回は必ず読み返しているように思うが,何度読んでも島尾敏雄の文体のもつ,異様な衝迫の強さは圧倒的で,読み終わると「これはいったい何なのか」と考えずにはいられない。情動のひとつひとつ,しぐさや風景のひとつひとつが砂のように乾き切ったことばに還元されると,すべての呪いや不幸や鉛のように重い心の深部での克藤は,きらきらと輝く美しい結晶のようなものに変容してしまう。生きることはそれじたいが病的なことなのかもしれず,人はそのような根源的な災いにおいて,たくさんのことばを費し,血液や体液を流し合い,あるときには暴力へと向かうのを防ぎ止めることができない。家族小説のはずなのにたくさんの戦争用語がひんぱんに飛び出して,愛と戦争の表裏一体性をいやがおうでもメカニカルに二重化する。あるいは,死やもっと恐ろしい罪の現場が容赦なく引きずり出されて,それでも営まれなくてはならない共同性というものが,傷ついて血だらけになって生々しい。表現行為はそういう事態の前では馬鹿々々しいほど無力である。音楽やうたが表層的な愛から一歩でもその奥地に歩を進めるとやがて局面するあの途方もない困難さはいったいどういうわけなのか。行為の体験がリアルであればあるほど,その反映物は幻想的な位相に遠のいてしまう。
懐かしい文章です。「Thorn of Death/死の棘」の歌詞よりも,ライナーに寄せた文章のほうが,今も読めるものであるということは,北村昌士はまず散文の人だったのかなと思います。
▲北村昌士『キング・クリムゾン 至高の音宇宙を求めて』(1981年,シンコー・ミュージック)
北村昌士が生前に出した唯一の単行本です。膨大なキング・クリムゾン・アーカイヴがつくられている現在ですが,1981年に読むと,もっとも面白いキング・クリムゾン本でした。70年代後半から80年代初めにかけて,北村昌士の洋楽紹介者としての影響力はとても強いものがあって,その音楽についての文章が本にまとめられたら,それを現在読みたいかどうかは別として,ほしいです。
▲島尾敏雄『死の棘』(1977年,新潮社)
読み返しましょう。
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113. 1976年の『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』(2013年7月4日)
1976年レオ・キャステリ・ギャラリー(Leo Castelli Gallery)でのコーネル展のカタログです。
ざっくりとした見方ですが,20世紀はコラージュの時代という印象があって,ジョセフ・コーネル(JOSEPH CORNELL,1903~1972)は,そのコラージュが持っていた可能性の拠り所,存在証明になる大事なアーチストです。コーネルの箱やコラージュから,確かに「詩的」なものが立ち上るのです。「詩的」という文学的な言い方は誤解を招きやすいものかもしれませんが,コーネルの作品群は20世紀が生みだすことのできた詩なのだと思います。
現代美術作品について言われがちな「何を考えているか分からない」「むやみに大きくて置き場所がない」といった性格と違って,ジョセフ・コーネルの作品は,「夢見がちなおしゃれ小物みたい」「置き場所もなんとかなる」という特性もあります。
ただコーネル関連の書籍印刷物には,思ったほど,快心の作がないような気がします。小さくて,文学的で,書籍・印刷物との相性は良さそうな作品群ですので,物まね鳥でもある複製作品・書籍は,その詩的性格を真似ようとしているのですが,なかなかうまく真似られないのです。そんななか,これはいいなあと思ったのが,『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』です。
サンドラ・レナード・スター(Sandra Leonard Starr)がデザイン・編集したこのカタログは,冊子に綴じられておらず,バラバラのシートが紙ばさみに挟みこまれた形になって,断片が断片のまま構成されています。表紙はマーブル紙が使われているため,すべて表紙違いになっています。こじんまりした展覧会のカタログとしては,理想的な1冊ではないでしょうか。
サンドラ・レナード・スターは,1987年の雅陶堂ギャラリーのコーネル展カタログに「ジョセフ・コーネルのクリスタル・ケージ ベレニスの肖像(The Crystal Cage〔portrait of Berenice〕)」ほかのテキストを寄稿し,また1992年から翌年にかけて日本各地を巡回したジョセフ・コーネル展カタログでも「黄金蜂ホテル(The Hotel of the Golden Bee)」などのテキストを寄稿しています。サンドラ・レナード・スターのコーネルについてのテキストをまとめた本があるといいなと思うのですが,現在のところ,ないようです。
『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』には,43点のコーネル作品のモノクロ図版解説シートと,ロバート・マザーウェルやドナルド・バーセルミ,ジョナス・メカスなど次のような寄稿者たちのテキストが,ポートフォリオに挟みこまれています。
Donald Barthelme: Cornell: prose-poem(封筒入り)
Bill Copley: Joseph Cornell
Tony Curtis: A letter
Howard Hussey: L'Esprit Cornell
Allegra Kent: Joseph Cornell: a reminiscence
Julien Levy: Joseph Cornell: or Twelve Needles Dancing on the Point of an Angel
Jonas Mekas: Notes on Films of Joseph Cornell
Robert Motherwell: Preface to a Josaeph Cornell Exhibition
Hans Namuth: A photograph of Cornell taken in the garden at Utopia Parkway, 1969(コーネルの肖像写真のオリジナル版です)
Sandra Leonard Starr: JOSEPH CORNELL Biblography
Sandra Leonard Starr: Portfolio-Catalogue
▲『Joseph Cornell Portfolio』の見開き
Leo Castelli Gallery, New York
Richard L. Feigen and Company, New York
James Corcoran Gallery, Los Angeles
Catalogue of the Exhibition February 28 - March 20, 1976
printed by Colorcraft Offset Inc., New York
bound in Portofolio by Spink and Gaborc Inc., New York
最近,この種の手間の掛かる美術印刷物は,たいがい中国・香港・シンガポールなどの中国圏の印刷になっていますが,1970年代は地元で印刷しています。
▲Joan Sommers and Ascha Drake『The JOSEPH CORNELL Box: Found Objects, Magical Worlds』(CIDER MILL PRESS,2006)
from the Collection of the Art Institute of Chicago
Manufactured in China
コーネル関連の印刷物には,箱やコラージュの切り貼り・切り抜きなどを真似て工夫を凝らそうとするものがあります。この箱の本は,透明な樹脂と紙でできていて,どちらかというとご愛敬な仕上がりです。割れるガラスと木の質感は,コーネルの箱では重要だと改めて思います。
▲『Joseph Cornell's Manual of Marvels』
Edited by ANALISA LEPPANEN-GUERRA and DICKRAN TASHJIAN
(Thames & Hudson,2012)
1933~1945年に制作されたとされるコーネルの作品のファクシミリ版です。1911年刊行のフランスの農業書をもとに,切りこみ,貼りこみ,書きこみしたコラージュ作品です。コーネルの没後,1972年,Walter Hoppsによってコーネルのスタジオから発見された作品です。切り抜き・貼り付け,書きこみなどを再現した,この凝ったファクシミリ版の印刷は中国です。ただオリジナル・コラージュが持つオーラは消えています。古くなってひびが入り剥げかかったペンキのようなものに詩を見出したコーネル作品からすると,新品過ぎるのです。
▲JOSEPH CORNELL
20 OCTOBER - 25 NOVEMBER, 1989
THE PAGE GALLERY, NEW YORK
Text: BRIAN O'DOHERTY
1989年の展覧会カタログ。表紙がくり抜かれています。コーネルのカタログということで,何か細工したくなるのでしょうか。細工の誘惑にかられる作品群ですが,『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』をのぞいて,工夫が期待ほど機能していないようです。
今思ったのですが,私が思う「20世紀書店」の定義には「パソコンを使用していない」ことも含まれるのかもしれません。パソコン上ではカット&ペーストが当たり前ですが,実際の糊とはさみでつくられたコラージュかどうかが,20世紀的なものと21世紀的なものを分けるものになっているようです。
20世紀的コラージュ作品を書いた小説家として,『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』にも寄稿しているドナルド・バーセルミや,ガイ・ダヴェンポートらの名前があげられますが,その20世紀的な糊とはさみをつかったコラージュを大衆小説的に展開してみせたイギリスのGRAHAM RAWLEの作品も思い浮かびます。
▲GRAHAM RAWLE『DIARY OF an Amateur PHOTOGRAPHER: A MYSTERY』
(Picador, LONDON,1998)
全編コラージュで構成されたミステリー小説です。
▲GRAHAM RAWLE『Woman's World: a graphic novel』
(ATLANTIC BOOKS, LONDON,2005)
『女性の世界』は,1960年代女性誌の記事を細かく切り抜いて,4万点ほどの断片を集め,それを糊貼りで再構成して作りあげたサンプリング小説です。誘拐犯の脅迫状みたいに切り貼りされた小説です。GRAHAM RAWLE作品を,コラージュで日本語訳したら,わけの分からない,すごいものができそうです。
▲Chris Ware『Building Stories』(Pantheon,2012)
バラバラの断片を1つの箱に収めるという意味では,これも興味深い作品です。漫画というのか,コミックというのか,グラフィック・ノベルというのか,とにかく近年のアメリカから生まれたものとしては間違いなく力業です。小さな冊子から新聞サイズのものまで14のグラフィック・ノベルが1つの箱の中に収まっていて,バラバラの14の断片から1人の女性の半生が浮かび上がります。新聞見開き大のコミックも含まれていて,人が手に取って読むことのできるビジュアル表現としては,ほぼ最大規模で,迫力のある印刷物になっています。
印刷・製本は中国でした。日本の印刷会社も優秀なのですが,こうした仕事は回ってこないようです。コスト高ということなのでしょうか。
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112. 1958年のエリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス』(2013年6月26日)
エリナー・ファージョン(Eleanor Farjeon,1881~1965)は,石井桃子訳の『ファージョン作品集』(岩波書店)で知られるイギリスの児童文学者です。
エドワード・トマス(Edward Thomas,1878~1917)は,早すぎた晩年の3年間に書き残した詩で記憶される詩人・批評家です。世代としては一回り違う佐藤春夫が「さくら」という詩を訳しています。
『想い出のエドワード・トマス 最後の4年間(EDWARD THOMAS: THE LAST FOUR YEARS)』(Oxford University Press,1958)は,エリナー・ファージョンの深い思慕が40年の時間で蒸留され,迷うことのない澄みきったテキストになっています。プラトニックな恋愛は,20世紀的な恋愛ではないのかもしれませんが,痛ましいくらい恥ずかしがり屋さんだったエリナー・ファージョンが,エドワード・トマスに寄せた思いを改めて読み再体験すると,過去の感情や日常が親しいものになり,過去に話しかけられ口ごもった声も,今,ここまで届くのだと感じられます。このテキストのなかで,エドワード・トマスがまぎれもなく存在し,歩き,語り,自分の詩に目覚めていきます。エドワード・トマスが第1次世界大戦で戦死しなければ,何かが続いたのかもしれませんが,この本を読むことで,エドワード・トマスやエリナー・ファージョンと知り合うと同時に,大きな可能性を失うことの寂しさを胸に刻むことになります。
1958年版のタイトルには「Book One of The Memoirs of ELEANOR FARJEON」とあるので,回想録の続刊も考えられていたようですが,これがエリナー・ファージョン生前最後の単行本となりました。
本は,エドワード・トマスの未亡人ヘレンに捧げられています。
エドワード・トマスとヘレン夫妻は,エリナー・ファージョンがエドワード・トマスに寄せた気持ちを知っていました。夫妻は友情でこたえました。エリナー・ファージョンは自分の気持ちをあらわにした瞬間に友情が終わると知っていました。その不均衡の上で続いた4年間の友情でしたが,この本が,エドワード・トマスの手紙の束とエリナー・ファージョンの回想が残されました。これは,やはり「大恋愛」の回想です。
▲『想い出のエドワード・トマス 最後の4年間』
エリナー・ファージョン著,早川敦子訳
白水社 1993年
訳者あとがきに「当時の白水社編集部の鶴ヶ谷真一さん」へのお礼が書かれています。現在は『書を読んで羊を失う』『猫の目に時間を読む』『古人の風貌』『月光に書を読む』『紙背に微光あり』などのエッセイストとして知られる鶴ヶ谷真一の手がけた本のようです。
1958年のオックスフォード版をもとにした翻訳ですが,写真図版や索引ははぶかれています。ファージョンが,この自分の30歳代の回想を書いた時,70歳代なかばでしたが,この版では30歳代の早川敦子が翻訳しています。30歳代についての回想を30歳代の訳者に依頼するというのは見識です。一方で,70歳代の翻訳者の手になる版も読んでみたい本でもあります。石井桃子訳でも読んでみたかった本です。
▲ELEANOR FARJEON『EDWARD THOMAS: THE LAST FOUR YEARS』
FOREWARD BY P. J. KAVANAGH
Introduction by ANNE HARVEY
グロスター州の地方出版社SUTTON PUBLISHINGから1997年にでた『想い出のエドワード・トマス 最後の4年間』改訂版です。
この表紙には,「ロマンス」化の意図があって,野暮ったいです。1958年版の簡潔さのほうが好ましいと思います。
6月下旬というと,エドワード・トマスの詩「アドルストロップ」が思い浮かびます。
Adlestrop
by Edward Thomas
Yes, I remember Adlestrop ―
The name, because one afternoon
Of heat the express-train drew up there
Unwontedly. It was late June.
The steam hissed. Someone cleared his throat.
No one left and no one came
On the bare platform. What I saw
Was Adlestrop ― only the name
And willows, willow-herb, and grass,
And meadowsweet, and haycocks dry,
No whit less still and lonely fair
Than the high cloudlets in the sky.
And for that minute a blackbird sang
Close by, and round him, mistier,
Farther and farther, all the birds
Of Oxfordshire and Gloucestershire.
[試訳]アドルストロップ
そう,ぼくは覚えている,アドルストロップ
という名前を,ある暑い午後,
急行列車が,その駅に臨時停車したから。
六月の末のことだった。
蒸気がしゅっしゅっと鳴り,だれかさんが咳をはらう。
だれも降りず,だれも乗ってこない
がらんとした停車場。ぼくが見たのは
アドルストロップという駅名だけ。
そして,ヤナギ,ヤナギラン,牧草に
シモツケソウ,そして,干し草のかたまり。
すべてが静かで,ひっそりと美しかった。
空にじっと浮かぶ,ちぎれ雲たちのように。
そのとき,一羽のブラックバードが近くで鳴いた。
そのまわりを,ささめくように,
はるかはるか遠くまで,オックスフォード州と
グロスター州のすべての鳥たちが,鳴きかわした。
▲『アドルストロップ再訪(ADLESTROP REVISITED: AN ANTHOLOGY INSPIRED BY EDWARD THOMAS'S POEM)』
COMPILED AND EDITED BY ANNE HARVEY
グロスター州の地方出版社SUTTON PUBLISHINGから1999年にでたアンソロジーです。写真は2009年にThe History Pressから出た再版です。エドワード・トマスの詩「アデルストロップ」に寄せられたオマージュで構成されています。
エドワード・トマスの詩で蒸気機関車と鳥の歌声に結びついた「アドルストロップ」という地名は,英国の「歌枕」のようなものの1つになって,こんな本も編まれるようになりました。土地に根づいた1編の詩からそれにまつわる1冊の本が編まれるというのは,なにか言祝がれたようで,気持ちの良いものです。ブラックバードというと,ビートルズの曲が連想されますが,その鳥の声は「アドルストロップ」にも響いています。
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111. 1887年のローレンス・オリファント『ファッショナブルな哲学』(2013年6月15日)
旅行家・才子・諜報員・外交官・神秘主義者・起業家と多彩な顔をもつローレンス・オリファント(Laurence Oliphant,1829~1888)は,サタイア(satire,風刺)作家として知られています。サタイアの作家というと『ガリヴァー旅行記』のスウィフトの名前が浮かびますが,サタイア作家共通の,単に「風刺」とだけは言い難い,どす黒い憂鬱のかたまりのようなものを,スウィフト同様オリファントも抱えていたのかもしれません。
手もとの版は,前所有者が,ある意味,とてもファッショナブルに革装しています。『ファッショナブルな哲学(Fashionable Philosophy)』(William Blackwood and Sons,1887年)は,サタイア4編を集めた小さな本です。オリファントが『ブラックウッド・マガジン(Blackwood's Magazine)』『19世紀レヴュー(Nineteen Century Review)』などの雑誌掲載作品をまとめた本の1冊です。19世紀後半になると,雑誌掲載したものを本にまとめるという本づくりが一般化しています。 次の4つのサタイアが収録されています。
「ファッショナブルな哲学(Fashionable Philosophy)」
「山賊の花嫁:南イタリアの話(The Brigand's Bride: a tale of Southern Italy)」
「チベットの姉妹(The Sisters of Thibet)」
「アドルファス・類似のコメディ(Adolphus: a comedy of affinities)」
「ファッショナブルな哲学」は,1880年ごろのイギリス上流階級紳士淑女の会話劇。キリスト教への失望と,東洋神秘思想の身体性への期待が入り交じっています。宗教の可能性を語るRollestone(転石)氏はオリファントの分身のようです。
「山賊の花嫁: 南イタリアの物語」は,1860年頃のイタリアを舞台にした紛争地恋愛もの。オリファントは,英国エルギン使節団の中国・日本訪問に同行したあと,イタリアにガリバルディに会いに行っています。オリファントは,交通の便がよいとはいえない19世紀でも,何かが起こっている場所まで行って確かめる人です。
「チベットの姉妹」は,イギリスでのチベット密教などオカルト的なものへの期待があることへの風刺。「Guru(尊師)」「sixth sense(第六感)」「karma(カルマ・業)」「astral body(星気体・霊体)」「nirvana(ニルヴァーナ・涅槃)」「Dalai Lama(ダライラマ)」など,現在でも,その種の分野でおなじみの語句が山ほど登場するテキストで,東洋神秘主義受容史の資料としても使えそうです。オリファントは1850年頃,実際にネパールまで行っていて,チベット仏教を見聞しています。
「アドルファス」は,見た目もそっくりな同名異人2人のアドルファスとエレイン嬢の結婚コメディ。会話劇形式のテキストです。
126年前の『ファッショナブルな哲学』というタイトルですが,今でも古びることなく使えそうです。
話はとびますが,日本で,ファッションの哲学というと,鷲田清一の名前が浮かびます。鷲田清一の本でいちばん感心したのは,本の装釘にアメリカの美術家ジョセフ・コーネル(JOSEPH CORNELL,1903~1972)の箱作品を使ったことです。美術書以外にコーネル作品を装釘に使った方は,何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか。
▲鷲田清一『夢のもつれ』(1993年,北宋社)
使われている作品は、ジョセフ・コーネル「無題」(鳩小屋:アメリカーナ)です。
ジョセフ・コーネルは、箱を使った作品群で知られる,とても20世紀的な美術家です。コーネルの箱は,手法としては,寄せ集め,あり合わせのコラージュと同じ方法でつくられています。コラージュが平面的だとすると,コーネルの箱のような立体的な作品はアッサンブラージュ(assemblage)と呼んだほうがよいようです。コーネルはとても文学的で,文学の側から触手の伸びやすい存在でもあります。表紙に箱をあしらったブックデザインをよく見かけますが,コーネルの箱を意識したものが多そうです。
ジョセフ・コーネルの作品を装釘に使った文学書を何冊か挙げてみます。
▲JOHN ASHBERY『HOTEL LAUTRÉAMONT』(ALFRED A. KNOPF,1992)
アメリカの詩人ジョン・アシュベリーの詩集。ダストラッパーに使われている作品は,JOSEPH CORNELLのコラージュ「Untitled」(1930年頃)です。
▲CHARLES SIMIC『Dime-Store Alchemy: THE ART OF JOSEPH CORNELL』(The Ecco Press,1992)
ダストラッパーに使われている作品は,の箱作品「Untitled(Apollianris)」(1953年頃)です。アメリカの詩人チャールズ・シミックの作品『コーネルの箱』は,柴田元幸が翻訳しています(文藝春秋,2003年)。
▲Edited by JONATHAN SAFRAN FORE『A CONVERGENCE OF BIRDS: Original Fiction and Poetry Inspired by the Work of Joseph Cornell』(D.A.P.,2001)
大学を卒業したばかりの青年Jonathan Safran Foerがジョセフ・コーネルを主題として企画したアンソロジー。ジョイス・キャロル・オーツ,ロバート・クーヴァーからロバート・ピンスキーら20人の作家が書き下ろしています。コーネル本のなかでも,これはとても美しい本の1冊です。
ダストラッパーに使われている作品は,JOSEPH CORNELLの箱作品「Untitled(Aviary Parrot Box With Drawers)」(1949年)です。
▲表紙に使われたわけではありませんが,主題としてジョセフ・コーネルが重要な役割を果たしている小説に,ウィリアム・ギブソンの『カウント・ゼロ』があります。ウィリアム・ギブソンの電脳空間(サイバースペース)3部作の第2作です。
『ニューロマンサー』(オリジナル版1984年,黒丸尚訳ハヤカワ文庫版1986年)
『カウント・ゼロ』(オリジナル版1986年,黒丸尚訳ハヤカワ文庫版1987年)
『モナリザ・オーヴァドライヴ』(オリジナル版1988年,黒丸尚訳ハヤカワ文庫版1989年)
ハヤカワ文庫版は,3作ともカバーは奥村靫正で,とても80年代です。『カウント・ゼロ』カバーのコンピューターグラフィックは立花ハジメです。
ジョセフ・コーネル的コラージュ・アッサンブラージュに関心をもっていたウィリアム・ギブソンが,次作『ディファレンス・エンジン(THE DIFFERENCE ENGINE)』でオリファントを取り上げていますので,ジョセフ・コーネルとローレンス・オリファントが交差する物語も可能なのかもしれません。