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平田信芳選集

『平田信芳選集 I 鹿児島を知るために―古代編―』[PDF:2.9MB]

『SWALLOW-DALE 03』として『平田信芳選集Ⅰ 鹿児島を知るために―古代編―』を公開しました。
(2016年2月15日)

平田信芳が残したフォルダーをもとに、おもに古代史関連のテキストから10編を選んで、『平田信芳選集Ⅰ 鹿児島を知るために―古代編―』としました。目次は次の通りです。

隼人が用いた土器 ―成川式土器―(1979年3月)
さつまと塩(1980年12月)
古代大隅・薩摩の郡郷名 ―倭名抄記載の郷名考証―(1981年11月)
熊襲と隼人(1982年10月)
大隅国府はどこか(1983年3月)
隼人塚をめぐる諸問題(2000年10月)
溝部と溝辺(1983年4月)
「桜島」考 ―その地名の由来―(1984年12月)
柊原という地名(1990年10月)
古道を探る方法(2003年3月)

 

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鹿児島フォルダー

▲平田信芳が残した文書のひとつに、本にまとめることを想定したと思われるフォルダーがありました。その中の封筒には、『鹿児島を知るために』と書かれ、次のようなテキストの抜き刷り・コピーが入っていました。

隼人が用いた土器――成川式土器――〔昭和54年(1979)3月20日『隼人文化』第5号〕
さつまと塩〔昭和55年(1980)12月20日『隼人文化』8号〕
古代大隅・薩摩の郡郷名――倭名抄記載の郷名考証――〔昭和56年(1981)11月 鹿児島大学史録第14号〕
熊襲と隼人〔昭和57年(1982)10月 トラベル・メイツ社『鹿児島県風土記』〕
大隅国府はどこか〔昭和57年(1982)12月『南日本新聞』〕
溝部と溝辺 〔昭和58年(1983)4月 地名研究協議会『地名研究年報』〕
「桜島」考――その地名の由来――〔昭和59年(1984)12月20日『隼人文化』15号〕
柊原という地名〔平成2年(1990)10月 小野重朗先生傘寿記念論文集『南西日本の歴史と民俗』〕
青山墓地の西郷家墓所〔平成16年(2004)9月24日 西郷南洲顕彰会『敬天愛人』第22号〕

鹿児島を知るために

▲「鹿児島を知るために」と鉛筆書きされた封筒

そのほかにも、次のようなテキストの抜き刷り・コピーが同じフォルダーに挟み込まれていました。

「国分物語」〔昭和59年(1984)3月1日『国分高校七十周年記念誌』〕
  三 名波(ナバ)という地名
  四 謎の多い本県の弥生文化
  五 日向神話と隼人説話
  六 熊襲と隼人
  七 古墳時代の国分地方
島津一族・家臣団と南九州の地名〔昭和60年(1985)4月 秋田書店『歴史と旅』〕
地名物語 市後柄(いちごがら)〔昭和60年(1985)6月2日『地名研究会報』第8号〕
伊座敷という地名〔昭和60年(1985)11月 秋田書店『歴史と旅』〕
創拓社『日本地名ルーツ辞典』 鹿児島県の項目・コラム歴史地名散歩〔平成3年(1991)3月10日〕
岩永三五郎の知恵〔平成5年(1993)1月13日『南日本新聞』〕
島津応吉邸門前――南洲翁戦死地の特定は可能――〔平成15年(2003)9月24日『敬天愛人』第21号〕
「国府」所在地解明の鍵は“地名”――薩摩・大隅・種子島〔平成16年(2004)3月 新人物往来社『別冊歴史読本81』〕

 

平成5年(1993)ごろか平成16年(2004)ごろにまとめたフォルダーのようです。

これら鹿児島についてのテキストを中心に、新たに組み直してPDF文書化していきたいと考えています。