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平田信芳選集

 

『平田信芳選集 II 石碑夜話』[PDF:44MB]

『SWALLOW-DALE 05』として『平田信芳選集II 石碑夜話』のPDFを公開しました。(2017年12月14日)

平田信芳が、羽島さち編集の『みなみの手帖』(みなみの手帖社)に連載していた『石碑夜話』を1巻にまとめて、『平田信芳選集II 石碑夜話』としました。

平成4年(1992)5月から平成9年(1997)5月にかけての全15回の連載でした。第1回から第9回までは、平田信芳『石の鹿児島』(南日本新聞開発センター、1995年)に収録していますが、本巻では、『石碑夜話』全15回をまとめて読めるようにしました。加えて、「石碑夜話」に先行する「西郷書・藤嶋新二追悼碑」と、石碑を題材として同時期に書かれた「生き残りの美学」も加えました。

また、資料として、「石工の系譜」と、平田信芳が、地名研究会や上町の歴史と文化に学ぶ会、郷土史講座などで、資料として配付していた石碑文とその現代語訳を「鹿児島の石碑文」として収録しました。目次は次の通りです。

藤嶋新二とその仲間たち 平成4年(1992)5月・9月
西郷書・藤嶋新二追悼碑 平成3年(1991)9月
生き残りの美学 平成4年(1992)5月
旧射圃記 平成4年(1992)12月
肱黒君益墓碣銘 平成5年(1993)5月
伊藤翁遺徳碑 平成5年(1993)9月
五石橋のうめき声 平成5年(1993)12月
石橋への思い 平成6年(1994)5月
石大工薩摩之住紀加兵衛 平成6年(1994)9月
石橋挽歌 平成6年(1994)12月
路傍の石碑 平成7年(1995)5月
金剛嶺の古墓 平成7年(1995)9月
島津家久献上の石 平成7年(1995)12月
鎮国山感応寺 平成8年(1996)5月
白水君墓表 平成8年(1996)12月
宝満寺石と夏井石 平成9年(1997)5月
資料I 石工の系譜
資料II 鹿児島の石碑文

【2017年12月16日付記】石碑文を9点追加しました。

【2017年12月24日付記】12月23日に再校正して目についた誤字・脱字を修正しました。

【2022年10月9日追記】「白水君墓表」122・123ページに「女井仲平」とありましたが、宮崎・飫肥潘の儒学者、安井仲平(安井息軒、1799年~1876)を読み違えたものでした。「安井仲平」と修正いたしました。出水麓歴史館・肥本英輔氏のご指摘に感謝いたします。

 

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『平田信芳選集 I 鹿児島を知るために―古代編―』[PDF:2.9MB]

『SWALLOW-DALE 03』として『平田信芳選集Ⅰ 鹿児島を知るために―古代編―』を公開しました。
(2016年2月15日)

平田信芳が残したフォルダーをもとに、おもに古代史関連のテキストから10編を選んで、『平田信芳選集Ⅰ 鹿児島を知るために―古代編―』としました。目次は次の通りです。

隼人が用いた土器 ―成川式土器―(1979年3月)
さつまと塩(1980年12月)
古代大隅・薩摩の郡郷名 ―倭名抄記載の郷名考証―(1981年11月)
熊襲と隼人(1982年10月)
大隅国府はどこか(1983年3月)
隼人塚をめぐる諸問題(2000年10月)
溝部と溝辺(1983年4月)
「桜島」考 ―その地名の由来―(1984年12月)
柊原という地名(1990年10月)
古道を探る方法(2003年3月)

 

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鹿児島フォルダー

▲平田信芳が残した文書のひとつに、本にまとめることを想定したと思われるフォルダーがありました。その中の封筒には、『鹿児島を知るために』と書かれ、次のようなテキストの抜き刷り・コピーが入っていました。

隼人が用いた土器――成川式土器――〔昭和54年(1979)3月20日『隼人文化』第5号〕
さつまと塩〔昭和55年(1980)12月20日『隼人文化』8号〕
古代大隅・薩摩の郡郷名――倭名抄記載の郷名考証――〔昭和56年(1981)11月 鹿児島大学史録第14号〕
熊襲と隼人〔昭和57年(1982)10月 トラベル・メイツ社『鹿児島県風土記』〕
大隅国府はどこか〔昭和57年(1982)12月『南日本新聞』〕
溝部と溝辺 〔昭和58年(1983)4月 地名研究協議会『地名研究年報』〕
「桜島」考――その地名の由来――〔昭和59年(1984)12月20日『隼人文化』15号〕
柊原という地名〔平成2年(1990)10月 小野重朗先生傘寿記念論文集『南西日本の歴史と民俗』〕
青山墓地の西郷家墓所〔平成16年(2004)9月24日 西郷南洲顕彰会『敬天愛人』第22号〕

鹿児島を知るために

▲「鹿児島を知るために」と鉛筆書きされた封筒

そのほかにも、次のようなテキストの抜き刷り・コピーが同じフォルダーに挟み込まれていました。

「国分物語」〔昭和59年(1984)3月1日『国分高校七十周年記念誌』〕
  三 名波(ナバ)という地名
  四 謎の多い本県の弥生文化
  五 日向神話と隼人説話
  六 熊襲と隼人
  七 古墳時代の国分地方
島津一族・家臣団と南九州の地名〔昭和60年(1985)4月 秋田書店『歴史と旅』〕
地名物語 市後柄(いちごがら)〔昭和60年(1985)6月2日『地名研究会報』第8号〕
伊座敷という地名〔昭和60年(1985)11月 秋田書店『歴史と旅』〕
創拓社『日本地名ルーツ辞典』 鹿児島県の項目・コラム歴史地名散歩〔平成3年(1991)3月10日〕
岩永三五郎の知恵〔平成5年(1993)1月13日『南日本新聞』〕
島津応吉邸門前――南洲翁戦死地の特定は可能――〔平成15年(2003)9月24日『敬天愛人』第21号〕
「国府」所在地解明の鍵は“地名”――薩摩・大隅・種子島〔平成16年(2004)3月 新人物往来社『別冊歴史読本81』〕

 

平成5年(1993)ごろか平成16年(2004)ごろにまとめたフォルダーのようです。

これら鹿児島についてのテキストを中心に、新たに組み直してPDF文書化していきたいと考えています。 (2016年2月15日)